
数日前、派遣職員の候補に挙がっていることは聞いていた。あわてた妻は「知事に防護服と放射能測定機を用意してもらうべきだ」と心配していた。現状を考えると、無理のない心配であった。
仕事から帰ると、家族全員がそろっている。「笑える話と笑えない話が一つずつある。とりあえず、笑えない話を先に話す」と、震災派遣の話を始めた。孫を心配した母は「そんなところに行ったらいかん」と即座に反対。妻も何か言おうとしたが、「大分県も、危険と分かっているようなところに職員を送るまねはしないだろう」という私の発言で思いとどまった。
笑える話に移った。娘の勤め先のプロジェクトが毎日新聞の大分版に載り、驚くほどのアップで顔写真が紙面を飾った。しかし、笑えない話が糸を引いて、誰も笑うことのないまま記事はお蔵になった。こんなことなら笑える話を先にすべきだった…。
3月11日の午後、翌日の卵の配達の準備をしていた。突然NHKラジオが地震速報を始めた。また大げさな報道かと思い、無視して作業を続けた。ところが、いつまでたっても報道をやめない。家に帰ると、母と娘がテレビを見ていた。画面には漁協の建物が浸水していて、流されてきた桟橋が突き当たろうとしていた。屋上に駐車場があり、誰かが下を覗いていていた。
津波の画面に変わった。アナウンサーは「津波が観測されました」と声を上げた。しかし、逆流してきた水はわずかで、津波と呼ぶには無理があった。1斗缶から漏れた水のようであった。アナウンサーはオオカミ少年の様な発言を繰り返した。
画面は漁協の建物に変わった。危うく建物に当たろうとした桟橋はまた沖の方に戻ろうとしていた。屋上にいた男は車に乗り込んだ。「この人は逃げなくては」と誰かが叫んだ。
画面は津波の場面に戻った。いくらか水の量が増えたような気がした。水の先端がビニールハウスを襲い始めた。辺りに人影は見えなかった。そこいら一帯は野菜の産地らしく、ビニールハウスやトンネルハウスが林立していた。
画面は再び漁協の建物に戻った。桟橋は押し戻されて建物にぶつかった。屋上の男はまだ右往左往していた。この男が何を考えているのか誰にも分らなかった。突然、男は車に乗り込み、「逃げ」始めた。
津波はさらに激しくなった。濁流に壊れたガレキが加わった。汚水はビニールハウスを襲い、数千万円の補助金で建てたガラスハウスを粉々にした。漁協の画面は映らなくなった。テレビは「怪我人が数名」と繰り返しているが、そんな生易しいものでないことは画面で分かった。濁流はうねるように加速した。高速道路の下に何人かの人が集結していた。軽トラが数台あったので地元の人だろう。すぐ近くまで津波が押し寄せているのに気づいていないようだった。「逃げて」と画面に叫んだが手遅れだった。一度、高速道路にあたった濁流は反転し、人と軽トラを飲み込んだ…。ここが名取市であることを後で知った。
「がんばれ日本」、「日本人は強い」・・・。大政翼賛的言辞が続く。「公共広告機構」とは何者で、時世に乗じて何をしょうとしているのだろうか。原発の処理にあたっている職員は英雄ではなく、特攻隊員でもない。まして、自分の命と引き換えに、火山に降りていくグスコーブドリ(宮沢賢治)でもない。反対運動を無視し、原発を推し進めた会社、行政、学者たちの一番の犠牲者なのである。わが息子は「日本」、「日本人」の為に行くのではない!困っている東北の人に協力しようとしているのだ。「日本」、「日本人」・・・、怪しい奴らが国粋主義を鼓舞している・・・。
photo 「ジャーマン アイリス 」