この市の春の風物詩、市内一周駅伝が終わった。私も40代のところを走った。もとより、こんな競争大会に出る気はなかったのだが、40代に欠員が出て「補欠のあんたにお願いします!」ということになったらしい。監督に「ジョギングでいい。なんとかつないでもらいたい」と頼まれた。思想信条に触れることでなければ頼まれたら断らないことにしている。
40代とは20歳以上離れている。去年は20代のところを走らされた。前のメンバーが奮闘してケツから7~8番目でタスキを受けたが、私は彼らの頑張りを帳消しにした。今年の40代も強敵である。しかし、わたしにはプレッシャーはなかった。いま流行りの認知行動療法を学んでいるからだ。プレッシャーやストレスを克服するには、前もって最悪の事態に対処すればいい。どんな結果に襲われてもそれ以下にはならないのである。
たとえば、一人だけ遅れる。そんなみじめな状態になっても、街頭で応援する人たちは石を投げつけることはないだろう。卵の売り上げに影響することもないだろう。合併してはいるが、元は隣町。私を知る人がいるとは思えない。むしろ、応援を(同情混じりだが)一人占めできる。遅れてつないでも、仲間には、「あんたのおかげでゲームが出来た」と感謝されるだろう。もし、途中で倒れてタスキをつなげなくても、「あんたに頼んだおれたちがバカだった」と役員は反省するに違いない。私は引き受けた。
早い組が何人か通過した。「次の選手が来たら一斉にスタートします」と係員に告げられた。言われたように次の選手と残ったわれわれは一斉にスタートした。が、スタートダッシュで出遅れた。何処まで行っても離される。「走れコウタロー」状態である。一人だけ遅れた。応援されるのは恥ずかしかったが耐えた。長い登り坂をひたすら登った。応援?する声が聞こえたが地面ばかりを見ていた。「ここから加速する」と決めていた地点に届いたがそんな情況にはなかった。
下りになった。残りは300メーター。ほんの少しだけギアを切り替えた。なんとか選手らしくなった。遠くに次の走者の中学生が見えた。あまりに私が来ないのであくびをしていた。私は加速した?なんとかタスキだけはつないだ。
飲み会に行くと、大きな拍手で迎えられた。「申し訳ない。走れコウタロウーになった」と告げた。誰かが「でも、最後にコウタロウーは勝つんでしょう?」と言う。「最後に騎手を振り落とし、ゲームを台無しにするんだ」と私は応答した。
そう、風物詩なのは駅伝大会ではなく、私が若者に交じって力走する姿なのである。「あ~、大熊さんが来た。今年の駅伝も終わった。いよいよ春が来た」と人々は納得するのである。
放置していた藁の処分をしている。稲作りが楽しいと思っている人もいるだろう。私は違う。嫌で嫌で仕方ない。どんな認知行動療法をすればいいのだろうか?
Fhoto 「春の予感」