バンクーバーオリンピックが終った。男子のスピードスケート500メートルが銀、フィギアの男女が各銀一つという私の予想はそれほど狂わなかった。2番にはなれても頂点に立つのは難しい。長年陸上をやっているアスリートとしての私の実感である。
女子フィギュアはショートプログラムを終わって、トップ、キム・ヨナと浅田真央(以下 真央ちゃん)の差は5点。評論家は「逆転可能」と繰り返したが、数字以上の力の差があることは歴然としていた。
一つ一つの技の切れは真央ちゃんの方があったが、ジャンプが成功して「よかった~」と喜ぶ選手と、何時ジャンプしたのか、何時着地したのか分からないほどスムーズに演技を続ける選手の力の差は大きい。
氷の外では、二人は同い年の普通の娘さんに見える。(銀メダルのロシェットは彼らの母親に見えた) ところが氷上に立つキム・ヨナは小悪魔のような「おんな」に豹変する。色っぽいロシェットと十分に渡り合える。真央ちゃんとの「おんな度」の違いはいかんともしがたい。ところが、困ったことに、「おんな度」は、どんなコーチでも教えられないのだ。4年後、キム・ヨナがいるかどうかも怪しい。
国母選手の言動が話題になった。彼の豪快な演技の後は、逆に揺り戻しがあり、「結構良い奴なんだ」とか、「あれが彼の流儀だ」などと評価された。流儀は結構なのだが、それがネクタイをゆるめ、シャツを尻から出すこと程度とは情けない。そこら辺の高校生と変わらない。
あのゲームの勝利者である米国の金メダリスト、ショーン・ホワイトは、1回目の演技で金メダルが確定していた。2回目は軽く流してもよかった。が、彼はそうしなかった。彼の持っている最も難易度の高い危険な技に挑戦し、見事に成功させた。男の中の男である。あれは彼の「流儀」に違いない。技だけではチャンピオンにはなれない。人格が必要なのだ。
止まれ。反体制運動の象徴であった学生運動の同輩たちは、時代と迎合し、髪を切って、しがないサラリーマンとなった。今年めでたく定年を迎え、人生の終幕に立つらしい。
国母君、君は反体制の旗を降ろすな。帰国時、カメラのフラッシュがたかれたとき、いきなりズボンからシャツを出し、「これが俺の流儀だ」とネクタイを投げ捨てればよかったのだ!。
photo 「落ち椿」
女子フィギュアはショートプログラムを終わって、トップ、キム・ヨナと浅田真央(以下 真央ちゃん)の差は5点。評論家は「逆転可能」と繰り返したが、数字以上の力の差があることは歴然としていた。
一つ一つの技の切れは真央ちゃんの方があったが、ジャンプが成功して「よかった~」と喜ぶ選手と、何時ジャンプしたのか、何時着地したのか分からないほどスムーズに演技を続ける選手の力の差は大きい。
氷の外では、二人は同い年の普通の娘さんに見える。(銀メダルのロシェットは彼らの母親に見えた) ところが氷上に立つキム・ヨナは小悪魔のような「おんな」に豹変する。色っぽいロシェットと十分に渡り合える。真央ちゃんとの「おんな度」の違いはいかんともしがたい。ところが、困ったことに、「おんな度」は、どんなコーチでも教えられないのだ。4年後、キム・ヨナがいるかどうかも怪しい。
国母選手の言動が話題になった。彼の豪快な演技の後は、逆に揺り戻しがあり、「結構良い奴なんだ」とか、「あれが彼の流儀だ」などと評価された。流儀は結構なのだが、それがネクタイをゆるめ、シャツを尻から出すこと程度とは情けない。そこら辺の高校生と変わらない。
あのゲームの勝利者である米国の金メダリスト、ショーン・ホワイトは、1回目の演技で金メダルが確定していた。2回目は軽く流してもよかった。が、彼はそうしなかった。彼の持っている最も難易度の高い危険な技に挑戦し、見事に成功させた。男の中の男である。あれは彼の「流儀」に違いない。技だけではチャンピオンにはなれない。人格が必要なのだ。
止まれ。反体制運動の象徴であった学生運動の同輩たちは、時代と迎合し、髪を切って、しがないサラリーマンとなった。今年めでたく定年を迎え、人生の終幕に立つらしい。
国母君、君は反体制の旗を降ろすな。帰国時、カメラのフラッシュがたかれたとき、いきなりズボンからシャツを出し、「これが俺の流儀だ」とネクタイを投げ捨てればよかったのだ!。
photo 「落ち椿」