2011年11月31日。朝から暑い。いまが冬なのか秋なのか、それとも夏なのかが分からない。紅葉し損ねた落葉樹の葉が緑のまま散ってゆく。「異常高温は地震の前触れ」、妻の口癖である!。
西アフリカでは海水がどんどん陸地を侵食し始め、蚊など見たこともない高地で蚊が蔓延、マラリヤが大発生という。タイでは未曾有の洪水。「異常気象の責任者出てこい」と申し上げたいところだが、だれが責任者なのかが分からない。二酸化炭素の最大排出国のアメリカか、それとも急成長著しい中国やインドか? 後進国も「先進国が原因なのだから、おれたちは削減しない!」などと小競り合いをしている場合か。地球は一つ。一分一秒でも早く、1グラムでも減らす努力をしなければ地球全体に被害が及ぶことは明白である。と、京都議定書がどうのこうの言っている連中に鋭く申し上げたい。
世界中で二酸化炭素の排出量の努力が続いているにもかかわらず、去年の二酸化炭素の排出量は史上最高だという。「経済発展」という錦の御旗を降ろさない限り人類生存の危機は収まらない。旗を振りながら死滅していくのか、それとも、甘んじて不自由を受け入れるのか、人類の選択が問われている。御用評論家、寺島実郎の様に「小出力の原子力発電」で乗り切る道(経済発展と温暖化阻止を両立する方法)はないのだ。生きるか死ぬか、二者択一しか道はない。
「規制を厳しくすると,企業は海外に逃げ出す」というのが彼ら(非農家)のいつもの脅しの手口である。企業が海外に逃げると、働く場がなくなるらしい。「ええい!うるさい。お前たちは世界の果てに失せろ。そして、二度と帰ってくるな!」というのが私の答えである。
残った人間だけで明日を探ろうではないか。その気になればアイデアは浮かぶ。節電が新たな産業を生むかもしれない。オールターナチブ(別な方向)が光明をもたらすかもしれない。たとえ、主だった企業が海外に逃避したとしても、食い物と屋根があれば何を困ることがあろう。いまの最大の危機は、その食い物を手放し、見たこともない連中にそれを委ねようとしていることにある。
12月に入った。僅か1両日の間に紅葉は進んだ。ナラ・クヌギ、紅葉(もみじ)に櫨(ハゼ)、百家争鳴である。いつもは何処にあるのか分からない木々が「私はここにいます」と主張している。春の新緑もいいが、冬眠に入る前の紅葉も負けてはいない。いろいろあった(今もくすぶりつずけているのだが…)年だから、今年の紅葉はことさら眼にしみる。四季に恵まれた国に生まれた幸運に感謝。これ以上何を望むことがあろうか。ブータン国王のおっしゃるとおりである。
妻の予想は外れ、いまのところ東南海地震は起きていない。畑の虫たちは暖かさで生きながらえ、食べ残した聖護院ダイコンの葉をむさぼっている。私は紅葉をかき分け、卵の配達を繰り返している。
photo 「紅葉~耶馬渓 雲神社」
西アフリカでは海水がどんどん陸地を侵食し始め、蚊など見たこともない高地で蚊が蔓延、マラリヤが大発生という。タイでは未曾有の洪水。「異常気象の責任者出てこい」と申し上げたいところだが、だれが責任者なのかが分からない。二酸化炭素の最大排出国のアメリカか、それとも急成長著しい中国やインドか? 後進国も「先進国が原因なのだから、おれたちは削減しない!」などと小競り合いをしている場合か。地球は一つ。一分一秒でも早く、1グラムでも減らす努力をしなければ地球全体に被害が及ぶことは明白である。と、京都議定書がどうのこうの言っている連中に鋭く申し上げたい。
世界中で二酸化炭素の排出量の努力が続いているにもかかわらず、去年の二酸化炭素の排出量は史上最高だという。「経済発展」という錦の御旗を降ろさない限り人類生存の危機は収まらない。旗を振りながら死滅していくのか、それとも、甘んじて不自由を受け入れるのか、人類の選択が問われている。御用評論家、寺島実郎の様に「小出力の原子力発電」で乗り切る道(経済発展と温暖化阻止を両立する方法)はないのだ。生きるか死ぬか、二者択一しか道はない。
「規制を厳しくすると,企業は海外に逃げ出す」というのが彼ら(非農家)のいつもの脅しの手口である。企業が海外に逃げると、働く場がなくなるらしい。「ええい!うるさい。お前たちは世界の果てに失せろ。そして、二度と帰ってくるな!」というのが私の答えである。
残った人間だけで明日を探ろうではないか。その気になればアイデアは浮かぶ。節電が新たな産業を生むかもしれない。オールターナチブ(別な方向)が光明をもたらすかもしれない。たとえ、主だった企業が海外に逃避したとしても、食い物と屋根があれば何を困ることがあろう。いまの最大の危機は、その食い物を手放し、見たこともない連中にそれを委ねようとしていることにある。
12月に入った。僅か1両日の間に紅葉は進んだ。ナラ・クヌギ、紅葉(もみじ)に櫨(ハゼ)、百家争鳴である。いつもは何処にあるのか分からない木々が「私はここにいます」と主張している。春の新緑もいいが、冬眠に入る前の紅葉も負けてはいない。いろいろあった(今もくすぶりつずけているのだが…)年だから、今年の紅葉はことさら眼にしみる。四季に恵まれた国に生まれた幸運に感謝。これ以上何を望むことがあろうか。ブータン国王のおっしゃるとおりである。
妻の予想は外れ、いまのところ東南海地震は起きていない。畑の虫たちは暖かさで生きながらえ、食べ残した聖護院ダイコンの葉をむさぼっている。私は紅葉をかき分け、卵の配達を繰り返している。
photo 「紅葉~耶馬渓 雲神社」