時雨、夏の訪い告ぐ
May,水張月の森―万葉集×Ben Jonson
青山の 石垣沼の水隠りに 戀や度らむ 逢ふ縁を無み 詠人知らず
青く繁らす山深く、
堅く垣廻らせる水のように、密やかに隠れる想い人よ
秘めたままにも想うあなたに、戀に慕うまま逢いに行こう
逢瀬の想い伝える術も無いけれど、深く堅い縁を辿り逢いに行くよ?
毎度の『万葉集』巻十一に掲載の歌です。
物に想い寄せた歌としかありませんが相聞歌、コレは恋歌になります。
今日は近場の里山に登って来たんですけどね、ちょうど歌の感じな場所でした。
山の天辺を越えた所に小さな池があってね。
濁った水を湛えて石廻らす1m四方程度、それでも枯れた事が無いのだとか。
透明では無い水は底の深さも隠すようで、秘密めくまま佇む池は古歌の石垣沼を想わせました。
でもその池ってね、実は城址の山池なので由来書きは猛々しいんですよね、笑
池水の白濁は刀を研ぎ洗った研磨の屑が残る為、なんて書いてありました。
だけど、大切な飲み水でもあったそうです。
もしかしたら、水汲みに来た侍女と刀研ぎの武士が池の畔で恋墜ちたかもしれない?笑
そんな物語を想わせるように、朝の雨ふる山には夏椿ふたつ寄りそって咲いたことは印象的です。
A lily of a day
Is fairer far in May,
Although it fall and die that night―
It was the plant and flower of Light.
In small proportions we just beauties see:
And in short measures life may perfect be.
ただ一日の百合は
初夏のなか遥かに美しい
たとえ夜に枯れ落ちる命としても、
それは草木の命、そして光輝の花
小さな調和に端整な美しさを見る、
そして短い旋律たちには完璧なる命が謳う
Ben Jonson「It is not growing like a tree」
イギリスの詩人ベン・ジョンソンによる作詩です。
この詩は邦題「人間の成長」とされています、が、原題は「大樹に育つよりも」って感じかなあと。
コレ、上述の引用部分より前は「樹齢3百年の樫の木が倒木するように、図体ばっかデカくなるなよ?」とあります。
日本の諺で言うならば、独活の大木よりも山椒は小粒でも辛いを目指せ、ってコトでしょうね。
詩中の「May」は5月と訳す事が一般的だと思います。
が、英語の「May」が指す時期は=5月中旬~6月中旬の初夏です。
だから邦訳する月名を考えるなら旧暦五月「皐月」が相応しいのかなと。
この詩でも「May」の「lily」が出てきますが、百合は初夏から夏の花です。
日本では西暦5月から6月の梅雨頃までが初夏、そして百合が咲きだすのは早くて6月になります。
そう考えると「It is not growing like a tree」は今この季節を謳う詩だなって想ったので、ちょっと引用してみました。
で、今日歩いた山にも百合は蕾を見せていたので↓コンナ写真を撮りました。
また咲く頃に登ってみたいですね、笑
下の写真↓はいわゆる木苺だろうと。
他にも野苺と蛇苺を今日の山で見ました。
神奈川西部から静岡東部は5月から6月が苺のシーズンなんですけど、懐かしくなります。
田舎の持山ではね、5月になると山には野苺の赤い色が緑に映えるんですよね。
それを採って食べてたなって懐かしくなる、アレ結構美味しいから。笑い
どんな味かっていうと、甘酸っぱい味は市販の苺と似ています。
ただ香が違うんですよね、口に入れると薔薇と同じ香がふわってなります。
で、木苺はどんなかっていうと甘いです、が、核の芯みたいなとこ食べるといがらっぽい、笑
たぶん酵素が強いのかな?舌や口内の痺れる感覚に粘膜が攻撃されて、痛かった記憶があります。
昨日UPの「払暁の月2」
それから「慈雨の光― Introduction act.1, Aesculapius」は加筆校正が終わりました。
第66話「光芒4」はもう少し書き足したりなんだりします、で、短編一本UPしようかなって予定です。
取り急ぎ、
6月の写真(2013)ブログトーナメント
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May,水張月の森―万葉集×Ben Jonson
青山の 石垣沼の水隠りに 戀や度らむ 逢ふ縁を無み 詠人知らず
青く繁らす山深く、
堅く垣廻らせる水のように、密やかに隠れる想い人よ
秘めたままにも想うあなたに、戀に慕うまま逢いに行こう
逢瀬の想い伝える術も無いけれど、深く堅い縁を辿り逢いに行くよ?
毎度の『万葉集』巻十一に掲載の歌です。
物に想い寄せた歌としかありませんが相聞歌、コレは恋歌になります。
今日は近場の里山に登って来たんですけどね、ちょうど歌の感じな場所でした。
山の天辺を越えた所に小さな池があってね。
濁った水を湛えて石廻らす1m四方程度、それでも枯れた事が無いのだとか。
透明では無い水は底の深さも隠すようで、秘密めくまま佇む池は古歌の石垣沼を想わせました。
でもその池ってね、実は城址の山池なので由来書きは猛々しいんですよね、笑
池水の白濁は刀を研ぎ洗った研磨の屑が残る為、なんて書いてありました。
だけど、大切な飲み水でもあったそうです。
もしかしたら、水汲みに来た侍女と刀研ぎの武士が池の畔で恋墜ちたかもしれない?笑
そんな物語を想わせるように、朝の雨ふる山には夏椿ふたつ寄りそって咲いたことは印象的です。
A lily of a day
Is fairer far in May,
Although it fall and die that night―
It was the plant and flower of Light.
In small proportions we just beauties see:
And in short measures life may perfect be.
ただ一日の百合は
初夏のなか遥かに美しい
たとえ夜に枯れ落ちる命としても、
それは草木の命、そして光輝の花
小さな調和に端整な美しさを見る、
そして短い旋律たちには完璧なる命が謳う
Ben Jonson「It is not growing like a tree」
イギリスの詩人ベン・ジョンソンによる作詩です。
この詩は邦題「人間の成長」とされています、が、原題は「大樹に育つよりも」って感じかなあと。
コレ、上述の引用部分より前は「樹齢3百年の樫の木が倒木するように、図体ばっかデカくなるなよ?」とあります。
日本の諺で言うならば、独活の大木よりも山椒は小粒でも辛いを目指せ、ってコトでしょうね。
詩中の「May」は5月と訳す事が一般的だと思います。
が、英語の「May」が指す時期は=5月中旬~6月中旬の初夏です。
だから邦訳する月名を考えるなら旧暦五月「皐月」が相応しいのかなと。
この詩でも「May」の「lily」が出てきますが、百合は初夏から夏の花です。
日本では西暦5月から6月の梅雨頃までが初夏、そして百合が咲きだすのは早くて6月になります。
そう考えると「It is not growing like a tree」は今この季節を謳う詩だなって想ったので、ちょっと引用してみました。
で、今日歩いた山にも百合は蕾を見せていたので↓コンナ写真を撮りました。
また咲く頃に登ってみたいですね、笑
下の写真↓はいわゆる木苺だろうと。
他にも野苺と蛇苺を今日の山で見ました。
神奈川西部から静岡東部は5月から6月が苺のシーズンなんですけど、懐かしくなります。
田舎の持山ではね、5月になると山には野苺の赤い色が緑に映えるんですよね。
それを採って食べてたなって懐かしくなる、アレ結構美味しいから。笑い
どんな味かっていうと、甘酸っぱい味は市販の苺と似ています。
ただ香が違うんですよね、口に入れると薔薇と同じ香がふわってなります。
で、木苺はどんなかっていうと甘いです、が、核の芯みたいなとこ食べるといがらっぽい、笑
たぶん酵素が強いのかな?舌や口内の痺れる感覚に粘膜が攻撃されて、痛かった記憶があります。
昨日UPの「払暁の月2」
それから「慈雨の光― Introduction act.1, Aesculapius」は加筆校正が終わりました。
第66話「光芒4」はもう少し書き足したりなんだりします、で、短編一本UPしようかなって予定です。
取り急ぎ、
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