ホタルブクロが咲き始めた。待ちかねたようにホタルが出現した。夜半、 鶏小屋の周りで数頭のホタルが鈍い光を放っている。ツ~と飛んでは、また、ツ~と飛ぶ。ゆるゆるとしたリズムは呼吸のリズムか。It` s show time! しばし楽しむことにする。
ホタルブクロには赤紫と白の2種類がある。私のお気に入りは白である。下向きに咲く白い花は清楚で可憐である。 生家から持ってきたのか、誰かにもらったのか、わが家にも5~6株のホタルブクロがあった。しかし、去年は2株しか咲かなかった。そのうちの1本を草刈り機の餌食にした。慌てた私は、お客さんの家から1株をもらいうけ、小さな植木鉢に埋めた。忙しさにかまけ水やりが滞った。そいつはあっという間に枯れて、他の花が植木鉢を覆い尽くした。
諦めていたが、春先に芽が伸びてきた。そいつがホタルブクロであるという自信はなかったが、細長い茎が伸びてきたのを見て、暗擬は自信に変わった。運よく古い株も4~5本蕾をはらんできた。いい風景である。夏が来たのだ。
闇の中からカエルの鳴き声が聞こえる。小さな体なのに声は大きい。ホタルだけではなく、いよいよ登りウナギの季節である。子供時代、よくハエ縄をかけた。竹に30センチほどの糸と針を何本も付けた。それを川に浮かべる。餌はスジガエル。他のカエルは掴めなかったが、タテにスジのあるこいつだけは怖くなかった。どうしてスジガエルなのか未だ持って分からない。ただ、ただ、翌朝が楽しみであった。
楽しみの朝は目覚めが早い。仕掛けた竹があらぬ方向へ移動している。何かがかかっているに違いない。心臓が早打ちを始める。竹を引き寄せると立派なウナギがかかっているのであった…。
ホタルが出るからホタルブクロが咲くのだろうか?ホタルブクロが咲いたのを見てホタルが出てくるのか?私は後者だと思う。「薫風」とは今頃の風をいうらしい。
Fhoto 「下向きに咲く」
「ヴァンサンカン」という雑誌から電話。「あんたの卵を雑誌に載せたい」ので送って欲しいと言う。そんな出版社に知り合いはいない。これは、東京にいる我が家の卵の「私設応援団長」の差し金に違いない。私設応援団長というより勝手連というのが正解かもしれない。この前は銀座のレストランであった。渋谷や秋葉原といった若者(バカ者)の雑踏ではなく、「銀座」である。
送られてきた雑誌のコンセプトは「20~30代女性の、美を追求する読者をターゲットにした云々・・・」。何の事だかわからない。何より、美からあまりにもかけ離れているのが我が家の暮らし。
夫婦とも一日の大半を靴底にケイフンをつけた長くつで過ごしている! 農場主は偏屈で度量がせまい。臆病のうえに粗こつ者である。何より品位に欠ける。先日など、パンツ一丁で炊き木を拾って帰っている最中に若い女性の宅配便に遭遇した。きっと彼女は「あんな家に配達に行くぐらいなら死んだ方がまし。今度あの家に配達があったら、わたし、荷物を川に捨てちゃいます!」と泣いて上司に訴えているに違いない。「美」というより「汚」に近い生活である。
しかも、「若い女性が別荘で食べる食事に使う云々」・・・。さらにいけない。どちらかと言えば「貧乏で子だくさん。それでも毎日を懸命に生きている」・・・、そんなかぁ~ちゃんが我が家のターゲットである。(そんな人がいればの話だが・・・)
しかし、正直、新聞の執筆を終えてから、持てあます?才能を発揮できずに退屈している。私の周りで起きる事件は些細なものばかりで私の興味をひかない。卵の配達も馴れてしまい、退屈な私を喜ばすものは何もない。
そんな時、銀座のレストランから注文の電話が入る。電話の背後から厨房の忙しさが伝わり、遠くから客の会話が聞こえる。誰かがハイボールを片手に、遠い国東半島から送られてきた卵について語っているのだろう。銀座から聞こえるかすかな声も私には新鮮である。
「ヴァンサンカン」を本屋で覗いた。ここに出ている女性が私たちの暮らしを想像することはあるまい。しかし「僕は思うんだが、退屈は人間の寿命を縮める。そうは思わないかね、ワトソン君」である。雑誌に載るかどうかは分からないが、とにかく、石を投げてみることにした。
Fhoto 「バラの原種 うちの家で一番の美?」
朝起きると右手の指がしびれている。親指、人差し指、中指がおかしい。原因は思いつかない。脳梗塞のサインの一つに手がしびれるというのがあったことを思い出す。食後に飲む血圧の薬を食前に一錠飲む。さらに、椎名誠がこれを飲んで血圧の薬から解放されたと吹聴している「酢たまねぎ」をスプーン2杯飲む。妻にはこのことは伏せていた。
鶏の餌やりが終わってもしびれは取れない。仕方なく妻に打ち明ける。「横になって休んで、悪ければ病院に行った方がいい」と言う。餌を妻に任せ、言われるとおりにした。血圧を測ると74と130。
かかりつけの医者に行く。先客が7~8人。看護婦に小さい声で「指がしびれている。脳梗塞が進んでいるかもしれない。ここのお客も急いでいると思うが、まごまごしていたら手遅れになる。先生に実情を告げてくれ」と頼む。看護婦はすぐに戻って来て「その程度なら急を告げる状態ではないのでここでお待ち下さい」。患者の中に知り合いがいたのでうっとしい。トラックの中で順番を待つ。
看護婦がやって来て、「心配なら先生が紹介状を書くそうです」と言うので頼んだ。「N病院にファクスを送っておきました」と看護婦。途中妻に電話する。「一人では行かせられない。そこで待って」と言う。
N病院は大分一の専門病院。紹介状が効いたのか手続きはスムーズ。ここでの血圧74と117。アンケート方式の問診。毎晩の酒の量以外は正直に答えた?МRIを撮る。医者は異常はないと言う。「この程度の検査なら国東市民病院で済みますよ」とのたまう。『親父が歩けなくなった時、明らかに脳疾患が疑われるのに、病院に連れて行ったら「今日は担当が放射線医師なので、明日連れてきますか?」と言われたのです。あんなところは救急病院の資格がありません』と返事。「では、もう一度来てもらうのも大変だから、CTスキャンも撮リましょう」と、カプセルの中に詰め込まれた。
カプセルの中で自動車が道路の継ぎ目を超えた音が聞こえた。今度は、双発機が墜落する時の音がする。屁の音が「プン」と入る。緊急地震速報の様なけたたましい緊急音。また屁の音が入る。まるでブレーメンの音楽隊である。脈絡のない音がブカブカ、ブカブカ・・・。閉所恐怖症でも退屈しない。
スキャンの写真を見た医者は「異常は見られません。他の要因でしょう。これを見てください・・・・」と続けた。パソコンには立派な脳の姿が映っていた。「見たことのないほどの優秀な脳みそでしょう」と自慢したが担当医は笑わなかった。脳写真を見ても私が何を考えているのかは分からないのだ。
小林秀雄によると、脳を科学的に分析しても感情や心は分からない。「物忘れ」というのは記憶がなくなるのではない。記憶は体のどこかにあり、それをを思い出す回路(脳の回路)が断たれることらしい。妻は「心臓移植されると、提供者の記憶の一部が心臓に残っている場合がある」と何処かで聞いたことがあるという。脳の死は心の(人間の)死と同義語ではない。命は驚くべき神秘に満ちている。
翌日も指はしびれていた。結局、原因は不明のままになって、前日、「無理な姿勢で草刈り機を振り回したことが原因」ということに落ち着いた。また死にそこなったようだ・・・。
Fhoto 「アヤメ~わが家の家宝Ⅱ」
世界を放浪した娘は試用期間中。8月で1年を迎えるので夏のボーナスはない。要領の悪い話である。今月は自動車税の支払いもある。兄貴が県の自動車税の徴収係だから滞納もままらない。こんな情況でも頼まれた仕事は断らない。「試用期間中」の職員の能力以上の仕事を任されても完遂する。田舎人間で責任感は人一倍。損な生まれである。こんな人間は何処にでもいるわけではない。
韓国で沈没したセウォール号の話である。本来船と運命を共にするはずの船長が真っ先に逃げた。乗船客の避難誘導をしなくて逃げた船長は逮捕され、世界からその名誉をはく奪された。船長ともあろうものが、乗客を残したまま自分が先に逃げたのだからいいわけはできない。
しかし、事態は次々に明らかになっていく。船長をはじめ、クルーのほとんどは契約社員。しかも1年契約である。韓国も船会社の経営は厳しい。積載量を守っていたら倒産する。船長やクルーが反対しても積載量の3倍の荷物を詰め込ませたらしい。荷物を固定する余裕もない。反対する乗務員は職を失うから強い反対はしづらい。船長も例外ではない。
「船長は船と運命を共有する」というのは人間として扱われた場合のみである。腐った会社に恩義を立て、無駄に命を捨てることはない。
日本も韓国の現状をあげつらうことはできない。既にサービス残業が蔓延しているのに、今度は正式に残業代をゼロにするとかなんとか・・・。命より金。働く者の置かれている状況は世界中どこでも同じ。中国とベトナムの争いで、日本企業の建物にもデモ隊が入ったのは、中国企業と間違えたためだけではあるまい。中国の労働者の数分の一で働かせられているベトナム 労働者の不満もあったのではないかと思う。自由競争社会(資本主義)の限界である。資本というものが世界を蓋い尽くした時、働く者たちの新たな反撃が始まると思う。それが私の生きている間だと嬉しいのだが・・・・。
沈みゆく泥船にタヌキと一緒に留まる理由はなかった。船長、あんたの選択は正解であった!
Fhoto 「アヤメ~わが家の家宝」
何時も忙しいのだが、我が家はこの時期が一番忙しい。穂の出た牧草の始末、苗代の準備と種まき、田の畔草切りとケイフンの撒布。気がつけば、もう八十八夜は過ぎていた。
しかしだ、新茶を作らないようでは百姓をやっている意味がない。ケイフンを運んだ帰り、夫婦で30~40分新葉を摘む。今年は寒い為か、一週間遅れだというのに思いのほか葉は伸びていない。日陰にある芯の伸びたものだけ摘んだ。夫婦のこんな時間が楽しい。
昔は村の誰もが茶摘みをしていた。大人だけでなく子供までが駆り出された。畑の畔には必ずお茶の木が植えられていた。畑だったところが山林に変わっても茶の木は何十年も枯れず、しぶとく生き続けている。どんなに荒れ山であっても、数メートル間隔で一列に茶の木が連なっておれば、昔は畑であり、人々はそこで生き生きと暮らしていたのだ。私にはそれがありあり(過去の出来事などが、今眼前に見えるごとく記憶の上にはっきりと現れることを表す~「三省堂 新明解」による)と見える。
いま、この村で茶摘みをするものなどいない。スーパーで買うことが豊かになったあかしなのか、貧しくなった象徴なのか私には分からない。
次の日は予想通り雨。外仕事が出来ないから好都合。組み立て式のかまどを引っ張り出す。小さなマキを放り込み火をつける。釜が熱くなったところで茶葉を放り込む。湯気が立ち、しんなりしてきたら筵の上でもむ、もむ、もむ。それを2~3度繰り返す。それからは、かき混ぜながらの乾燥が永遠に続く。
途中でお茶を入れてみた。香りはともかく、味はいい。釜で炒った独特の味。100グラム2000円で売っているものに負けない。(そんな高いものを飲んだことはないのだけれど?) もう一度マキを投入。最後に穂色をつけるため熱い温度で一気に仕上げる。葉が霧のように白っぽくなれば完成。
既に定年を過ぎているとはいえ、仮にも我が家の「ユニットリーダー」を任されている私が,3時間以上もかかって80グラム。貴重な新茶は南アフリカで取れた5カラットのダイヤモンド(これも見たことはないのだけれど)に匹敵する。一握りの収穫ではあったが春を楽しんだという僅かな達成感が残った・・・。 明日の朝、母と仏壇の父に茶を飲ませたら、私の春の一大行事が終わる。
Fhoto 「年季の入ったお釜~完成したお茶は味、香り、コクはグラム5000円(もちろん見たこともない)ものであった・・・・」