
小野 不由美という作家のシリーズで、これをきっかけにいくつか作品を読んでみた。だけど私見では本シリーズ以外はあまりにつまらないんだよな。「なぜアルジャーノンを書けたんですか?」「それは俺が教えてもらいたい」というダニエル・キイスの話を思い出したりする(笑)。否、自ら「パスティーシュ」を意識し始めて下らなくなった清水義範かな。
そんな現在の状況にひきずられて引いてみたのは「王」。
『新漢和大字典』によると「王」は「会意文字」。「手足を広げた人が、天と地の間に立つさま」だそうな。『漢字海』によれば「指事文字」。「天下が帰着し、服し往く対象である」。ま、『漢辞海』にはよくわからんことが往々にして書いてある(笑)。で、『日本語漢字辞典』はなんと「象形文字」。「鉞の刃を下に向けた形」だそうな。
ようするに「王」という漢字が古く、出自がわからないってことなのかな。そういえば OED のように初出を明らかにする漢字辞書ってのはないのかな。きっとありそうな気もするけれど。
月の影 影の海〈上〉 十二国記 講談社X文庫―ホワイトハート
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アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)
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「両わきの下を 、 印で示したもの。わきの下は左に一つ、右にもう一つある。同じ物事がもう一つあるの意を含む」ということでできた指事文字なんだと^^。指事文字ってのは教科書なんかでは「上」とか「下」が説明に使われるけど、こっちの字の方が「脱力系」で良いかもしれない。ま、「指事文字とは何か」なんてことを勉強するときにはまだ「亦」なんて字を知らないのかもしれないけれど。
意味は当然「また。同じ物事がもう一つあったりおこったりすることをあらわすことば」。漢辞海には懐かしいフレーズが載っている。「学而時習之、不亦説乎」(まなンデときニこれヲナラふ、まタよろこバシカラずや)。学校で習ったのはいつでしたか。高校? 中学? いや、中学時代には何かで触れていたはずだな。
漢辞海の説明によれば【不亦…乎」で「まタ…ずや」と読み「詠嘆の意を含む反語文としての用法」で「なんと…ではないか」と訳す。
反語と言えば、だ。昔、女の子を映画に誘うのに、なぜか「なぜあなたは一緒に行きませんか」と反語で誘ったことがあったな(苦笑)。「いえ、いきますよ」と反語に対するのに相応しい回答を貰った(笑)。
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曰く「甚は「甘(おいしい)+匹(いろごと)」の会意文字で、食物や女色の道楽に深入りする意を示す。深と同形で、程度が深く強いこと。勘は「力+甚(深い)」で、奥深くまで徹底して突きつめる意」。
「勘」や「甚」、あるいは「匹」にそんな意味があったことも知らなかったさ。
それから「勘」の字義も面白い。同字典に曰く「かんがえる。奥深く突きつめる」という意味なんだと。「心の底で直感的にぴんとくる心の働き」というのは日本語限定の意味なんだそうだ。『漢字海』によれば、江戸時代くらいからこの日本語用法が生まれたとのこと。どういう流れで生まれたのか興味があるな。
それにしても「勘」が「突きつめる」というような意味なら、遠い昔に社会で習った「勘解由使(カゲユシ)」ってのも理解できる。つまりは「解由状(ゲユジョウ)」を審査するって意味なわけだ。また「勘案する」ってのは、少なくとも個人的には日常表現としてよく使う。そういうときに「勘」を第六感だなんて思ってはいないから、もうちょっとはやく「勘」の意味を確認しておくべきだったな。ああ、そうそう。社会で言えば「勘合貿易」ってのもあったじゃんね。
熟語として正しい意味で使ってはいても、改めて「漢字の意味」として見るとかなりの驚きを感じた。それは言葉に対してイーカゲンな態度をとっているということを意味するのだろうな。
尚、写真は「おや、勘で打ってはいけないったら」(inspired from 『オツベルと象』)。

『新漢和大字典』の「解字」欄を見ると結構驚く。曰く「会意。匹とは、ペアをなしてくっつく意で、男女の性交を示す。甚は『甘(うまい物)+匹(色ごと)』で、食道楽や色ごとに深入りすること」。
まじでかっ!
よく耳にする「甚句」ってのもじゃあ、ちょっと色めいているわけ? むしろ「おっとりした奴」の意味に使う「甚六」ってのも、実は「あっちはスゴイ」奴だったりするのかなあ(苦笑)。「甚雨(ジンウ)」ってのは、なんかいやらしい意味もあるのかな…
『新明解』もなかなか味があるよ。曰く「会意、甘と匹(男女の和合)との合字、非常な楽しみの意」。ほー。
但し『新潮日本語漢字辞典』によると、この「会意」のありようは「一説によると」に格下げされる。そしてこの辞書の説によれば「甚」は象形文字だとある。何の象形かと言えば「かまど竈(かまど)の上に煮炊きする器をかけた形で、置き竈の意を表す。(中略)煮過ぎることを過甚という」。
う~ん。しかし「象形説」と「会意説」があるのは面白いなあ。

そういう謂われを調べるなら、漢文に強いと言われる『漢辞海』だろう。そう思って引いてみた。曰く「(形声)魚の名。貉(バク)国に産する」とのこと。
まじでかっ!? 「鮮」が魚だなんて聞いたことがない。ま、不勉強だから聞いたことがないのは良いとしても、なんかせっかく「魚」と「羊」を併せてるのに、単に「形声」で、しかも固有名詞だなんてつまらないじゃないか。
そう思って『新漢和大字典』にもあたってみた。するとこちらは会意。「『魚+羊』。なま肉の意をあらわす」とのこと。
う~ん。『新漢和大字典』の意味の方がロマンがあるなあ。ただ『漢辞海』は、わざわざ「貉国に産する」と細かいことまで書いている。少なくとも表面的な信頼性は『漢辞海』が高いのかなあ。
ちなみにこの『漢辞海』によれば「鮮」には「若死にしたさま。短命の」という意味があるそうな。「鮮者」で「若死にしたもの」という意味なんだと。「若干」とかと同じように使いそうな言葉だよなあ。
また「鮮民」というのも「財産を持たない、孤独な人」という意味になるんだと。字面だけ見ると良い意味で使ってしまいそうだよね。