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熊さんのトリ小屋通信

800羽のトリを飼いながら自給自足の農業をつづけている農家の日々の思いを綴ったもの

「第三の矢」忍び寄る

2013-09-27 20:53:32 | エコ

 猛暑の中の草取りが「第一の矢」だとしたら、シシの襲来は「第二の矢」。そして、忍び寄るウンカの襲撃は「第三の矢」か?1週間前からウンカの被害が拡大している。
 少し前、県からウンカの被害が広がっているという情報が流されていた。周りを見回してもそんな様子は見られなかったので安心していたのだが、モチを稲刈りした妻が「あたり一面ウンカだらけ」と騒ぎだした。
 確かに注意して見ると、周辺の田にイネの枯れた穴が見える。最初は、微かな霧のように見えるのだが、次第に畳3~5畳ほどの穴が開いていく。黄金色のイネの中に灰色に枯れた穴が出現するから素人にもその被害状況が手に取るように分かる。刈り取りまで1週間余を残すのみなのに、思わぬ被害で農家は泣いている。慌てて農薬を散布する者、イネが青くても刈り取りに走る者。今更農薬はやりたくないという放置したままの静観者。農家の反応も様々。
   ここ十数年、ウンカの被害はなかった。台風が来なかったためであろう。東南アジアで発生する秋ウンカ(トビイロウンカ)は台風の風に乗って日本列島に到着する。今年、この地方に到来した台風はない。しかし、遠くをかすめた台風に向かって南からの暖かい風が吹いてきた。その風によってウンカは日本列島に到着したようだ。
 刈り取りまで1週間余である。ここまで汗を流してきたのに、僅か数日のうちに台無しになる・・・。大自然は容赦がない。誰がこんな結末を予想できただろうか。「安いコメをよこせ」という朝日新聞の原真人論説委員の主張も分からぬではないが、多種多様な「不確定要素」が当たり前の農業で「規模拡大すればコメが安くなる」という議論にどれほどの有効性があるものか?
 誰かの見たテレビで「農薬をやった田の方がウンカに弱い」という放送があったらしい。それが本当かどうかは分からない。隣の田んぼが枯れている。今のところ我が無農薬田は無事である。シシに踏み残されたイネは黄金の色。農家にとって、これほど待ち焦がれた色はない。テレビの報道が正しいことを祈るばかり・・・。

                              Fhoto   「始めちょろちょろ~」


「うつろな日々には」

2013-09-22 00:27:17 | エコ

 前回、私が、2メートルの大イノシシに馬乗りになって裸締めで落とした?ブログ。最後に「彼(彼女)が犯人かどうかは分からない。こいつにも兄弟も親もいるはず」と付け加えようとしたが止めた。私の予感は外れたことがない。余計なことを付け加えて、それが現実になっては堪らない。
 しかし、彼に兄弟がいることは翌日、田を覗いて分かった。しかも、この弟分(兄貴分?)はさらに元気者であった。毎日あの手この手で防御したが進入が止まらない。山本リンダの歌ではないが「どうにも止まらない~」状態である。見るたびにイネは途中で折れたものが増えていく。
 鹿も来ているらしく、穂の途中から実がそぎ落とされている。まるで動物園である。隣地の電柵の線はヒガンバナに抱かれて漏電しているというのに、被害を受けるのは我が家ばかりである。消費者からは「米10俵ください」などという申し出があるが、自分の分が心もとないのだから、人の食う分は知らない。「鹿には、洋服をぶら下げるといい。それも古くて臭い方がいい」というので、妻が、私のティーシャツをぶら下げることにした?
 ある日、仕事帰りに田に寄り、そこにあった1斗缶「ガン、ガン」叩いて帰った。帰宅後、、ノンアルコールで夕食を取った後の11時、再び駆けつけ、1斗缶と鉄筋を叩き、最後にはアフリカの太鼓、ジャンべを聞かせてやった。まるで「セロ弾きゴーシュ」である。効果のほどは明日起きてみなければわからない。いいイネならもっと腹も立つのだが、この田のイネは穂数も少なく穂も短い。不毛な戦いに気分も腐る。
 宮沢賢治の「セロ弾きゴーシュ」は、金星楽団でお荷物になっているゴーシュが自宅となっている水車小屋でセロの練習をしていると、猫だのカッコウだのネズミだのが現れて、そいつらに導かれてゴーシュが腕を上げるという話である。人間だけでなく、その周りの生き物との共生の中で我々は生かされている。その場所が里山だった・・・。いま、人間と生き物の緩衝帯であった里山は荒れ、耕地の隣まで山が接近してきた。しかも、その山は放置され、食い物は見つからない。イノシシ、鹿、猿、熊、カモシカ・・・の逆襲が始まるのも当たり前か?
 ・・・などと屁理屈をこねていても被害は止まらない。あの手この手で10日間しのげば刈り取りに入るのだが・・・。こんなやるせない日々には吉田卓郎でも聞いて元気を出したい。「確かなものなど何もなく、ただひたすらに君が好き」というストレートな「流星」がいい。「あなたのほしいものはなんですか?」とイノシシに聞いてみたいもの。

                                  Fhoto   「この町一番のコスモス」


「早朝の格闘技」

2013-09-19 13:04:24 | エコ

 朝晩は冷え冷えしてきたが、日中の暑さに衰えは見えない。秋は本当にやってくるのだろうか?相変わらずブトに攻められ続けている。こ一週間前からイノシシにもとりつかれてきた。「きた」と過去形にしたのは、今朝、抗争にケリがついたからである。
 電気柵でしっかり防備してあるはずの田の中にイノシシが入った。イネを蹴散らしながら湿気の多い畦にたどり着き、畦のほとんどを壊した。あわてて、入ったところを探すが見当もつかない。電気柵の間隔を動かしたり、線を3段にしたるしたが効果はない。どこからか入り、出る時には電線を突き破っていく。
 打つ手は打ち尽くした。かといって相手の思うままに振る舞わさせることはできない。点滅式の電気を2個ぶら下げた。トリ小屋で使っている小さな「ワナ」を通り道に置いた。これらの子供だましが通用する相手ではないことは知っていたが、何かをしないではいられなかった。これで駄目ならいよいよ打つ手はない。
 次の日の早朝、確認に行くと入った形跡があった。しかし、いつも破られる電線は無事だった。間を抜けたのだ。切り残した1本のセイタカアワダチソウが風もないのに不自然に揺れた。近づくと何かが横になっていた。生きている。タヌキなどの小動物が疑われたが、良く見ると背中に3本の筋。ウリ坊(イノシシの小さい奴の愛称?)に違いなかった。太った猫ほどの大きさ。保育園に持っていくと人気者にものになる大きさである。しかし、ここは保育園でもないし修道院でもない。倒すには今しかなかった。幸運にも、彼の通った後に置いたワナに草が絡んで逃げられないようだった。
 聞くところによると、ウリ坊の近くには親がいるらしい。子供をいじめていると親の反撃にあう。注意深く周囲を探ったが親の気配はなかった。しかし、相手は名うての「もののけ」の親分である。先日も大分市の商業施設に現れ、エスカレーターを逆走して2階に下り、その辺りにいた数人を突き飛ばし40分暴れた後、悠々と引き揚げたことが3面記事を飾った。この小さなウリ坊でさえどんな必殺技を隠しているか知れたものではない。
 武器を探したが何もない。鉄筋を引っこ抜いていたら間に合わない。決着をつけるには飛び道具に頼る他はない。そこら中の石を取っては投げ、取っては投げつけた。20個ほど投げつけたら相手は動かなくなった。
 親の反撃を恐れたパジャマ姿の私は、そそくさとその場を去った。途中で近くの農家の軽トラとすれ違う。同じ百姓をしているので、うちの田にイノシシが入るのを自分のことのように心配してくれていた。「今日はどうだった?」と聞くので、「ついに仕留めました!」と、さっきの一部始終を話した。彼の眼はうれしそうに輝いた。
 昼、同級生から電話。「皆で見に行った。あれは始末した」とのこと。「ありがとう。2メートルはあっただろう?」と言ったら「ワッハッハッ」と大笑い。「あれが今年の冬には親になる」と彼は続けた。私は「良ちゃんが2メートル余りのシシに馬乗りなって、後ろから素手で締め落とした!」と村中の人に伝えてくれるように頼んだ・・・。

                                                     Fhoto  「隣人稲を刈る」


「帰ってみると」

2013-09-17 22:26:36 | エコ

 隣町の杵築市に15軒、その隣の日出町に5軒配達をしてから大分市の自然食品店に配達。大分銀行ドームに車を止めて周囲を走る。来週の月曜に此処で駅伝がある。私も参加人員の一人になっている。一人の持ち分は2キロだという。これだと何とかなりそうだ。
 ランニングを終えて家に着くと9時を大きく過ぎていた。母は眠り、妻は読みかけの本を開いてうつらうつら。食卓にはサンマのかば焼きとナスの南蛮漬け。あたふたと風呂にいり、湯呑に3割のお湯を入れ焼酎を注ぐ。ちびちびやりながら食宅の上を眺めると3通の郵便物。どれも私の心を揺り動かすものはない。
 一つは「トラピックス倶楽部」の案内。これは妻が読書会で行ったバス旅行の関係。もう一つは私宛の「いわさきちひろカレンダー」の案内。もう一つは、ユニセフから妻あてに出された「シリア緊急募金」の「お願い」であった。
 私は、お客さんに子供が生まれたお祝いに、いわさきちひろのカレンダーを送った。妻は、一度ユニセフに募金をしたようだ。たった一度の「貢献」でも、何時までも案内が来るものらしい。
 娘に影響されて、この数年のカレンダーは世界遺産を飾ってきた。来年はいわさきちひろに戻してもいいかもしれない。私と妻は内外に困難を抱えているのでトラビックスの封筒は開けないでおく。ユニセフの「シリア緊急募金」の方はどうするか?シリアの子供たちが危機にあることは分かるが、私たちがどうすればいいのか分からない。ユニセフの案内はいつも「何でもいい。募金をしてくれ!」である。
 ユニセフは、アサド政権が正しいのか、反政府勢力が正しいのかは問わない。それとも別の解決法があるのかも問わない。「そんなことが問題ではない、いま困っている子供たちを救うのが第一義だ。3000円で混合ワクチンが21人分買える」と言われれば一言もないのだが、その立ち位置が不明だと寄付する心もしぼむ。困っているのはここだけではない。イラクでもアフガンでも、アメリカやNATOの介入したところでは治安が良くなるどころか悪化している。世界の難民の数は毎年増え続けているのではないか。  事態の解決方法を問わず、対処療法だけを繰り返すのでは、胡散臭い公共広告機構のCМとなんら変わらない。
 緒方貞子という国連高等弁務官がいた。日本の誇る知性であり、多くの仕事をこなしてきた。しかし、私は、彼女がどんな立場で発言しているのか最後まで分からなかった。
 3年前、世界一周した娘はトルコのカッパドキアで事件に巻き込まれなかった。シリアでも親切にされている。ヨルダン、エジプトでも親切にされた。これらの国には親として恩義がある。シリアの難民はそれらの国に脱出し、ユニセフは支援に乗り出しているらしい。余裕のない我が家では「募金は2千円まで」というのが家訓。今回は家訓に沿って、ユニセフに2千円の募金をするべきだと私は考えた。

                              Fhoto  「秋来る」


「心が痛む、トルコ~カッパドキア女子大生事件」

2013-09-12 00:24:53 | エコ

トルコのカッパドキアで日本の2人の女子大生が殺傷事件に巻き込まれた。一人は死亡し、一人は重体だという。「カッパドキア」というのは、奇岩が連なるトルコの世界遺産である。日本からの観光客も多い。 3年前、私の娘と、その友人の同級生が「女二人,世界貧乏旅」で訪れた場所でもある。
 中南米の旅を終えた彼女らはスペインに飛び、フランス、ドイツ、イタリアを経てトルコに向かった。もちろんカッパドキアも訪ねている。エジプトでフィンランドへの旅券を手に入れるべく、シリア、ヨルダンをバスで移動しエジプトに達している。シリアの路上では日本びいきのおじさんからチャイもごちそうになっている。今のシリアでは考えられないことである。運が味方したとか言いようがない。
 彼らはそのあと二手に分かれ、一人はボスニアフェルツゴビナ、一人はギリシャの洞窟で泳いでいる。再び合流したあと印度へ旅を続けた。9か月の旅の間、危険なことや不快なことも何度はあったようなのだが、世界のどこでも親切にされ、可愛がられて旅を終えた。運が付いていたのか、緻密な準備と大胆な行動(いまの男の子の持っていないものである)が効を奏したのか。
 今回、事件にあった親御さんはトルコに向かっている。同じ娘を持つ者として同情を禁じ得ない。娘が旅立つ時、私はこう伝えた。「世間では、途中で事件に巻き込まれたら親御さんが駆け付ける。しかし、お前の知っているように、うちには金がない。いざとなっても駆けつける旅費がない。お前は親にみとられず世界のどこかで消えてしまう。それでも行くか?」と問うた。娘は小さな声で「それでも行く」と答えたのである。
 旅は彼らを大きく変えた。旅の前と後では別人になった。交友関係も全く変わってしまった。一人は保育園の保母に戻り、一人は歯科医師会の事務をしている。彼らがこの事件をどう感じているのかまだ聞いていない。
 不幸な事件ではあったが、これに委縮して、若者が世界を歩くことを止めないでほしいと私は願っている。日本の高速道路を走っていてトンネルの天井が落ちてくることもある。秘湯で殺された看護師もいる。広島の中学生殺人事件も解決をしていない。事件にあった親御さんたちはあきらめがつかないと思うが、これで若者が委縮してしまうならば、被害にあった二人も浮かばれまい。「一人で行くんだ~、幸せ~に背を向けて~・・・・青年は荒野をめざす」というフォークソングは五木寛之の作詞であったか?63才になった私も、いまだに世界を歩く夢を捨てきれないでいる!


はじめまして

朝日新聞、大分版で5年続いた「熊さんトリ小屋通信」は2008年3月で終わりました。1年の空白がありましたが、再びブログで再開します。ごぶさたしました。そして、始めまして。 私たち夫婦は相変わらず半島の片隅で800羽のトリと少しばかりの田畑を耕しています。二人の子供たちも家から仕事場に通っていて変化はありません。たった一つ変ったことと言えば、毛嫌いしていたパソコンの練習を私が始めたことぐらいでしょうか。  もともと都会に背を向けて生きてきておりますから「100年に1度の金融危機」には関係が無く(万年不景気と言えばそれまでですが…)、住む家と食べ物があり、自分の仕事があります。今更ながら、農家であることに感謝する毎日です。 あ~、重大なことを忘れていました。トリ小屋を守ってくれていた愛犬トランクスが2009年2月17日に亡くなりました。14歳と6か月私たちと暮らしました。動物でも人間でも命の重さに変わりはありません。一時は、立っても涙、座っても涙でした。あ~してやればよかった、こ~してやればよかったと反省の連続です。私が貰ってきた犬ですから、トリ飼いをしているのが見える場所に私が丁寧に埋めてやりました。彼は生きてそこに眠っていると思うことにしています。朝晩、「トラ君元気か」呼びかけています。(返事はしませんが…) 養鶏を取り巻く状況は1年前と少しも変わっていません。鳥インフルエンザの原因はいまだ不明だし、幾らか下がったとはいえエサ代は高騰したままです。燃料のガソリンも高止まりしています。世の中でもっとも悲惨な職業それは養鶏業だということは今も変わりません。  良寛は「死ぬ時に死ぬがよろし」と述べています。そこまでの「悟り」には至りませんが、自分で始めた仕事ですから、何かがあったとしても誰を恨むものではなく、自業自得と受け入れようと考えています。ありがたいことに日々の忙しさは全ての悩みを忘れさせてくれるのです。 「行けるところまで行こう」と始めた養鶏ももうすぐ30年になろうとしています。これから始めるブログは私と妻が日々の暮らし、その中で考えた思いを拙い言葉で綴ったものです。しばらくのお付き合いを…