萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第31話 春隣act.3―side story「陽はまた昇る」

2012-01-06 17:44:59 | 陽はまた昇るside story
消えるものと残るもの、そして想いのつながり




第31話 春隣act.3―side story「陽はまた昇る」

川崎の周太の実家は、ゆるやかな冬の陽射しの静謐に穏やかだった。
ふるい木造の門から続く飛石を踏んで、英二は周太の父の合鍵で玄関を開いた。
そして一足先に玄関へ入ると振向いて周太に微笑んだ。

「お帰り、周太。ほら、…っ」

ことばを言いかけた英二に思い切ったように周太が抱きついた。
やわらかな髪がブラックグレーのコートの肩口にふれる、背中に回された掌は慣れていないと途惑いが震えに伝わってくる。
けれど抱きついたまま気恥ずかしげに周太が言ってくれた。

「英二、…ただい、ま、」

ブラックグレーのコートの背中に回された掌が温かい。
こんなふうに周太から抱きついてくれるのは初めてのこと、うれしくて幸せで英二は周太を抱きしめて微笑んだ。

「うん、お帰り周太。こういうのってさ、うれしいよ?」
「ん、…俺ね、…お帰りって言ってもらうの、うれしい…ほんとうは、クリスマスの時も…だきつきたかったんだはずかしいけど」

こんなこと言われたら幸せになってしまう。
きれいに笑って英二は、額に額をつけて黒目がちの瞳を見つめた。

「もっと抱きついてよ?周太。今だって俺さ、ちゃんと周太を抱きとめられただろ?俺はね、いつだって周太を抱きとめるよ」
「ん、…うれしい、な」

黒目がちの瞳が気恥ずかしげに微笑んで、けれど幸せそうで英二は嬉しかった。
このまま抱きしめていたいけれど、でもそろそろ悪いかな?すこしおどけて英二は周太の顔を覗きこんだ。

「あのな、周太。お母さん、先にもう帰っているみたいなんだけど?」
「…え、」

驚いて周太が玄関先を見た、その視線の先には華奢な靴が端正に揃っている。
さっき英二は玄関に入ってすぐ靴に気がついた、それを言いかけた時に周太が抱きついて言葉が途切れてしまった。
たぶんリビングの扉の向こうで周太の母は楽しそうに笑っているだろう、そんな気配へ向かって英二は声をかけた。

「ただいま、お母さん」

掛けた声に呼応するようステンドグラスが嵌められたオーク材の扉が開けられる。
そして重厚だけれど繊細な扉の向こうから現れた、快活な黒目がちの瞳が微笑んだ。

「お帰りなさい、ふたりとも。ね、周?お母さんたら、タイミング悪くてごめんね?」

可笑しそうに笑って首傾げながら彼女は息子を見つめた。
そう見つめられて周太は首筋から頬まで赤さを昇らせながら、それでも気恥ずかしげに微笑んだ。

「ん、…ただいま、お母さん。迎えてもらってね、うれしいよ…すごくいまはずかしいんだけれど、ね」
「うん、ごめんね周?あのね、お母さん少し早く帰れたから簡単だけどスープ作ったの。たまにはお母さんの料理も良いでしょ?」

温かな微笑みで彼女は、息子の黒目がちの瞳を見つめながら言った。
そんな彼女はエプロン姿で佇んでいる、今まで台所に立っていたのだろう。
言われた周太の瞳がすこし大きくなって、そしてすぐ幸せそうに微笑んだ。

「ん。ありがとう、お母さん。俺ね…お母さんの手料理、好きだよ?」
「よかった、でもサラダまだなの。周、お願いしてもいい?」
「ん、」

周太の母は夫の殉職後に復職して、スーパー経営会社の営業管理部門に勤務している。
そのために休暇も不定期で、息子の帰省に合わせて半休をとっても帰りが遅いことが多い。
だから今日のように母親に出迎えてもらうことは、周太にとって久しぶりのことだろう。
こんな笑顔が見られてうれしいな。そんな隣の笑顔を見ながら英二は微笑んだ。
そして靴を脱がずに玄関先から英二は、周太の母を真直ぐに見て笑いかけた。

「お母さん。庭のことで俺、聴きたいことがあるんです。いま教えてもらえますか?」

そんな英二を快活な黒目がちの瞳が見つめてくれる。
その瞳が穏やかに微笑んで静かに頷いてくれた。

「ええ。今なら庭も陽射しが暖かいものね?周、ちょっと散歩してもいいかな?」
「ん。その間に食事の支度しておくね…あ、庭の芝生すこし濡れていたから、サンダルじゃない方が良いよ?」
「ありがとう、周。じゃ、ちょっと英二くん借りちゃうね?」
「…かすとかかりるとかないとおもうんだけど…でも、はい。…かえしてね」

気恥ずかしげに言うと周太は、急いで自分の靴をそろえて台所へ行ってしまった。
そんな初々しい様子が可愛くて微笑んで見送ると、英二は花束を抱えたままで玄関を出た。
玄関先から見上げる青空がまぶしい。冬晴れの青を見つめながら1つ息を吐くと、英二は庭のベンチへと歩き出した。
その後を周太の母がエプロンを外しながら歩いてくれる。そしてベンチの前に並んで立つと英二は静かに口を開いた。

「お母さん、クリスマスに周太から、この腕時計をもらいました。
 そして…周太は、俺の腕時計を欲しいって言ってくれたんです。
 だから俺、周太に俺の腕時計を嵌めてやりました。それで俺は婚約と同じだと周太に言って…周太、頷いてくれました」

ゆっくりだけれど、ひと息に英二は彼女に言った。
ゆるやかな黒髪が冬の陽に輝きながら、おだやかな風に見上げる梢と一緒にゆれていく。
快活な黒目がちの瞳が微笑んで、頷きながら彼女も教えてくれる。

「ええ、このあいだ周太が帰ってきた時に教えてくれました。あの子ね、…ほんとうに幸せそうだった」

そのときの記憶を愛しむように微笑んで、彼女は英二を見つめた。
もう彼女は解っているのだろう、自分がこれから何の話をするのか。
彼女はどのように判断してくれるのだろう。彼女の率直な想いを聴かせてほしい、そう想いながら英二は告げた。

「お母さん。俺は、本気で周太との入籍を考えています。
 今の日本では同性の結婚は法律で認められません、けれど養子縁組の形式でなら事実上の結婚ができます。
 まだ今すぐは難しいです、けれどいつか必ず籍を入れたい。その許しが欲しくて今日は俺、お母さんに会いに来ました」

向き合っている黒目がちの瞳を英二は真直ぐに見つめた。
彼女は穏やかに微笑んで、落ち着いた口調のまま言ってくれる。

「ええ。すこし私もね、その話を予想していたの。だから少しだけならね、養子縁組の意味が解っていると思うわ」

微笑んでいる黒目がちの瞳が「思うことを全て話してね?」と促してくれる。
きっと辛いことを自分は言うことになる、それもたぶん聡明な彼女は解っているのだろう。
すみません ― そう心で詫びながら英二は口を開いた。

「養子縁組は条件があります、年長者が養親になり養子は養親の氏を名乗る、これが必須です。
 そして俺と周太だと俺が年長者になります、だから入籍したら周太は俺の姓を名乗ることになります。
 俺と入籍したなら周太は『湯原』の姓は名乗れません、そして…湯原の家は絶えることになります。
 お母さん、それを踏まえたうえで教えてください。いつか俺は、周太と籍を入れてもいいですか?」

現行の日本の民法では、同性婚は婚姻の形では認められず普通養子の形で入籍することになる。
その普通養子に関する規定のことが英二の気懸りだった。

第793条 尊属又は年長者は養子とすることができない
第810条 養子は養親の氏を称する

ここで言う年長者は一日でも早く出生していれば該当するから、養子と養親は同年齢であっても構わない。
だから英二と周太は養子縁組をすることが出来る、そして誕生日は英二が先だから周太が養子に入ることになる。
そうすると周太は英二の宮田姓を名乗ることになり、湯原姓を捨てることになってしまう。
けれど周太は湯原家の唯一人だけの跡取り息子でいる、周太が湯原姓を捨てればそれで家名が絶えてしまう。

― せめて、俺が1日でも生まれたのが遅かったなら、よかったのに

そっとため息をついて英二は、ずっと考え込んでいた重さをすこし吐き出した。
英二には年子の姉がいる、その姉が宮田の姓も血も残してくれる。そのことが英二を思うままに生きさせてくれている。
本来は英二が長男で宮田の家を守らなくてはいけない、けれどこの年末年始にかけて英二は姉と電話だけれど話し合ってきた。
最初は姉は「つきあって3ヶ月でもう結婚の相談?」と笑ってしまった、けれどきちんと英二と向き合ってくれた。
そして何度か日を置いて考えながら電話で話して、出した結論が「英二は分籍し、姉が宮田の家を守る」ことだった。

「だってね、英二?あんたが決った人を見つけられた事って奇跡だもの。あのまま女の人を泣かせて生きるより、ずっと良い。
 それに私、やっぱり湯原くん好きだわ。彼が甥っ子になるならね、堂々と私は可愛がってデートさせてもらうね。
 まだきっとお母さんは受け入れ難いと思う。でも英二が分籍すれば、湯原くんの入籍も自由に出来るのでしょう?」

「うん。分籍はね、20歳以上で独身ならさ、本人が届ければ誰でも出来るんだ。本配属のタイミングでするよ。
 そうやって俺が新しい戸籍作ればね、俺が筆頭者になるし責任も俺だけ背負えばでいいから。
 でも…ごめんね、姉ちゃん。自由にさ、好きなひとのとこに嫁に出してやれない。俺のせいで、…ごめん」

やはり日本では男は姓を変えたがらない。だから婿入りを嫌がる男も多い、そして長男だとまず結婚相手に望めないだろう。
そんな枷を姉につけてしまう。それが英二には哀しくて姉に申し訳ない。
けれど姉は「そんなこと大丈夫よ」と軽く笑って、でもねと続けてくれた。

「でも英二?湯原くんは一人っ子でしょう?あんたと入籍すれば、湯原のお家を絶やすことになる…それが問題かな。
 ね、英二の話だと湯原くんの家って由緒ありそうよね?そういうお家の名前って、簡単に絶やせるものではないでしょう?
 だから英二、私達には判断できない。湯原のお母さんと湯原くん自身がどう考えるのか、その考えに任せるしかないと思う」

そんなふうに姉は軽やかな覚悟とアドバイスを英二にくれた。
いつも姉は英二を理解し的確な言葉をくれる、たった1歳違いの姉だけれど敵わないなと思わされてしまう。
こんなふうに英二と姉とで宮田家の方針は決められた、そして英二はその結論を持って今日は湯原家の門をくぐった。

分籍は、今まで親の戸籍に入っている子どもが、親の戸籍から抜けて新しく戸籍を得ること。
分籍した子どもは新戸籍において筆頭者となり元の戸籍から完全に独立することになる。
そして分籍した場合は二度と親の戸籍には戻れない、戸籍上は親と断絶することになってしまう。
戸籍法上では断絶しても相続権や親族扶養義務がなくなるわけではないが、親族扶養義務の拒絶も相続の全部放棄も可能になる。

だから周太と生きることを両親に反対され、連れ戻される可能性を断ち切るために英二は分籍を決めた。
そして分籍してしまえば周太の入籍も、戸籍筆頭者である英二の自由にすることが出来る。
分籍者本人が届け出ること。 分籍者は成年、20歳以上であること。 結婚していないこと。
この条件が満たされていれば誰にでも分籍は出来る。

そして姉には言っていない、もう一つの分籍する理由が英二にはある。
本配属になれば周太は本当の危険へと巻き込まれ始めるだろう、そのリスクを英二は背負っていくことになる。
そうした英二のリスクから宮田の家を守るためにも、英二は自分が分籍して宮田の家と絶縁することを考えた。
その為に英二は、周太との入籍を周太の母に断られても分籍だけはしてしまうつもりでいる。
こうした理由で英二は以前から、卒業配置期間が終了し本配属になり次第、すぐ分籍の手続をとろうと決めていた。

― ごめん、父さん、母さん。姉ちゃん、勝手して我儘を言って、ごめん

分籍は自分が選んだ生き方では止むを得ないこと。
両親はきっと哀しむだろう。こんなふうに両親と縁を切ってしまう事は、やはり哀しいと自分も思う。
それでも自分は周太を守りたい。周太の笑顔を見つめて生きていたい、そのためなら全て懸けて生きようと決めている。
その想いを打ち消せる理由なんて英二には、ひとつも考えられない。

だから周太が腕時計の交換を望んで「英二の時間を全部ください」と言ってくれた時、ほんとうに英二は嬉しかった。
ずっと片想いの時から英二は全て周太に懸けてしまった、それを周太に望んでもらえることが幸せだった。
周太も自分の生き方を望んでくれている。その確信から婚約と入籍を英二は本気で願い、姉にも相談して考えた。

けれど民法「第793条 尊属又は年長者は養子とすることができない」
この条文で周太の入籍は湯原家を断絶させることになる、その重みを判断する権利は英二にはない。
英二も長男だから断絶の重みが解ってしまう、そして実直な性質の英二には湯原家の想いを考えざるを得ない。
自分は大逸れた事をしている、そんな自戒も起きて「入籍」は言わずに黙っていようとも考えた。

― それでも、諦められない

そう、諦められない。
直情的な自分は結局は、本気で欲しいものは何をしても掴んでしまいたい。
だから自分は法律上で両親を捨てようとさえしている、例え家族と生家を守る為でも親不孝だと解っている。
そんな危険を選んで立とうとする事自体が本当は、とんでもない親不孝なのだと知っている。
それでも、どうしても守りたい。純粋なままでも辛い運命に立とうとする周太を、どうしても自分が守りたい。

ずっと人形のように生きていた自分。
外見と性格のギャップに悩んで本音で生きることを諦めて、要領良いフリして楽に生きようとしていた。
ただ微笑んでウワベの優しさに取り繕って「きれいな愛玩人形」でいれば傷つくことは減る。
けれど本当はいつも苦しくて寂しくて、ずっと心の底ではいつも問いかけていた。

―ほんとうは、率直に、素直に、生きていきたい。生きる意味、生きる誇り、ずっと探している―

きっと誰も答えてくれやしない、どうせ誰もが自分の外見にしか用が無い。
そんな投げやりな想いと、ありのまま本当の自分を見つめてくれる「誰か」を諦められない想いと。
そんな「誰か」の為に生きたくて、心から想えるひとに出会いたくて自分の居場所が欲しくて。
そしてあの春浅い日に警察学校の校門で周太に出会った。

真直ぐで強い視線、そのくせ穏やかで繊細な黒目がちの瞳。
真直ぐな端正な視線の向こうには、やさしい純粋な温もりが英二を見つめてくれていた。
そして寮の隣室になって隣で過ごす日々、周太は言葉はないまま瞳で語りかけてくれた。

  あなたの真実の姿、実直で温かい、やさしい穏やかな静謐。
  あなたの真実の姿、そのままで、生きていて?
  そのままの姿で、率直に素直に生きるなら。あなたなら、きっと見つめられる、見つけられる。
  生きる意味、生きる誇り。それからあなたに、必要な全て。

その瞳を見つめて自分は、人形として生きることを止められた。
素直に本音のままで生きられる自由を手に入れて、そして周太のために生きたいと願った。
唯ひとり自分を解放してくれたひと、唯ひとり自分に「必要な全て」を与えてくれたひと。
そして真直ぐで端正な生き方と、やさしい純粋な穏やかな居心地で、自分を惹きつけて離さない。
そうしてもう愛してしまった、だからもう諦めることなんか出来ない

けれどいま目の前で自分を見つめる、快活な黒目がちの瞳のひと。
自分が愛するひとを生み育ててくれた唯ひとりの女性、この人の想いを無視することは出来ない。
なぜならもう自分は、この女性すら周太ごと愛しているだろうから。
自分の母親とは全く違う生き方をしている、この美しい瞳の穏やかな女性。
息子の置かれた運命と想いを真直ぐ見つめて理解して、そして息子への愛情のために英二のことすら受け留めてくれる。

― お母さん、あなたを裏切ることは俺は、きっと出来ません。でも、周太が望んだら…

周太が望んだら、自分はどんなことでもするだろう。
そんな想いで英二は冬晴れの青い庭先で、周太の母の瞳を真直ぐに見つめていた。
見つめる想いの先で快活な黒目がちの瞳は、ふわり穏やかに微笑んで彼女の唇も静かに微笑んだ。

「英二くん?もし宮田の家に入籍するなら、ご両親の反対があっては出来ない。そうでしょう?…どうするつもりなの?」

きっと訊かれると思っていた。
きっと自分の考えは、この人をまた罪悪感に悩ませるかもしれない。
それすらも自分が全て背負いたい、きれいに微笑んで英二は彼女に告げた。

「俺は宮田の家から分籍をします。7月には本配属になります、そのとき分籍して新しい戸籍を作ります。
 そうしたら俺は戸籍の筆頭者になります、責任も権利も全て俺だけの判断で出来ます。
 でもね、お母さん?この分籍は、俺の自分の都合ですることです。入籍だけの為じゃありません」

快活な黒目がちの瞳がすこし大きくなる。
このことは意外だったのだろう、きっと驚いている。そんな彼女に微笑んで英二は言った。

「お母さん、俺は周太の為ならね、全て懸けたって惜しくないんです。これはね、まだ片想いの時から変わっていません。
 だから分籍も同じことです。俺が自分のために考えて、もう姉と何度も話し合って確認して決めたことです」

大きくなった黒目がちの瞳がゆっくり瞬いた。
そして静かに彼女は英二を見あげて口を開いた。

「…お姉さんにまで、お願いしたのね?」
「はい、姉に言われました。周太と一緒にいないと俺は、また女の人を泣かせるから迷惑だそうです。
 だから一緒にいろって言われました。それくらいにね、俺って周太がいないとダメなんです。困ったもんですよね?」

すこし寂しげに、けれど覚悟したように黒目がちの瞳が微笑んだ。
そして穏やかな瞳のままで、ゆっくり周太の母は話し始めた。

「私がこの家にお嫁に来たとき、周太の父は一人ぼっちでした…穏やかで優しい人、けれど寂しそうだった。
 そしてこの湯原の家について夫は、ほとんど語りませんでした。きっと事情がある…そう気づいても私は何も訊けなかった」

小さくため息をついて、すこし寂しげに彼女は微笑んだ。
そんな笑顔に、そっと冬の陽射しが象る木洩陽がさしかかる。その温もりに安らぐように彼女はまた続けた。

「ただ夫はこう言っていました『もう自分以外の誰も、この家に縛られないで欲しい』
 それだけを私に告げたまま、…あのひとは全てを沈黙したまま、亡くなってしまいました」

黒目がちの瞳をゆっくり水の紗が覆いはじめる。
その瞳からおおきくあふれた涙が、堰を切るように白い頬を伝って砕けた。

「あのひとは、私に何も言ってくれなかった…そして私は…孤独なまま、あのひとを逝かせてしまった…
 だから、私は今も後悔しているの…無理にでも訊きだしてあげれば良かった、あのひとの孤独を壊してあげればよかった
 …そして、あのひとの背負う重荷を、少しでも分けてもらえたら、…あのひと死なないで済んだかもしれないのに」

あふれる涙を静かに長い指で英二は拭った。
そして黒目がちの瞳を覗きこんで、きれいに笑いかけて言った。

「お母さん、この家にはお父さんの作った家具が、たくさんありますよね?
 そして庭木も植えられている、そのどれもを周太は『大好きなんだ』って俺に教えてくれます。
 そして俺もね、この家が好きです。自分の実家よりも落ち着けます。
 そういう場所って幸せなひとにしか作れないって思うんです。だからきっとね、お父さんは幸せだったと思います」

「…あのひと、幸せだったかな?」

ぽつりと周太の母は呟いた。
きっとずっと彼女は心に泣いてきたのだろう、そんな想いが切なくて受け留めてやりたい。
きれいに笑って英二は彼女に頷いた。

「はい、きっと。だってね、お父さんのことを話す周太は、とても幸せな笑顔が可愛いんです。
 そんな周太のお父さんが、ただ孤独なだけだったとは思えないでしょう?それにね、お母さん。
 男なら誰でも孤独な部分は持っています。個人差はありますけれどね、でも孤独な部分があるから魅力も出るってもんです」

最後は明るい調子で軽やかに告げて、英二は笑った。
そんな英二を見つめて彼女も、やっと笑ってくれた。笑ってくれることが嬉しい、そう笑顔を見つめながら英二は口を開いた。

「お母さん。俺が周太と結婚すれば湯原の姓は消えてしまいます。けれどこの家の想いと記憶は、俺が守りたいです。
 お母さんの言うとおり、この湯原の家は秘密が多いです。けれどその秘密ごと俺は、この家も周太も抱きしめたい。
 だからお母さん。俺との入籍を許してください。法律でもずっと、周太と一緒にいられるようにさせてください」

「…この家の過去まで、英二くんは背負うというの?」

すこし微笑んで彼女が訊いてくれる。
そんな彼女の問いかけに真直ぐ、見つめて頷いて英二は答えた。

「はい、背負います。だって俺、この家の空気も全部が好きなんです。だから背負えたら嬉しい、そのつもりで婚約も申し出ました」

ただ英二は想ったままを告げた。
冬の陽光の中佇んで彼女は英二を見あげたまま続けてくれる。

「…周太のために英二くんは、自分のお家を捨てるのでしょう?それでも、そんなにしてまで、あの子を望んでくれるの?」
「はい、俺は周太だけ欲しいんです」

迷わず真直ぐに英二は答えて微笑んだ。
そんな英二を見つめて微笑んだ黒目がちの瞳から、ゆるやかに涙一滴こぼれおちていく。
その滴を長い指で拭いとると、きれいに笑って英二は頭を下げた。

「俺は本気です、もう心は動かせません。だからお願いします、いつか時が来たら周太を、俺の嫁さんにください」

ふっと空気が穏やかにゆるんで、やさしい静謐が英二の前をながれた。
ゆっくり下げた頭をあげると、黒目がちの瞳が幸せそうに微笑んで見つめてくれる。
そして穏やかに彼女は唇を開いた。

「はい、解りました。あの子がね、Yesと言ったら、それで決まりね?健闘を祈っているわ、英二くん」

きれいに笑って周太の母は英二を見あげてくれた。
はっと大きく息を吐いてから英二も笑った、心から嬉しくて切長い目も笑んでしまう。
きれいに明るく笑いながら英二は白状した。

「よかった、俺、すごい緊張しました」
「そうなの?見えなかったわ、意外ね。大人の男らしい貫録があって、英二くん、とっても素敵だったわよ?」

楽しげに黒目がちの瞳が笑ってくれる。
そんな彼女に英二は提げていた花束のひとつを手渡した。

「年始のごあいさつと、Yesを戴いたことへの感謝です。お好みに合いますか?」
「ええ、とっても素敵な花束ね?Noって言わなくてよかったわ。貰えないとこだった」

そんなふうに笑いあいながら玄関へと戻り始めた。
きっと周太の食事の支度も出来ているだろう、そう思いながら玄関扉を開ける英二に彼女が微笑んだ。

「ね、こっちの花束は、もしかして周太へのプロポーズ?」

そう、その通り。
そのために新宿の花屋で一生懸命に言葉を考えて、想いに添った花束を作ってもらった。
さすがにすこし気恥ずかしく笑いながら、英二は彼女に答えた。

「はい。まだ周太はね、この花束に気付いていないんです。お母さんの花束と一緒に抱えてきたから、花束は1つだけと思っています」
「サプライズね、素敵だわ。いつ渡すの?」

楽しそうに共犯者のような彼女が笑って訊いてくれる。
彼女の質問に英二は、ちょっと笑って答えた。

「いますぐです。台所に立ったエプロン姿の周太に渡したいんです、その姿の周太がね、俺いちばん好きだから」

母のために英二のために料理をする姿。
そんなふうに自分の大切な相手のために、手を動かしている周太の姿が愛しい。
ほんとうは白いシーツにうずめられた周太が、いちばん清楚できれいだと英二は思っている。
けれどそんなシーンで花束を渡されたら、恥じらい過ぎて周太は真赤になって何も答えられないだろう。
さすがにこんな本音は言えないな、そんな考えにすこし笑って英二は台所の扉を開いた。

「周太、」

名前を呼んで、ゆっくりと紺色のエプロン姿が振向いてくれる。
振向いた黒目がちの瞳が不思議そうに、英二と花束を見つめながら微笑んで呼んでくれた。

「英二?…花、お母さんにまだ渡していないの?」
「うん。周太、ちょっと手を止めてくれる?俺、教えてほしいことあるんだ」
「ん、?…ちょっと待って」

どうしたの?そんなふうに穏やかに瞳で訊きながら、包丁を置いて手を拭いてくれる。
そしてガスの火を止めると、エプロン姿のままで英二に向き直って微笑んでくれた。

「ん…なに?英二」

訊いてくれる瞳を見つめながら、英二は一歩を踏み出した。
そして周太の前に立つと少し体を周太へ傾けて、きれいに笑って言った。

「周太。いつか必ず、俺の嫁さんになってください。
 でも、そうして入籍することはね、周太から湯原の姓を法律で取り上げることになる。
 けれど信じてほしい、この家は俺が必ず残してみせる。そしてこの家の想いも全て俺が周太に教えてあげる。
 よく考えて、周太?俺と入籍すれば湯原の姓は残せない。けれど家は俺が守っていく。それを理解したうえでの周太の答えを教えて?」

きれいな黒目がちの瞳が真っ直ぐに英二を見あげてくれる。
その頬に右掌をそっと添えて、ゆっくりと考え込むように周太は頷いた。

「はい、……法律で、英二の姓を名乗るしかない、そういうことだね?」
「そうなんだ、同じ年でも俺の方が先に生まれたからね。年長者である俺の戸籍に周太が入るんだ」

すこし黒目がちの瞳が困ったように瞠られた。
そして右掌を頬に添えたまま、すこし哀しそうに周太は首を傾げた。

「…でも、英二のお母さんは反対するでしょう?…だから宮田の戸籍には、俺、入れないと思う、けど…」
「大丈夫だよ、周太」

しずかに微笑んで周太の顔を覗きこむと、黒目がちの瞳がすこし泣きそうになっている。
泣かないでいいのに?そんな想いで周太の右掌に英二は自分の左掌を重ねて微笑んだ。

「俺ね、本配属が決ったら実家から分籍して自分の戸籍を作るんだ。
 もう俺は警視庁の山岳レスキューとして生きることになる、今後の配属は七機か奥多摩地域の警察署だ。
 どのみち俺の拠点はさ、奥多摩になるだろ?なら本籍を移した方が都合がいい。
 だから俺、世田谷の実家から分籍しようと思う。だから周太、いつか時がきたら俺の戸籍に入って?
 ね、周太?俺だけの一人ぼっちな戸籍は寂しいよ。だから周太、絶対に必ず、いつか俺と入籍してくれないかな」

ちょっと強引かな?そんな想いのままに英二は「我儘」を言ってみた。
そんなおねだりに周太は、ちょっと可笑しそうに微笑んでくれる。

「俺がその…にゅうせきしないと、英二、ひとりぼっちになっちゃうの?」
「そうだよ。そんなの俺、寂しいだろ?」
「ん、…」

なぜ分籍するのか?その理由の全てを言うつもりは英二にはない。
だって知ればきっと周太は遠慮したくなる、だから今に言う必要などない。
ただ周太には湯原姓を絶やしていいのかだけ考えてほしい、きれいに笑って英二は周太に訊いた。

「周太、いつか必ず、俺の嫁さんになってください。ゆっくりでいい、よく考えた周太の返事を、また俺に聴かせて?」

きれいに笑って英二は、持っていた花束を周太に手渡した。
あわい赤、純白、クリームカラー、深紅とグリーン。初々しい艶と清楚なふんいきの冬と春の花々。
渡されて抱えあげた花々に囲まれて、黒目がちの瞳が驚いてすこし大きくなっている。
この顔かわいくて好きだな、そう眺めて微笑む英二に周太が尋ねた。

「あの、…これ、俺に、くれるの?」
「そうだよ、周太。これはね、プロポーズの花束なんだ。花言葉で花も選んである、そこに付いているカードに書いてあるよ」

言われて素直に周太はカードを手にとった。
それを見つめながら周太の首筋が、さあっと赤く染めあげられていく。
そんな周太の様子を見ながら英二は微笑んで教えた。

「周太の父さんがさ、花言葉に詳しかったって言っていたろ?
 だからね、花屋でお願いして作ってもらったんだ。周太、気に入ってくれるかな?」

花言葉のカードと花束を見比べながら、頬まで赤く染まっていく。
植物が好きな周太はきっと、どの花がどんな言葉なのか見比べているのだろう。
そう見比べるごとに額まで赤くした周太が、ようやく花から顔をあげて英二を見つめてくれた。

「英二、『いつか』が来たら、…俺を、湯原の家から浚って?」

真直ぐに黒目がちの瞳が英二を見つめてくれる。
その瞳は深い想いが澄んで、きれいな静謐と落着いた心が映しこまれていた。
すこし首傾げて英二は自分の想い人に尋ねた。

「周太、後悔しない?いま、約束してしまったら。本気で俺は、いつか周太を嫁さんにするよ?
 そうして一生ずっと、俺の腕の中に閉じ込めてしまうよ?…「湯原」の苗字すら奪って、俺の名前に周太をしちゃうよ?」

「ん、…後悔しない。だって俺、決めているんだ、もうずっと…」

しずかなトーンで落ち着いた声が答えてくれる。
きれいな瞳で英二の目を見つめて、穏やかな想いに周太が教えてくれた。

「俺は英二の子供を、産んであげられない。
 けれどね、温かい家庭は…二人きりだけれど、でも、温かい家庭は、俺でも作ってあげられるかもしれない。
 そうやって俺、『いつか』英二のためだけにね、…生きたい。そう決めているんだ…だからその時が来たら、湯原の姓を捨てたい」

「周太、『いつか』ってどんな時のこと?」

ずっと使ってきた『いつか』、それを今ここできちんとしたい。
そんな想いで訊いた英二に、そっと花束を抱いて周太は答えてくれた。

「父の想いを全てを見つめ終わってね、…俺が自分の人生を歩きはじめる時。
 その時には…俺の人生をね、英二にあげたいんだ…
 そして一緒にいさせてほしい、英二だけの隣で居場所で、帰ってくる場所にね、俺はなりたい」

こんなふうに大好きなひとに言われたら。
本当に幸せで英二は微笑んで、花に囲まれている周太の顔を覗きこんだ。

「周太、『いつか』が来たら必ず俺と籍を入れてください、それまでは俺の婚約者でいてください。
 どうか周太?『いつか』俺の嫁さんになってください。そして俺とずっと一緒に暮らしてください」

どうか頷いてほしいよ?そんなふうに英二は笑いかけた。
そして婚約の花々から周太が、きれいに笑って頷いた。

「はい、英二…やくそくする、ね」

きれいな幸せそうな笑顔が周太の顔に咲いている。
こういう笑顔をずっと見たかった。うれしくて微笑んで英二は、そっと周太の肩を花束ごと抱いて顔を近寄せた。

「周太、婚約のキスだよ?」

穏やかに幸せなキスを、台所の温もりの中でふたりは重ねた。





(to be continued)

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