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漢和辞典ファン日記

初心者ですが漢和辞典ファン。漢和辞典に見つけるあれこれを記事にしてまいります。

冤罪の「冤」は「かわいそうなうさぎ」

2009-04-02 13:00:00 | 日記
rabbit rhein on his first birthday漢和辞典の辞書を繰っていると「冤」という字に目がとまった。『新漢和大字典』では、囲いの中に兎の絵が描いてある。

そう、字を見れば明らかなんだけど、「冤」の字は「冖」の中に「兎」が入ってる。『説文解字』に「屈するなり。兎のかこいの下にありて、走るを得ず、屈折するなり」とあるそうな。

うちの兎はいつも自由に部屋の中を探検してるけどな。ただ本やケーブルをかじりまくるので、少々行動は制限されてしまっているけれど^^。

尚、熟語欄もなかなか面白い。というのは「冤家」。これが「かたきの家」であるのは誰もが想像する通り。しかし実は「恋人」という意味もあるんだそうだ。

つまり「冤家」というのは、日本語で言うところの「憎い人」ってことかな^^? 昭和の歌によくあったよね「私の憎い人」みたいなの(笑)。

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「凝」を巡る2つの疑問

2009-04-02 09:26:04 | 日記
igo books i haveどうも何かを始めると一般的な歯止めよりもちょっと先まで行ってみたくなるタイプみたいだ。写真は一時完全にはまり込んだ囲碁関係の本。週に3日、日本棋院に通っていたりしたものなあ…。小林千寿五段に、棋譜を覚えてしまう楽しみを教えて貰って、コミュニケーションの別手段を教えてもらったのはすごく勉強になったし楽しかった。最近は仕事の都合で囲碁からは離れてしまっているんだけど、またそのうちに。

こんなふうに囲碁にしろ何にしろ「凝りやすい」性格みたいだな。自転車もいったん峠に行き始めると何週間も続けて峠通いを続けたり、ラグビーを観るのが面白いと思ったら年間百試合の生観戦をしたり…。

そんな自分を可愛く(笑)思い出しながら、『新漢和大字典』で「凝」を見てみた。ちょっと驚いたのは「筋肉がはってかたくなる」のと「物事に熱中する」のが日本語用法だと記されている点。日本語用法を云々するなら、続いて確認するのはもちろん『漢辞海』。

『漢辞海』にはしかし「動きが止まる」とか「精神を集中する。心意を注ぐ」なんて意味が書いてある。また形容詞として「盛んなさま。程度がはなはだしい」というような意味も書いてある。これは「肩凝り」の「凝り」とか、「凝り性」の「凝り」とは違うものだろうかな。ちなみに『漢辞海』には「日本語用法」の記述はなし。

手持ちの他の漢和辞典も見てみたけれど、日本語用法を記しているのは『新漢和大字典』だけかなあ。『新漢和大字典』の主張にはもともと「凝」には肯定的な意味があって、「肩凝り」だとか「物事への熱中」にはネガティブな含意があるということなのかもしれない。いや、根拠のない憶測だけど。

尚、『漢字海』の「なりたち」欄にも驚いた。曰く「『凝』は、俗字の『冰』であり、『疑』から構成される」という記述がある。但しこの説を採るのは手元にある辞書では『漢字海』のみ。『新漢和大字典』では会意兼形声で「疑」が「わが子に心が引かれて止まるさま」を示し、それに「冫(ニスイ)」が付いて「氷が一ところにじっと封じ固まるように、止まって動かない意をあらわす」となっている。他の辞書もだいたいこの説を採っている様子。

それにしても字源に諸説あったりするのは面白いけれど、素人の範囲を超えてしまって残念でもあるなあ。

「玉」が象形文字とは意識していなかったな。

2009-04-01 09:07:14 | 日記
takebashi bridge言われてみればそうかな、とは思う。だけど不勉強にしてこれまで、「玉」が象形文字であることを意識したことはなかったように思う。

『新漢和大字典』によれば「象形。細長い大理石の彫刻を描いたもので、かたくて質の充実した宝石のこと。三つの玉石をつないだ姿とみてもよい。楷書では王と区別して『、』をつける」。

同字典に記される「日本語用法」には「まるいもの」「ある性質を持った人(善玉・悪玉)」「芸者」「将棋の王将」などが挙げられている。

「玉」の意味としてはもちろん「すぐれていて美しい」という意味だとか「天使や他人を尊ぶ言葉」としての働きがある。ちなみに『日本語漢字辞典』には「玉音」という熟語が掲載されている。なんか意味の書き方が面白くてね。「(1)玉のように清らかな声。(2)天子の声。(3)相手の音信に対する尊称」とある。

もちろん日本で有名な「玉音放送」は(2)の意味で使われているんだろうけれど、果たして誰が「玉音」と名付けたのかに興味を感じた。ちょっと調べてみた感じでは「命名者」や、命名の理由は見つからない。広辞苑には「玉音」のいろんな意味についての記述はなく、終戦時に行われた放送という説明が載っているのみ。

ところで昨日の「王」とは違って成り立ちに異論はないんだけど、『漢辞海』の「説文」が面白い。
石の美なるもの。五つの徳質がある。潤った光沢があって温和なのは仁の類であり、玉中の紋理が透けて外側からその中をうかがえるのは義の類であり、その音がのびやかで軽く、広く伝わり遠くまで聞こえるのは智の類であり、たわむことなくきっぱり折れるのは勇の類であり、鋭くしても危害を与えないのは潔の類である。

尚、『日本語漢字辞典』には「玉代」の説明として「ビリヤードなど玉を用いる遊びの料金」という説明がある。その例としては「山王下の赤坂亭には好きな女もいるが、玉代や飲食費が大分溜っていて、行たんびにそれを催促されるのが心苦しい」という岩野泡鳴の文章が載っている。しかしこれは違うんじゃないか。「玉代(ギョクダイ)」と言えば、一般に芸者なんかが取る金のことでしょう。広辞苑にも「ビリヤード」云々の記述などない。どこからこんな定義が出てきたのか、ちょっと興味深い。

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