一葉の『たけくらべ』
読了。
句点がほとんどなくて
カギカッコもない、口文がまだ一致していない時代に書かれた小説。
詳しい人のお話だと、唄を聞くようなリズミカルさが持ち味、な一葉の文。
「唄」って言っても、昔の唄ですからね・・・キツイかなあ?と思いつつ読んでみたら・・・
案外ちゃんと読めました。
すっかり現代語訳されているものも、でてるのですが、
文中に「ぶちきれた」とかでてくるのは、どうよ?と思い、
江戸と明治の情緒を味わっているとこに、いきなり「平成」言語が挟まってくるのも、
なんかしらけそうなので、ほぼほぼ「原文ママ」の松浦理英子訳で挑戦、してみた。
そもそも文学作品とか、別に興味はないんです。
でも『たけくらべ』は
そのうち、読んでみたいなあ・・・くらいには思っていたのです。
その訳。
子どものころ母方の親戚で集まると、時々聞かされていたのです。
『たけくらべ』と「美登利さん」という名。
「うちのおばあちゃんは、『たけくらべ』の美登利さんなのよ!」と。
うちの母方の家系図、公開。
苗字とか兄弟の名は伏せます。個人情報ならぬ、故人情報。
もちろん、うちの祖母は美登利さんじゃなく、
高祖母の名が、一字違いの登利さん・・・
だから美登利さんなの!・・・て訳ではなくて、
この登利さんの次の代、
私にとって曽祖父母(ていさんと福松さん)の稼業がなんと、
「置屋」だった!らしいのです。
場所は新吉原に近い浅草のどっか。
『たけくらべ』の舞台にほぼ近い界隈といってもよいでしょう・・・時代は少し後になるか?
(この地図の見切れた下に浅草浅草寺)
「お歯ぐろ溝」に囲まれた吉原遊郭の敷地が、はっきりわかる地図です。
見返り柳-11や、信如のいた竜泉寺-1、(住所も「竜泉」なのですね・・・)
一葉旧居跡-10 (でも一葉がここに住んだのは、一年ちょっと。)
もう、生々しいくらい、『たけくらべ』の町!であることがわかります。
作中、美登利家の説明に、姉は花魁、両親(義両親?)は吉原近くで芸妓たちのお世話をしている、
とか説明があって、これは多分「置屋」のことなんだろうな?と思います。
曽祖父母の稼業と、そこで生まれた私の祖母。
育った環境はまさにこれ、美登利さんなのです。
伯母たちがこじつけたくなるのも、ちょっとわかります。
売れっ子花魁の妹で、その美貌と才を買われて「遊郭入り」が決まっていた美登利さん・・・
幸か不幸か、祖母はそんな運命にはありませんでしたが。
その後の我が家のヒストリー
曽祖父が亡くなったためか、
浅草での地代に困ったかで、
宿場街だった現板橋区の仲宿に移転。
曾祖母、祖母や母の戸籍があったので、同じ稼業をしてたのか?は不明。
多分、時代的に「置屋」は廃業に追い込まれていたでしょう。
母が生まれた頃は、もう戦争が始まっていました。
「置屋」の曽祖母ていさんが、戦後間もなく没しています。