時を待ち、それぞれの想いに
第51話 風待act.6―side story「陽はまた昇る」
ヘッドライトに照らされた50代男性の、薄汚れた登山ジャケットが彷徨の日々を教えてくれる。
その顔には窶れが見られる、この1週間でまた痩せたのかもしれない。
彼の山行が苦渋だったと、顔から服装から伺われて憐憫が誘われる。
けれど声は、冷静に英二の唇から闇を徹った。
「失礼します、いま、夜間の入山は規制中です。どちからいらっしゃいましたか?」
右手の拳銃はウィンドブレーカーの袖に隠したまま、問いかける。
けれど、ライトに照らされた顔はこっちを見つめて動かない。
その瞳の色を英二は、よく見知っている。
―入ったばかりの留置人と、同じ目だ
留置所に入った被疑者達は、最初は独特の表情をしている。
怯えたような強がるような目、または無気力な目、そうした負の感情に疲れ果てた狂気に似た眼差し。
そうした眼差したちに8ヶ月間、吉村医師の診察を手伝いながら何度も出会ってきた。
この男は、やはり犯人だろう。そんな確信の隣から低くテノールが言った。
「失礼ですが、ザックの中身を拝見できますか?」
言われた途端、男は瞠目した。
そのまま背に回した右手を振り上げる、そこには古びたピッケルが握られていた。
―山の道具を、凶器に?
ずしん、傷みが視界から奔る。
山ヤにとって登山道具は、登る自由を守る大切な物。
それを凶器に使っていた?哀しみと痛みが奔った瞬時、透明なテノールが怒鳴った。
「馬鹿野郎っ、ピッケルで殴るんじゃないっ!」
闇、一閃。
空間を引裂く音は鋭いまま犯人へ伸ばされる。
そして特殊警棒の先端が、ピッケルを握った手を撃ちつけた。
…がりっ、
瞬間、骨砕かれる微かな音を英二は聞いた。
ピッケルが手から滑り落ち、あがる悲鳴が尾根に響く。
ライト照らす顔が苦悶に歪む、それでも男は身を翻し酉谷山方面へ駆け出した。
その背後へと右腕が水平に挙げられる、そして冷徹な低い声が英二の口から放たれた。
「止まりなさい、撃つぞ!」
声に男がふり向いて、けれど足を止めない。
暗い視界、けれど英二は犯人の右足元へ銃口を向けると、トリガーを弾いた。
弾きしぼる闇にリボルバーの炎が閃く、同時に轟音が発射された。
奥多摩に、銃声が響き渡る。
梢から黒い羽ばたきが夜空へ放ち立つ。
視界の先、山の土が塵埃と煙らす底に人影は座りこんだ。
人影は既に手錠を掛けられて、その傍ら、光一が左手でピッケルを拾いあげた。
「あんた、山道具を使ってさあ、山の人間を殴ったね?」
透明なテノールが低く山の闇を透る。
古びたピッケルを眺め透かしながら、光一は長身から男を睥睨した。
「なんだい?ブレードんトコ、赤いモンが着いてるねえ?コレって何かなあ?アンタのこと叩いたら答えが解かるかなあ、ねえ?」
しゅっ、
右手の警棒が撓り、鋭利な音が闇を裂く。
その音の向こう緊張が走り撃ち、びくり男の影が縮こまった。
―ピッケルを使ったんだ…無理ないな、
心裡の声に、ため息がこぼれる。
雪山を愛する光一にとって、ピッケルは想い入れが深いだろう。
それを凶器に使った人間に、どんな感情を山っ子が抱くのか、どんな制裁を望むのか?
いま感情の導火線は止められない、そんな横顔を見ながら英二は拳銃をホルスターに納めた。
そっとザイルパートナーの隣に立つ。
見ると、透明な眼差しは真直ぐ男を見つめ、動かない。
動かない視線を追った先には、竦んだ目が大きく開かれ、怯えに蹲っていた。
まるで、蛇に睨まれた蛙だ。そんな感想に小さくため息吐きながら、低い声で話しかけた。
「国村、連絡入れるよ?」
ザイルパートナーに告げて、英二は無線のスイッチを入れた。
現場指揮の後藤副隊長へと繋ぐ報告、その最中に尾根を2つのヘッドライトが走ってくる。
見る間に2つの小柄な人影が近づいて、蹲る男の背後を挟んで大野と藤岡が立った。
その立姿に見た色彩に、無線で話しながら視線が止められる。
―藤岡?
小柄なウィンドブレーカーの左上腕に、赤い色彩が滲んでいた。
すこし荒い息を上がらせた顔は、初めて見る表情に険しく堅い。
その隣から大野が目立たぬように、パートナーを支えながら立っていた。
―藤岡、腕を、
藤岡はインターハイ出場経験もあるほど柔道が得手だ。
小柄な体格だけれど柔道技を掛けられたら、大柄で力もある英二ですら抑え込まれる。
そんな藤岡が犯人を取り逃がした理由が今、解からされてしまう。その理解のまま英二は後藤へ報告した。
「副隊長、藤岡が腕をやられています。すぐ応急処置に入ります、」
「なんだって?ちくしょう、」
悔しげな声が無線の向こう、歯を食いしばる。
指揮官にとって部下の負傷ほど悔しいものもない、それが無線越しに伝わってしまう。
同じよう心裡に奥歯を噛んで、けれど英二は微笑んだ。
「大丈夫です、藤岡はここまで走って来ました。今も自力で立っています、」
「そうか、なら気力はあるんだな?宮田、藤岡を頼む。俺もすぐ行く、」
哀しげな怒りの涙を声に見て、英二は無線を切った。
ちょうど芋ノ木ドッケ方面から畠中・木下チームが駈けてきて、犯人を囲んでくれる。
それを見て英二は藤岡を包囲の輪から連れ出した。
「宮田くん、藤岡を頼む、」
大野が声をかけ微笑んでくれた、その顔が心配を映している。
ザイルパートナーの負傷は辛い、それを英二も冬富士の雪崩で思い知らされた。
いまの大野の心を想いながら英二は、きれいに微笑んで頷いた。
「はい。大野さん、国村のこと頼みますね、」
こういう時は何かを任された方が、人は責任感から安定しやすい。
そんな心理を想いながら笑いかけた先、大野は少し可笑しそうに笑ってくれた。
「ああ、イザとなったらブレーキかけるよ。でも、俺も今ヤバいかもね?」
「そうしたら、俺が駆けつけますね、」
短い会話に笑い合って、光一の方を英二は見た。
こちらから見た雪白の貌はヘッドライトと隊帽のつばに翳り、瞳の表情が見えない。
けれど口許が薄く笑っているのが、見える。
―藤岡の怪我で、キレるかもしれないな
なるべく早く手当てを終えて、光一の元に戻る方がいい。
そんな判断を考えながら英二は、すこし離れたところに藤岡を座らせた。
藤岡のザックを膝で支えながら、手早くショルダーストラップを外していく。
そしてチェストハーネスとヒップホルダーも外すと、ザックは小柄な体から離れた。
「藤岡、痛みはどうだ?」
「うん、やっぱ痛えよなあ?でも、左腕以外は大丈夫だよ、」
荷重が消えて、ほっとしたよう笑ってくれる。
やはり負傷した肩には辛かったのだろう、救急用具を出しながら英二は尋ねた。
「寒気とかある?」
「大丈夫だよ、意識もはっきりしてるしさ、」
答えてくれる顔は幾らか蒼ざめて堅い、けれど人の好い同期は顰めながらも笑っている。
そんな様子を観察しながら素早くセッティングをし、感染防止グローブをはめると英二は笑いかけた。
「じゃあ、脈拍から始めるよ、」
「うん、よろしくな、」
素直に笑って右手を出してくれる、その手を握ると汗ばんで少し冷たい。
幾分弱い脈拍が常より早いのは受傷のためと、走ってきた所為だろう。
―怪我を負ったまま約1時間、尾根を走ってきたのか
きっと、取り逃がした責任に急いで走ったのだろう。
いつも軽やかに明るいけれど、責任感も強い藤岡なら自分のミスを赦せない。
その気持ちはよく解かる、けれど走った振動による負傷への影響が心配になる。
けれど心配は笑顔に押し込んで、英二はリフィリングテストのために右手示指を手に取った。
爪先端を5秒抓まんで放す、やはり爪の色調が戻るのに2秒を越えてしまう。
それでも英二はいつものように、笑顔で言った。
「大丈夫だな、じゃあ左腕を診るよ?悪いけど袖を切っていい?」
「おう、すっぱりいっちゃって?」
痛みに顰めた顔でも普段のように、明るい声で言ってくれる。
その声に微笑んで英二は、セットしておいた折畳式ハサミを持ち、縫い目に沿って袖を切り始めた。
ウィンドブレーカーと救助隊服とそれぞれを丁寧に切り開く、そして左上腕が現われて心裡に息を呑んだ。
―裂傷、打撲、それから
青黒く黄色い痣の斑へと、裂けた傷から血が滲み出している。
左上腕部の全体に骨の変形は見られない、けれど腫れが思ったより酷い。
骨の損傷は免れた、けれど打撲でも筋線維の損傷があれば、後遺症の可能性もある。
そしてこの炎症具合では発熱の可能性も高いだろう、早く下山させて安静にした方が良い。
どうか軽度で済んで欲しい、下山まで体力が保って欲しい。そんな祈りを心に抱いて、英二は笑いかけた。
「ちょっと怪我を洗うからな、沁みるだろうけど、ごめんな」
「平気だよ、これくらいの怪我なんてさ?俺、ガキの頃に鎌で切った事もあるしね、」
からり笑ってくれる顔に微笑んで、英二は清拭綿で傷回りを拭った。
幸い血液しかついて来ない、衣服の上からの打撃だから金属錆などは入らなかったのだろう。
これなら破傷風などの恐れは低くなる、すこし安堵しながら傷を拭いとり廃棄袋に清拭綿を入れた。
そしてシュリンジで傷の内部を洗浄すると、滅菌パッドを当てて伸縮包帯の部分を引っ張るよう巻きつけていく。
「包帯、きつくない?」
「うん、大丈夫だよ。おまえ、マジ巧いよなあ?すげえ手早いし、」
感心しながら見、笑いかけてくれる。
その顔色はさっきより蒼さが治まってきた、緊張がすこし解れてきたのだろうか?
この様子なら発熱は免れる?そんな様子を見ながら英二は、アイスパックを当てエラスチックバンテージで固定した。
そして切り裂いた袖をテープで仮留めすると、英二は笑いかけた。
「藤岡、おまえピッケルで殴られたんだよな?よく、この程度で済んだよ、」
処置を終えて片づけながら訊いてみる。
英二の質問に藤岡は、すこし照れ臭げに教えてくれた。
「殴りかかられた時、とっさに横受身で逃げたんだよ。でも左腕をやられちゃったけどさ、」
横受身は右斜め後ろへと倒れこむ、それで左側を残す型になるから左上腕を打たれたのだろう。
それでもピッケルは狙いを外され、衝撃が削がれたから打撲程度で済んでいる。
それにピッケルの状態からは、本当に酷い結果も考えられた。そのことを英二は口にした。
「それだけ出来たら充分だよ?犯人はブレードで殴ってるんだ、それで腕のとこ裂けているんだよ。だから、まともに当ったらさ?」
「うえ、マジ?」
大きい目が瞠らかれて、心底驚いた顔になっている。
もしブレードをまともに食らったら、怪我どころでは済まないだろう。
最悪の場合は即死もありうる、その可能性に「マジかよ?」となっている顔に英二は笑いかけた。
「ブレードに血痕があるんだ、それ見て光一がキレてた。だから今、ちょっとヤバいかな、」
「うわ、そっちのが拙いよなあ?宮田、早く行った方が良いよ、」
自分の痛みを忘れたような顔で勧めてくれる。
こんなふうに言われるほど、光一の山関係での怒りは恐ろしい。この勧めに英二は素直に微笑んだ。
「うん、行ってくるな?藤岡、ザックに腕を載せて、なるべく心臓より高くしといてくれ、」
「そうしておくからさ、ほら、なんか不穏な空気だよ?」
言われて立ち上がりながら振向くと、長身の後姿が軽く首を傾けている。
あの癖は銃を使って狙撃する時にも出る、だから、その仕草の意味は?
「まずいな、」
呟いて英二は身を翻すと、ザイルパートナーの元に駆け寄った。
すぐ隣に立って見た光一の横顔に、英二は軽く息を呑んだ。
秀麗な貌だけに、冷たい。
月明かりに雪白の肌が透けて、無機質なほど体温を感じさせない。
冷厳を孕んだ微笑は触れられぬ怒り、その細い目の眼差しに冷徹が閃いている。
こんな貌を光一がするなんて?
そんな驚きが心を打つ、けれど納得も感じながら英二は、そっと白い耳に囁いた。
「藤岡、無事だから、」
ふっ、と横顔の空気が和む。
その左手から物証のピッケルを取りあげながら、英二は微笑んだ。
「打撲だと思う、ちゃんと治るから。そうしたら、柔道も山も支障ないよ、」
「…そっか、」
テノールの声が微かに笑って、雪白の貌は英二を振向いた。
もう細い目には温かな笑みが浮びだす、その目に微笑んで英二はそっと肩を押した。
「藤岡、独りだとつまらないからさ、ちょっと顔見せて来なよ、」
「うん、行ってくるね、」
素直に笑って光一は、英二と交代すると藤岡の方へ歩き出した。
その右手は特殊警棒を片手で器用に畳み、元に戻すと腰へ提げた。
これでもう光一が、犯人に手を挙げる危険はないだろう。
そっと安堵に微笑んだとき、雲取山頂方面からヘッドライトが幾つも向かってきた。
そして、秩父奥多摩の連続強盗犯は、逮捕された。
青梅署独身寮に戻ったのは、午前2時を回っていた。
風呂を済ませて部屋のデスクライトを点ける、そして英二は紺青色の日記帳を開いた。
すこしでも読み進めよう、そんな意志だけれど流石に疲労がおしよせる。
それでも眠気を堪えながら持ったペンを、背後から白い手に取り上げられた。
「今夜はもう寝なよね、ア・ダ・ム、」
透明なテノールに笑い声に英二は振向いた。
その肩に雪白の貌が載せられて、温かい眼差しが英二に微笑んだ。
「今日、初めて人に銃を向けたんだ。しかも発砲してるよ、狙いは外していても疲れたはずだね。もう寝てさ、朝にした方が良い」
たしかに光一が言う通りだろう。
潔く日記帳を抽斗にしまい施錠すると、ライトを消して英二は立ち上がった。
「心配かけて悪いな、ありがとう、」
「どういたしまして、こっちこそ邪魔するよ、」
笑って光一は、さっさとベッドに入りこんだ。
左手首の『MANASULU』を見つめ、丁寧に外すとベッドサイドに手を伸ばす。
ことん、小さな音と置いた掌が薄暗い部屋に白く浮かんで見えた。
その白い手は優しく繊細で、ふと英二は思ったまま微笑んだ。
「光一のピアノ、また聴きたいな、」
「なに、そんなに気に入ってくれてんの?」
嬉しそうに雪白の貌が微笑んでくれる。
この明るい笑顔にほっとしながら、英二も腕から時計を外した。
「おまえのピアノ、好きだよ、」
答えながら、外した時計の文字盤にキスをする。
それからサイドテーブルに置くと、透明なテノールが微笑んだ。
「ありがとね。でも、その時計の方が、もっと好きだろ?…あのひとの贈り物だもんね、」
言った顔に振向くと、透明な目が一瞬だけ視線を交わした。
けれどすぐ微笑みに逸らして光一は、別の話を始めた。
「周太の曾祖父さんが勤めていたトコ、やっぱり戦争のときは軍需産業だよ。で、曾祖父さんは祖父さん達と同じ大学出てる。
それからね、やっぱり出身は例のトコみたいだよ?それっぽいこと、あの小説に書いてあったんだ。それでWEBとか調べたけど。
あそこで湯原姓だとさ、砲術指南っぽいんだよな?筋目のイイ、頭のイイ家柄みたいだよ。名前も皆、一文字で子音が『u』だしさ、」
ひと息に話して、ほっと光一が息を吐いた。
それから今度は問いかけを英二に投げてきた。
「おまえ、明日は結局、ガッコの寮に戻るワケ?」
「うん、藤岡に付添うよ。熱はもう大丈夫そうだけど、包帯替えたりとか、片手だとキツイだろ?」
―ごめん、周太
答えながら心のなか、英二は周太に謝った。
ほんとうは明日土曜日は、川崎の家に帰る約束を周太としている。
けれど、負傷した藤岡を放りだすことは出来ない。そんな想いの隣から、透明なテノールが尋ねた。
「周太にはもう、連絡した?」
「うん、さっき風呂の前にね。すぐ返事くれた、気を付けてね、って、」
きっと周太には寂しい想いをさせた、それが辛い。
けれど英二は光一に笑いかけた。
「曾おじいさんのこと、ありがとうな。光一も忙しかったのに任せきりで、ごめん、」
「俺も知りたいからね?おまえは警察学校じゃ、調べようもないしさ、仕方ないだろ?」
からり笑ってくれる、その笑顔が薄闇にも明るい。
けれど、さっきの寂しげなトーンが気になって英二は、問いかけた。
「光一にとって、周太ってどんな存在?」
“元からソンナ繋がりじゃない、人間としての道とは別モンだ”
入山前、そんなふうに光一は周太のことを言った。
この意味を本当は気になっている、それを知りたいまま見つめた英二に、底抜けに明るい目が温かに笑んだ。
「神様に近いね。不可侵で不滅で、永遠だよ、」
“光一にとっての俺は『山』と同じなんだよ?”
光一の言葉に、周太の言葉が重なる。
4月、雪山シーズン最期に冬富士を登る直前だった、あのとき英二は周太の懐に泣いた。
あのときの優しい声が深くから今、ゆるやかに聴こえだす。
―…いつも一緒にいなくて大丈夫なのもね?『山』や『山の木』で繋がっているって、信じていられるからなんだ
『山』と同じだから、この気持ちも繋がりも終わらないって、信じられるんだ
光一にとっての俺は『人間』らしい命の終わりは、無い相手なんだ…だから光一は俺をずっと好きなんだよ、『山』と同じように
あの言葉は、真実なのだと今、あらためて解かる。
こんな無垢な繋がりは不可思議で、神秘の向こうに想えてしまう。けれど光一と周太にとっては現実のこと。
こんなふうに繋がり合う2人のはざまに佇んで、英二は微笑んだ。
「そういうの、綺麗だな。光一も周太も、すごく綺麗で、見ていたい。もし許されるなら、ずっと傍で、」
そう出来たら、どんなに良いだろう?
そんな想い素直に見つめて、英二は隣に横たわるザイルパートナーに笑いかけた。
そうして見つめる雪白の貌は微笑んで、そっと寄添ってくれた。
「傍にいてよ、ずっと…英二、」
透明なテノールが微笑んで、名前を呼んでくれた。
見つめてくれる透明な瞳は澄んで、無垢のまま英二を映しだす。そして、自分の目には光一が映っている。
この瞳に永遠の合わせ鏡を見つめながら、英二は約束へと綺麗に笑いかけた。
「光一、約束のキスさせて?ずっと、俺といてくれるのなら」
入山前のひと時に言った言葉を、今ここで繰り返す。
あのとき光一はキスを逃げて、それでも自分は勝手にキスをした。
けれど今は、透明なテノールは静かに笑って言ってくれた。
「うん、約束をキスで結んでよ?生涯のアンザイレンパートナーとして寄添って、永遠に『血の契』でいてくれるなら、」
ふたつの絆を重ねて、繋ぎあう約束。
この約束の永遠に英二は、光一の右手をとり白い薬指の先を見つめた。
「ここ、傷痕が残ったな?薄いけれど、見えるよ、」
光一の両親の命日に、ふたり薬指の先をトラベルナイフの刃先に切裂いた。
そして傷を重ねて互いの血を交わした、ふたり『血の契』でこの身を繋ぎあうために。
「うん、残ってるね…英二は?」
「俺もだよ、」
自分の右薬指を見せて、光一の指先と重ねあわせる。
そして合わせ鏡に瞳見つめ合いながら、薄紅の唇に約束のキスと唇を重ねた。
ふわり、花の香が唇から体内へとおりてゆく。
(to be continued)
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第51話 風待act.6―side story「陽はまた昇る」
ヘッドライトに照らされた50代男性の、薄汚れた登山ジャケットが彷徨の日々を教えてくれる。
その顔には窶れが見られる、この1週間でまた痩せたのかもしれない。
彼の山行が苦渋だったと、顔から服装から伺われて憐憫が誘われる。
けれど声は、冷静に英二の唇から闇を徹った。
「失礼します、いま、夜間の入山は規制中です。どちからいらっしゃいましたか?」
右手の拳銃はウィンドブレーカーの袖に隠したまま、問いかける。
けれど、ライトに照らされた顔はこっちを見つめて動かない。
その瞳の色を英二は、よく見知っている。
―入ったばかりの留置人と、同じ目だ
留置所に入った被疑者達は、最初は独特の表情をしている。
怯えたような強がるような目、または無気力な目、そうした負の感情に疲れ果てた狂気に似た眼差し。
そうした眼差したちに8ヶ月間、吉村医師の診察を手伝いながら何度も出会ってきた。
この男は、やはり犯人だろう。そんな確信の隣から低くテノールが言った。
「失礼ですが、ザックの中身を拝見できますか?」
言われた途端、男は瞠目した。
そのまま背に回した右手を振り上げる、そこには古びたピッケルが握られていた。
―山の道具を、凶器に?
ずしん、傷みが視界から奔る。
山ヤにとって登山道具は、登る自由を守る大切な物。
それを凶器に使っていた?哀しみと痛みが奔った瞬時、透明なテノールが怒鳴った。
「馬鹿野郎っ、ピッケルで殴るんじゃないっ!」
闇、一閃。
空間を引裂く音は鋭いまま犯人へ伸ばされる。
そして特殊警棒の先端が、ピッケルを握った手を撃ちつけた。
…がりっ、
瞬間、骨砕かれる微かな音を英二は聞いた。
ピッケルが手から滑り落ち、あがる悲鳴が尾根に響く。
ライト照らす顔が苦悶に歪む、それでも男は身を翻し酉谷山方面へ駆け出した。
その背後へと右腕が水平に挙げられる、そして冷徹な低い声が英二の口から放たれた。
「止まりなさい、撃つぞ!」
声に男がふり向いて、けれど足を止めない。
暗い視界、けれど英二は犯人の右足元へ銃口を向けると、トリガーを弾いた。
弾きしぼる闇にリボルバーの炎が閃く、同時に轟音が発射された。
奥多摩に、銃声が響き渡る。
梢から黒い羽ばたきが夜空へ放ち立つ。
視界の先、山の土が塵埃と煙らす底に人影は座りこんだ。
人影は既に手錠を掛けられて、その傍ら、光一が左手でピッケルを拾いあげた。
「あんた、山道具を使ってさあ、山の人間を殴ったね?」
透明なテノールが低く山の闇を透る。
古びたピッケルを眺め透かしながら、光一は長身から男を睥睨した。
「なんだい?ブレードんトコ、赤いモンが着いてるねえ?コレって何かなあ?アンタのこと叩いたら答えが解かるかなあ、ねえ?」
しゅっ、
右手の警棒が撓り、鋭利な音が闇を裂く。
その音の向こう緊張が走り撃ち、びくり男の影が縮こまった。
―ピッケルを使ったんだ…無理ないな、
心裡の声に、ため息がこぼれる。
雪山を愛する光一にとって、ピッケルは想い入れが深いだろう。
それを凶器に使った人間に、どんな感情を山っ子が抱くのか、どんな制裁を望むのか?
いま感情の導火線は止められない、そんな横顔を見ながら英二は拳銃をホルスターに納めた。
そっとザイルパートナーの隣に立つ。
見ると、透明な眼差しは真直ぐ男を見つめ、動かない。
動かない視線を追った先には、竦んだ目が大きく開かれ、怯えに蹲っていた。
まるで、蛇に睨まれた蛙だ。そんな感想に小さくため息吐きながら、低い声で話しかけた。
「国村、連絡入れるよ?」
ザイルパートナーに告げて、英二は無線のスイッチを入れた。
現場指揮の後藤副隊長へと繋ぐ報告、その最中に尾根を2つのヘッドライトが走ってくる。
見る間に2つの小柄な人影が近づいて、蹲る男の背後を挟んで大野と藤岡が立った。
その立姿に見た色彩に、無線で話しながら視線が止められる。
―藤岡?
小柄なウィンドブレーカーの左上腕に、赤い色彩が滲んでいた。
すこし荒い息を上がらせた顔は、初めて見る表情に険しく堅い。
その隣から大野が目立たぬように、パートナーを支えながら立っていた。
―藤岡、腕を、
藤岡はインターハイ出場経験もあるほど柔道が得手だ。
小柄な体格だけれど柔道技を掛けられたら、大柄で力もある英二ですら抑え込まれる。
そんな藤岡が犯人を取り逃がした理由が今、解からされてしまう。その理解のまま英二は後藤へ報告した。
「副隊長、藤岡が腕をやられています。すぐ応急処置に入ります、」
「なんだって?ちくしょう、」
悔しげな声が無線の向こう、歯を食いしばる。
指揮官にとって部下の負傷ほど悔しいものもない、それが無線越しに伝わってしまう。
同じよう心裡に奥歯を噛んで、けれど英二は微笑んだ。
「大丈夫です、藤岡はここまで走って来ました。今も自力で立っています、」
「そうか、なら気力はあるんだな?宮田、藤岡を頼む。俺もすぐ行く、」
哀しげな怒りの涙を声に見て、英二は無線を切った。
ちょうど芋ノ木ドッケ方面から畠中・木下チームが駈けてきて、犯人を囲んでくれる。
それを見て英二は藤岡を包囲の輪から連れ出した。
「宮田くん、藤岡を頼む、」
大野が声をかけ微笑んでくれた、その顔が心配を映している。
ザイルパートナーの負傷は辛い、それを英二も冬富士の雪崩で思い知らされた。
いまの大野の心を想いながら英二は、きれいに微笑んで頷いた。
「はい。大野さん、国村のこと頼みますね、」
こういう時は何かを任された方が、人は責任感から安定しやすい。
そんな心理を想いながら笑いかけた先、大野は少し可笑しそうに笑ってくれた。
「ああ、イザとなったらブレーキかけるよ。でも、俺も今ヤバいかもね?」
「そうしたら、俺が駆けつけますね、」
短い会話に笑い合って、光一の方を英二は見た。
こちらから見た雪白の貌はヘッドライトと隊帽のつばに翳り、瞳の表情が見えない。
けれど口許が薄く笑っているのが、見える。
―藤岡の怪我で、キレるかもしれないな
なるべく早く手当てを終えて、光一の元に戻る方がいい。
そんな判断を考えながら英二は、すこし離れたところに藤岡を座らせた。
藤岡のザックを膝で支えながら、手早くショルダーストラップを外していく。
そしてチェストハーネスとヒップホルダーも外すと、ザックは小柄な体から離れた。
「藤岡、痛みはどうだ?」
「うん、やっぱ痛えよなあ?でも、左腕以外は大丈夫だよ、」
荷重が消えて、ほっとしたよう笑ってくれる。
やはり負傷した肩には辛かったのだろう、救急用具を出しながら英二は尋ねた。
「寒気とかある?」
「大丈夫だよ、意識もはっきりしてるしさ、」
答えてくれる顔は幾らか蒼ざめて堅い、けれど人の好い同期は顰めながらも笑っている。
そんな様子を観察しながら素早くセッティングをし、感染防止グローブをはめると英二は笑いかけた。
「じゃあ、脈拍から始めるよ、」
「うん、よろしくな、」
素直に笑って右手を出してくれる、その手を握ると汗ばんで少し冷たい。
幾分弱い脈拍が常より早いのは受傷のためと、走ってきた所為だろう。
―怪我を負ったまま約1時間、尾根を走ってきたのか
きっと、取り逃がした責任に急いで走ったのだろう。
いつも軽やかに明るいけれど、責任感も強い藤岡なら自分のミスを赦せない。
その気持ちはよく解かる、けれど走った振動による負傷への影響が心配になる。
けれど心配は笑顔に押し込んで、英二はリフィリングテストのために右手示指を手に取った。
爪先端を5秒抓まんで放す、やはり爪の色調が戻るのに2秒を越えてしまう。
それでも英二はいつものように、笑顔で言った。
「大丈夫だな、じゃあ左腕を診るよ?悪いけど袖を切っていい?」
「おう、すっぱりいっちゃって?」
痛みに顰めた顔でも普段のように、明るい声で言ってくれる。
その声に微笑んで英二は、セットしておいた折畳式ハサミを持ち、縫い目に沿って袖を切り始めた。
ウィンドブレーカーと救助隊服とそれぞれを丁寧に切り開く、そして左上腕が現われて心裡に息を呑んだ。
―裂傷、打撲、それから
青黒く黄色い痣の斑へと、裂けた傷から血が滲み出している。
左上腕部の全体に骨の変形は見られない、けれど腫れが思ったより酷い。
骨の損傷は免れた、けれど打撲でも筋線維の損傷があれば、後遺症の可能性もある。
そしてこの炎症具合では発熱の可能性も高いだろう、早く下山させて安静にした方が良い。
どうか軽度で済んで欲しい、下山まで体力が保って欲しい。そんな祈りを心に抱いて、英二は笑いかけた。
「ちょっと怪我を洗うからな、沁みるだろうけど、ごめんな」
「平気だよ、これくらいの怪我なんてさ?俺、ガキの頃に鎌で切った事もあるしね、」
からり笑ってくれる顔に微笑んで、英二は清拭綿で傷回りを拭った。
幸い血液しかついて来ない、衣服の上からの打撃だから金属錆などは入らなかったのだろう。
これなら破傷風などの恐れは低くなる、すこし安堵しながら傷を拭いとり廃棄袋に清拭綿を入れた。
そしてシュリンジで傷の内部を洗浄すると、滅菌パッドを当てて伸縮包帯の部分を引っ張るよう巻きつけていく。
「包帯、きつくない?」
「うん、大丈夫だよ。おまえ、マジ巧いよなあ?すげえ手早いし、」
感心しながら見、笑いかけてくれる。
その顔色はさっきより蒼さが治まってきた、緊張がすこし解れてきたのだろうか?
この様子なら発熱は免れる?そんな様子を見ながら英二は、アイスパックを当てエラスチックバンテージで固定した。
そして切り裂いた袖をテープで仮留めすると、英二は笑いかけた。
「藤岡、おまえピッケルで殴られたんだよな?よく、この程度で済んだよ、」
処置を終えて片づけながら訊いてみる。
英二の質問に藤岡は、すこし照れ臭げに教えてくれた。
「殴りかかられた時、とっさに横受身で逃げたんだよ。でも左腕をやられちゃったけどさ、」
横受身は右斜め後ろへと倒れこむ、それで左側を残す型になるから左上腕を打たれたのだろう。
それでもピッケルは狙いを外され、衝撃が削がれたから打撲程度で済んでいる。
それにピッケルの状態からは、本当に酷い結果も考えられた。そのことを英二は口にした。
「それだけ出来たら充分だよ?犯人はブレードで殴ってるんだ、それで腕のとこ裂けているんだよ。だから、まともに当ったらさ?」
「うえ、マジ?」
大きい目が瞠らかれて、心底驚いた顔になっている。
もしブレードをまともに食らったら、怪我どころでは済まないだろう。
最悪の場合は即死もありうる、その可能性に「マジかよ?」となっている顔に英二は笑いかけた。
「ブレードに血痕があるんだ、それ見て光一がキレてた。だから今、ちょっとヤバいかな、」
「うわ、そっちのが拙いよなあ?宮田、早く行った方が良いよ、」
自分の痛みを忘れたような顔で勧めてくれる。
こんなふうに言われるほど、光一の山関係での怒りは恐ろしい。この勧めに英二は素直に微笑んだ。
「うん、行ってくるな?藤岡、ザックに腕を載せて、なるべく心臓より高くしといてくれ、」
「そうしておくからさ、ほら、なんか不穏な空気だよ?」
言われて立ち上がりながら振向くと、長身の後姿が軽く首を傾けている。
あの癖は銃を使って狙撃する時にも出る、だから、その仕草の意味は?
「まずいな、」
呟いて英二は身を翻すと、ザイルパートナーの元に駆け寄った。
すぐ隣に立って見た光一の横顔に、英二は軽く息を呑んだ。
秀麗な貌だけに、冷たい。
月明かりに雪白の肌が透けて、無機質なほど体温を感じさせない。
冷厳を孕んだ微笑は触れられぬ怒り、その細い目の眼差しに冷徹が閃いている。
こんな貌を光一がするなんて?
そんな驚きが心を打つ、けれど納得も感じながら英二は、そっと白い耳に囁いた。
「藤岡、無事だから、」
ふっ、と横顔の空気が和む。
その左手から物証のピッケルを取りあげながら、英二は微笑んだ。
「打撲だと思う、ちゃんと治るから。そうしたら、柔道も山も支障ないよ、」
「…そっか、」
テノールの声が微かに笑って、雪白の貌は英二を振向いた。
もう細い目には温かな笑みが浮びだす、その目に微笑んで英二はそっと肩を押した。
「藤岡、独りだとつまらないからさ、ちょっと顔見せて来なよ、」
「うん、行ってくるね、」
素直に笑って光一は、英二と交代すると藤岡の方へ歩き出した。
その右手は特殊警棒を片手で器用に畳み、元に戻すと腰へ提げた。
これでもう光一が、犯人に手を挙げる危険はないだろう。
そっと安堵に微笑んだとき、雲取山頂方面からヘッドライトが幾つも向かってきた。
そして、秩父奥多摩の連続強盗犯は、逮捕された。
青梅署独身寮に戻ったのは、午前2時を回っていた。
風呂を済ませて部屋のデスクライトを点ける、そして英二は紺青色の日記帳を開いた。
すこしでも読み進めよう、そんな意志だけれど流石に疲労がおしよせる。
それでも眠気を堪えながら持ったペンを、背後から白い手に取り上げられた。
「今夜はもう寝なよね、ア・ダ・ム、」
透明なテノールに笑い声に英二は振向いた。
その肩に雪白の貌が載せられて、温かい眼差しが英二に微笑んだ。
「今日、初めて人に銃を向けたんだ。しかも発砲してるよ、狙いは外していても疲れたはずだね。もう寝てさ、朝にした方が良い」
たしかに光一が言う通りだろう。
潔く日記帳を抽斗にしまい施錠すると、ライトを消して英二は立ち上がった。
「心配かけて悪いな、ありがとう、」
「どういたしまして、こっちこそ邪魔するよ、」
笑って光一は、さっさとベッドに入りこんだ。
左手首の『MANASULU』を見つめ、丁寧に外すとベッドサイドに手を伸ばす。
ことん、小さな音と置いた掌が薄暗い部屋に白く浮かんで見えた。
その白い手は優しく繊細で、ふと英二は思ったまま微笑んだ。
「光一のピアノ、また聴きたいな、」
「なに、そんなに気に入ってくれてんの?」
嬉しそうに雪白の貌が微笑んでくれる。
この明るい笑顔にほっとしながら、英二も腕から時計を外した。
「おまえのピアノ、好きだよ、」
答えながら、外した時計の文字盤にキスをする。
それからサイドテーブルに置くと、透明なテノールが微笑んだ。
「ありがとね。でも、その時計の方が、もっと好きだろ?…あのひとの贈り物だもんね、」
言った顔に振向くと、透明な目が一瞬だけ視線を交わした。
けれどすぐ微笑みに逸らして光一は、別の話を始めた。
「周太の曾祖父さんが勤めていたトコ、やっぱり戦争のときは軍需産業だよ。で、曾祖父さんは祖父さん達と同じ大学出てる。
それからね、やっぱり出身は例のトコみたいだよ?それっぽいこと、あの小説に書いてあったんだ。それでWEBとか調べたけど。
あそこで湯原姓だとさ、砲術指南っぽいんだよな?筋目のイイ、頭のイイ家柄みたいだよ。名前も皆、一文字で子音が『u』だしさ、」
ひと息に話して、ほっと光一が息を吐いた。
それから今度は問いかけを英二に投げてきた。
「おまえ、明日は結局、ガッコの寮に戻るワケ?」
「うん、藤岡に付添うよ。熱はもう大丈夫そうだけど、包帯替えたりとか、片手だとキツイだろ?」
―ごめん、周太
答えながら心のなか、英二は周太に謝った。
ほんとうは明日土曜日は、川崎の家に帰る約束を周太としている。
けれど、負傷した藤岡を放りだすことは出来ない。そんな想いの隣から、透明なテノールが尋ねた。
「周太にはもう、連絡した?」
「うん、さっき風呂の前にね。すぐ返事くれた、気を付けてね、って、」
きっと周太には寂しい想いをさせた、それが辛い。
けれど英二は光一に笑いかけた。
「曾おじいさんのこと、ありがとうな。光一も忙しかったのに任せきりで、ごめん、」
「俺も知りたいからね?おまえは警察学校じゃ、調べようもないしさ、仕方ないだろ?」
からり笑ってくれる、その笑顔が薄闇にも明るい。
けれど、さっきの寂しげなトーンが気になって英二は、問いかけた。
「光一にとって、周太ってどんな存在?」
“元からソンナ繋がりじゃない、人間としての道とは別モンだ”
入山前、そんなふうに光一は周太のことを言った。
この意味を本当は気になっている、それを知りたいまま見つめた英二に、底抜けに明るい目が温かに笑んだ。
「神様に近いね。不可侵で不滅で、永遠だよ、」
“光一にとっての俺は『山』と同じなんだよ?”
光一の言葉に、周太の言葉が重なる。
4月、雪山シーズン最期に冬富士を登る直前だった、あのとき英二は周太の懐に泣いた。
あのときの優しい声が深くから今、ゆるやかに聴こえだす。
―…いつも一緒にいなくて大丈夫なのもね?『山』や『山の木』で繋がっているって、信じていられるからなんだ
『山』と同じだから、この気持ちも繋がりも終わらないって、信じられるんだ
光一にとっての俺は『人間』らしい命の終わりは、無い相手なんだ…だから光一は俺をずっと好きなんだよ、『山』と同じように
あの言葉は、真実なのだと今、あらためて解かる。
こんな無垢な繋がりは不可思議で、神秘の向こうに想えてしまう。けれど光一と周太にとっては現実のこと。
こんなふうに繋がり合う2人のはざまに佇んで、英二は微笑んだ。
「そういうの、綺麗だな。光一も周太も、すごく綺麗で、見ていたい。もし許されるなら、ずっと傍で、」
そう出来たら、どんなに良いだろう?
そんな想い素直に見つめて、英二は隣に横たわるザイルパートナーに笑いかけた。
そうして見つめる雪白の貌は微笑んで、そっと寄添ってくれた。
「傍にいてよ、ずっと…英二、」
透明なテノールが微笑んで、名前を呼んでくれた。
見つめてくれる透明な瞳は澄んで、無垢のまま英二を映しだす。そして、自分の目には光一が映っている。
この瞳に永遠の合わせ鏡を見つめながら、英二は約束へと綺麗に笑いかけた。
「光一、約束のキスさせて?ずっと、俺といてくれるのなら」
入山前のひと時に言った言葉を、今ここで繰り返す。
あのとき光一はキスを逃げて、それでも自分は勝手にキスをした。
けれど今は、透明なテノールは静かに笑って言ってくれた。
「うん、約束をキスで結んでよ?生涯のアンザイレンパートナーとして寄添って、永遠に『血の契』でいてくれるなら、」
ふたつの絆を重ねて、繋ぎあう約束。
この約束の永遠に英二は、光一の右手をとり白い薬指の先を見つめた。
「ここ、傷痕が残ったな?薄いけれど、見えるよ、」
光一の両親の命日に、ふたり薬指の先をトラベルナイフの刃先に切裂いた。
そして傷を重ねて互いの血を交わした、ふたり『血の契』でこの身を繋ぎあうために。
「うん、残ってるね…英二は?」
「俺もだよ、」
自分の右薬指を見せて、光一の指先と重ねあわせる。
そして合わせ鏡に瞳見つめ合いながら、薄紅の唇に約束のキスと唇を重ねた。
ふわり、花の香が唇から体内へとおりてゆく。
(to be continued)
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