萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第41話 久春act.1―side story「陽はまた昇る」

2012-04-23 23:59:31 | 陽はまた昇るside story
※中盤2/4~3/4あたり念のためR18(露骨な表現はありません)

春つづく日を想い、



第41話 久春act.1―side story「陽はまた昇る」

おだやかにカーテン明るむ暁の光がやさしい。
夜の墨色はあわい藤色へと姿を変えて、やわらかな春の朝を予感させる。
夜と朝の境時、腕のなか眠りこんでいる額にキスでふれて、英二は微笑んだ。

「本当に疲れたよね、周太…心配かけて、ごめんね…」

白いリネンにくるまれて、パジャマ姿の周太は深い眠りに安らいでいる。
昨夜、奥多摩から戻ってくる四駆の車中で、すとんと周太は墜落睡眠におちた。
そのまま川崎の家に着いてからも、一度も目覚めないで眠っている。
だから車を降りる時は、怪我した英二を気遣って国村が周太を抱き上げてくれた。

「お姫さまを、お姫さま抱っこするなんてさ、イイ気分だね?」

そんなふうに笑って周太をリビングのソファに連れて行ってくれた。
待っていてくれた周太の母と、3人でコーヒーを飲んでいる時も周太は目覚めず眠りこんだ。
コーヒーを飲み終えた国村が帰るとき、すこし黒目がちの瞳を披いたけれどすぐ瞑ってしまった。
そんな周太の額にキスをおとすと、底抜けに明るい目は温かに笑んだ。

「お姫さま、眠りの森に入っちゃったね?まあ、昨日は徹夜だったから、仕方ないか」
「なんか悪いな?ごめん、国村」

何だか申し訳なくて英二は国村に謝った。
けれど大らかな優しい笑顔は透明なテノールで言ってくれた。

「詫びなんか要らないね?おまえが眠りの森の美女やってる間はさ?俺が周太の付添だったんだ、イイ気分だったよ、」

からり笑って国村は小柄な体を抱き上げると、2階の周太の部屋まで運んでくれた。
それから周太の母に辞去の挨拶をすると、また四駆の運転席に乗り込んだ。
そのとき庭先の駐車場まで見送りに出た英二に、国村は低めたテノールで言ってくれた。

「さっき車の中で言っていた、『もう1つの書斎机』だけどさ?おまえの推理は正しいと思うね、俺も」
「いま見てみたんだ、国村?」
「そ。周太が生まれてから作ったにしては、木材が古いよ?しかも部分的に材質が違う。だから、俺は宮田の推理に賛成するね、」

そんなふうに裏付けを教えてくれると、悪戯っ子に細い目を笑ませた。
またなんかやる気かな?そう見ている英二の口元へ、白い指で投げキスを送りつけて可笑しそうに微笑んだ。

「俺の愛しい、麗しのアンザイレンパートナー、暫しのお別れだね?」
「愛しくなくっていいけどさ。連続で休暇になって、ごめん。農業の方、困らないか?」

複数駐在所の御岳では常駐の岩崎所長と、この2人が交替で勤務するから英二が休めば国村が出勤することになる。
だから国村は5日ほど連続出勤する予定になった、これが兼業農家でもある国村には申し訳ない。
いつも休日は実家の山林や畑の手入れに行く国村には、5日も農業に従事できないのは困るだろうな?
そう想って謝った英二に、何のことは無い貌で国村は言ってくれた。

「畑は平気だよ、美代が見てくれるし、祖父さんたちも元気だからね?山の畑は出勤前か昼休みに行けるしさ。
それより、おまえこそキッチリ治しなね?あと10日で滝谷だよ、万全の体調で登って貰わないと困るからさ、いいね?」

話しながらエンジンキーを回して笑ってくれる。
いつもながらの大らかな優しさに感謝して、けれど気になってしまう事を英二は訊いてみた。

「ありがとう、国村。でさ?なんで、おまえ、俺になんかキスしたんだよ?」
「うん?ああ、お目覚めのキスのこと?」

運転席で首傾げた国村に、英二は頷いた。
そんな英二に底抜けに明るい目が、楽しげに笑って微笑んだ。

「言った通りだよ、山っこのキスは強力な護符だからね?あとは救助後の昂ぶりと、俺の趣味と愛ってトコ。ほら、」

そう言い終わらないうちに、運転席の窓に近寄せていた英二の顎へと白い手が掛けられた。
不意を突かれている隙に惹きよせられて、ふっと甘く清々しい香と秀麗な貌に近寄せられる。
けれど、運転席の扉に腕を突張って、体勢を立て直すと英二は微笑んだ。

「そう何度も、勝手にさせないよ?」
「あれ?巧いこと避けたね、おまえ。そんなに遠慮するなよ、俺の目覚めのキス、気持ちよかったろ?」

飄々と笑いながら英二の顎を持って、底抜けに明るい目が顔を眺めてくる。
なんだかこの状況は変だな?顎を持たれたまま可笑しくて英二は笑いながら断った。

「キスも周太限定なの、他とはしない」
「だったら尚更、俺とするべきだね?で、キス巧くなって、周太を喜ばせてやんなよ。ま、続きは奥多摩でな?」
「続きはいらないよ?でも、奥多摩には戻るから、」
「おう、ちゃんと戻りなね?周太に溺れすぎるんじゃないよ、戻れなくなったらヤバいからさ」

からり悪戯っ子に笑って手を離すと、そのまま英二の頬を小突いた。
小突かれた頬をさすった英二に、透明なテノールが微笑んだ。

「じゃ、木曜の午後に迎えに来るからね。それまで、周太以外とえっちするんじゃないよ、」
「誰とするっていうんだよ?」

呆れながら笑った英二に、底抜けに明るい目が笑ってくれる。
そして「連絡するね、」と手を挙げると、国村は奥多摩へと帰って行った。
そのあと風呂を済ませて、おやすみなさいと周太の母に挨拶してからも周太は起きていない。
だから英二が周太を着替えさせて、こうして抱え込んで眠りについた。

「おかげで全部、見れちゃったな、周太のこと…」

昨夜の気恥ずかしい幸せな記憶に、素直に英二は微笑んだ。
以前、バレンタインの夜に酔っぱらった周太を寝かせるため、シャツと下着以外を全て脱がせたことはある。
その前にも眠っている周太を朝湯に浸からせた後で、着替えさせたこともある。
けれど、どちらも全身をゆっくり見られたわけではない。
でも昨夜は、バレンタインの夜のように具合が悪いわけではないし、朝湯の慌ただしさも無い。
それで英二はつい、着替えさせる為に脱がせた周太を、ゆっくりと見てしまった。

いつものベッドの時も、勿論すべて脱がせてしまう。
けれど恥ずかしがって周太はすぐ隠そうとするし、真赤になって恥らう周太を無理に見ることもしたくない。
なによりベッドの時間が始まってしまえば、周太の艶めく表情が見たくて眺めるより体を動かしてしまう。
だから、ゆっくり周太の全てを眺めることは初めてだった。

「…だって周太、全然、起きなかったから…歯止めがね、」

つい言い訳のような独り言をつぶやいて、頬が熱くなった来た。
どうも奥多摩鉄道の夜以来、自分は紅潮しやすくなったと思う、どれも周太限定だけれど。
あの夜は周太が追いかけてくれて、そして河辺のビジネスホテルで夜の可愛いワガママをいっぱい言ってくれて嬉しかった。
だから昨夜も本当は、たくさん夜の可愛いワガママを聴かせてほしいなと思っていた。

あの雪崩から生還して、すこし心身が昂ぶっている所為もあるだろう。
それに雪崩に呑まれる瞬間からずっと、周太のことだけ想って自分は帰って来た。
そんなことからか、昏睡から覚めて以来ずっと周太を求めたい想いが強く起きてしまう。
けれど病院ではさすがに気が退けて、ベッドの中で抱きしめるだけで満足した。

そんなふうに本当は昨夜を待っていたから、起きてくれないのは残念で寂しい。
けれど英二の為に周太は、心根から疲れ果てたと解っている。
まず英二の容態への心配をかけた、そして英二の母との対面で緊張と痛みに哀しませた。
それから夜通しの看病をしてくれて、精密検査の結果待ちにも不安にさせただろう。
だから昨夜は、静かに休ませてあげようと思っていた。
けれど、

「でも…ごめん、周太、…勝手なこと、しちゃって、」

謝罪の言葉を告げながら、英二はそっと眠る恋人を抱きしめた。
いま周太はきちんとパジャマを着て眠っている。
けれど日付が変わって2時間後までは、裸身のまま周太は抱かれていた。

ゆっくり寝んでほしいから着替えさせてあげたいな。
そんな理由で最初は周太を脱がせ始めて、全ての衣服を小柄な体から抜き取った。
そして見た素肌が綺麗で惹きつけられて、替えの下着もパジャマも着せないで見惚れてしまった。
そんな英二の視線にも深い眠りに横たわる無邪気な無防備が、無意識の誘惑になって心がひっぱたかれた。
あの痛烈な心の緊縛とあまやかな誘惑の記憶に、そっと英二は寝顔に囁いた。

「…周太の所為じゃないけど、反則だよ?周太…、」

誘惑されるままキスをしても、周太は目覚めない。
耳元に首筋に、肩に腕にとキスをしても寝息は安らかなまま。
ゆるやかに吐息うつ胸元にキスをして、舌でふれても眠りは醒めない。
そんな周太の様子につい、好きな場所に好きなだけふれて、見たいだけ見てしまった。
そうして見た周太の体は秘められた所も何もかも、愛しくて可愛くて、存分にキスして味わってしまった。

「周太…見ちゃった、俺…周太も見たこと無いとこまで…怒る?」

もう自分は、周太のどこに何個ほくろがあるかも言える、本人すら知らない所まで。
それが満足で嬉しくて仕方ない、たとえ怒られても反省が出来そうにない、それくらい幸せな気分でいる。
そして困ったことは、たぶん今回の幸福感から『癖』になりそうなことだった。

「…俺、もう完全に、変態の仲間入り、だよな…」

ひとりごと呟いて英二は、こつんと周太の額に額をよせた。
この無邪気に眠る純粋な恋人を、眠っている間に視線と指と口で存分に味わってしまった。
この間に周太が見た夢はなんだろう?そんなことを気にしながら英二は窓を見た。
カーテン透かす光はまだ早い時間だと告げてくれる、たぶん5時半を過ぎたところだろう。
まだ外も家の中も眠りが深い、夜の静謐が残る世界はおだやかに鎮まっている。
こんなふうに。愛するひとを抱きしめて見つめる夜明けの時間が、自分は好きだ。
今この時間にある幸せに、心から英二は微笑んだ。

―この静かで幸せな時間に、また帰ってこられた

あの雪崩に呑まれた時、この時間が終わるかもしれないと思った。
けれど、どうしてもこの腕に眠るひとに逢いたくて、生きて逢いたくて生命の糸に自分は縋った。
どうしても抱きしめたかった、こうして胸に抱いて眠りたくて、心と体繋げる幸せに酔いたかった。
なによりも笑顔に逢いたくて、自分は生きたかった。

「周太…君とこうしたくて、帰ってきたんだ、俺は…でも、今夜は離れちゃうね?」

今日の周太は午後になれば当番勤務の為に新宿へ戻る、けれど明日の朝にまた帰ってきてくれる。
だから焦ることはないだろう、それでも昨夜の時間は幸せで、眠っていても温もりにふれた時間は幸せだった。
そして今もまた、温もりに触れたい想いが強い。そんな自分に英二は困って微笑んだ。

「ごめんね、周太?…ちょっと俺、君のこと好き過ぎるみたいで…でも、赦してくれる?」

眠っている唇にキスでふれる。
ふれる吐息が眠っている呼吸に安らかで、深い眠りに恋人がいると知らされる。
そっと唇を拓いても目覚める気配がなくて、英二は眠りこむ長い睫を見つめながら深いキスにふれた。
唇からふれていく温もりが愛しい、一方的に絡ませる熱もされるがままで、どこか征服感のような満足がおかしくさせる。
こんな熱は今の自分には強すぎて変になる、けれど離せない。

―惑わされそう、こんなのは…

キスが熱い、けれど長い睫は動かない。
抱きしめる体も抱きしめられるまま、やわらかに撓んで添ってしまう。
こんなに熟睡するほどまだ幼い恋人が、尚更に愛しさ募らされて愛撫が止まらない。
長い指がパジャマを捲りあげ押し下げて、素肌の艶と熱を求めて動き出してしまう。
このままだと歯止めが利かなくなりそう?そんな想いに自制心がなんとか動いて、英二は恋人に告げた。

「…周太、…起きないの?…このまま、しちゃうよ、俺…」

いつもは真面目で冷静に落着いて「国村のブレーキ」だと言われている。
今回も真面目すぎの結果に溜った休暇を、少しでも消化しろと休みを貰えた。
けれど今の自分は真面目どころか、犯罪者一歩手前のことをしている。
あんなにも強姦への懺悔に泣いた癖に、こんな眠っている時に抱こうとしてしまう。

「山ヤで警察官なのに…変態で犯罪者なんて、困るよ?お願いだ周太、目を覚まして、俺を止めて?…君しか止められないんだ、」

この恋愛の前には、真面目も冷静も役立たず。
いつもストイックと言われる位に強めの自制心まで、折られたいと嬉しげに軋んでいる。
こんな自分は本当に恋の奴隷で、普段の顔など行方不明のまんま、どこに行ったか自分でも解からない。
こんな自分を持て余して困り果てて、英二は眠っている自分の恋の主人に懇願した。

「ね、周太?俺に命令してよ、止めろって。でないと俺、本当にこのまましちゃうよ…周太、命令してくれ、お願いだ、」

お願いだから俺を止めて?
あまやかな束縛と困惑に溺れる救けを求めて、長い睫を見つめた。
そうして見つめる想いの真中で、長い睫はごく微かにゆらめきを見せた。

「周太、」

やっと起きてくれる?そして命令して叱ってくれる?
いま目覚めてくれそうな恋の主人を見守るなかで、ゆっくり長い睫が披かれていく。
そして見開かれた黒目がちの瞳が、英二を見つめて微笑んだ。

「えいじ?…だいすき、」

きれいな微笑が頬よせて、やさしいキスで唇を重ねてくれる。
ふれる温もりと幸せが嬉しい、けれどちょっと今は困ってしまうのに?
いま、本当は求めたくて仕方ない、それなのにキスされたら自制心の最後が折られてしまう。
どうしよう?困惑のまま幸せに溺れかけた英二に、そっと離れた唇と瞳が幸せに微笑んだ。

「おねがい…だきしめて、きす、してね、…」

ばっきり、

自制心の折れる音を英二は、再び自分の心に聴いた。
奥多摩鉄道の夜に初めて聞いた、恋の奴隷に成り下がった夜の音。
あのときと同じように時めいて、大切な自分の主人に見惚れながら英二は質問をした。

「…しゅうた、抱きしめてキス、すればいい?」

訊きかえす声は時めく想いに、息の根が止められそう。
こんなお願いは今の自分にとって、嬉しすぎておかしくなる。
嬉しいままに見つめる愛しい瞳が、幸せそうに気恥ずかしく微笑んだ。

「ん、して…あいしてるならいうこときいて、ね…」

幸せそうな黒目がちの瞳は無垢の誘惑に微笑んだ。
この微笑に心ごと縛られて惹きまわされる、プライドも砕かれてしまう。

「愛してるよ?…抱いてキス、したいよ?」

本当に君からも望んで誘惑してくれる?
切ない想いで見つめた微笑は、ふっと眠たげに瞳を細めた。

「すき、えいじ、…」

長い睫が黒目がちの瞳に降りていく。
ゆっくり降りた睫に瞳は伏せられて、無垢の誘惑に微笑んだまま眠りこんでしまった。
そうして安らかな寝息がまた、規則正しく英二の懐で幸せに零れだした。

「周太?」

呼んでも睫は披かれない。
顔を覗きこんで抱き締める、けれど微笑んだ寝顔の瞳は披かれない。
そんな様子に溜息吐いて、英二は困ったまま微笑んだ。

「…寝惚けて、一瞬だけ起きて…命令で誘惑しちゃうの?周太、」

止めてもらうために命令してと言ったのに?
それなのに「抱き締めてキスして」と命令されてしまった?
こんなのちょっと、反則どころか全面降伏になってしまう。
もう観念して奴隷どころか、悪人になろうかな?あまやな罪悪感に英二は微笑んだ。

「仰せのままに、従っていいの?俺の恋の、ご主人さま…」

ずっと求めていた、あの雪崩の瞬間から愛するひとの温もりを。
だから今、差し出された時に手を伸ばしてしまう、夢言にでも告げられた命令に縋らせてほしい。
想いに唇ふれて深くキス重ねながら、裾から捲りあげたパジャマを華奢な骨格の肩から抜きとった。
ふれる艶に掌が喜んで温かな素肌にふれていく、長い指がパジャマのウェストにも手を掛けたがる。
それでも微笑に眠る恋人に、英二は切ない笑顔を向けた。

「…赦してほしいよ、周太?…お願いだ、」

長い指がウェストに掛けられ引きおろされて、洗練された肢体が目に晒される。
露になる素肌ふれる感覚が幸せで、最後の自制心の欠片をおしながす。
ふれる熱が心狂わせていく、体ごと繋いで融け合いたいと求めていた想いが侵食する。
もう、止められない。

「ごめん、周太…愛してる、君がほしい、…ふれたい、君に、」

言葉に想い告げながら唇を重ねあわせて、自分の腕もシャツから抜いた。
もどかしい1枚の布地が脱げ落ちていく、もうブレーキになる存在が消え去っていく。
首に懸けた合鍵を外してベッドサイドに置いた、ことんと立つ音にも恋人は目覚めない。
無垢な微笑が艶やかな裸身を無防備に魅せて、無意識の誘惑が永遠に繋がる想いを惹きこんでいく。
この美しいひとは自分の婚約者、そして永遠の恋人に結びたい唯ひとり。

「愛してるよ?…ずっと、君を求めてる、ずっと傍にいたい。君だけなんだ、だから、赦して…」

切ない恋心に重ねる唇、深いキスに想い熔かして永遠の愛に赦しを乞う。
もう、思考力すら消えて「愛している」しか解からない、ふれる素肌の温もりだけが全てになる。
ずっと求めた人を素肌に抱きしめて、ふれる愛しい熱に全身の肌から侵されて、もう「止める」ことなど忘れ果てた。
ただ愛している。求めていた瞬間と幸福に微笑んで、あまく融ける熱に英二は溺れこんだ。



朝湯と着替えを済ませ、周太の母に朝の挨拶をすると英二はベッドに戻った。
浴室の湯に絞ってきたタオルで、眠りこんでいる体を拭っていく。
それでも周太は目覚めない。

…周太、本当に疲れている…無理ないな、

それなのに自分は夜も朝も、あんなことをしてしまった。
雪崩に呑まれる瞬間から求めていた温もりに、眩んだ心のままで見つめてふれて味わった。
こんな自分は普段「ストイックで堅物」と呼ばれることが嘘のよう、ただの恋愛の虜で恋の奴隷に過ぎない。
よく国村に「エロ別嬪」と言われるけれど、これからは否定できそうにない。
それどころか国村に事実を知られたら確実に、ケダモノ認定か変態呼ばわりされるだろう。

「周太、君のために俺、変態になっちゃったよ?…」

あまい罪悪感に溜息吐いて微笑むと、きちんとパジャマ姿に戻した周太を抱きしめて横になった。
いま懐で眠りこんでいる恋人は、午後には警察官として当番勤務に行ってしまう。
こんなふうに眠る顔は可憐で、何をされても目覚めない深い眠りにおちるほど幼い素顔でいる。
こんな幼い素顔のひとが任務に立つのが不思議になる、けれど凛々しい顔を持っている事も知っている。
それでも本当は心配で、この純粋無垢な素顔のまま生きさせてあげたいと願ってしまう。
そして本音を言ってしまえば、このままどこにも行かせたくはない。

「…離したくないな、周太…」

本音の想いに溜息ついて抱きしめる。
こんな想いもあって尚更に、夜も朝もふれたくて仕方なかった。
ひとり今夜はここで眠ることになる、それもまた切なさが込みあげそうになる。

―きっと、今夜は切ない…温もりが恋しくて、逢いたくて、きっと…

ほんとうは今日は新宿まで見送りたい、明日も迎えに行きたい。
けれど自分は今、遭難事故の事実を一切黙秘する責務がある。
この責務には額に巻かれた包帯姿を、警視庁管内で晒すわけにはいかない。
その為にも後藤副隊長と国村は、警視庁管外になる川崎の家での静養を考えてくれた。
それを裏切ってしまう事など、自分には決して出来やしない。

「ね、周太?…明日は、早く帰っておいで?そして、君を抱きしめさせて…」

心からの願いに微笑んで、英二は恋人の唇にキスをした。
やさしい温もりの幸せふれて笑いかけると、ふっと長い睫がふるえた。
こんどこそ起きてくれるのかな?嬉しい予感に見つめる真中で、ゆったり長い睫が披かれて黒目がちの瞳が微笑んだ。

「英二?…おはようございます、俺の、はなむこさん?」

目覚めた最初に、愛情の呼名で告げてくれる。
この温もりと幸せに微笑んで、英二は綺麗に笑った。

「おはよう、俺の花嫁さん。…ごめんね、周太?」

あまい罪悪感に困りながらも、幸せに英二は微笑んだ。
そんな英二に首傾げて、幸せに明るい瞳が優しい微笑みをくれる。

「どうしてあやまるの?…俺こそ、あやまらなくちゃ。ずっと眠っちゃって…着替えまで、ごめんね?…寂しくなかった?」
「寂しかったよ、周太。でも俺、本当に謝らないといけないんだ。ごめん、周太。許す、って言って?」

理由を訊かずに先ず許して?
そんな臆病な願いで見つめた先で、黒目がちの瞳が不思議そうに訊いてくれる。

「どうしたの?なにも悪いこと、していないのに?…俺こそ、寝ちゃっていて、ごめんなさい…怒ってるの?」
「怒ってなんかいないよ?ごめん、周太。お願いだから『許す』って言ってくれるかな、理由は訊かないでも、ね?」

ちょっと理由は言えないです、凄すぎて。
眠っている君を昨夜、好き放題に見て触れて唇と舌でしたいだけ味わいました。
そして朝に至っては、きちんと抱いて体を繋げてしまいました、寝惚けた君のお許しを言い訳にして。
こんな本当の理由に困りながら英二は、やさしい婚約者の瞳を覗きこんだ。
覗きこんだ先で黒目がちの瞳は、ひとつ瞬くと不思議そうなままでも頷いてくれた。

「ん、英二。許すよ?…えいじのこと好きだから、赦します。…これで、いいかな?」

気恥ずかしげに頬染めながら「好きだから」と言ってくれる。
こんなふうに無条件で「許す」と言われて嬉しい、初々しい含羞が可愛くて幸せになってしまう。
幸せな想いに素直に微笑んで、英二は綺麗に笑いかけた。

「うん、充分だよ?ありがとう、周太。愛してるよ、」

やさしい恋人がくれる無条件の赦しと受容れが幸せで、けれど罪悪感が浸みるほど甘い。
こんな自分は本当に恋の奴隷で変態で最低だな?そんな自覚に困るから尚更に、この恋人を喜ばせたくなってしまう。
幸せな想いに笑って英二は、愛するひとにキスでふれて微笑んだ。

「周太、俺、朝飯を待ってたんだ。周太と一緒に食べたいから。起きて、一緒に食べてくれる?」
「待っていてくれたの?うれしいな、…あ、もう10時になる?」

驚いて周太は身じろぎすると、ゆるやかに起きあがって時計を見直した。
見つめた文字盤に小さくため息を零すと、気恥ずかしげに頬染めながら英二に謝ってくれた。

「ごめんなさい、こんなに寝坊して…しかも直に出掛けるのに、俺…全然、一緒にゆっくり出来なくて、」
「大丈夫だよ、周太。俺のために疲れていたんだから、こっちこそ、ごめんな?」

英二も起きあがって周太に笑いかけると、黒目がちの瞳が微笑んでくれる。
その微笑が純粋で、昨夜と明方の自分の所業に胸刺されながら、英二は周太を抱きしめた。

「周太、風呂でゆっくり疲れとってきて?それから一緒に、飯食ってほしいな。それで、明日は早く帰ってきて?」
「ん、ありがとう…そうするね、」

素直に頷いて微笑んでくれる。
この微笑をすこしだけ裏切る罪悪感が甘すぎて痛い。
この幸せな痛みと一緒に抱きしめる婚約者は、嬉しそうに笑って言ってくれた。

「明日は朝ごはん、家で食べるね?…でも、9時過ぎるから、母と先にすこし食べておいてね、」
「うん、そうする。楽しみだな?」

笑って答えながら、明日の午後を英二は想った。
明日の午後は、父と姉がこの家を初めて訪れる。
きっと父ならば、この家と周太を英二が選んだ理由を解ってくれる。
けれど周太は不安を抱えているだろう、それでも微笑んでくれる姿が愛おしい。
愛しさに微笑んで英二は抱きしめる人に、そっとキスをした。

―君だけが、こんなに愛しいよ?

ふれあう温もりと微かなオレンジの香が愛おしい。
このまま離れたくないと、心の底が泣き出しそうになる。それでも唇を離れて、愛しい婚約者を見つめた。
ずっとこうして抱きしめていたいのに?そんな願いを静めながら見つめた貌の、きれいな頬が桜いろに微笑んでくれた。

「…ん、はずかしいよ?でも、キス、うれしいな?」

変わらない初々しい恥じらいが愛おしい。
この笑顔を毎朝毎夜ずっと見つめられる日々「いつか」を必ず迎えたい。
この祈りに見つめる愛しい黒目がちの瞳へと、やわらかに英二は微笑んだ。

「きれいで可愛いね、周太は。だから俺、明日は父さんに、いっぱい自慢させて貰うな?」
「え、…そう、なの?」

すこし驚いて、含羞に首筋から赤くそまっていく。
紅潮していく首筋がきれいで、また英二は困り始める自分に途惑った。
そんな困惑に気づかずに周太は、無垢な瞳で微笑んでくれる。

「恥ずかしいな?でも、うれしい…あ、夢もね、うれしかったんだ、」

さっき想った「無邪気に眠る純粋な恋人を視線と口で存分に味わってしまった」間に恋人が見た夢。
いったいどんな夢だったんだろう?あまい罪悪感と一緒に英二は訊いてみた。

「どんな、うれしい夢だった?」
「ん、…はずかしいな、」

恥ずかしげに頬赤らめながら、困ったように微笑んでくれる。
それでも話してほしいな?そう目で訊くと周太は、羞んで口ごもりながら教えてくれた。

「あの…えいじが、きすしてくれて…からだのいろんなとこにも、きすして…それから、…してくれてきもちよくて…」

それは全部現実ですけど?
心で白状しながら目を大きくした英二に、困ったように周太が言った。

「あの、ごめんなさい、こんなえっちなんて嫌い?気を悪くした?…きらいにならないで?」
「嫌いになんて、絶対にならないよ?むしろ嬉しいよ、周太」

嫌いになんてなる訳ないですから?
ほんとうは自分の方が君の何万倍もえっちですから?
だからどうか謝らないで?謝られたら罪悪感が痛すぎ甘すぎて困るから。
心に白状しながら英二は、罪悪感と一緒に愛しい人を心からの愛情をこめて抱きしめた。



朝と昼を兼ねた食事を一緒に摂ると、周太は手早く夕食の支度を整えてくれた。
それから庭の散歩を楽しんで一緒に駅に向かい、改札も一緒に通って英二はホームまで付いて行った。
ホームに入線してくる電車のファサードが疎ましい。そんな身勝手な感想を抱きながら英二は、周太に鞄を手渡し微笑んだ。

「気をつけてな?待ってるから、」

待っている。
この言葉はいつも周太が英二に言ってくれる。
この言葉を言えることは嬉しい、けれど置いて行かれる寂しさも思い知らされる。
離れたくない寂しいな、そんな本音が見えてしまうかのように周太は優しく微笑んでくれた。

「明日、早く帰ってくるね?…夜、電話するから声、聴かせてくれる?」
「俺の方こそ、声聴きたいよ?何時でも良いから、夜中過ぎても良いから、架けてほしいな」

そう告げると黒目がちの瞳が嬉しそうに笑ってくれる。
その笑顔がきれいで幸せで、人混みに紛れるよう英二は素早く周太にキスをした。

「はずかしい…でも、うれしいよ?ありがとう…電話、するね?」

気恥ずかしげに微笑んで、周太は新宿に向かう電車に乗りこんだ。
扉近くに佇んだ小柄な姿を見つめる英二から、ゆっくり動き出した電車が視線を奪う。
動いていく扉の窓を見失わないよう付いていく歩幅が大きくなって、瞬く間に電車は加速する。

行かないで、

思わず心で叫んだ言葉を置いて、電車は愛するひとを連れ去った。
遠く小さくなっていく電車を見つめて溜息が零れる、隣から奪われる温もりの喪失感が痛い。
また明日には帰ってくる、きっと逢える。そう想っても無性に悲しくて、恋しくて、寂しさが痛い。
こんなに本音は寂しがりで、ずっと傍にいてほしくて仕方ない。本音が心こぼれて痛い。

―早く帰って来てよ、周太…もう、逢いたいんだ、ふれたい、君に…こんなに俺は、寂しいよ?

こんなふうに周太を見送ることは、英二にとって2度目だった。
御岳の山ヤだった田中が亡くなったとき、葬儀に来てくれた周太を河辺駅で見送って以来のことになる。
見送ることは、寂しい。置いて行かれる寂しさを見つめながら、英二は線路の向うに消えていく列車を見送った。
すこし書店で気を紛らわせてから家に帰ると、入替わりに周太の母が出かける支度をして待っていた。

「おかえりなさい、ちょっと買物に行ってきていいかな?」
「もちろん、何時頃に帰られますか?」

快く微笑んだ英二に彼女は少し考えてから、買物コースを話してくれた。

「まず銀行に行って、コーヒーの専門店でしょう?それから本屋とスーパーにも行くし…3時間はかかるかも?」

周太の母はスーパーマーケット経営会社の営業管理部門で勤務している。
しかも休日も変則的で、なかなか買物も行けないのだろう。
気を遣わずに楽しんできてほしいな?英二は微笑んで彼女に言った。

「時間を気にせず、のんびり楽しんできてください。俺が留守番していますし、」
「ありがとう、英二くん。それでね、留守番ついでにお願いがあるんだけど、」
「はい、なんでしょう?」

どんなお願いをしてくれるのかな?
ちょっと楽しみに思っていると、明るい黒目がちの瞳がすこし悪戯っ子に微笑んだ。

「明日なのだけどね?夕方から2泊3日で私、お友達と温泉に行きたいの。周のこと、お願いして行っていいかな?」
「もちろん、たくさん楽しんできてください、」

周太の母にとって、留守番が連日いてくれる機会は貴重だろう。
この機会にゆっくり気兼ねなく楽しんできてほしいな?微笑んだ英二に彼女は嬉しそうに笑ってくれた。

「ありがとう、いっぱい遊んでくるわね?お彼岸のお墓参りには帰るから。でも、周は怒るかしら?」
「そうですね、周太はすこし拗ねるかもしれませんね?」

仕方ないなと思いながら英二は正直に答えた。
周太は父親を亡くしてからは、母親だけが唯一の大切な存在になっている。
今は英二のことも心から大切に想って甘えてくれるけれど、母親は唯一無二の存在だろう。
だから今回も周太は、母と過ごせることを楽しみにしている。きっと幾分拗ねて、けれど母の為に納得して送りだすだろうな?
こんな予想をした英二に周太の母も、すこし困ったように可笑しそうに笑った。

「やっぱり、拗ねちゃうかな?でも、親離れ子離れの練習も大事だし、英二くんがいるから周も、すぐご機嫌直すと思うわ」

そんなふうに楽しげに笑うと彼女は、のんびりと買い物に出掛けて行った。
見送って英二はひとつ息吐くと、階段を上がって書斎の扉を開いた。
重厚でかすかに甘い香の空間で、書斎机の前に立つと写真立ての笑顔に微笑んだ。

「お父さん、今から、あなたが作った机を見させてもらいます。どうか許してください…お願いします、」

これから3時間で済ませる作業の為に、馨の笑顔へと英二は詫びた。
この笑顔が隠している哀しみの軌跡を、これからまた1つ顕わすことになる。
この哀しみを自分が受け留めたい、愛する周太の為に真実を見つめる為に今から作業する。
これから見つめることになる悲哀への覚悟に微笑んで、英二は書斎から周太の部屋へと向かった。

『fantome』

書斎にある『Le Fantome de l'Opera』ページを切られた紺青色の本。
この失われたページから推論したキーワードが『fantome』この言葉が示す意味を昨夜、国村は教えてくれた。

 やっぱりね、予想通りの年代から現れてくるよ?
 最初は六機、次に警備部のマル秘。こんな感じにファイル場所が移動してる
 そして『F』は七機から警備部にも現れる
 これが示すのはさ、特定の個人を表す言葉として『F』は使われているってこと

第六機動隊から警備部にファイルが移った任務、そして個人特定としては七機から警備部に移っていく。
これが示すことの意味が哀しい。この哀しい意味に纏わるヒントと、今から向き合うことになるだろう。
このヒント自体が哀しい現実である可能性が高い、ほっとため息吐いて扉を閉めると自分の鞄を開いた。
取出したコンパクトな工具セットを携えて英二は周太の勉強机の前に佇んだ。

古風で洒落たデザインの机は擬洋館造の家と雰囲気が合う。
やさしい丁寧な造りには製作者である馨の、この家を大切にする想いと、机を使う者への愛情が感じられてくる。
こんなふうに日曜大工が好きだった家庭的な男が、なぜ、警視庁の暗部に立つ任務に生きたのか?
その疑問が尚更に大きくなってしまう、そっと溜息を吐いて英二は小さく微笑んだ。

「周太…勝手なことして、ごめんね?」

いまは不在の机の主に謝ると、椅子をどけて英二は机の足元に片膝をついた。
この机の側面部分は木材の種類が違っている、そう国村も気付いていた。
その通りに木材が違う。ラインどりも脚部分の流線型と微妙な違いがあって、後から取り付けた違和感がある。

「…予想通り、かな?」

右と左の側面部分をそれぞれノックしてみると、どちらも重たい響きがこだまする。
まず左側面の内板に打ちこまれたネジの部分を確かめると、ドライバーを取出して注意深くネジを外し始めた。
一本ずつ外していくと徐々に板はゆるんでいく、その板のむこうで何か動く震えが立つ。
ごとり、音がするのを聴きながら、すべてのネジを外し終えて左側面の内板を手前に引いた。

ず、ずっ、…ごとん

注意深く外していく板の向う、外板とのはざまに滑り落ちる気配がある。
外板と内板の間に差しこんだ掌に、掴んだものを英二は慎重に引き出した。



(to be continued)

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