goo blog サービス終了のお知らせ 

熊さんのトリ小屋通信

800羽のトリを飼いながら自給自足の農業をつづけている農家の日々の思いを綴ったもの

「東南海?」

2011-11-30 21:33:22 | エコ
 2011年11月31日。朝から暑い。いまが冬なのか秋なのか、それとも夏なのかが分からない。紅葉し損ねた落葉樹の葉が緑のまま散ってゆく。「異常高温は地震の前触れ」、妻の口癖である!。
 西アフリカでは海水がどんどん陸地を侵食し始め、蚊など見たこともない高地で蚊が蔓延、マラリヤが大発生という。タイでは未曾有の洪水。「異常気象の責任者出てこい」と申し上げたいところだが、だれが責任者なのかが分からない。二酸化炭素の最大排出国のアメリカか、それとも急成長著しい中国やインドか? 後進国も「先進国が原因なのだから、おれたちは削減しない!」などと小競り合いをしている場合か。地球は一つ。一分一秒でも早く、1グラムでも減らす努力をしなければ地球全体に被害が及ぶことは明白である。と、京都議定書がどうのこうの言っている連中に鋭く申し上げたい。
 世界中で二酸化炭素の排出量の努力が続いているにもかかわらず、去年の二酸化炭素の排出量は史上最高だという。「経済発展」という錦の御旗を降ろさない限り人類生存の危機は収まらない。旗を振りながら死滅していくのか、それとも、甘んじて不自由を受け入れるのか、人類の選択が問われている。御用評論家、寺島実郎の様に「小出力の原子力発電」で乗り切る道(経済発展と温暖化阻止を両立する方法)はないのだ。生きるか死ぬか、二者択一しか道はない。
 「規制を厳しくすると,企業は海外に逃げ出す」というのが彼ら(非農家)のいつもの脅しの手口である。企業が海外に逃げると、働く場がなくなるらしい。「ええい!うるさい。お前たちは世界の果てに失せろ。そして、二度と帰ってくるな!」というのが私の答えである。
 残った人間だけで明日を探ろうではないか。その気になればアイデアは浮かぶ。節電が新たな産業を生むかもしれない。オールターナチブ(別な方向)が光明をもたらすかもしれない。たとえ、主だった企業が海外に逃避したとしても、食い物と屋根があれば何を困ることがあろう。いまの最大の危機は、その食い物を手放し、見たこともない連中にそれを委ねようとしていることにある。
 12月に入った。僅か1両日の間に紅葉は進んだ。ナラ・クヌギ、紅葉(もみじ)に櫨(ハゼ)、百家争鳴である。いつもは何処にあるのか分からない木々が「私はここにいます」と主張している。春の新緑もいいが、冬眠に入る前の紅葉も負けてはいない。いろいろあった(今もくすぶりつずけているのだが…)年だから、今年の紅葉はことさら眼にしみる。四季に恵まれた国に生まれた幸運に感謝。これ以上何を望むことがあろうか。ブータン国王のおっしゃるとおりである。
 妻の予想は外れ、いまのところ東南海地震は起きていない。畑の虫たちは暖かさで生きながらえ、食べ残した聖護院ダイコンの葉をむさぼっている。私は紅葉をかき分け、卵の配達を繰り返している。

                                  photo 「紅葉~耶馬渓 雲神社」     


「異端の系譜」

2011-11-28 07:36:08 | エコ
 アップル社の創設者、スチーブ・ジョブズに続いて立川談志が逝った。IT業界の大物と落語界の異端児には何の接点もないが、二人とも異端でありながら、時代の寵児であった。傲慢であり、無礼で生意気であった点でも共通している。。ジョブズはすい臓がんの手術を拒み続けて悪化し、男子は喉頭がんで出なくなった声を回復するための切開を「プライドにかかわる」などと言って断固として拒み続けた・・・。世の中に何かを残すほどの人間は、わがままな道を行かざるを得ないのだろう。
 マッキントッシュもアイフォンもケイタイオーディオプレーヤーにも縁のない私はジョブズ氏の恩恵を受けてこなかった。これからどんな便利なものを作ろうと、不便を楽しむ身には、アップル社の製品は縁のない存在である。
 談志の方も、名演とされている「芝浜」すらも聞いたことはない。生意気で態度がでかく、人を見下す礼儀知らずなので好きではなかった。が、ある種のコアなファンも持っており、世間では天才と称されていたようだ。昔、サラリーマンをしていた時、新宿駅で見かけたことがある。電車を待っていたら向こうから見たことのある奴がのこのこ歩いてきた。見るからに風采が上がらず、しょぼくれたサラリーマンの体であった。すれ違って3秒たったころ「あっ、立川談志だ!」と気が付き振り返ったが、すでに人並みに隠れ、その後ろ姿を見ることはできなかった。「普段の大口の割にはみすぼらしい奴」と言うのがその時の印象である。
 数年前、NHKで「新・話しの泉」というラジオ番組があり、その「家元」として出場し、NHKの女子アナの奇才、黒田(渡辺)あゆみ相手に丁々発止とやっていた。性格は「治って」いなかったが、その博識と臨機応変なしゃべりには驚かされた。すでにがんは進行していたが、出ない声で持論を展開し、名うての出場者たちをほんろうした。芸のない若手にすぐに「真打ち」を与える柳屋小さんを頂点にした落語協会に反旗を翻し、立川流を立ち上げた事情などを聞いていたので、私の談志への印象は随分変わっていた。もののない時代には出演料の代わりに食料をもらったこともあり、農業の大切さも誰よりも分かっていた。
 しかし、何よりの彼の功績は立派な弟子を育てたことにある。志楽、志の輔、そして談春。志の輔は真面目な正統派。志楽の口は談志譲り。しかし、その博識には驚かさせられる。映画、演劇、俳句もやる多彩な才能の持ち主でもある。一度生の高座を聞いてみたい。「おれより話がうまい」と談志に言わせた談春の高座は中津で聞いたことがある。落語と講談、そしてドラマを合わせた様な熱演であった。しかし、私がわれを忘れるには、何かが不足していた。発展途上だから、すごい話家になるには違いない。
 楽語ブームだとかで(もう過ぎたか?)、喬太郎や彦一の様な人気者も出てきている。しかし、何百もの落語を覚えさせ、歌いから踊りまでを徹底的に教え込まされた談志の弟子たちにははるかに及ばない。
 落語協会は懲りもせずに、才能のない奴を、真打にし、襲名をさせ、古い名跡を勝手に復活をさせている。異端の師匠を失った談志の弟子たちが異端の伝統をどう受け継ぐのか(矛盾するが?)楽しみである。


                          photo 「かかし 2」
 

「巨人軍は壊滅です!」

2011-11-22 21:51:10 | エコ
 ワールドカップ世界バレー。女子は強くなった。柳本監督の時より3倍強くなった。ブロックもよくなったが、レシーブはさらに良くなった。「全員がリベロであれ」という真鍋監督の指令が成功したようだ。特に木村さおり(さおりん)のレシーブが良くなった。以前はミスばかりで、相手の攻撃の対象になっていたが、今回、よく拾ったと振り返ると「さおりん」である。巨大な体を右に左に飛び跳ねて拾う。彼女の成長がチームを新たな地平に道引いた。
 木村が良くなったのはレシーブだけではない。アタックのコースやフェイントのタイミングも進歩した。プレーに余裕が出たのだ。アメリカ戦でのスパイク3連発を見ただろうか。あまりの感動に誰もが涙した?。何度相手に返されようと、あの時の竹下には木村しかいなかった。2回返された3回目、さおりはコースを少し左に変えて打ち抜いた。決めた後の表情が良かった。短い髪がひらりと舞い、笑顔がまぶしかった。
 笑顔が良かったのは木村だけではない。決定打を放った後の岩坂、江畑の笑顔もいい。我が家の大家にして同級生、美代ちゃんによく似ているので、「美代ちゃん」と呼んでいる荒木の笑顔もよろしい。さすがキャプテン、ここぞという時の決定打が素晴らしい。元キャプテン、吉原もよかったが荒木も責任を果たしている。結果的には4位に終わったが、ブラジル、アメリカを倒した実績からして、実力は世界レベルである。
 見たいほどではないが、色もつやもない男子のほうも見る。イランとどこかに負けて2連敗中である。監督は上田。見覚えのある選手は二人だけ。アナウンサーはエースの清水(ゴリ)を盛んに持ち上げる。ブロックを打ち抜く力が世界レベルであることは間違いない。キューバ戦の第一セット。途中までリードしていた。相手はサービスミスが祟った。ゴリが続けてサービスをミス。相手に並ばれた。「負けた」と思った。案の定、近差の点数で負けた。「勝てるチャンスはあった」、「今度は・・」などとインタビューで誰かが反省していたが、冗談ではない。男子バレーで1点差で負けるのは惜敗ではない。相手は自分たちの3倍は強いということなのだ。1点の重さも意味も分からないから勝てないのだ。
 椎茸組合の役員をしていた時、役員仲間に、以前ソフトバンクホークスのピッチャーをしていた吉武選手の親父がいた。親善試合でソフトボールの監督を務めた。彼の采配はすごかった。右に左に選手を動かした。ソフトボールは別の競技に変貌した。将棋であり、格闘技であり、戦争であった。いまからでも遅くない。万年最下位から抜け出したいプロ野球の球団は彼を雇いなさい。またたく間に、チームは日本シリーズで優勝するだろう?
 今年の日本シリーズ。中日は 負けた。結果はどうでもいいのだが、第6戦目。ソフトバンクの連打が出たとき、落合監督は、内川のバットのテーピングに注文を付けた。解説者は「よくあんなところに気がついた」と称賛していたが、監督の抗議はそこになどなかった。相手の流れを止めたかったのだ。落合さんが凡百の監督と違うのはそこである
 巨人軍の清武代表が首になった。会長の渡辺恒に逆らったためらしい。監督の原は黙り、元監督の長嶋は「当然のこと」と嘯いている。「お前たちの様な連中が、いかに金を使おうが、どれだけいい選手を集めようが、優勝できないのは自業自得」と断言しておきたい。
息子の中学3年生の時の運動会の1500メートル走は激戦であった。同級生一人と下級生のエースは強敵過ぎた。最後の直線に入るカーブまで3人は団子であった。息子は3番手。その時、「行け~」と誰か(父親=私)の「天の声」。それに気づいた息子は外側から一気に加速。2番手を10メートル離してゴールした。それ以後も「天の声」は一番の勝負どころで何度か聞こえた。彼は実力以上の成績を収めてきた。いいコーチと勝負勘、これが無ければ実力があっても勝ちは望めない。スポーツこもごも話…了


                          photo 「山国町~かかしワールド」 

「本当の日本を伝える」

2011-11-14 07:38:44 | エコ
 「世界報道写真展」を見る。餌を取りに行くついでに、会場のアジア太平洋大学による。この大学は別府市にある。市内を見下ろす高台、標高千メートルの十文字原にあり、アジア各地からの学生を集めている。別府市が30~40億円の土地を寄付、大分県も百数十億円寄付したはずである。一私立大学に巨額の寄付、しかも、別府一の景観を損ねると反対意見もあった。もちろん、私もその一人である。なかには「治安が悪くなる」と懸念する人もいたが、私は、それには加担しなかった・・・。
 学生の募集は順調なようで、日本人学生のほかに、中国、韓国、スリランカ、ネパールなどの留学生が集まり、街の至る所で姿を見るようになった。新聞で見る限りのことだが、空き店舗を利用してエスニック料理の屋台を開いたり、自国の文化や習慣などを市民に伝える機会もあるようだ。彼らのほとんどは日本語が巧みで、日本人より日本語が上手である! スリランカやタイをはじめとして、彼らの国は政情不安な国が多い。それらのことが日本人学生に伝わっているのだろうか。私など、聞く機会があれば参加して学びたいたいと思うのだが、県の国際交流課の動きは鈍い。
 逆に、彼らは4年間で日本をどれだけ理解するのだろうか。アニメや音楽、ファッションの日本ではなく(そんなものは日本の文化ではない!) 、形骸化した民主主義と腐った政治、他の国や農山村を犠牲にしてぜいたくの限りを尽くす都市住民、これまでの日本の悪い行為を忘れ歴史を封印する国民性…、これらの負の国情こそ反面教師として彼らは学ぶべきだと思う。 外国に留学するぐらいだから、お国では良家(古いな~あ)の出だとは思うが、かなりの学費を払って、こんなものを学ぶため日本の大学に留学するのはもったいないのではないか! この間、家に来たネパールの学生に、このようの質問を投げかけてみた。「そうなんだけど、世界中からやって来ている学友と触れ合えるのが有益なのです」と答えてくれた。その彼、うちの鶏が産卵箱に卵を産むのを見て「わぁ~、卵を拾い集めなくてもいいのですか? 国に帰ったら、このことを教えてやらなくては…」。
 かなり前になるが、カンボジア(タイ?ベトナム?)の首相が大分県に来た時、当時の県知事平松守彦が、大型ガラスハウスの農家と湯布院に連れて行って「これが一村一品です」と自慢したことがあった。その頃は、平松の唱える一村一品運動は大分県では見向きもされなくなっていた。私は地方紙の投書欄に「自分たちの選んだ知事に県民が騙されるのはしょうがない。しかし、何も知らないよその国の人民を騙すのは犯罪である」と鋭い一文を送り掲載されたことがある。「先進的」だとされた花のガラス室は、いまや、ツルに覆われて見る影もなく、湯布院は一村一品運動とは何の関係もないものであった。                                        私が留学生にに理解して帰ってもらいたいのは、日本のまっとうな庶民の暮らしと思想、生き方である!近代化して潰されていく農業ではなく、30年、大自然だけを頼りに黙々と自然循環型農業をつづけ、日々の暮らしの中に喜びを見つける私と妻の生き方である。(かなり口はばったいのではあるが…)彼らの理想のモデルにはなりえないが、同じ暮らしをしている彼らとの共感は生まれると思う。残念ながら、今のところそのような機会に恵まれない。
 世界報道写真展はにぎわっていた。宣伝に使われたアフガニスタンの女性の、鼻と両耳がそぎ落とされた写真が強烈だったせいかもしれなかった。ハイチや中国四川省の地震の被害者の山、戦争の惨劇、暴力の応酬、スポーツでの一瞬…。様々あったが、死体の写真の連続に疲れた。世界から戦争と暴力の応酬を無くすにはどうすればいいのか。その糸口さえ私にはわからない。
 私の様な細々暮らしを立てているもののことなど「世界報道」にはなりえないが、普通の人達の日々の暮らしこそが共感と連帯を生むきっかけになるのではないだろうか。

                                    「秋日~九重町」

「安い下着を買うな!」

2011-11-09 07:41:03 | エコ
 隣町で大型電気チェーン店が開業した。数ヶ月前から高校の跡地で工事をしていたが、今朝、畳1畳ほどのチラシで開店を知った。チラシを一通り見まわしたが欲しいものは見当たらない。タダでもいらないものばかり。あっても邪魔にならないかな?(無くてももいいかな?)というものも何点かあるが、3~4万円出す余裕は今の我が家にはない。チラシの2割ほどのものは何に使うものなのかわからない!
 「外付けハードディスク」5780円成りというのがあるが、何の役に立つのか分からない。妻に聞いても分からない。娘に聞くと「パソコンを使っていると重たくなるので、これに移し、軽くするもの」と言う。いよいよわからない。パソコンを抱えて見たが、前より重くなっている様子はない?
 「USBフラッシュメモリ」というのも分からないが、「ラミネーター」も分からない。(ターミネーターなら分かるのだが…)。妻も「パソコンのインクと電池しかいるものはない」という。貧しいわが屋でもこうである。普通の民間人では尚更必要なものはないだろう。
 ところが、その店の前を通り過ぎると、結構、人が入っている。記念品目当てか、それとも、インクや電池の一つでも買おうというのか。 眺める暇もないので無視して通り過ぎる。
 聞くところによると、この大型電気屋の開店した隣の市では、このチェーン店の宿敵のY電気が出店の準備をして売るらしい。お互いが「相手のチラシを持ってきたら、それより負ける」と宣伝しているのだから矛盾した話である。どちらかがつぶれるまで競争するのだろうか。
 ディスカウント店は電気屋だけに限らない。洋服屋、薬屋、靴屋、そして、それらを網羅した大型店。仁義なき戦いである。そこでは、「安い」だけが価値を測る物差しである。正確にいえば、「安い」のではなく、粗雑な「安物」だけに人々が群がっているのだ。私の見るところ、この「安物買い」の人間は次第に増えてきている。
 ディスカウント店の流行で、このところの日本人の生活の質は明らかに落ちている。落ちているのは生活の質だけではない。人間の質もである。300円や400円の服を着て、すぐ底に穴のあく靴を履き、1000円でお釣りの来るデジタルウオッチをはめていたのでは、胸を張っては歩けない。この国は2流国人になり下がったのだ。妻に「生協やスーパーで安い下着を買うな」と言ったことがある。もちろん、若い時の話だ。安い下着をつけると貧相な体になるような気がする。そんなことを考えるのは私だけか??・・・たぶん?
 「丁寧に作られたものを金を払って買う」。こういう時代でなければ自然卵養鶏家は生きていけない。苦い体験がある。県民体育大会の自転車競技に出場した時の私の自転車はガタがきていた。坂道を下るとき、ハンドルがガタついた。古くなったせいだろうと思っていたのだが、仲間から「危険だ」、「整備不良だ」などと注意を連発された。「20万出して新しいのを買いよ」などとアドバイスをするものもいた。「もう、これで自転車は諦めよう。それとも・・・?」。僅かに心が動いた。が、結局、その自転車で出場は終えた。翌日、自転車仲間でもある自転車店に行って、見てもらった。店主は、錆びたねじを丁寧に外していった。「ベアリングが抜け落ちている!」・・・。、玉を補充し、元の様に組み立て、緩んだねじは締めなおし、空気を8気圧入れ、「これで良し!」とつぶやいて私に整備した自転車を手渡した。カネは受け取らなかった。私は横で彼の仕事の一部始終を見ていた。彼の動きには僅かな無駄もなかった。プロがするプロの仕事である。私は、「この自転車はもう駄目だ」とか、「カネがあれば、良いのを買いたい」などと一度でも考えた自分を恥じた。丁寧に作られたものを修繕して使う、ディスカウント店の流行は、このようなプロの仕事場をも飲みこんでいく…。

                       「豪華客船 飛鳥Ⅱ~別府湾」
 
 


はじめまして

朝日新聞、大分版で5年続いた「熊さんトリ小屋通信」は2008年3月で終わりました。1年の空白がありましたが、再びブログで再開します。ごぶさたしました。そして、始めまして。 私たち夫婦は相変わらず半島の片隅で800羽のトリと少しばかりの田畑を耕しています。二人の子供たちも家から仕事場に通っていて変化はありません。たった一つ変ったことと言えば、毛嫌いしていたパソコンの練習を私が始めたことぐらいでしょうか。  もともと都会に背を向けて生きてきておりますから「100年に1度の金融危機」には関係が無く(万年不景気と言えばそれまでですが…)、住む家と食べ物があり、自分の仕事があります。今更ながら、農家であることに感謝する毎日です。 あ~、重大なことを忘れていました。トリ小屋を守ってくれていた愛犬トランクスが2009年2月17日に亡くなりました。14歳と6か月私たちと暮らしました。動物でも人間でも命の重さに変わりはありません。一時は、立っても涙、座っても涙でした。あ~してやればよかった、こ~してやればよかったと反省の連続です。私が貰ってきた犬ですから、トリ飼いをしているのが見える場所に私が丁寧に埋めてやりました。彼は生きてそこに眠っていると思うことにしています。朝晩、「トラ君元気か」呼びかけています。(返事はしませんが…) 養鶏を取り巻く状況は1年前と少しも変わっていません。鳥インフルエンザの原因はいまだ不明だし、幾らか下がったとはいえエサ代は高騰したままです。燃料のガソリンも高止まりしています。世の中でもっとも悲惨な職業それは養鶏業だということは今も変わりません。  良寛は「死ぬ時に死ぬがよろし」と述べています。そこまでの「悟り」には至りませんが、自分で始めた仕事ですから、何かがあったとしても誰を恨むものではなく、自業自得と受け入れようと考えています。ありがたいことに日々の忙しさは全ての悩みを忘れさせてくれるのです。 「行けるところまで行こう」と始めた養鶏ももうすぐ30年になろうとしています。これから始めるブログは私と妻が日々の暮らし、その中で考えた思いを拙い言葉で綴ったものです。しばらくのお付き合いを…