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熊さんのトリ小屋通信

800羽のトリを飼いながら自給自足の農業をつづけている農家の日々の思いを綴ったもの

あと十日

2009-09-24 21:37:32 | エコ
 
早朝2時半に目を覚ます。昨日に続いて「夜のお仕事」が待っている。パジャマのまま長靴を履き、静かにトラックを始動させ、里の田んぼへ向かう。こんな夜半に集落の中をディーデルエンジン音をさせて通り過ぎるのは幾分気が引けるが、道路の近くに家がある不運を諦めてもらうしかない。5~6分で目的地に着く。昨日やった対策の「効果」を確認しなければならなかった。
 一昨日は母の敬老会をかねて「お食事会に出かけたので田の見回りをしていなかった。夜、家に帰ると2件電話があり、わが家の田に猪が進入したとのこと。押っ取り刀で出かけると、確かに電線が2ヶ所切られ、畳ほどの広さの稲が踏み倒されていた。電線をつなぎ、倒された支柱を打ち込んで帰ったが、翌朝また侵入された。今度は数カ所に穴が開き、私と妻が育ててきた稲は泥の付いた脚で踏みにじられていた。徒労感が漂う。
 次の朝、息子に手伝って貰い、二晩続いて蹴り破られた箇所をビニールハウスに使っていた鉄筋を打ち込み補強した。鉄条網を買ってきて、スティーブ・マックイ~ンの「大脱走」のようにグルグルと巻いておいた。それを果敢に乗り越えようとする鼻先には12ボルトの電線が待っていた。今朝はその成果を確かめに来たのだ。
 トラックの明かりを田の方へ向けた。うごめく者は見えない。念のため暗闇に向かって「こらぁ~」と叫んでみた。「なんだ~」と答える者はいない。息子と作った「要塞」は摩天楼のようにそびえ、妻が夕方買って付けた猪撃退用の明かりが2個ネオンのように暗闇で点滅していた。しかし、これくらいのこけおどしで身を引く連中ではない。あと十日守り切れれば収穫が待っているのだが・・・。
 油断していたわけではなかった。彼らの恐ろしさは知りすぎるほど知っていた。草が伸びて電線に触ると漏電するのでこまめに切っていた。電線に蔓が絡みついている隣人の田より遙かに猪入りにくかったと思う。それがどうだ。連日の被害はうちの田だけである。
 原因は不明だが、ケイフンだけで作る田はミミズなどの生き物が多いのか、土を食べる彼らには有機微生物の多い土が旨いのか?iいずれにせよ、有機農業は農薬をやらないだけではなく、それに伴う数限りない困難を引き受ける覚悟がいる。
 帰宅して冷蔵庫を開け、350ミリの缶ビ~ルを半分だけ残して元に戻した。しばらくして思い直し、残りも片づけた。あと十日、十日である・・・。2009年9月23日

 (後日談)悪い予想が当たって、それまでの私と彼らの戦いは単なる序章にすぎなかった。そのあと死力を尽くした十日戦争が開始された・・・。
photo 「オブジェ 柿の葉」

お陰さまで

2009-09-20 23:29:37 | エコ

飯盛ヶ城は由布岳の西方に位置する。毎年の野焼きにより木々は無く、全体が笹に覆われ美しい。現役のマラソン選手(正確には「元」)が手こずるような山ではない。西の尾根に沿って人の歩いた後があり、中央の窪にもう一つ道らしきものが見える。由布岳登山口で杖を借り、名前を記帳して頂上を目指す。下山予定は分からないので往復2時間と書く餌を取りに行く途中なのでそれ以上はかけられない。
 由布岳の登山道から左に折れる道があるはずと予想して登っていくがいつまで経っても見あたらない。仕方がないので左折すると人が歩いたらしい痕跡を見つけた。胸まで笹が生い茂っているが委細構わず前に進む。急坂であり額から汗がにじむ。水を持ってこなかったことを反省。「中高年が無謀な登山の末に・・・」という記事がふと頭をかすめる。
 登山道らしき道は右に折れ、大きな道に合流した。上からメタボ検診に引っかかりそうな青年が降りてきたが軽く挨拶をしてやり過ごす。大きな道は野焼きの緩衝帯のようだ。
石道ではあるが笹がないので歩きやすい。しばらく行くと頂上への登山道があった。傾斜はかなりきつい。借りてきた杖に感謝。油断してたら「中高年が・・・」と書かれそうだ。
 隣の由布岳がヘリコプターから撮った映画のように目の前に迫り感動する。由布岳に登っている人にはこのすごさは分からないだろう。「我が目もて 我が背見ること叶わぬと言ひゐし 祖父の墓をあらひぬ」 いわき市 吉田 健一 「毎日歌壇」より
 10数分で頂上である。開けた視界に「あっ」と驚く。西に由布院盆地が見え、東には大分市が望める。南側は急傾斜で息を飲む。頂上を示す柱が立っており、征服したという達成感があった。
 尾根に沿った登山道を降りにかかる。下りは楽だと思ったがあに図らんや。脚に負担がかかる。下るにもエネルギーがいるのだ。平坦な道がどれだけ楽かを思い知る。が、平坦な道ばかり歩いてきたら「あつ」という景色に巡り会うこともなかっただろう。お陰様で私の養鶏は「あっ」の連続であった。往復1時間。

                PHOTO ヒゴタイ 飯盛ヶ城にて

戸別所得保障制度

2009-09-15 13:06:21 | エコ
 
民主党が大勝した。選挙前の数々のマニュフェストの是非については他に譲り、彼らの目指す農政について考える。これまでの自民党の政策は、大きな農家だけに補助を集中し、国際競争に負けない担い手を作ることにあった。これに対して、民主党は、野菜と果樹を覗くあらゆる農畜産物について、販売価格が生産コストを下回った場合の差額を農家に補填する戸別所得保障制度を打ち出している。
民主党の戸別所得保障制度はFTA(自由貿易協定)締結を念頭に置いたものであり、既に、域内の関税を撤廃したために安い農産物が流入し打撃を受ける農家には所得の一部を補う「直接支払制度」を導入してきたEUを見習ったものであろう。
 「農産物の関税が支障になってFTAが結べず国益を損なっている」と盛んに識者が吼えているが、食料の7割を輸入してやっているのにまだ不足なのだろうか。「地産地消」、「食料受給率の向上」、「遠くから食料を運んでくるので、日本のフードマイレージは世界一」、「日本の畑の7割は外国にある」、「食料の輸入は水を奪うことにつながる」・・・。このような意見と、「すべての輸入関税を取り払ってしまえ」との整合性に私のの頭は分裂気味だ! いずれにしろ、オーストラリアのような国と自由貿易協定を結べば米作と酪農は2年も待たずに全滅することになる。(オーストラリアの耕地は日本の一千倍)何らかの対策が必要なことは間違いない。
 元々、山間の小さな水田の多い日本の農業は世界との競争には勝てない。見果てぬ夢を追いかけるより、今ある小さな農家(主として兼業農家)を守るのが先決だ。景観と国土、そして地方の文化、地域社会そのものを維持してきたのは、代々の土地を守り続けてきた彼らである。一人一人の生産額は小さくとも、総体として食料の大部分をまかなってきた。彼らを応援しょう。
これまでも中山間地の水田を耕す者には補助金が支払われてきた。ところが、これにはいろいろ条件が付いていて、結局、神社の境内をコンクリートで埋めたり、農道に花木を植えるのに使われてきた。この条件を取り払い拡充して「直接支払い」にしたらどうか。
「5年間米を作ればカネを上げます」というのは表現がモロだが、これまでのように名目だけ立派で使途不明の補助金より遙かにわかりやすく、懐にキク! 私は「中山間地直接支払制度」が、これまでの農政の中でもっともましなものだと思っている。
 結論。応援してくれるのは結構だが(あまり期待出来そうにないが?)、これ以上農家の邪魔をするのだけは止めて下さいと申し上げたい!
 ・・・久しぶりに正論を書こうとしたら頭が痛くなったので止める。あと一言。高速料金無料化だけど、ウィークデイは無料にして土日は値段を安くするというのはどうだ。「仕事」に使うのを無料にすると物資が動き値段が下がる。土日に動くやつは遊びに使うのだから(いくらか余裕のあるやつだから)カネを取るべし! 以上

photo 新家族 「フィット」


温泉三昧

2009-09-03 13:21:07 | エコ
 
温泉を3個紹介する。もちろん温泉本に紹介されているような温泉や「隠れた秘湯」などではない。仕事の途中で見つけたありふれた温泉である。大分県の人、もしくは大分県を通り過ぎる人が気楽に行ける場所にある。
 「不老泉」。別府市の流川通りを鶴見山の方へ上っていく。日豊線の陸橋をすぎると右手に亀の井ホテル。その手前の信号を右折し、100メートルほど進むと3階建ての古いビルがあり、その1回が市営温泉になっている。駐車場は7-8台とめられる。入湯代は、なんと”100円"。中は広く、大正時代に建てられたような味のある建物である。湯は脱衣場から階段を下りた半地階 ?にある。洗い場は20畳くらいあり、真ん中に楕円形の湯船がある。床はタイルが張ってあり、昔の懐かしさにあふれている。近くにある竹瓦温泉の方が古い建物で雰囲気があるらしいが、頑固ジジイが肉も焼けるような熱いお湯に入っていて、水を埋めると怒鳴るらしい。不老温泉にも渋いジジイがいるが、これまで怒鳴られたことはない。それどころか、新人と見るや、熱い場所やお湯の出口を教えてくれる親切なご老体もいて、誠によろし。誠に温泉らしい温泉。石けん無し。売店あり。
 「赤松温泉」。別府から10号線を北九州方面に北上する。日出町の市街を過ぎ、ハーモニーランドの入り口を過ぎて少し下ったところにある。駐車場は広く大型車も止められる。300円払って中に入る。経営者には申しわけないが(私の主観です。私の!)、近代的施設とはいえない。かなり古びた大きなテントの下に高・中・低の温泉。湯は塩分が強いのか、入るとぬるぬるとして、とても効きそうである。客はほとんど近くの常連たち。方言で季節の話や農作業の話をしているのを聞くと、群衆の中でふるさと言葉を聞いた啄木のような気分になって和む。温泉の原点であり、かかっている演歌も誠に似合う。窓から、ハーモニーランドの景色が見えるのがご愛嬌。ここも石けん無し。入り口で買う。
 由布院「七色の風」。前二つと違い近代的ホテル。由布登山口からつづれ折りの道を湯布院の方へ降りて最初の建物。コンクリートの巨大な屋根が目印。午後1時から5時まで入浴が出来る。600円と高いが目の前に由布岳。由布岳独り占め! まさに絶景であり比べるものがない。春夏秋冬すべて良し。観光客にもお勧め。土産品もそろっている。出来ればウィークデイ、日が傾いた3時頃(他の人間が働いている時間)にゆうゆうと入ると気分最高である!

 


予言

2009-09-02 05:55:58 | エコ
 
5月9日、「新型インフルを侮るな」というブログを発信しているが(後に毎日新聞の「みんなの広場」に投稿して採用された)、残念ながら私の予測は当たってしまった。新学期を迎えた学校は新型インフルの恐怖におびえている。「騒ぎすぎ」と高をくくっていたにわか評論家も一言もないだろう。
 いま読んでも私の予言は一言一句変える必要はないのだが、出入りさせて貰っている自然食品店「やまと」の主人との会話の中で学んだことを付け加えておきたい。
 このインフルは人災である。夏冬構わず感染が拡大するのは、このウイルスの特性ではない。地球の環境がウィルスに都合のいいように変わってきているのだ。このままいけば今後さらなる強力なウィルスが人間を襲うかもしれない。熱帯雨林の中で静かに世帯交代を繰り返していたウイルスを起こしたのも人類だし、いままたロシアの永久凍土で眠っていたはずの昔のウイルスを温暖化によって目覚めさせようとしているのも人類である。
 「景気後退で減産したおかげで大手電機メーカーの二酸化炭素の排出量の削減が目標を達成しそうだ。問題は景気が良くなった時だ」と新聞は論じている。私は質問と回答が含まれていると思う。景気がいいと地球は保たない、景気が悪いと職がない。このジレンマを新政権はどう解決するのであろうか?
とまれ。去年のインフルエンザの流行時おびえながら卵の配達をした。外から職員室を覗き、先生がマスクをしていないのを確認してから素早く卵を置いて帰った。「あっ、お金!」と言うのは聞こえないふりをして後ろを見ずに逃げ帰った。今また同じことを繰り返している。卵の配達は楽しいものだったが、いまや命がけになってしまった。私も人類の一員だから自業自得とせねばならないのか。
 因みに免疫力について触れる。肉類中心の西洋料理を食っている人間は、一般的に低体温で免疫力が低い。お茶を日に20~30パイも飲んでいるような人はカテキンで免疫力が強い。(勝てん菌?)発酵食品(納豆、乳製品など)は免疫力が増す。以上、何の慰めにもならないだろうが、読者のご無事を願うばかり!




 

はじめまして

朝日新聞、大分版で5年続いた「熊さんトリ小屋通信」は2008年3月で終わりました。1年の空白がありましたが、再びブログで再開します。ごぶさたしました。そして、始めまして。 私たち夫婦は相変わらず半島の片隅で800羽のトリと少しばかりの田畑を耕しています。二人の子供たちも家から仕事場に通っていて変化はありません。たった一つ変ったことと言えば、毛嫌いしていたパソコンの練習を私が始めたことぐらいでしょうか。  もともと都会に背を向けて生きてきておりますから「100年に1度の金融危機」には関係が無く(万年不景気と言えばそれまでですが…)、住む家と食べ物があり、自分の仕事があります。今更ながら、農家であることに感謝する毎日です。 あ~、重大なことを忘れていました。トリ小屋を守ってくれていた愛犬トランクスが2009年2月17日に亡くなりました。14歳と6か月私たちと暮らしました。動物でも人間でも命の重さに変わりはありません。一時は、立っても涙、座っても涙でした。あ~してやればよかった、こ~してやればよかったと反省の連続です。私が貰ってきた犬ですから、トリ飼いをしているのが見える場所に私が丁寧に埋めてやりました。彼は生きてそこに眠っていると思うことにしています。朝晩、「トラ君元気か」呼びかけています。(返事はしませんが…) 養鶏を取り巻く状況は1年前と少しも変わっていません。鳥インフルエンザの原因はいまだ不明だし、幾らか下がったとはいえエサ代は高騰したままです。燃料のガソリンも高止まりしています。世の中でもっとも悲惨な職業それは養鶏業だということは今も変わりません。  良寛は「死ぬ時に死ぬがよろし」と述べています。そこまでの「悟り」には至りませんが、自分で始めた仕事ですから、何かがあったとしても誰を恨むものではなく、自業自得と受け入れようと考えています。ありがたいことに日々の忙しさは全ての悩みを忘れさせてくれるのです。 「行けるところまで行こう」と始めた養鶏ももうすぐ30年になろうとしています。これから始めるブログは私と妻が日々の暮らし、その中で考えた思いを拙い言葉で綴ったものです。しばらくのお付き合いを…