「いのちのわ」反原発集会に参加。鶏のエサだけ組んで妻にあとは依頼。妻は不服そうな顔をしたが、今日は心情的に家にいたくなかった。
開場の20分前に到着。もとより駐車場の料金を払うつもりはなし。1キロ離れた商業施設に駐車。トレーニングを兼ねて、そこから歩く~。開始時間の10時に立派に間に合う。
受付には自治労と一般の二つがあった。「自治労」など馬の糞(もとい、馬の糞はたい肥になり作物を育てるが、腰抜け労働組合は肥料にもならない)に成り下がっているのだが動員力だけはあるらしい。
環境総合研究所の青山貞一氏と医療問題研究会の林敬次氏が講師。『「伊方原発が爆発しても大分県には影響がない」と思われているが、風向きによっては大被害を受ける』という。3月の東北では北からの風が吹く。どうして飯館村に被害が集中したのか。飯館村は北にあり、福島第一原発から50キロほど離れている。青山は地元の漁師に話を聞いた。その結果、「冬の東北はシベリアおろしの北風が吹くが、日によっては逆に南風の吹く日がある」らしいことが分かった。
福島原発からは30キロ以上離れ、阿武隈山系の中腹にある飯館村に被害が集中した疑問が解けた。青山はそこから「原発からの距離だけではなく、気象、地形、その日の天候によって被害の状況は変わる」という結論を導き出す。机上の学問だけでなく、そこで生きている人から学ぶべきなのだ。先のブログで、「朝日新聞の吉岡編集委員の父上が兼業農家であることが彼女の農業感覚を正常にさせる」と書いたが、私の主張はまちがっていなかった・・・。
講演が終わると素早く外に出た。近くのデパートで東北の物産展をやっている。若いころ、私は東北を3年放浪?したことがある。懐かしくて足を運んだ。秀衡塗は素晴らしいが、お椀一つが3万円。通り過ぎる。欅に金具を打ち付けた箪笥、一張70万。箪笥は余っている。食い物のコーナーに行く。
喜多方ラーメンを打っていた。キリリとした娘さんが、しきりに試食を進めている。試食がおいしかったのか次々とラーメンは売れていく。みすぼらしいジャンパーを着た若い男がやってきて「あんたのところは原発と関係はないのか?」と聞いた。娘さんの表情が一変した。「私のところは関係ありません!」と鋭く返事。いつも聞かれるからなのか、聞かれるんじゃないかとびくびくしていたところを襲われた反応なのかはわからなかった。きっぱりと否定したのは立派だった。私の文章のように、「関係ないと思います」、「関係ないに違いない」「たぶん関係ない」などというあいまいな返事を返していたのでは商売にならない!
「五〇歳を過ぎたら放射能は関係ないので、年寄りは福島の農産物を食べて応援しよう」という学者の説に理解を示しているはずの私ですら太平洋に面していない秋田、山形の食い物を探していることに気が付く。先ほどの講演では「被害は近海魚から深海魚の移っている」と聞かされたばかりである。どうして石巻のホタテの干物を買えようか・・・。
この若い男が悪いわけではない。娘さんも悪くない。原発を再稼働すれば、そしてそれが事故を起こせば、海も山も、漁業も農業も永遠に被害を受け続けるということなのだ。万が一の時はすべてを捨てて逃げ惑う、その時のための訓練を金をかけてする、などというのは正気の人間のする沙汰ではない。
Fhoto 「そ~らを飛ぶ~鳥の~ように~自~由に~生きる~」ミサゴ飛翔
天気予報は当たり、当地でも大雪になった。5日前に28日遅れの初雪。今シーズン2回目の雪が暴雪となった。と、言っても2センチちょい。雪国の人に言ったら笑われるに違いない。
土曜日の夕方から嵐になるというので、土曜は朝から配達に出る。杵築市と別府で30軒。町内会の会報30軒でも手を焼く数なのに、それどれが離れているので大変。「高齢者」の配達できる軒数ではない。
杵築が終わり、豆腐屋のおから(1斗缶に入れたトリの餌)を載せて別府へ。鶴見山のふもとの扇山に差し掛かった時はすでに小雪が舞っていた。雪はまだ水分を含んでおり、地面に落ちては消えた。しかし、落ち着いてはいられない。まだ10軒余り配達を残していた。 国東から別府に宅配などしても引き合うわけではないが、どのお客さんも20数年買ってもらっているので、止めるにやめられないのだ。
すべてが終わったのは3時過ぎ。雪は、降っては止むを繰り返した。降りこめられた時のためにビデオを数本借りた。誰も同じ考えらしく、日中というのにビデオ屋は混んでいる。空港道路を飛ばして嵐が始まる前に無事帰着。雪は激しく降り出していた。
翌朝は一面の銀世界。どんなに雪が降っても、配達がなければ怖いことは何もない。朝は凍えたが、日中は思いのほか温かい。屋根の雪が解けて水になり、落ちてくる様を見ていると、春が近づいているような気になって、なんだかうれしい。
困るのは鶏舎の水である。元栓を閉めてコックを開放すればパイプの中は空になるはずなのだが、パイプは曲がっていたり、むき出しになっているところも多いので凍結した。二人で水をピストン輸送。ビデオなど見る暇はない。
卵は、零度になると凍って割れてしまう。これまで2~3度経験した。私はこれを「しみ卵」として売っている!(嘘である!)。凍らないように、すべてを発泡スチロールに入れた。
夕方になると気温は昨日より下がった。吹き曝しなので、鶏の血が凍り、凍死しないかと心配になる。しかし、雪の中をジョウビタキが元気に飛んでいる。うちの鶏が「あれに負けるわけがない」、「北海道や新潟でも自然卵をやっている」という根拠のない理屈で自分を納得させ、鶏を「見捨てて」家に帰る・・・。
なんと、翌日、全部の鶏が・・・・・・・死んではいなかった! 暑さに弱いが、凍り付く寒さの中でも鶏は平然として(死ぬほど寒かったとは思うが)いた。自然に生きる鶏の圧倒的な抵抗力だ。感動!
少し緩んだかに見えた温度は、また冷えだした。トラックの下に「つらら」。何年振りかに見た。昔は麦わら屋根の下に大根のようなつららが下がっていた。「下がっていた」と言わず、「生えている」と言っていた。私の村では、これを「もがんこ」と呼び、子供がチャンバラをした。「つらら」よりふさわしい名だと思うがどうか?
Fhoto 「ジョウビタキ~♂」
ある日、3通の郵便物。一つは、雛屋の請求書。もう一つは、娘宛のセールスのはがき。もう一つは、吉岡桂子という女性からの私宛のはがき。はて?誰だったかとと思ったら、後ろに「朝日新聞東京本社編集委員」とある。思い出した。先年の終わり、「ザ・コラム」という欄に自分の父親と農業について書いた記者である。
読まなかった人のためにかいつまんで中身を紹介する。彼女の父親は兼業農家であった。定年退職した後も山間の村で細々とコメつくりをしている。年末が近づいたある日、恒例になっている餅つきの日程を電話で聞く。そこで「やめたんよ、イネ」と母親から「衝撃的な」返事を聞くのである。そこから、彼女なりの農業の未来を考えようとする。「考えようとする」のであって、考えて結論に至っているわけではない。その素直な態度は好感が持てる。
これまで農業について発言してきた原 真人という朝日の編集委員は小農を敵としてきた。「小さな農家に補助金をやるから大きな農家が育たない。こいつらは蛆虫だ。大きな農家を育てれば、もっとコメは安くなり、国際競争にも勝てる。…日本は貿易国家だ。コメなんかに足を取られてTTp参加を迷うな」であった。アベノミクスそのものである。読売、サンケイと寸分も違わない。
吉岡委員も朝日のこれまでの主張の影響は受けている。『農業を守ることが「お荷物」になり、強みの工業分野で攻めきれなかった通商交渉の観点からすれば「ようやく」だろう。中途半端な兼業は、専業に臨む農家の足を引っ張ってきた面もある』と中段で述べている。たぶん、これまでの編集委員の聞きかじりだと思う?
ところが、父親のやっている山間の農地(日本の大半を占めている)は借りる人もなく、借りても引き合う農業がない。父親は補助金があるからコメつくりを続けてきたわけではない。引き合っても引き合わなくてもやめるわけにはいかないと頑張ってきた。しかも農家には「餅つき」のような、都会人が忘れ果てた人間らしい暮らしがあることをうっすらと知っている。都会生活の中で経済合理主義に思想の軸足は移っているが、「ふるさとが山に消えていく」のは、心のどこかで許せないないのだ。そこで、小さな農家の行く末を「考え続けるしかない」と決意する・・・。
「農家の二世までは農から完全には離れられない」というのが私の恩師、福岡大学の永尾誠之助教授の卓見である。81歳になる吉岡さんの父の存在が、朝日新聞の他の「へぼ」編集委員との差になっている。
これまで私の意見に返事を返してきた朝日新聞の人間はいない。素直な、その気持ちを忘れずに「小さな農家の行く末」考え続けてほしいと願っている。
「素直といえばこの人~科捜研の沢口靖子さん」
金魚を2匹飼っている。「名前はまだない」(漱石?)。1匹は赤、もう1匹は下半分は白い。雌雄は分からない。金魚屋の同じ入れ物から買ったので同じ年齢であることは間違いない。家族は、「子供が生まれないだろうか」と話しているが、私は期待していない。ただ、10センチ以上離れないので、2匹の中に何かの感情があることは間違いないと思う。 それが愛なのか、同じ釜(鉢)の飯を食っている友情なのか、はたまた、同じ境遇にさらされている者の共同体意識の表れなのかはわからない。
同じに見える金魚にも性格(力)に差はあって、エサをやると、赤が先に食い、白は控えめである。白は、一粒食っては下に沈むので、赤7、白3くらいの比率で食べていると思われる。当然赤の方が腹がでかい。2匹とも元気で、エサをやる人間(あらかた私だが)が近づくと寄ってくる。
安定しているはずの2匹に異変があった。赤の方が縦に泳ぎ、上がったり下がったりし始めた。原因は不明だが、いい状態でないことは確かである。
NHKテレビでは、こんなとき「専門家は」などと振るが、私は、テレビに出てくる専門家らしい爺を信用しない。出てくるたびに「馬鹿野郎。事件が起きた後に解説するな! そんなことは起きる前に言うんだ。お前は何の専門家だ」と憤慨している。世の中の専門家は別のところにいる・・・。
金魚を飼い始めた時に酸素の供給機も一緒に買った。「ぷくぷく」と酸素は出るのだが音がうるさい。イオン系のホームセンター高城店の店員に「音の静かな奴はないか」と聞くと、『「酸素の出る石」というものがあります。こいつは音はしません。1か月に一度交換するだけです。普通の石として捨てれます』との答え。そのあと「金魚は胃がありません。満腹中枢がないのでエサをやればやるだけ食べます。冬場は1週間に1~2度やれば十分です」と付け加えたのだが、その注意は忘れてしまっていた…。
さっそくホームワイド高城店に状況説明の電話する。金魚に詳しい兄ちゃんはいなかったが、替わりの若い?ね~ちゃんが「どうされました?」と聞く。事情を話すと、「尾びれがくっついていませんか?それだと針病です。もう一方にうつります。薬は〇〇です」と言う。「くっついていない」と答えると、「マンプク病です。水温が低くなって代謝が悪いのに食べ過ぎたのです。たくさん食べる元気のいい金魚がかかります」・・・。「くすりはあるか?」と聞くと、「ありません。1週間餌を切ってください」。「餌を切ると、白い金魚はどうなる?」、「心配ありません。1週間餌をきっても大丈夫です」とのこと。二人(匹)を分けるという選択肢もあったが、何年も一緒の鉢で暮らしてきたのを単独にすると別の心の病になりそうな気がした。「専門家」の意見に従うことにした。
驚くことに、赤い金魚が上下に動くと白い金魚が異常な行動に出た。下に沈みそうになった赤の下に入って支えるのである。前に泳げない赤をそっと後ろから押す。まるで介護である。妻もそのことに気がついていた。二匹の間にどんな感情が行来しているのだろうか。
名古屋で母親と内縁の夫が、3歳の女の子を火傷した(させた)まま放置して死なせた(殺した)。今どきの腐った人間どもにこの金魚の姿を見せてやりたい。
マンプク病は金魚に限ったことではない。人間なら成人病。鶏ならカロリーが余ると餌を残す、卵のサイズが大きくなる! 世界を覆っているデフレ現象も物の作りすぎ。大量生産、大量消費で成り立っている資本主義は限界なのだ。処方箋はただ一つ。食べることを、作ることをやめればいい・・・。
空腹感にさらされた白い金魚の惨状は見るに見かねるが、ここはしばらく我慢する。
(追伸) 金魚屋に確かめたところ、マンプク病ではなく、正確には「テンプク病」でした。
北が正月から「花火」をあげた。水素爆弾なのか、原子爆弾なのかは不明だそうだが、国際社会への挑戦であることの間違いない。食うものもなく、民は飢え、食料を他国に恵んでもらいながらの暴挙である。
中国を含め世界中から非難の声が上がっている。首相の安倍も「明らかに国連安全保障理事会決議違反だ。国際社会と連携し、きびしい制裁措置を取る」と怒りをあらわにしている。
しかしだ、安倍にとっては追い風である。「これだから安保法案は必要だ」と世論を押さえつける口実に使える。中国の南沙諸島侵略も同じように追い風になる。まるで図ったようである。あまりにタイミングが良すぎる。「こいつらグルなんじゃないか」、「それとも、金でも廻したか?」と勘繰るのは私だけだろうか?・・・多分、私だけだろうな?
国際紛争を武力で解決しよう(つまり、日本国憲法をないがしろにしょう)というのは安倍と金正恩第一書記は寸分の違いもない。そして、中国の習近平、米国のオバマ、全米ライフル協会は同類である。フランスのオランドやオーストラリアのターンブル首相も「同じ穴のむじな」と言えるだろう。自分たちは核兵器の更新をしながら、北やイランの核には「世界の恐怖」と言えた義理ではあるまい。
国際紛争の解決を武力で解決するのか、話し合いで解決するのか、つまりは、世界遺産(戦争に疲れた、当時のアメリカも望んだ憲法であり、知的遺産だと思う)の日本国憲法を守るのか、それとも、ないがしろにするのか、人類の英知が問われる新年の始まりとなった。
「一年の計は元旦にあり」という。しかし、この歳になると計も目標もままならない。ただ、現状が維持できれば~、と、思う新年の朝。
Fhoto 「馬なのか?鹿なのか?それとも馬鹿なのか?」