とんとんのヒトリゴト

のんびり成長中のムスメの成長記録と趣味や日々の徒然話など。

マタニティブルーの悲劇 その1

2005-10-04 | 子育て
ぶーちゃんが生まれてすぐの写真は、何故かほとんどがぼやけている。笑っちゃうよね~相方が撮影したんだけれど、至近距離で撮っているくせにズームを多用した結果こんな風にぼけた写真がたくさん出来上がってしまったんですよ。
生まれたての一番カワイイ写真がこれ・・・と言う事も確かに切ない。
が、私にとってこの写真はそれ以上にあの死ぬほど苦しかったマタニティブルーの記憶と結びついていく。
白い蛍光灯、突き抜けるような青空、乾ついた景色、そして止まってしまった時間。
あの時のぶーちゃんの顔を私は今でもよく思い出せない。

私のマタニティライフはそりゃ~充実したものだった。
つわりもほとんどなく、特に問題になるような症状も出なかった。お陰で仕事も9ヶ月になるくらいまでは続けて、気が付いたらあっという間に出産が終わっていたと言うような状態だ。
今となって思えばそれがいけなかった。私は仕事にかまけて母親学級もほとんど行かず、本だけを頼りに出産準備をやっていた。自分なりには子供が生まれる事を楽しみにしていたけれど、でも現実に子供を持つと言う事の大変さと苦労を私は全然考えていなかったのだ。上っ面の知識に、大変だろうけれど楽しい生活がやってくるという曖昧な感覚。
それが後になって大きなしっぺ返しとなって私に襲ってきたのだ。

きっかけは産院での出来事だった。
私は里帰り出産をしていたので、途中で産院を変わっている。そこを選んだ理由は単に近所のおばさんたちの評判が良かったからでした。母乳育児を推進していて、よほどの事が無い限り自然分娩をさせてくれる。まぁ、その程度の話だったのですが、たまたま私が家の近所で通っていた病院もそういうタイプの病院だったので、私は迷わずそこに決めていた。
で、話はとんで予定日当日。夜中に前駆破水した私は、とりあえず産院に連絡をとった。
陣痛はまだだけど、破水が始まったんだけれどどうしたらいいか・・・そう訪ねると
「今来てもらっても混んでいているところ無いから、陣痛が10分間隔になるまで家にいてください。」
とあっさり言われておしまい。
まぁ、行っても居場所がなければなぁって思いつつ部屋で様子を見ることにしたのだが、これがなんと!その後たった一時間のうちに私の陣痛の間隔は10分をきってしまったのだ。
そこで慌てて連絡を取ると、しぶしぶ(といった感じで)「じゃ、とりあえず来てください」といわれた。

親の車でとりあえず病院に駆けつけて、夜間入り口のインターホンを鳴らす。
が、誰も出てきてくれない。もう笑えないほど陣痛の間隔が短くなっていた私は立って待つことも出来なくなっていて、道端に座り込んでいた。すると、ようやく助産婦さんが出てきてくれた。
あぁ・・・よかった。そう思った私がよろよろと助産婦さんの手を借りて歩こうとした・・・が、やっぱり痛くて歩けない。ぴたりと足が止まった瞬間、「痛みの無い時に歩けるでしょ!」と一喝された。
ぶつぶつ忙しいだのなんだの病院の文句を言っている助産婦さんの横で、私は涙が出そうだった。
助産婦さんの言っていることは分かるんだけれど、痛みの無い時なんて本当にその時無かったのだ。ずーっとずーっと痛くて仕方なかったけれど、それでも必至についていった。
準備を始めようと着替えをすると既に出血も始まっている。先生が来て内診を始めたところ、すでに私の子宮口は全開になっていた。
「あぁ、もうすぐ生まれちゃうから、この人先に分娩台にあげて」
その先生の言葉に、またあの怖い(もうその時点では私の中では確定していた)助産婦さんに連れられて分娩室へ。移動中、あちこちで陣痛に耐える人が見える。陣痛室が一杯なのだろう・・・待合室で家族で待っている姿まで見えている。その上、分娩室に行ったら、私より先に分娩台に上がっていた人が下ろされているじゃないですか!わたしもう目が点。結局その方はまた陣痛室に戻り、私は一人分娩台に上がった。
やれやれ・・・と思ったのもつかの間だった。いきなり酸素チューブを鼻に入れられ、お腹にセンサーをつけた状態のまま「もう少し待つから」と言い残して先生も助産婦さんもまたいなくなってしまったのだ。
付いてきた母は分娩室に入れずそのまま外で待機。相方は東京にいるので当然立ち会う訳でもなく。広い分娩室に私は一人取り残された。
真夜中だし、忙しいし、仕方がないとは思う。
でも正直言って、そこにいたのは見たこともない先生と、見たことの無いおっかない文句ばっかりいう助産婦さん。
ただでさえ初産で緊張しまくりなのに、何の説明もなく常に1人にされつづけた事が、私にはどうにも理解できなかった。
たくさんを望んでいたわけではない。でも、あまりの理不尽さに私は一抹の不安を覚えたのだ。

そんな事を考えつつも出産の方は順調に進み、結局破水してたった3時間で私はぶーちゃんを出産した。初産とは思えない超ハイスピードな出産劇。そして取り上げられたぶーちゃんが助産婦さんに抱かれて私の近くにやってきた。

51センチになんと3500グラムとの事。大きいとはいうが、とても小さい我が子。
細い手足に頭がちょこんと乗っている。・・・それにしても一生懸命泣いてるなぁ・・・。
ついさっきまでお腹の中に入っていたなんて信じらんない!!
あ!目が開いた!!
すごーい!!二重だ。・・・目がでかいぞ!!パパにそっくりかも・・・。
なんだか取り留めのない事柄が頭の中をぐるぐる回って・・・そしてあっという間に初対面終了。
気が付けば、一度も抱くことなくぶーちゃんは新生児室につれられてしまった。
そして私は廊下で待っていた母とちょっと立ち話をして、また一人よろよろしたまま移動する事に。
母とはちなみにそこでさようなら。向った先はなんと陣痛室。それはなぜかといわれれば、病室が一杯で何処も開いていないからだったのだ!
これがね~恥ずかしかった。ふんふん苦しんでいる人の横で出産終了した私が一人いるんですよ。
しかも、横になった私の隣にいたのは私が分娩台を引き摺り下ろした方で・・・ますます申し訳ない。
申し訳ない上に、あの助産婦さんがかりかりその妊婦さんを怒ってるんですよ。その怒り方がまた癇に障る。
どうもその妊婦さんは微弱陣痛で3日前から入院しているらしいんですが、
「あなたもね、この人(私を指して)みたいに痛みをちゃんと我慢してから分娩台に上がればすぐなのよ!」なんていうんですよ!!もーね。呆れました。確かにその方は痛みにちょっと敏感だったのかもしれないし、手馴れている助産婦さんにしてみれば甘ったれに見えるのかもしれない。でも、今この辛い時にそんな言葉吐きかけなくたっていいじゃないの~って(涙)
小さく「すみません・・・」と答えた彼女が本当に可哀想で仕方ありませんでした。

それから2時間後、私は病室・・・ではなく、簡易ベットが突っ込まれた処置室に移動してそこでようやく休息を得る事が出来たのです。でも、後出産の痛みや、怒鳴られた声やイライラしたオーラのせいか、私は全然眠る事ができなかった。
そう、この時私は出産の喜びなんて何一つ感じていなかったのだ。
出産の喜びを分かち合う人もいない、痛みを和らげるための腕も無い。ただ一人暗い部屋の中で私は漠然とした不安に襲われていた。そしてその不安は翌日から現実のものとなるのだ。
その後入院していた5日間は、私にとって本当に地獄のような日々だった。

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