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文学閑話:母国の花に―Reginald Horace Blyth

2016-10-11 22:13:03 | 文学閑話韻文系
異郷の母国


文学閑話:母国の花に―Reginald Horace Blyth

ひさしぶりに通った道、山茶花が咲いていました。
日本に自生する花色は白、これは↑園芸種ですが薄紅色やわらかに惹かれます。
この花が咲くと秋、で、いつも一句を想いだします。

山茶花に 心残して 旅立ちぬ

1964年10月28日に亡くなった文学者が遺した辞世句です。
彼は英国人でありながら日本を愛し、日本文化研究者として生き、日本で没しました。

Reginald Horace Blyth レジナルド・ホーラス・ブライス

ロンドン大学卒業後、京城帝国大学英文科助教授、第四高等学校英語教官を歴任。
第二次世界大戦下も日本に残り、そのため敵性外国人として収監されましたが日本を愛することを諦めなかった人です。
そして戦後、敗戦国となった日本に残ることを選んだブライスは戦後処理にも奔走し、学習院大学英文科に勤めました。
こうした日本サイドに立ち続けた彼の一貫した姿勢と研究功績に、東京大学も文学博士号を授与しています。

名誉白人という言葉があります、有色人種でも「特別」に白人と同等に扱おうという思想です。
いわゆる白人至上主義に生まれた言葉で「有色人種のクセにすごいじゃん?」っていう上から目線。
ようするに人種差別用語なんですけど、開国した明治期以降、日本人もこの扱いを受けていました。

有色人種国は西欧から見れば「下」そのためブライスの最初の妻も京城時代に離婚、帰国しています。
その後、再婚の妻に日本女性を選んだブライスは当時の常識から異端だったということです。
しかも戦中に迫害された日本で生きることを彼は選びました、その想いを聴きたいです。

ブライス博士の文学的功績は禅の思想と俳句を世界に広め、国際社会における日本文化への敬愛を確立したことです。
敗戦国かつ有色人種の国として差別や被支配にあった日本、それでも今、日本文化は世界中に愛好家がいます。
禅の精神に学び、武士道や忍者に憧れ、紫式部『源氏物語』に描かれる日本美を求め、漢字をcoolと評する。
今の日本アニメやマンガが世界中で人気になれている土台は、彼のような学者たちが懸けた人生です。

深い信念と揺るがない日本への愛、そんな学者は日本で亡くなり鎌倉に葬られました。
その最期に見た今生の花は山茶花、そんな辞世句は一人の学者が生きた熱あざやかです。

“山茶花に 心残して”

彼が生まれた国、イギリスに山茶花はありませんでした。
日本と中国の原産である山茶花を辞世句、今生最期に選んだ想いは「心遺して」
生まれた国の花ではなく生きた国に自生する山茶花、そこに心遺した文学者はどこを故国と想い、望郷を詠んだのか?

山茶花は散るとき、花びら一つひとつ舞います。
原生種の白花だと風花ふるようで、一陣の風いっせいに舞う姿は雪と似ています。
ブライス博士が亡くなった10月28日は鎌倉も山茶花が咲くころです、その日その窓も白い山茶花が咲いていたかもしれません。

山茶花に 心残して 旅立ちぬ

会ったことがない異国の人、著書も日本では版が少なく読んだことも少ないです。
それでも彼の辞世句は時間も生死も超えて毎秋、花が咲くたび響きます。

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