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熊さんのトリ小屋通信

800羽のトリを飼いながら自給自足の農業をつづけている農家の日々の思いを綴ったもの

「オリンピック始末記」と流儀

2010-02-28 18:45:00 | エコ
 バンクーバーオリンピックが終った。男子のスピードスケート500メートルが銀、フィギアの男女が各銀一つという私の予想はそれほど狂わなかった。2番にはなれても頂点に立つのは難しい。長年陸上をやっているアスリートとしての私の実感である。
 女子フィギュアはショートプログラムを終わって、トップ、キム・ヨナと浅田真央(以下 真央ちゃん)の差は5点。評論家は「逆転可能」と繰り返したが、数字以上の力の差があることは歴然としていた。
 一つ一つの技の切れは真央ちゃんの方があったが、ジャンプが成功して「よかった~」と喜ぶ選手と、何時ジャンプしたのか、何時着地したのか分からないほどスムーズに演技を続ける選手の力の差は大きい。
 氷の外では、二人は同い年の普通の娘さんに見える。(銀メダルのロシェットは彼らの母親に見えた) ところが氷上に立つキム・ヨナは小悪魔のような「おんな」に豹変する。色っぽいロシェットと十分に渡り合える。真央ちゃんとの「おんな度」の違いはいかんともしがたい。ところが、困ったことに、「おんな度」は、どんなコーチでも教えられないのだ。4年後、キム・ヨナがいるかどうかも怪しい。
 国母選手の言動が話題になった。彼の豪快な演技の後は、逆に揺り戻しがあり、「結構良い奴なんだ」とか、「あれが彼の流儀だ」などと評価された。流儀は結構なのだが、それがネクタイをゆるめ、シャツを尻から出すこと程度とは情けない。そこら辺の高校生と変わらない。
 あのゲームの勝利者である米国の金メダリスト、ショーン・ホワイトは、1回目の演技で金メダルが確定していた。2回目は軽く流してもよかった。が、彼はそうしなかった。彼の持っている最も難易度の高い危険な技に挑戦し、見事に成功させた。男の中の男である。あれは彼の「流儀」に違いない。技だけではチャンピオンにはなれない。人格が必要なのだ。
 止まれ。反体制運動の象徴であった学生運動の同輩たちは、時代と迎合し、髪を切って、しがないサラリーマンとなった。今年めでたく定年を迎え、人生の終幕に立つらしい。
 国母君、君は反体制の旗を降ろすな。帰国時、カメラのフラッシュがたかれたとき、いきなりズボンからシャツを出し、「これが俺の流儀だ」とネクタイを投げ捨てればよかったのだ!。

                photo 「落ち椿」

みんなの力

2010-02-25 21:52:15 | エコ
 旧知の自動車屋が、すり減ったタイヤを取り替えてくれている間に空港方面に向けてランニング。この辺りを走るのは久しぶり。空港はリニューアルし、周りににレンタカー会社が進出している。周辺がにぎやかになったような気がする。
 変わったのは空港だけではない。青砂白砂であったはずの海岸は派遣者用のアパートに衣替えした。日本家屋調あり、ロココ調あり、東ヨーロッパ風もある。しかも、全ての建物に「入居者募集中」の立て看板がある。
 リーマンショックに端を発した不況はこんなところにも波及し、世界的なカメラメーカーは情け容赦なく派遣社員の首を切り捨てた。社員は職を失い、住むアパートを追われた。入居者のいない安作りのアパートが、中身を使ってしまったマッチ箱の様に残された。
 悲惨な風景は隣の市にもあって、至る所に「入居者募集」の看板と旗が目立つ。以前、旧知の議員に「残すべき風景と住宅地を分けた都市計画を作成したらどうだ」と助言したたことがある。ところが「アパート経営に熱心なのは議員だから打つ手無し」との答え。
 その杵築市の農協が大分県の「JAおおいた」と合併するという。数十億の負債があり単独では経営が維持できないという。 ざぶざぶと農協が資金を貸し、組合員の農家が派遣者用のアパートに手を出した貸し付金がコゲついたのが原因のようだ。
 合併すれば、何の罪もない私たち組合員が借金の負担をすることになる。一生懸命田畑を耕したが、残念ながら借金をこさえてしまった。みんなの力で彼らを支えようというなら分かる。しかし、農地をつぶし、不労所得を手に入れようと目論んだ者をどうして助ける必要があろうか?当時の役職員全員に負担させろといいたい。
 親父が出資していたのを引き継いで、私も農協の組合員の一人である。しかし、30年農業をしているが、未だに農協が何のためにあるか分からない。卵を売れば二束三文。エサを買えば業者より高い。遠慮無く言えば、行政の言うことを聞かず、農協を利用しなかったことで私の養鶏は続いてきたと思う。旧態依然の人事,行政に追随するばかりの政策。こんな組織に未来があろうはずもない。すでに崩壊は始まっていて、私の農協では見所のある職員は組織を見限って辞めてしまい、かろうじて臨時職員が穴埋めをしている有様である。。
 米麦を作ったところで肥料代も出ない。アパートの大家をしておもしろおかしく暮らしたい。気持ちは分かる。が、日々逃げず、コツコツと農作業を続ける我々が、あんた方の負債と農協の不手際の犠牲になることはご免被りたい。間違っているだろうか。 




                         photo  「花もも」

鳥の季節

2010-02-21 14:44:35 | エコ
  
トリ小屋の周囲は竹藪に囲まれているので冬から春にかけては様々な小鳥たちがやってくる。文字通り竹藪の雀状態である。ジョウビタキ、メジロ、カワラヒラ、ヒヨドリ・・・、その他名前の知らない鳥たち。見ていて飽きることがない。
 竹藪は枯れた竹が入り乱れ、ごちゃごちゃしていて隙間が無いが、鳥たちは苦にしない。まるで彼らには重力が及ばないかのようである。上に飛び、下に飛び、横に移動する。いつの間にか鳴き声だけでなく、飛び方でも鳥を判断できるようになった。着地する鳩を見て、ハト胸とは言い得て妙だと気づかされる。
 数年前から、この時期、小型の鷹が飛来している。ある時は電線、ある時は田んぼに下りている。ノスりなのか、沖縄から飛来したサシバか、それともチョウゲンボウか?専門家に写真を送ると、即座に「チョウゲンボウです」との答え。また一つ偉くなった?
 ウグイスの初泣きが聞けるのもこの季節。竹藪に向かって「ホーホケキョ」と口笛を吹くと「ホーホケキョ」と返してくる。初鳴きを待つのではなく、強引に誘うのである。私は、これを春の楽しみにしている。よい子は真似をしてはいけない。下手な口笛だと、ウグイスが機嫌を悪くして唾を吐きかけるかも・・・?
 春を感じるのは野鳥だけではない。鶏も春を歌う。産卵箱の卵に「若鳥」の卵がちらほら。休産していたのが「春」を感じて再び産み始めたようだ。2月になり急速に日が延びると卵の季節である。人間はカレンダーで季節を「理解」するが、鳥たちは日照時間で生殖の春に「気づく」。これは、毎日卵を産んでいるはずの鶏にも当てはまる。2日に一個、3日に一個産んでいた鶏も「春だ。さあ、子孫を産まなくっちゃ~」という気になる。いや、なってくれなくては困る!もとい、「お願いだから、その気になって・・・」。
 9月に入れた雛(俗に「秋ビナ」という)も、100羽の中の1~2羽が卵を産み始めた。数日前から、エサやりの為に鶏舎に入ると、しゃがむ者が見受けられた。雄を受け入れようとして交尾の体勢を取るのである。こうなると初産の時期が近づいている。お尻の方を軽く触ると、うれしいのか汚らわしいと思うのか分からないがバタバタと羽根を打ち振る。私の鶏飼いの友人は、このような姿勢をとると肛門に指を入れてやるという。親切なのか変態なのか分からない。多分、その両方だと思う。鶏が「ウッフン」と言ったかどうかは聞いていない。どちらにしても、よい子はまねをしてはいけない!
 春。それは「鳥鳴き、月天に満つ」季節。我々人間も厚い上着を投げ捨て、季節の到来を謳歌しょうではないか。

                        photo 「ふきのとう」 

「おとうと」

2010-02-17 21:18:38 | エコ
 
養鶏のような仕事をしている者に休みは「無い」。一生懸命良い映画を制作している人には申し訳ないが、用事で町に出て、たまたま空いた時間があり、高速を使えば5時過ぎには帰れそうなときにだけ映画を見るのである。
 ところが、ビギナーズラック(たまたまの幸運)はあって、仕方なく見た映画が良かったということもある。「フラガール」もその一つ。松雪泰子のフラに圧倒されてしまった。
 今回も同じような体験をした。早起きをして餌をやっても終わると10時。それから準備して大分に着いたのは昼過ぎ。5時に終わる映画が見つからない。3Dの「アバター」になんとか間に合いそうだ。妻が慌てて券売り場に走る。まだ間に合うらしい。妻が「こっち」と叫ぶ。着いた劇場は9番。山田洋次監督の「おとうと」であった。「どうしたんだ?」と聞くと「アバターが満員だったから・・・」とのこと。「わしは、エンターテイントしか見ないんだ」と言いたかったが、入ったものはしょうがない。くそまじめで退屈な時間を我慢する覚悟を決めた。
 題名は「おとうと」。吉永小百合と鶴瓶の姉弟の話である。姉はまじめに生きてきた。が、おとうとは違った。大衆演劇のスターを夢見て、あっちにふらり、こっちにふらり。姪の結婚式に突入しては、式をぶちこわす。あげくのはてに、借金をこしらえて姉に押しつける。耐えに耐えた姉も、ついに怒りを爆発させて縁を切るのである。ところが警察から連絡があり、弟が長くないことを知らされる。放蕩を繰り返したおとうとは姉の腕のなかで最後を迎える・・・・。
 途中でエピソードがあるが、それには少しも深入りしない。観客は自分で判断するのみ。物語は余計なものを廃し、一分の隙もなく展開してゆく。吉永小百合の娘に蒼井優。役名「こはる」。鶴瓶の付けた名前である。小百合の亭主はこういう。「君たち兄姉は鶴瓶(役名 鉄郎?)を踏み台にして成長したのではないか。彼は誰かから褒められたことがあるのか。彼にも活躍の場を与えよう。僕らの子供の名は鉄郎君に付けて貰おう」。付けられた名が、坂田三吉の女房「こはる」である。山田洋次監督のヒューマニズムが至る所に詰め込まれている。「何も足さない、何も引かない」、まるでサントリーのような映画であった。 鶴瓶の笑顔は最高。吉永小百合の美貌も際どいところで持ちこたえている。鶴瓶の付き添いで、隣に横になっている顔をカメラがアップでとらえたのを見せられたらドキッとする。蒼井優は限りなくかわいい。
 妻に病弱のおとうとがおり、私には気の強い姉がいる。子供の頃、貧しかった我が家は絵の具と習字道具は姉と共用していた。道具が必要なとき、内気な私は姉を呼び出せずに姉の教室の前に立っていた。私を見つけた姉の同級生が、姉に私が来ていることを伝えると、姉は「良一、何故声に出して呼ばないのか」と二つ下の「おとうと」をたしなめるのであった。私が他の子にいじめられているのを母に伝えたのも姉であった。今でも頭はあがらない。姉おとうとは映画のごとし。
 監督は「どこの家でも、一人ぐらいこんな奴がいる」と自転車屋の親父に語らせているが、その「迷惑な」存在こそが、周りの人の人生に奥行きを与え、心を育てる恩師になっていることが多い。 見終えた私と妻は「もうけた、もうけた。思いの外傑作だった」と叫んでしまった・・・。


                    photo 「クロッカス」

光と影

2010-02-14 17:30:07 | エコ
 バンクーバー冬季オリンピックが始まった。「冬」のスポーツには全く縁のない私は、さしたる興味はない。出場選手の顔にも見覚えがない。コマーシャルに何度も出てくる上村愛子、冬季出場4~5回の葛西、岡崎朋美ちゃん、そして妻が熱を上げているフィギュアの6人ぐらいしか知らない。
 が、4年に1回の大会。次のロシア、ソチの大会まで無事な体でいる自信がないので、開会式は家族と並んでテレビ(42型!)で見た。
 雪山を急滑走するビデオのあと、いきなり原住民の登場。にぎやかな衣装と激しい踊り。何が起こったのかと驚くばかり。彼らは開催場所に住んでいた原住民の子孫と、「ネィチブ」と呼ばれる欧州人との混血らしい。
 このところオリンピックには原住民の人たちを登場させることになっている。先のシドニーオリンピックでもアボリジニを登場させている。唐突で、取ってつけたような感じがする。けれども、アボジリニに子供が生まれると、アボジリニの教育を受けさせないために、親から引き離すのを止めたのはオリンピックの後だったと記憶している。
 今回、オリンピックの開会式に参加したのは、開催に同意した部族だけであったという。そのほかにもカナダ政府と折り合いの付いていない部族が数多くあるのだろう。
 アラスカやカナダのイヌイットの人たちが地球温暖化で生命の危機に瀕していることも忘れてはいけない。マスコミはメダルの勘定ばかりしていないで、オリンピックの光と影も映し出して欲しいものだ。
 私の予想?男女フィギュアが銀メダル各1個、男子スピードスケート500メートル銀1個。これでも良い予想の方だ!

はじめまして

朝日新聞、大分版で5年続いた「熊さんトリ小屋通信」は2008年3月で終わりました。1年の空白がありましたが、再びブログで再開します。ごぶさたしました。そして、始めまして。 私たち夫婦は相変わらず半島の片隅で800羽のトリと少しばかりの田畑を耕しています。二人の子供たちも家から仕事場に通っていて変化はありません。たった一つ変ったことと言えば、毛嫌いしていたパソコンの練習を私が始めたことぐらいでしょうか。  もともと都会に背を向けて生きてきておりますから「100年に1度の金融危機」には関係が無く(万年不景気と言えばそれまでですが…)、住む家と食べ物があり、自分の仕事があります。今更ながら、農家であることに感謝する毎日です。 あ~、重大なことを忘れていました。トリ小屋を守ってくれていた愛犬トランクスが2009年2月17日に亡くなりました。14歳と6か月私たちと暮らしました。動物でも人間でも命の重さに変わりはありません。一時は、立っても涙、座っても涙でした。あ~してやればよかった、こ~してやればよかったと反省の連続です。私が貰ってきた犬ですから、トリ飼いをしているのが見える場所に私が丁寧に埋めてやりました。彼は生きてそこに眠っていると思うことにしています。朝晩、「トラ君元気か」呼びかけています。(返事はしませんが…) 養鶏を取り巻く状況は1年前と少しも変わっていません。鳥インフルエンザの原因はいまだ不明だし、幾らか下がったとはいえエサ代は高騰したままです。燃料のガソリンも高止まりしています。世の中でもっとも悲惨な職業それは養鶏業だということは今も変わりません。  良寛は「死ぬ時に死ぬがよろし」と述べています。そこまでの「悟り」には至りませんが、自分で始めた仕事ですから、何かがあったとしても誰を恨むものではなく、自業自得と受け入れようと考えています。ありがたいことに日々の忙しさは全ての悩みを忘れさせてくれるのです。 「行けるところまで行こう」と始めた養鶏ももうすぐ30年になろうとしています。これから始めるブログは私と妻が日々の暮らし、その中で考えた思いを拙い言葉で綴ったものです。しばらくのお付き合いを…