萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

葉月十九日、胡瓜ーrefined germination

2020-08-19 20:26:03 | 創作短編:日花物語連作
粋、辛苦にこそ、 
8月19日誕生花キュウリ


葉月十九日、胡瓜ーrefined germination

港の波しずかに空映る、青深く八月の藍。
つたう汗ぬぐう風、やわらかに潮が熱い。

「よっーぅ…」

腕つきあげ背骨を伸ばす、屈まった腰ぐっと反らされる。
そのまま肩ぐるり回して潮が匂う、その指まとう白い粒子と皺に微笑んだ。

―あーあ、オヤジの手と似てきたなあ?

ぱん、掌はたいて懐かしくなる。
もう死なれて何年になるだろう?数える年月と網を畳む。

『自分の手で繕うからいいんだ、命をもらう礼儀だな、』

網ふれるたび聞こえる、父の声。
ただの記憶だろう、けれど網目ごと籠められる。
こんなふう父も背を屈め手入れした、あの背中に自分もすこし成れたろうか?

―なーんて俺が考えるなんてなあ…俺も親父になったせいか?

心裡ひとり笑いたくなる、こんな今があるなんて?
こんなこと35年前は思いもつかなかった、だから思う、生きることも面白い。

「よぉーいせっ、」

網を持ちあげて、腰ぐっと張る。
いつもの場所へ納めて、一息ほっと呼ばれた。

「ありゃ?坂もっちゃん、今日は一人だったか?」

どうしたんだ?そんなトーンが隣船から訊いてくる。
口の中ひそかに舌打ちして、昔馴染みに口曲げた。

「ひとりで充分だ、」
「あははっ、アレだけ穫れてりゃ充分かもなあ?」

からから明るい眼が笑ってくれる。
からり屈託ない幼馴染に、ため息つい吐いた。

「あのな…ウチの悪タレ見てねえか?」

つい訊いてしまう、ただ心配で。
あの息子が今日は漁に出なかった、なぜ?

「タカちゃんかい、今朝は見てねえなあ…船もあるな?」

赤銅色の顔かしげて、大きな眼ぱちり瞬かす。
いつもの考える貌しばし、節くれた指ばちり鳴らした。

「おうよ、昨夜なら見たぞお?」
「どこでだ?」

すぐ訊き返して、つい舌打ちしたくなる。
こうも気にするのは恥ずかしいだろう?けれど友だちは言ってくれた。

「ここだよ、夜釣りのとき見たぞ?バイク乗ってたなあ、」

そんな時間にバイク?
あいつ何やってるんだ、唇そっと噛んで尋ねた。

「あの悪タレ、どんな感じだった?」
「なあんか張りつめたカンジだったよ、おまえさんケンカでもしたか?」

だから今日は一人なんだろう?
そんな視線にタメ息ひとつ、呼ばれた。

「お父さぁーん、」

澄んだ声が海風を透ける。
やわらかい呼び声に、つい破顔して応えた。

「とよぉー!船にいるぞおーっ、どおーしたあ、」

娘を呼んで唇くすぐったい。
どうしてこんなに弱いのだろう?ふり向いた先、白一点あざやかに駆けて来た。

「おとぉーさんっ、せんせーが、お話あるって!」

パンツのびやかな脚あざやかに駆けて、白衣姿が息を吐く。
娘が「先生」と呼ぶのは?意味と様子に船から跳んだ。

「どうした!タカになんかあったか?!」

だから今朝、今、息子はここにいない?
張りつめた視界の真中、ナース服のまま娘が笑った。

「あははっ、なんでタカちゃんのことって思うの?」

ころころ可愛い瞳が笑いだす、細めた眼つい可愛くて笑いたくなる。
けれど事態に呑みこんで、勤め先そのまま来た娘に言った。

「あいつ漁にも来なかったんだ、変だと思うだろが?」
「そうよねえ、あの釣りバカちゃんがねえ?」

長い睫ぱちり肯いてくれる、この仕草は妻ゆずりだ。
そしてマイペースなのも妻と似ている、いつもの温度差に尋ねた。

「なあ豊子、それで先生は何の御用なんだ?」
「まあ、タカちゃんのことでもあるよ?お昼休みのうちに早く来てね。鈴木のおじさーん、お話し中にすみませんでしたー、」

頭ぺこり下げて踵返して、まとめた黒髪ふわり海風が梳く。
もう行ってしまうんだ?いつもながらの娘に幼馴染が笑った。

「いい子だなあ、トヨちゃん。かわいくって仕方ねえだろ?」
「おうよ、」

つい肯定して、ほら気恥ずかしい。
こんなに子煩悩な自分だ?自覚にまた言われた。

「なあ、トヨちゃんはお相手いるのかい?いい年ごろだろ?」

いちばん嫌な質問だな?
舌打ちひとつ、けれど向き直った。

「豊子はしっかりした娘だ、」

あの娘を信じている、それだけ立派な人間だ。
想い陸から見あげた先、船上の幼馴染は笑った。

「そのとおりだよ、坂もっちゃん。タカちゃんもシッカリしたもんだぞー?大丈夫だ、」

塩辛声ほころばせて、右手ひらひら振ってくれる。
言われた言葉ほっと一息、右手ふり返した。

「ありがとよ、」

礼一言、踵返して歩きだす。
歩く港を潮あまく辛い、この風を息子は飽きず喜ぶ。

『いい風だなあ、なあオヤジー、海の神サン笑ってくれてるなあ、』

笑って笑って、底抜けに明るい瞳。
あの眼どれだけ愛しいか、なんて言えるわけがない。

―こっぱずかしすぎんだよなあ俺も、息子で下の子なダケになあ?

第一子ならまた違ったかもしれない。
けれど「下の子」で、また可愛かった。

―アレがあんな逞しくなっちまうとはなあ…まあ、やんちゃ坊主は変わらんがなあ?

生まれた日、元気な息子だと、後継ぎができたと嬉しかった。
笑った日、あんまり明るい笑顔まぶしくて可愛くて嬉しかった。
あれから大人になって今もう三十、髭も生えるオッサンだ。

―オッサンなんだよなあ、あいつも三十…って、あいつが生まれた齢じゃないか?

息子の年齢と昔の自分、重ねた潮風そっと目に沁みる。
もう自分が二児の父だった齢、それなのになぜ今こんなに心配するのだろう?

「…なあ、オヤジはどうだったよ?」

ひとり父に語りかけてしまう、今、話したい。
こんな時こんな自分に父は何を言ってくれるだろう?
もっと話しておけば良かった、いまさらの後悔に潮が薫る。

「お…いい風だ、」

辛い甘い、けれど涼やかに額なぶる。
海から背をぬける風、登る坂道の肩を推して門をくぐった。

「おっ、」

広がる空、海はるかに町を見る。
庭木立ゆらす風なびく、夏の花ゆれて光る。

―すみちゃんが生きてたころと変わらねえなあ…大事にされてる庭だ、

丘の上の診療所、庭あふれる花と緑。
ささやかな菜園には夏野菜が実り花つける、地味なようで、そのくせ爽やかな黄色まぶしい。
きれいなだけじゃない実ある庭、そんな変わらない風光は穏やかで、懐かしさ見つめるまま呼ばれた。

「すまんなあ坂本さん、来ていただいて、」

野太い声おおらかに呼んで、診療所の扉が開く。
作業着の衿もと正して、昔馴染みの医師に頭下げた。

「娘から息子のことでと聞きました、何かご迷惑を?」

何を言われるのだろう?
胃の腑から迫りあげる、こんな異常事態おぼつかない。
見つめる地面のぼらす熱の中、医師の声が笑ってくれた。

「迷惑とかありませんよ?」
「じゃあ先生、アイツどっか悪いんですか?」

頭上げて訊ねて、肺ぎしり痛くなる。
自分の方こそ「どっか悪い」かもしれない?けれど医師の瞳ほころんだ。

「健康そのものですよ、今朝も元気に東京のパンを買ってきてくれました、」

なんだそれ?
安堵がっくり肩から抜けて、笑ってしまった。

「あいつ、東京に行ってパン買ってきたんですか?あの悪タレは、」
「おいしかったですよ?ごちそうさまでした、」

野太い声ほがらかに答えてくれる。
どこにも暗さは無い、そんな貌が笑ってくれた。

「心配させてすみません、ほんとうに息子さんが大事なんですね?」

ああカッコつかないな?
見せてしまった姿に困って、けれど我ながら可笑しくて笑った。

「コッチこそすみません、バカなとこ見せて。三十の息子にこんなのはカッコつかないですね?」
「親なら当たり前ですよ、でしょう?」

穏やかな瞳が笑ってくれる、その言葉に息つける。
こんなふう言えるあたり、この医師には適わない。

―あいかわらずカッコいい先生だよなあ、幾つになってもさ?

この医師がこの町に来た、あの日から想うこと。
あれから四十年近く経って、あの日より深くなった瞳が微笑んだ。

「なあ坂本さん、親なら当たり前だと言えることは幸せですよ。けれど、言ってあげられない子どもさんもいます、」

このことか?
言われた言葉に息子と、その隣にいた顔すぐ浮かぶ。

「先生、あの子と息子に何かあったんですか?」

浮かんだまま声になる、答えが組まれだす。
息子の「なぜ」その答え。

“夜釣りのとき見たぞ?バイク乗ってたなあ”
“なあんか張りつめたカンジだったよ”
“東京のパンを買ってきてくれました”

そして息子は今朝、漁に出なかった。
そんな行動の理由たぶん唯一つだ、推定に医師が肯いた。

「息子さんは救ったんですよ、坂本さんも助け船を出してくれますか?」

助け舟、そんな喩えこの自分に言うんだな?
感想つい可笑しくて、自分のまま笑った。

「先生、漁師なら当たり前だろ?」


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