goo blog サービス終了のお知らせ 

熊さんのトリ小屋通信

800羽のトリを飼いながら自給自足の農業をつづけている農家の日々の思いを綴ったもの

「霧の中から~」

2011-06-24 12:47:18 | エコ
 九重町の友人宅で鶏のえさを積み、野矢集落の出口を左折し飯田高原へと車を向けた。道の左には杉木立、右は巨大なミズナラとブナの原生林が続き、谷底に小さな川が流れている。樹層は、すでにこのあたりが阿蘇くじゅう国定公園の一部であることを教えてくれる。
 つづれ織りの道を2キロほど登っていくと、別府と阿蘇を結ぶ九州横断道路(通称 やまなみハイウェー)に到達する。そこを右折すると九重の牧ノ戸峠までは一本道。途中、農家の経営する青空市場が数軒。道は下りに入り、ドライブインを過ぎてしばらく行くと、突然、景色は開ける。右に草原、左には広い水田が広がる。正面には三俣山、後ろが星生山、右に平冶岳の九重連山群。生々しい噴煙が上がっているのが見える。飯田高原である。
 道は高原の真ん中を貫くように走り、10分ほどで登山口に着く。悪天候のためか客は少ない。県外ナンバーが5~6台。九重ビジターセンターの駐車場にトラックを止める。下界は梅雨の晴れ間だったが、このあたりは雨雲が残っていて今にも降り出しそうである。風はまだ冷たく春先の温度であった。荷台の飼料をビニールで覆い、ビジターセンターの横の階段を下りていく。
 小さな川を渡ると目の前には広い湿原が広がっている。木の歩道がかけられており、登山者はその上を歩く。夏浅いためか、草木は膝ほどの高さしか伸びてはいなかった。少し歩いたところで、いきなり、深い霧が襲ってきた。九重の山々も、その入り口であるビジターセンターも見えなくなった。当たりに人影もなく、私だけが霧の中に一人取り残された。幾らか不安はあったが山の入り口だけでもたどり着きたいと歩を進める。湿原が終わると、赤いコンクリートで舗装された狭い歩道に変わる。昨夜降った雨の為にところどころ冠水していたが運動靴が濡れるほどではなかった。
  山の中は薄暗く、夜の帳が下りていた。登山道には枯れた小枝が散乱し、微かにもののけの匂いがした。これ以上進むことはためらわれた。山中を50メート進んだところで踵を返し、元の木の歩道に戻った。まだガスが辺りを覆い、強い風が草木を揺すらせていた。半分ほど引き返したあたりで風の中から何かが聞こえた。歩を止め、耳を澄ますと、確かに湿原の中から探していた声が聞こえた。飼料を濡らしても聞きたかった声、カッコウの鳴き声だった…。

                     photo 「海からの霧に反応して水田から霧が…」

「ありがたきは助っ人」

2011-06-19 22:13:37 | エコ
 朝から雨。この機に乗じてわが夫婦と息子は水田の中に繰り出した。雨はとめどなく続き、水温はいつもの年より低かったが、ゴムの靴底を通じて感じる土の感触が懐かしい。いよいよ田植えである。
 米作りは春田のお越しから始まり、鶏糞の投入、畦草刈り、溝の掃除、荒代かき、仕上げと続く。また、捕植、水回り、草取り、畦草切りと、田植え後の作業は数限りない。田植えは米作り作業の一つにしか過ぎないが、息子が田植え機を動かしてくれるだけでも大助かり。「助っ人がいる」と考えるだけで夫婦の勇気もわいてくる。
 農薬を使わない我が家の稲作では、数ある作業の中でも除草作業が一番の難関である。できるだけ草の生えにくい水管理をし、株間は中耕除草器を押す。そして、残りは手作業…。年をとる度、夫婦の米作りは厳しさを増してきている。
 「地球環境を保全しろ」、「低エネルギー社会の実現を・・・」名のある運動家は評論する。しかし、それを実現するのはわれわれのような無名の実践家である。評論することはたやすいが、農薬を使わず米を作るのは口で言うほどたやすいことではない。般若信教を唱えながら?ひたすら中耕除草器を押して、押して、押し続ける以外にない!中耕除草期を押していると同級生が犬を連れて通る。「無理をするな。除草剤を一回やれば何もしなくていい」と言う。「今年までは頑張る」と答える。たしか去年も同じことを言った。
そんな我らにも「助っ人」が現れた。ことしから、環境保全型農業をするものに補助金が出る。1反につき、県が4000円、市町村が4000円。8000円である。わずかとはいえ種代にはなる。採用枠があるので該当するかどうかは分からないが申請だけはしておいた。
 『なんだ、お前、「東大の教授が東電から研究費をもらっているから原発事故の評価に手心を加えた・・・?」とかなんとか言っておきながら、自分も補助金に群がっているではないか』と怒られそうだが、もっとな批判である!誠に面目ない。が、私が要求したわけではない!相手がくれると言うので断らなかっただけである。もし、申請が無かったら、国東市には有機農家がなかったことになる。
 県の職員が申請の手助けをしてくれた。「農薬を使わないなら除草はどうするのですか?」、「生物農薬? それとも機械除草ですか?」と聞く。「手で取る」と答えると、「手~?」、「手、手、手~、項目がありません」という。「なぬ~、環境保全型農業に、手で草を取るが無いとはどういうことだ』と厳しく追及しょうとしたが、「手で取る」というのはあまりにも原始的でみじめに思われそうだったので、「一応、中耕除草器も押します」と答えると、「あ~、機械除草にマルですね」と落着。あれを機械と呼ぶかどうか不明だが、2000年代を生きる人間として認知されたようで心が安らぐ。
 有機農業は、主義として30年続けているのだから、拍手も賞賛も不要だし、補助金をくれないからといって不足を言うつもりはない。しかし、誰もが使っている農薬(熊本の菊池養生園の竹熊先生に言わせれば「農毒薬」)を私が使わないことで幾らかの命が助かっている。お国がそのことを評価し、「お前たちの苦労に少しだけ報いてやろう」と助っ人をよこすなら、有難く頂戴したい!?

                          photo 「威風堂々 ヒマワリ  」

「黒子で生きる」

2011-06-19 14:54:13 | エコ
 農協の通帳のデザインは子供が風呂で遊ぶ赤い金魚の絵であったが、「サザエさん」(長谷川町子さん原作)の漫画に変わった。JAはこれまでもマイカーローンや住宅ローンのコマーシャルにサザエさんの漫画を起用してきたので、通帳もこれに統一したようだ。
古い朝日新聞を見ると、長谷川さんの描く絵は今の漫画と異なり少々粗雑で汚い。が、風刺が効いていてオチも鋭い。現代放映中のテレビ漫画(残ったアシスタントが書いている?)は全体に顔が丸く、あくがない。話の中身も日々の暮らしをそのまま描いたもので、時世を批評するものではない。それはそれで面白いし、誰も「長谷川さんの作風とは違う」とか「産地偽装だ」と抗議する人はいないと思う。日本全国、誰が見ても、あれがサザエさんである。
 これだけの絵とストーリーを描けるなら、「黒子」などやらずに自分のオリジナルを書けばいいと思うが、サザエさん抜きに同じストーリーを描いても読者はつかないだろうし、テレビの放映も難しいだろう。サザエさんという登場人物を編み出したこと、そこに天才 長谷川町子さんの骨頂がある。アシスタント(この人にも名前があり、テレビの画面では製作者として名を連ねているはずだが、誰もその人を知らない)は自分のオリジナルは諦めて黒子に徹することで人生を終えることになる。そんな生き方もあるのだ。
 静岡のお茶が放射能の影響を受けて困っている。列島全てが放射能に汚染された。「新茶は放射能汚染が心配」という私のブログは残念ながら的中した。そのあおりを食って鹿児島のお茶農家が危機にひんしている。鹿児島県内で生産された荒茶の約7割は県外に出荷され、そのほとんどが静岡県内で加工され「静岡茶」として世に出ているという。
 鹿児島で生産されたお茶を静岡茶として売るのはどうかと思うが、口蹄疫で揺れた宮崎の子牛が近江牛や米沢牛に「変身」するのだから、鹿児島産の静岡茶もありなのかもしれない。こちらは産地偽称の批判が上がってもおかしくない。鹿児島にも「知覧茶」という名ブランドがあるのだが、静岡ブランドを借りて、黒子に徹したほうが利益につながるのだろう。
 「長谷川町子さんの描くサザエさんだったら福島原発を鋭く批評するだろうなあ~」と妻に問うと、「(サザエさんのテレビ放映のスポンサーが)東芝だから、書かないんじゃないの」と鋭い一言!
(注)東芝は原発企業。テレビ漫画サザエさんのスポンサーである。念の為(Just in case )

  (追伸) 6月18日の朝日beに長谷川町子作のサザエさんに放射能の事が書いていた。私の鋭い勘はまたしても的中した。さえわたった勘には自分ながら驚く。天才か?

                                                           photo 「ハマユウ」




「60の手習い」

2011-06-03 20:38:24 | エコ
 60の手習いで英語を始めた。振り返ると、50の手習いも英語であった。「必要は発明の母」というから、必要のないものは続かない。今回は娘たちの世界旅行に触発され「年金をためて世界旅行だ!トルコのバザールに行って怪しいランプを買いまくるぞ」という「純粋」な気持ちで再挑戦。もとい、再再再挑戦である。
 始めたと言っても先生に付くわけでもないし、学校に通うわけでもない。時々テキスト(たったの72パターンで こんなに話せる「英会話」 明日香出版社)を見ながらテキストに付属しているCDを車中で聞くだけである。「聞き流すだけで覚える」というコマーシャルもあるが、聞き流していては少しも残らない。学んだことをどこかで試すのがいいと思うが、田舎暮らしの身ではチャンスは限られている。
 卵を配達している学校には男の英語の教師が滞在している。この男は陽気な奴で、授業に行く時は背中にギターを背負っている。どうやら、ギターをかき鳴らしながら英語を教えているらしい。彼の教室から笑い声が聞こえるので生徒には人気があるのだろう。
 ある日学校に行くと、そいつが突っ伏して寝ている。こんな時に「おい、起きろ。こんなところで寝るんじゃねぇ~。てめぇ~、昨日の夜、遊びが過ぎたんじゃね~のかい?」と英語で話しかけたい(叩き起こしたい)のだが、最初の「おい」が出ない。誠に面目ない。(面目ないは I am sorry でよかったのかな?)
 発音はともかく、5W1Hは何とか記憶の底にあるのだが、聞いても頭に残らないのが「使える! パターン51」。「I'd like」(~をいただきたいのですが)、「I’d like to」(~したいです)、「Would you like~」(~はいかがですか?)、「Would you like to ~」(~されますか?)、「How about~?」(~はどう?)・・・。こんな相手を尊重した会話を忘れて「めし」、「ふろ」、「寝る」で過ごしてきたので、細かなニュアンスの違いにてこずっているのだ。己の頭から日本語の語彙が減ってきている。語彙が減っていることは思考回路も単純化してきているに違いない。そうだよね(isn't it ? ) 反省!
数日前に高校の同級生が他界した。心臓病らしい。人間、60を過ぎると何が起こるか分からない。英語は進まないし、トルコ旅行の費用がたまる前に寿命が尽きるかもしれない。生きているうちに、貰った年金を皆下ろし、うまいものでも食ったほうが I think that' a good idea.(良い案だと思うよ)。小森のおばちゃまだと「more better ね!」か?

                                                              photo 「鉄砲ユリ」
  
  

はじめまして

朝日新聞、大分版で5年続いた「熊さんトリ小屋通信」は2008年3月で終わりました。1年の空白がありましたが、再びブログで再開します。ごぶさたしました。そして、始めまして。 私たち夫婦は相変わらず半島の片隅で800羽のトリと少しばかりの田畑を耕しています。二人の子供たちも家から仕事場に通っていて変化はありません。たった一つ変ったことと言えば、毛嫌いしていたパソコンの練習を私が始めたことぐらいでしょうか。  もともと都会に背を向けて生きてきておりますから「100年に1度の金融危機」には関係が無く(万年不景気と言えばそれまでですが…)、住む家と食べ物があり、自分の仕事があります。今更ながら、農家であることに感謝する毎日です。 あ~、重大なことを忘れていました。トリ小屋を守ってくれていた愛犬トランクスが2009年2月17日に亡くなりました。14歳と6か月私たちと暮らしました。動物でも人間でも命の重さに変わりはありません。一時は、立っても涙、座っても涙でした。あ~してやればよかった、こ~してやればよかったと反省の連続です。私が貰ってきた犬ですから、トリ飼いをしているのが見える場所に私が丁寧に埋めてやりました。彼は生きてそこに眠っていると思うことにしています。朝晩、「トラ君元気か」呼びかけています。(返事はしませんが…) 養鶏を取り巻く状況は1年前と少しも変わっていません。鳥インフルエンザの原因はいまだ不明だし、幾らか下がったとはいえエサ代は高騰したままです。燃料のガソリンも高止まりしています。世の中でもっとも悲惨な職業それは養鶏業だということは今も変わりません。  良寛は「死ぬ時に死ぬがよろし」と述べています。そこまでの「悟り」には至りませんが、自分で始めた仕事ですから、何かがあったとしても誰を恨むものではなく、自業自得と受け入れようと考えています。ありがたいことに日々の忙しさは全ての悩みを忘れさせてくれるのです。 「行けるところまで行こう」と始めた養鶏ももうすぐ30年になろうとしています。これから始めるブログは私と妻が日々の暮らし、その中で考えた思いを拙い言葉で綴ったものです。しばらくのお付き合いを…