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熊さんのトリ小屋通信

800羽のトリを飼いながら自給自足の農業をつづけている農家の日々の思いを綴ったもの

「ウガンダで太った!」

2011-08-26 13:42:53 | エコ
 草刈り機の刃をヒモに変え、3枚の田んぼの畦を切り上げた。景色に埋没していた我が家の粗田が、主役の様に辺りの風景を席巻した。これほどきれいなら、都会の娘さんがハイヒールで歩いても問題ない。歩くわけないか?
 私はヒモで切るのは好きではない。できることなら、あんなヒモで痛い目にあわすより、よく切れる刃でスパッと切ってやりたい。そのほうが草も痛くないような気がする。しかし、石の多い場所では刃を傷めるので致し方ない。
 イネは、すでに穂が出始めている。草を取ってから後は放任しているので、自慢できるようなイネではないが、隣近所のイネには負けていない。日照不足のためか、2~3週間前から刃に赤茶けた斑点が見える。木酢液と玄米酢を混ぜたものを300倍に薄めて噴霧器で撒き、1週間後、焼酎と玄米酢を混ぜたものを同じ倍率で撒いた。それでも心配なので知人に電話する。「ゴマハガレ」か「イモチ」だと言う。「イモチだと石灰のほうが効くと思う。とにかく現物を持って来なさい」と付け加えた。「石灰なら鳥インフル対策で家畜保健所が持ってきたのが放ってあるのを使おう。あれでいいね~」と聞くと、「OK」とこと。
 早速持っていくと、先客がいる。どうやら、農政事務所の人間らしい。そんな奴に遠慮はいらない。葉っぱを知人に見せると「間違いない」と言う。横から農政事務所の職員が「病気ですか」と覗きこむが無視。知人に『「あれ」をやればいいんだね』と繰り返すと、『「あれ」をやってみて』と返事。仮にも農政事務所の人間のいる場である。「家畜保健所の持ってきた石灰を撒かずに山積みしてある」とは言えなかった。
 これで収まるのか、穂イモチに進行するのか分からない。穂イモチになると、穂首が枯れて実が入らない。食べてもまずい。消費者にも届けられない。全滅するまで農薬はやらないつもりである。あの手この手の「民間療法」が効を奏してくれるといいのだが…。
 ところで、コメ市場では放射能フリーの去年の古米が人気で、売り切れ状態という。新米もフクシマ原発から遠い北海道や九州のコメが人気で、関東に流れ込んでいるらしい。北海道と九州の一部では「青田買い」も行われているという。クーラーの設定温度が27度だか28度だか知らないが、自分たちは原発の恩恵に預かりながら、コメは放射能のないものを買いあさっているらしい。何とも身勝手な振る舞い。こんな奴が、この前まで、「TPPの参加をためらうな。取るに足りない百姓の為にTPPの参加が遅れると、国がつぶれる」と合唱していたのだ。こういう輩は、放射能の問題が落ち着くと、また「小さな農家に補助金をやるな」などと繰り返すに違いない。安藤昌益流にいうと「こういう輩を説得しても無駄だから、抹殺しなくてはならない」のである。
 我が家は2反ほどしか作っていないので、人様に分け与えるほどできないのだが、もし、この輩がやって来て「銭なら何ぼでも出す。30キロ5万円でどうだ~」などと言い出したら、言い終わる前に、床下に隠している竹槍で「ブスリ!」である!
 食料は、余っていて調度いいのである。少しでも不足すれば、すぐにパニックになる。先日ウガンダに行った知人が太って帰って来た。(この男は、何処に行っても太って帰ってくるのだが…)「ウガンダは飢きんではないのか」と問うと「ウガンダは金はないが、食い物だけはあふれている」と言う。アフリカの最良国らしい。原発を推進した中曽根元首相が「TPPに乗り遅れると、日本は農業だけの4流国になる」とほざいたらしいが、金はあっても食い物のない国より、余程ましではないだろうか。

                               photo 「謎のキノコ? 径30センチ」

「who are you ?」    

2011-08-18 20:14:10 | エコ
 ある日の夕方、トラックから鶏のえさ、小麦1トンを下ろし、車を車道へバックさせる。ギアをローに入れ発進しょうとしたら路上に何か動くものが見え、危うく引きそうになった。車を止めて降りてみると、黒い羽根をしたヒナであった。大きな口をあけ、何かを叫んでいる。大きさはスズメくらい。何のヒナかは分からない。近づくと大きな口をあける。私を父親と勘違いし、餌を要求していたのかもしれない。こいつを助けると竜宮城に行ける・・・? これは「浦島太郎」。こいつを助けるときれいな女房になって機織りをしてくれる・・・? これは「夕鶴」だったか。
 もの書きの私の取る行動は、カメラを取り出して写真を撮ることであった。ストロボを燃やして激写するが、うまくは撮れない。諦めてヒナを木陰に移そうとしたら、掴まれるのが嫌なのか、未熟な羽根で30センチほど飛んだ。再び近づくと、必死に飛ぼうとする。その時、私の耳に別の鳥の大きな声が聞こえた。彼女の母親(父親?)であった。私に子供を取られてはならない。私を威嚇し、攻撃態勢に入っていた。親の必死の行動である。むろん、私は玉手箱も絹織物も欲しくはない。野鳥の拾いものとして保健所へ届けるのも御免こうむりたい。子供の始末は親に任せることにした。
 親が元の巣に戻すのか、それとも野獣のえさになるのか、私にはわからないが、かれらは自分で自分の運命を切り開いていくだろう。一番簡単な解決。何もしないままゆっくりトラックを動かし、その場を去った。
 翌朝、その場所にヒヨドリ?の親子の姿は無く、羽根も散乱してはいなかった。どうやら無事だったらしい。今頃は、やり残した夏休みの宿題を親子でしているかもしれない。それ以後、玄関に米俵が積んでいないかどうか毎朝調べている・・・?


                                          photo 「黒い訪問者~君は誰だ?」

「で、同窓会」

2011-08-15 17:58:52 | エコ
 申し込み締め切り当日まで躊躇したが、結局、還暦同窓会に出席した。一度見て、すぐに名前の浮かぶ奴、「お~、久しぶり、久しぶり」と握手をしながら、「こいつ誰だったけ」と記憶にない奴、名札を見ても知らない奴、絶対同級生と思いたくない奴・・・。
 誰もかれも容姿以外は45年前と何にも変わっていなかった。いつもタオルで汗を拭いていた恩師はハンカチを握ったまま、今も教育委員会に勤めている恩師は、乾杯前というのに、ここぞとばかり自分のやっている考古学の説明を朗々と30分以上続けるのであった。
 当時からいけすかなかった奴は、さらにいけすかない奴になり、鼻持ちならない貴族趣味の女子は、さらにいけすかない「おばさん」になっていた。彼らがつまらない人間のままなのを確かめてから、学生時代から目立たなかったが、今も現役の散髪屋をやっている宮崎君の所へ席を移動した。彼の家はうどん屋をやっており、中庭に長いうどんが干してあった。私は学校帰りに寄ってはそれを眺めていた。彼は私と同じ現業職なので、生きる厳しさで共通するものがあった。
 もう一人、「おれを覚えているか」と近づいてくる男があった。私は記憶がなかった。「もうしわけない!」と謝るしかなかった。彼は隣村のK君だった。歳月は彼の顔をあまりに変えていた。中学を卒業して苦労をしていたのは聞いていた。私は、よく彼の家に行っていた。大きな無花果の木があり、登ってはかじりついていた。「あの無花果の木は無事か?」と聞くと、「もう枯れてしまった」という。「自分の席(7~8人)は誰ひとりわからない」と話す。私こそ彼を覚えていてやらねばならなかったのに・・・。
 私の隣のМ女子は、養子を取ったがうまくいかず、同級生と再婚したが、それにも先立たれ、すこし辛い経験をしていた。子供さんに恵まれ、今も働いていると言う。中学のころは目立た無かったので話したことはなかったが、とてもいい人であった。
 きれいだった女子は、彼女らの生き方が災いとなって(幸いとなって?)、多くは私の好まない個性になっていた。一方、М女子の様に目立たない人の中には、堅実に社会を生きてきた努力が顔を変え、、思わぬ美人になっていて驚かされるのであった。
 何人かは、私の「トリ小屋通信」を見ていてくれていて、私の大分での活動を理解してくれていた。二人の恩師は、残念ながら、わたしの活躍?に疎く、本を贈呈して初めて自分の教え子が本を書いていたのに気づく始末であった。教育が人間を変える事を信じてきたのか、人間とは思わぬ成長を遂げるものであることを知っていたのかどうか、結局、わからないまま会は終わってしまった。
 想像したとおり、私の得るものはなかったが、183人中20名が物故者になっていたので、無事生きてきただけで幸運なのを確認することができた。「退職してから何もしていない」連中に刺激を受けようとするのが間違っていた。ただ、美人に本を1冊買ってもらったので会に参加した目的は果たした!
60歳を過ぎてしまい、残された時間は多くはない。しかし、私の心と体はまだ死んでいない。生き残った(死に損なった?)命の全てをかけて、生きてきたあかしを、もう少し残しておきたい、漠然と、そんなことを考え始めている。いい同級会であった。

photo 「流水~過ぎた日々は帰ってこない」

「温情」

2011-08-05 12:54:31 | エコ
 事件はこうである。大分県警の刑事部の男性警部補(50代)が捜査費を不正流用したとして、業務上横領容疑で書類送検された。捜査上の必要経費として渡される捜査諸雑費を付き合っていた女性への手土産代に使っていたらしい。県警は大分地検に書類送検し、停職6か月の懲戒処分にした。本人は同日付で依願退職した。立派な(かどうかは分からないが?) 妻がありながら、そんなうれしい事をするとはとんでもない男である。
 私が問題にしたいのは、大切な税金を流用した事ではなくて、即日「依願?」退職した事の方である。 以前も、別府署の幹部が飲酒運転の上、バイクで事故を起こした時、書類送検と同時に依願退職している。本来なら懲戒免職に値する行為である。
 懲戒免職と依願退職では天と地の違いがある。懲戒免職では退職金が0円である。確か年金も引かれるはずである。今回は退職処分ではないが、「依願退職扱いにするから、退職願を出せ。あとは悪いようにはしないから」と誘導したのではないかと思われる。このような事例は事欠かない。仲間内で温情を与えあう悪弊が習慣化している。どうせ税金、人の金であり、自分の腹が痛むわけではない。最近、「原子力村」という言葉がにぎわっている。どういう村なのか分からないが、こちらは「公務員村」と呼んでいいのだろう。マスコミが問題にしないのはおかしい。どうしても温情を与えたいのなら、この暑さの中で草を切り、家に運んで藁切りで切り、これを鶏に与えている哀れな平飼い養鶏家にこそ温情は与えられるべきであろう。
 それにしても公務員の犯罪が多い。この事件の紙面のひとつ前の記事は、宮崎県の小学校で、教師が女児童のスカートの中を動画撮影したという事件であり、一つ後ろは、沖縄県警の巡査長が酔った女性を家に送った際に、玄関先で服に手を入れて胸を触ったという事件であった。本来なら、人の道を教える教育者であり、法律を順守するように導く公務員のはずである。最高裁が、大阪の橋本知事の「君が代斉唱しない教師に罰則を与える」ことにお墨付きを与えたことでわかるようにように、社会は閉塞し、人々は思想信条を明らかにできず、堅い仕事ほどストレスがたまっているように思われる。
 昔、養鶏の先輩に「農家は報われない? 報われると思うから腹が立つんだよ !」と諭された事を思い出す。退職金も無く、依願退職の温情にあずかることもないが、ストレスに縁のないゆるい生活は、今では優良生活の一つかもしれない。

                                              photo 「トカラ山羊」 

「あの手この手で」

2011-08-01 13:39:23 | エコ
 会う人がみんな「暑いな~」と呻く。ラジオのアナウンサーも朝から「暑い、暑い」を繰り返す。クーラーの利いた部屋にいるお前たちに暑いのが分かるのか?一度連れて来て、竹、かや、ツルに覆われた30度傾斜のある坂(我が家の農場の周り)を草刈り機で切らすと、「暑い」とはどんな事を指すのかわかる。その翌日からは「今日は涼しい」を連発するに違いない?
 とはいえ、電力不足の折、何の役にも立たないブログで電力を無駄遣いしている身なので、農家(自由人)ならではの「涼」の取り方を考察し世の方のお役に立ちたい。何といっても暑さをしのぐには「水風呂でソーメンをずるずる」啜るのが一番!タレにはネギを入れてもいいが、ミョウガも捨てがたい。ミョウガは漬物によし、刻んで酢、みそ、砂糖に一晩漬けたものをご飯に載せてもうまい。
 自家製のスイカもいい。出来が悪くても、塩の援軍を頼めば事足りる。去年はたくさんなっていたので網をかけたら、網の上からイノシシに踏みつぶされてしまった…。今年は、彼が農場のカボチャにうつつを抜かしているうちに1個、2個と収穫している。
 梅酒を飲んで昼寝するのもよい。バックミュージックはビリーボーン。ビリーボ-ンは当人が生きていたころの古いものがいい。定番の「真珠貝の歌」、「波路はるかに」、「夏の日の恋」は当然いいが、「虹の彼方に」、「グリーンフィールズ」、「慕情」も他の楽団には無いのんびり感があっていい。夏の音楽で涼を呼ぶ。いつしか眠りに入る・・・。
 ウリ類の代表、キュウリも体を冷やす。ぬか漬けもいいが、妻が習ってきた「キューちゃん漬」がうまい。キュウリは軽く塩漬けにしておく。タレは醤油、みりん、砂糖、酢を一煮立てする。しょうがを千切りにしてキュウリとともにタレに漬け込む。歯切れのいいキュウリの音が涼を呼ぶ。我が家の一番人気である。
 我が家は村のドン詰りだからめったに人は来ない。上の道路の日陰に折りたたみ椅子を置き、英語のテキスト読んでいると、四国の方から風が吹いてくる。家からは見えないが、四国最西端の佐田岬には風車が30基ほど並んでいる。あの風車が回っていると思うと涼感も増す。耳元でアブラゼミ、ツクツクホウシ(盆を過ぎて鳴くとされてが、温暖化のせいか、8月1日に堂々鳴いている)、ヒグラシがうるさく鳴くが、却ってそれが心地よい。
 汗がザァー、ザァー状態では食い物や音楽、イメージでは間に合わない。パンツ一丁になって水道のホースを頭からぶっかける。我が家のはボーリングしたものだから水が冷たい。これは最高に効く。最後はパンツの中にもホースで水を流し込む。冷たい! 「よくぞ日本男子に生まれけり」とはこのことか。
 国東半島は六つの谷に分かれている。隣の村に行くには一度海に出て谷を上る必要がある。そこで隣村へ通じる小さな山道を作り、隣村への近道とした。子供のころ母の里へは山を二つ超え3時間の道のりだった。
 ある夜、父は、その山道を越えていた。手元には、僅かに足元を照らす提灯。ちょうど山の中間に差し掛かる頃、向こうからガサガサ音がする。何者かが近づいてくる。獣だろうと思い「こら~」と叫んだが相手はひるむ様子がない。相手は次第に距離を詰めてくる。枝を踏んだのか「バキリ」と大きな音が杉林の中へこだまする。提灯をかざし、暗闇の向こうを照らすと、ボ~ッと白い人影が見える。「あなたも山越えですか」と白装束の人物?に話しかけるが返事はない! 父の心臓は半鐘の様になり続けた。すれ違う時、ちらっと相手を見たが、それが男だったのか女だったのか、それとも別のものだったのか分からなかった。ただ足早に林を出て、一度も振り返らなかったという・・・。子供のころ聞いた話である。少し涼しくなってきたと思う。
 冷房すれば、室外機が暖を出し、さらに地球は温暖化する。ここで踏み止どまろう。日本には涼を呼ぶ様々な知恵 がある。あの手この手で暑さを乗り切り、夏を楽しもうではないか。地獄のような炎天下の草切りも、切り終わった後を振り返ると、そこには涼しい風が吹きわたっている・・・。

photo 「さるすべり~暑さに負けない夏の花」

はじめまして

朝日新聞、大分版で5年続いた「熊さんトリ小屋通信」は2008年3月で終わりました。1年の空白がありましたが、再びブログで再開します。ごぶさたしました。そして、始めまして。 私たち夫婦は相変わらず半島の片隅で800羽のトリと少しばかりの田畑を耕しています。二人の子供たちも家から仕事場に通っていて変化はありません。たった一つ変ったことと言えば、毛嫌いしていたパソコンの練習を私が始めたことぐらいでしょうか。  もともと都会に背を向けて生きてきておりますから「100年に1度の金融危機」には関係が無く(万年不景気と言えばそれまでですが…)、住む家と食べ物があり、自分の仕事があります。今更ながら、農家であることに感謝する毎日です。 あ~、重大なことを忘れていました。トリ小屋を守ってくれていた愛犬トランクスが2009年2月17日に亡くなりました。14歳と6か月私たちと暮らしました。動物でも人間でも命の重さに変わりはありません。一時は、立っても涙、座っても涙でした。あ~してやればよかった、こ~してやればよかったと反省の連続です。私が貰ってきた犬ですから、トリ飼いをしているのが見える場所に私が丁寧に埋めてやりました。彼は生きてそこに眠っていると思うことにしています。朝晩、「トラ君元気か」呼びかけています。(返事はしませんが…) 養鶏を取り巻く状況は1年前と少しも変わっていません。鳥インフルエンザの原因はいまだ不明だし、幾らか下がったとはいえエサ代は高騰したままです。燃料のガソリンも高止まりしています。世の中でもっとも悲惨な職業それは養鶏業だということは今も変わりません。  良寛は「死ぬ時に死ぬがよろし」と述べています。そこまでの「悟り」には至りませんが、自分で始めた仕事ですから、何かがあったとしても誰を恨むものではなく、自業自得と受け入れようと考えています。ありがたいことに日々の忙しさは全ての悩みを忘れさせてくれるのです。 「行けるところまで行こう」と始めた養鶏ももうすぐ30年になろうとしています。これから始めるブログは私と妻が日々の暮らし、その中で考えた思いを拙い言葉で綴ったものです。しばらくのお付き合いを…