3D映画(立体映画)の「アバター」は見ないまま終わった。今度は「アリス・イン・ワンダーランド」という3D映画が来ているらしい。これからは3D映画が主流になるのだろうか?そのうち、映画の中で、匂いや衝撃も体験できるかもしれない。乱闘シーンのある映画の後、映画館から出てきた誰もが顔が赤く腫れ、びっこを引いているかもそれない。
30年前、3Dのカンフー映画を見たことがある。いきなり刀が目の前に飛び出したときは、思わず身をかわした。今あるかどうか知らないが、ハウステンボスには、特殊なイスに座って画面を見ると、自分が空を飛んでいるような臨場感に浸れる映画があった。3Dの絵本が流行したこともあった。どれにも捨てがたい興奮があった。
中国から来た水墨画の山水もまた、近くの風景を下に置き、上の方に行くほど小さく薄く遠くの風景を描き、一枚の絵に立体的な遠近感を表そうとしたものである。
3Dを簡単に見る方法がある。眼鏡も装置もいらない。野山の風景を見ればよい。立っている一本一本の木には遠近の奥行きがある。もう少し奥の風景と比べてみよう。人間に3Dの能力が備わっていることに気づく。そして、それは2D(平面)としてみる風景とは全く異なり、まるで山々の木々の上を魔法の絨毯で飛んでいるような気分になるだろう。
目の前にはアカメガシ。下に、まだ耕していない田が広がっている。田の向こうにはクヌギの木が数本、今を盛りの藤の花が下がっている。梢の向こうには廃校になった高校の建物の一部。その向こうには低い山が幾重にも重なる。 山は新緑が芽吹き、色の異なる饅頭を置いたように見える。楠は、入道雲のようにもりもりと萌え、花びらを落とした桜はエビ色に染まり、辺りを柔らかく包んでいる。何という臨場感か。目の前の風景を独り占めである。観客は一人。ポップコーンの音をガリガリさせても誰も文句を言わない。一度も入場料を請求されたこともない。春の山は贅沢の極みである・・・。
テレビも3Dを売り出すという。「君たち、正気か?」と、お聞きしたい。「この前、デジタル・ハイビジョン・テレビを売ったばかりじゃないか。舌の根も乾かないうちに次かい」。こんな商売をしていたら、国内消費は絶望だ。テレビの3Dは危険この上ない。
高校生の頃、白黒テレビでマリリン・モンローを見て息が止まった。3Dテレビからモンローの巨大な胸が飛び出したなら、今の私は卒倒し、たちまち命を失うだろう。
30年前、3Dのカンフー映画を見たことがある。いきなり刀が目の前に飛び出したときは、思わず身をかわした。今あるかどうか知らないが、ハウステンボスには、特殊なイスに座って画面を見ると、自分が空を飛んでいるような臨場感に浸れる映画があった。3Dの絵本が流行したこともあった。どれにも捨てがたい興奮があった。
中国から来た水墨画の山水もまた、近くの風景を下に置き、上の方に行くほど小さく薄く遠くの風景を描き、一枚の絵に立体的な遠近感を表そうとしたものである。
3Dを簡単に見る方法がある。眼鏡も装置もいらない。野山の風景を見ればよい。立っている一本一本の木には遠近の奥行きがある。もう少し奥の風景と比べてみよう。人間に3Dの能力が備わっていることに気づく。そして、それは2D(平面)としてみる風景とは全く異なり、まるで山々の木々の上を魔法の絨毯で飛んでいるような気分になるだろう。
目の前にはアカメガシ。下に、まだ耕していない田が広がっている。田の向こうにはクヌギの木が数本、今を盛りの藤の花が下がっている。梢の向こうには廃校になった高校の建物の一部。その向こうには低い山が幾重にも重なる。 山は新緑が芽吹き、色の異なる饅頭を置いたように見える。楠は、入道雲のようにもりもりと萌え、花びらを落とした桜はエビ色に染まり、辺りを柔らかく包んでいる。何という臨場感か。目の前の風景を独り占めである。観客は一人。ポップコーンの音をガリガリさせても誰も文句を言わない。一度も入場料を請求されたこともない。春の山は贅沢の極みである・・・。
テレビも3Dを売り出すという。「君たち、正気か?」と、お聞きしたい。「この前、デジタル・ハイビジョン・テレビを売ったばかりじゃないか。舌の根も乾かないうちに次かい」。こんな商売をしていたら、国内消費は絶望だ。テレビの3Dは危険この上ない。
高校生の頃、白黒テレビでマリリン・モンローを見て息が止まった。3Dテレビからモンローの巨大な胸が飛び出したなら、今の私は卒倒し、たちまち命を失うだろう。