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消された感情

2004年10月22日 02時48分19秒 | 世情雑感(サブカルチュア)
 1942年6月5日ミッドウェー近海上のイージス護衛艦「みらい」の艦上において草加から「あなた方はどこから来た日本人だ!?」と尋ねられた角松は感情的に「21世紀の日本からやってきたんだ!!」と言い返す。これは「ジパング」の漫画版での情景だ。しかし、アニメ版では角松は逸る部下を押し留めるように冷静にその台詞を言う(もっとも漫画版では角松ではなく部下が言っているようにも見える)。この部分だけではない。「みらい」を雷撃しようとする米潜水艦の艦長は漫画版では「ジャップの新鋭艦だ」と言うが、アニメ版では「ジャップ」の部分が「日本海軍」と改められている。これは「ジャップ」が恐らく放送禁止用語になっている為であろうが、戦争状態で「日本海軍=Japanese Navy或いはImperial Japanese Navy」と言うというのは想像し難い。この感情を消し去ったような相違はいったい何処から生まれたのであろうか。
 ここで言える事は、この部分が米国同時多発テロ事件という我が国の安全保障政策を大きく転換させてしまう事になる事件の前に原作が描かれている事である。この時代の日本にとって戦争とは遠くの出来事でしかなかった。海外に派遣される自衛隊は国連のブルーのヘルメットを被ってブルドーザーを運用していた。そのような中で描く場合、戦争と言う只中に放り込まれた自衛官に感情移入している読者を傾注させる為には感情的であることが必要だったのであろう。何しろ、想像は出来たとしてもどのような状態で自衛隊が戦時派遣されるのかと言う事などを想像する事は容易でなかったからである。しかし、現在では海上自衛隊はインド洋に派遣部隊を常駐させるようになっている(政府は、派遣期間の半年延長を決定し、支援の範囲も艦船の燃料から艦載機の燃料までに拡大される方向にある)。イラクに陸上自衛隊の車両を輸送した輸送部隊はインド洋上でインド洋派遣部隊から洋上給油を受けている。このような状況をテロ事件が起こる前に誰が想像出来ただろうか。自衛隊が派遣されるとしても、其れは周辺事態安全確保(ガイドライン)法に基づく日本近海での派遣である筈だったからだ。
 海上自衛隊は戦時派遣された。しかし、その派遣は日常生活には目に見える何らの影響も及ぼさなかった。インド洋に自衛隊が展開されてる事自体が現在では殆どニュースにもならない。イラクの自衛隊派遣ですら同様だ。誰もが忘れている内に8年近く展開しているゴラン高原PKOと殆ど差がなくなってきている印象すら受ける(その半面で海上自衛隊は近年になって旧海軍77年の伝統を引き継ぐ正統な後継者である事を公言し始めている)。日常である以上、其処は得てして感情的になる必要は無い。日常生活とは得てして淡々と処理されていくものであるからだ。日常となった自衛隊の海外派遣、日常を変える事が無かったというある意味において「予期されなかった」現実が「ジパング」アニメ版における「消された感情」を導き出したのではないだろうか。