萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

葉月十日、 留紅草―maternal affection

2020-08-11 22:59:00 | 創作短編:日花物語連作
祈る、ただ君の笑顔を 
8月10日誕生花 留紅草ルコウソウ(縷紅草)


葉月十日、 留紅草―maternal affection

初嵐、なんて難しい言葉はわからないけど。

「たーだーいまーっ、」

ほら?悪戯小僧が帰ってきた。
もう高くなる陽きらめく垣根、朱い花ごし呼びこんだ。

「おかーえーりー、どーこでナーニしてたのお?おとーさん怒ってたわよおー」

本当に怒っていたな?
夫の顔つい思い出しながら、洗ったシーツぱんと叩いて息子が笑った。

「あははーそりゃーオヤジ怒っちゃうだろなあ」
「あらまあーまあったく懲りてないわねーアンタ?」

呆れ半分もひとつパタン、シーツ叩いて笑いたくなる。
こんなに呑気な息子、それでも漁師の腕がいいのは不思議だ?

―やっぱり海に愛されているのかしら?ねえ、

こんなこと息子に言えば夫は「調子に乗る」と怒るだろう?
つい可笑しくて笑ったシーツ越し、低い綺麗な声が言った。

「あの、俺のせいなんです、ごめんなさい…おばさん?」

聞きなれない声、
けれど懐かしいようで、シーツの影から日向に出た。

「なーぜ謝るのー?あらぁ…」

声そっと息をのむ、予想外で。
けれど本当は解っていたかもしれない、納得ふわり笑った。

「まあまあ、おかえりなさい、すーっかりイイ男になっちゃったわねえ?ごはん食べていきなさいよ、ね?」

ほら昔のまま言葉あふれる、この子だから。
懐かしい顔に笑いかけて、かたわらの籠を手に息子を小突いた。

「ほらほら、アンタちょっと畑で野菜とっといで、今日は魚獲ってこないんだからねえ?」
「うわーソレ反論できねえー」

日焼けほころばせ息子が笑う、健やかだ。
でも瞳深く何か抱いている、その理由は隣の青年だろう?

「しっかり働いて食べるのがイチバンでしょお、シッカリ畑やっといで。おいしーものいっぱい、こさえてあげるわよお?」

息子の腕ぽかり叩いて、隣の青年の腕そっと敲く。
パーカー透ける肌どこか儚くて、哀しさ呑みこみ笑いかけた。

「アンタたち、朝ごはんはどーしたの?こーんな時間じゃスーパーもまだ開いてなかったでしょー?」

朝9時半、今、やっと開店時間だ?
それでも朝には高い陽射しの庭、日焼け健やかな息子が言った。

「せんせーんトコでパンとコーヒー食ったよ、診療所のせんせーんち、」
「あらまあ、まあ?オジャマしちゃったの?」

呆れて相槌うって、今、さわったばかりの感覚が心臓つかむ。
今ふれたパーカーの腕は?鼓動きしんで声が出た。

「シュッとしていいけどねえ、痩せすぎじゃあない?」

腕もう前に出る、てのひら青年の腕つかむ。
パーカー越し触れる肌どこか儚い、弱い、喉せりあげ声あふれた。

「ごはんちゃんと食べてないんでしょお?ウチで食べなさいな、毎日いらっしゃい、」

おせっかいだ?それでも声あふれてしまう、放りだせない。
だって今ここで自分が放りだしたら、この青年は、この子は、おふくろの味どこで食べられる?

「毎日なんて…申し訳ないです、そんな、」

ほら遠慮する、こういう子だ。
だから今こうして息子は連れてきた、その想い自分のまま微笑んだ。

「なーにが申し訳ないのお?いいーんだから食べなさいよお、毎日いらっしゃいな?」

いつだって来て良い、ずっと居ればいい。
想いあふれだすまま儚い腕つかんで、見あげて、ただ愛しく笑った。

「遠慮なんかしないの、私にとっちゃ子どもなんだもの?」

ただ「子ども」だ、この青年も。
もう30年になる我が子の幼馴染、その瞳が長い睫ゆっくり瞬いた。

「こども…俺がですか?」
「そうよお、そこの悪ガキと同じなの。おせっかいごめんねえ?」

見あげて笑いかける真中、長い睫あわく光が燈る。
昔のまま見つめてくれる少年に、鼓動やわらかな痛みと微笑んだ。

「こーんなにイケメンになってもね、いくつになっても、私には子どもなの、ごはん食べさせたくなっちゃうのよお?ウチの子と変わんないの、」

笑いかけながら自分でも呆れる、おせっかい過ぎるだろう?
それでも放りだせない願い見あげて、背の高い大きな子どもに微笑んだ。

「おばちゃん何回でも、何日でも、ごはんこさえたげるわ。食べて?」

ほら?昔のまま声あふれてしまう、放りだせない。
腹を痛めた子ではない、それでも愛しい哀しい瞳が微笑んだ。

「そんなの…甘えすぎですよ、そんなの俺、」
「甘えていいの、」

答えて笑って、見つめる視線が高い。
こんなに背が高くなった、けれど澄んだままの瞳に微笑んだ。

「甘えて頼っていいのよお、甘えること知らないとねえ、誰かをホントに甘えさせてあげられないでしょう?ほんとに優しい人になるなら必要よお?」

甘えられない、そんな家庭環境に彼は育った。
その事情どの家もこの町なら知っている、私も知っていた。
それでも差し伸べきれなかった手を今、この今どうしても掴まえたくて笑った。

「わたしはねえ、ウンと優しいひとが好きなのよ?だから甘えときなさいな、ごはん食べて?ウチにおいで?」

笑いかけて腕つかんで、こんなのお節介だと解っている。
それでも離せない放りだせない、ただ差し伸べたい願いに彼が微笑んだ。

「ありがとうございます、甘えさせてください、」

きれいな笑顔そっと、頭さげてくれる。
パーカーの背は高くなった、それでも変わらない寂しさに潮風ほろ甘い。

―ほんとに独りだったのね、ずっと…家すら消えて、

彼の家は消えた、この町から。
消える前から寂しい眼だった、今は大人びて、なおさら疲れた貌。
それでもどうか健やかに、ただ願い笑った。

「はい、ウンと甘えなさいよお?私も甘えるからねえ、野菜ちょっと採ってきてね?暑いからコレ首に巻いときなさい、」
「ありがとうございます、」

笑ってタオル手渡して、澄んだ瞳も笑ってくれる。
すこし明るんだ眼に陽が射して、息子が呼んだ。

「じゃーかあさん、俺ら草むしりもしてくんなー明日は海に出っからさあ、」
「はい、ありがとねーいってらっしゃいなー」

笑いかけ手を振って、畑へ送りだす。
いつもながら息子の横顔は日焼たくましい、ただ成長に微笑んだ。

「やるわねえ、ウチの悪ガキも?」

夜、眠る瞬間に聞こえたエンジン音。
あのときから本当は解っていた、二人こんなふう帰ってくること。

―あの子を迎えに行ったのねえ、やっぱり…

どこへ行くのだろう?とは思わなかった。
ただ予感が微笑んだ、ただ「そうなのだ」と思えてしまった。
それくらい哀しい孤独で、それでも今ここで、海の町で彼が笑う。

「あらまあまあ、いい顔してるわ?」

強い風が吹く、海から押し寄せ髪なぶる。
あの子たちの髪なぶられ梳かれ、黒に茶色にきらきら光る。
それだけ強い向い風、それだけ髪きらめいて艶めいて、けれど願ってしまう。

「もっと明日はいい風ねえ…きっと、」

どうぞ風、穏やかに吹きよせて?
あの子たちの背を押して、ただ笑顔の時へ運んで。
ただ幸せの海へ吹きよせ運んで、愛し子たちに吹く風は。
初嵐:秋のはじめの強い風、陰暦七月末~八月中旬ごろまでに吹く風


留紅草:ルコウソウ、別表記「縷紅草」花言葉「世話好き、おせっかい、元気、常に愛らしい、繊細な愛」

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