萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第41話 久春act.2―side story「陽はまた昇る」

2012-04-24 23:45:56 | 陽はまた昇るside story
春の日、想い出に祝福を



第41話 久春act.2―side story「陽はまた昇る」

きっちり紙に包まれた四角い重みを、長い指の掌は掴んだ。
引き出してみた包みは、経年の劣化が想像よりは進んでいない。

「…机の側面だと、日照も無い上に湿気も少ない、か…」

最適の保存場所、その判断は正しいだろう。
外した側板を英二は嵌めなおし、ネジを同じよう打ちこんで復旧させた。
それから古新聞を板張りの床に広げると、その上に四角い紙包みを据えた。
この包みのなかには恐らく、哀しい現実の糸口が入っている。

「…お父さん、開かせて貰いますね?」

哀しい予感を見つめながら英二は包みへと長い指をかけた。
古びた茶色い紙を丁寧に開いていくと、ぱらり紙の繊維が古新聞に毀れていく。
一重目を開き、次に現れた淡い茶に劣化した白い和紙を開いた。
そして三重目の真白な和紙を開くと、青絹の立派な表装の冊子が現われた。

since 1914

表紙に刺繍で記された流麗な書体は、英二の記憶にある年号と同じだった。
あの、ダイニングに飾られている北欧生まれのイヤーズプレート、あの最初の一枚と同じ年号になる。
その年号が記された厚い重量感ある冊子は30cm四方位、表装の青色は鮮やかなまま綺麗でいる。
良好な保存状態の様子から、これを隠した馨の想いが伝わって痛い。
切ない想いの伝染に英二は微笑んだ。

「お父さん、一緒に見てくれますよね?」

首から提げた合鍵が胸ふれて、心になにか響いていく。
合鍵の感触を抱きながら、慎重に英二は青い表紙を開いた。

セピア色の一軒の家。

やさしい端正な一軒の、擬洋館建築の家。
白い壁に瓦の屋根、黒っぽい木枠の窓やバルコニー。
まだ庭木は少なくて、それでも大きな木が数本生えている。
生まれたばかりの小さな森に、家は今と変わらない姿で静かに佇んで映りこむ。
モノクロ写真に彩色を施した、古い写真。その下には優しい想いの詞書が添えられていた。

“ この家に幸せの笑顔あふれんことを 1914年吉日 湯原 敦 ”

「…曾おじいさんが、撮ったんですね?」

書かれた言葉の優しさに人柄がふれてくる。
この家を建てあげた日の記念写真は、なごやかな空気が温かい。
そっと微笑んで英二は慎重に次のページを捲った。

20代後半の、立派な身形の男性と和服姿の華奢な女性。
まだ十八くらい、優しげな彼女の奥ゆかしい透明な雰囲気は、周太の佇まいとよく似ている。
桃の節句の時に見た、こまやかで上品な雛人形の持主は彼女だろう。
男性の口許は周太の父、馨の意志の強い唇そっくりだった。

―これが、周太の曾おじいさんと、曾おばあさん

この夫婦がこの家に住んだ最初の主。
ふたりの写真が何葉か、見たことのある家の風景の中で撮られていく。
茶席の風景、誕生会のパーティー、庭に新しい木を植えた笑顔、メイドらしき女性と微笑む女主人の姿もある。
華やいだ空気と見慣れた部屋の風景は、セピア色の中に幾葉も納められて綴られていく。
こんなふうに日常の写真を何枚も撮れることは、この時代には珍しい。

「自分で、カメラを持っていた、ってことか…」

当時、自分でカメラを持つほどの財力と教養知識があった。
セピア色の写真たち自体の存在から既に、そんな事実が知らされる。
綴じが解れないよう気をつけて捲っていく、そして1枚の赤ん坊の写真が現われた。

“ 長男 晉 1919年 卯月吉日 鶴壽亀齢 ひろく普くを歩む佳き人生を祈って ”

美しいレースの見事な産着を着た赤ん坊は、機嫌よく眠っている。
その愛らしい眠る顔は、どこか周太の寝顔と似ていた。
可愛らしいセピア色の写真に微笑むと、英二は一旦、アルバムを閉じた。
そして勉強机の右側面の前に膝まづいて、ドライバーでネジを外し始めた。

ごとり、…ことん

内板が外れ緩まるごと、はざまに音が起きる。
がたりと外した内板の向うから、先と同じ様子の包みが2つ現われた。
また元通りに内板を戻しネジを締めると、紙包みも古新聞で広げていく。

since 1939』 『since 1959

2冊のアルバムは、1冊目と同じ青い絹張り表装で経年の雰囲気がそれぞれ違う。
同じメーカーのアルバムをそれぞれの年に誂えた、そう解かる。
オーダーメイドのアルバムを作っていた、そんな敦の身分と立場は相当のものだったろう。

―ならば、なぜ?

なぜ敦の孫である馨が、警視庁にノンキャリアで任官することになったのか?
これだけの財力と立場がある人間、その孫がなぜ危険な現場に立つ運命になるのか?
いったい、この家の抱えた事情はどこにある?
心が溜息に毀たれながら、英二は2冊のアルバムを見つめた。
そっと1939年のアルバムを開くと、学生服を着た青年の写真が英二を見つめ微笑んだ。

“ 長男 晉 1939年 卯月吉日 二十歳”

息子の二十歳を祝った写真なのだろうな?
微笑ましさを想いながら開いていくページには、家族旅行や登山姿、学位授与式と楽しい記憶が連なっていく。
その登山姿の背景は、英二が見慣れた山容のものが何葉かある。奥多摩を好んだという晉の軌跡がなぞれるようだった。
ゆっくり捲っていくページに、ふっと長い指が止められて英二はため息を吐いた。

「…戦争、」

軍服姿の晉。
すこし翳りある笑顔の晉は、書斎机の写真に微笑む馨と似ている。
軍服姿の凛とした姿勢には、卒業式で見た礼装姿の面影が重なっていく。
そして、軍服姿の晉のベルトにはポケットの様な黒い翳があるのが見えた。

拳銃のホルスター

はっきりとは認識できない。
けれど脳裏を掠めた単語に、なにか哀しい確信がある。
この家に纏わる因縁の一端を見た、ごとり重みが心に沈みこんだ。

ひとつ呼吸して、微笑んで心を治めこむ。
そしてまた長い指は丁寧に、ページを捲り始めた。
戦争時代の写真は晉の軍服姿と、この家の外観の写真だけらしい。
戦後になると、パリの街角や大学で撮影された晉の姿が増えてくる。夫婦も一緒に写る凱旋門前の記念写真もあった。
このパリ時代から晉の笑顔がすこし寂しげで、それでも憧れの大学で学ぶ希望と誇りは明るい。
これら家族の肖像たちに、流麗で几帳面な万年筆の筆跡は、丁寧にひとつずつ年号と詞書を添えている。
敦の端正な性格の一端が解かるような小さなメモは、曾孫の周太が作る植物採集帳のラベルを想わせた。

―周太、知らなくっても、似ているんだね?

愛しい面影に微笑んで捲るページに、晉の紋服姿と初々しい白無垢の女性が現われた。
たおやかな雰囲気の上品な微笑が美しい、聡明な切長い瞳の花嫁。これが周太の祖母なのだろう。
凛々しい眉とすこし広めの額が周太とも似ていて、涼やかな切長の瞳が馨そっくりに穏やかで優しい。
まだ二十歳位の花嫁の隣に立つ晉は四十歳前、だいぶ歳が離れているけれど夫婦の肖像は幸せに微笑んでいる。
ほんとうに想い合い結婚をした、そんな幸福が二人の姿からあふれて見ている英二まで幸せにしてくれる。
この夫婦から周太の父、馨は生まれた。そんな実感に英二は、やさしい想いと微笑んだ。

「お父さん、ご両親のこと、大好きだったでしょう…?」

この若い花嫁が加わったアルバムは華やぎ楽しげで、女主人と彼女の睦まじい笑顔の写真が続いていく。
毎年写真に収められる家族の誕生パーティーには、彼女が義母と手作りしたらしいケーキが写っていた。
周太も母親とケーキを作るのが楽しいと話してくれる、きっと祖母譲りの好みなのだろう。
こんなふうに周太は、知らなくても祖父母たちと繋がっている。

―このことを、周太に教えてあげられるのはいつだろう?

この楽しい写真たちを早く周太に見せてあげたい。
きっと喜んで、この家の最後の1人になる周太の哀しみも癒されるだろう。
けれど、この写真たちは馨が家族から隠したかった「隠匿の事情」がある。それが解かるまでは見せるわけにいかない。
だからこそ早くこの「隠匿の事情」に絡まる謎をほどいてしまいたい、そしてヒントを得たい。
そんな祈りと見つめるページに幸せな家族の肖像は続き、1939年からのアルバムが終わった。

「…ここまでは、ホルスター、か…」

ひとりごと呟いて、英二は少し新しいアルバムに長い指をかけた。

since 1959

すこし新しい手触りの青絹がふれる。
そっと表紙を開くと、繊細なレースの産着にくるまれた赤ん坊の笑顔が現われた。

“嫡孫 馨 1959年 皐月吉日 鶴壽亀齢 佳き馨のように周くを歓ばせる人生を祈って”

周太の父、馨の生誕と長寿を言祝いだ写真と詞書。
愛くるしい瞳と幸せに笑う顔に、英二の瞳から涙がこぼれた。

「…どうして、」

どうして、この幸せな赤ん坊が、あの最後を迎える運命になるのだろう?

清楚なレースの真白な産着のなか、無邪気な笑顔が咲いている。
明るい純粋な笑顔に翳はない、紺青色の日記の最初のページのように明るい光あふれている。
それなのに、なぜ?

「なぜ…あなたが、あの場所に?」

この赤ん坊の辿る哀しみの人生、その結末を知る心に詞書は痛みがはしる。
確かに馨は、いつも笑顔で周囲を温める生き方をした。
けれど、その中心にいた馨本人は?
そんな疑問を見つめながら英二は、静かに涙を払い息を吐いた。

― まだ、ヒントに出会っていない

なぜ馨がこのアルバムたちを隠したのか?
この隠したい「事情」に知りたい謎を解くヒントが隠されている。
馨が「隠匿」したかった程の事情、それらしき様子は今までの2冊には目立ってはいない。
この3冊目に何かがある、ここに隠れたヒントを知れば前の2冊とも隠した事情が分かるはず。
慎重にページを捲っていく視線のなかで、おさない馨の愛くるしい笑顔が咲いていく。
その可愛らしい笑顔が、愛するひとの笑顔と重なって心が軋みそうになる。
この笑顔に翳り射す運命を知っている、その息子が籠った孤独の冷たさを知っている。
この哀しみが、アルバムの幼い笑顔が幸福であるほどに、哀しみの冷たい現実が想われて痛い。

―なぜ、なにがあった?

心に疑問を呟きながら捲るページには、幸福な家族たちが映っていく。
そうして古い紙を繰っていた指が、ふっと止まった。

「…抜けている?」

3歳の馨が笑う写真たちに、あるべきはずの写真が無い。
英二は前のページを捲り返した、そこにはある。そして『since 1939』『since 1914』にもその写真はある。
なぜ1962年の分は、この写真が無い?

「…曾おじいさんの、誕生会の写真が無い?」

1914年から続くアルバムには、ずっとこの日の写真が載っている。
けれど1962年の誕生会写真が無い、そしてこの年以降にも無かった。
詞書のメモも1962年の途中から筆跡が変わっている。

「…このころ、亡くなった、ってことか…合ってるな、」

過去帳で見た敦の逝去年は1962年になっているから、このメモの筆跡変化は納得できる。
敦の行年は1962年、でも月日はいつだったろう?

「…まさか?」

違和感を感じて英二は考え込んだ。
けれどそのままアルバムのページを確認し始めた。
どこかほかに、違和感はないだろうか?そんな想いで捲ってすぐに寝間の浴衣姿の女性が写っていた。
病床らしい写真では、馨が無邪気に彼女の懐に抱きついている。息子を抱きとめる母親の微笑はどこか哀しげだった。
そして彼女が寝間用の浴衣以外で映る写真は無いまま、イギリスの風景が映る写真へと変わった。
晉と馨の渡英直前に、馨の母は病没している。それを表していく写真に英二は、ほっとため息を吐いた。

―途中まで、幸せだけが写っていたのに…

1962年。
この年を境にして雰囲気が変わってしまう。
曾祖父の敦が亡くなった、それだけでこうも変化するものだろうか?

「…雰囲気?」

自分で想ったことに違和感を感じて英二は、もう一度1962年までページを遡った。
そうして遡っていく写真では、家族の表情に1つの変化がある。
その変化の違和感に英二は異様さを感じた。

なぜ、3人の笑顔に翳がある?

曾祖父の敦が亡くなった、それは哀しいことだろう。
けれどなぜ、こうも翳が生まれてしまうのだろう?そして馨の母は病床にまで就いた。
この大きすぎる家族の変化に、さっきの「まさか、」が想われる。

行年1962年、月日は?

『since 1959』のアルバムは馨の二十歳の記念写真で終わった。
初々しいスーツ姿に微笑んだ切長い目は、明るい未来を見つめる幸福に輝いている。
大学2年生の馨は、あの紺青色の日記に書かれている通りの、明るい誇りに満ちていた。
このころの馨は、自分の未来に大きな誇りを持って生きている。

「…この姿を、妻たちには見せられませんでしたか?」

見せられないかもしれない。
現実の「今」とは違う道に夢と誇りを見ていた頃の、幸福な笑顔は。
この時の幸福な笑顔と、現実の「今」の翳さした笑顔の狭間に横たわる、深い溝の存在を感じさせてしまうから。
けれど、このこと以外にアルバムを隠した理由は何だろう?その疑問にさっきの「まさか」が思われる。
疑問を抱きながら英二は、『since 1959』のアルバムを古新聞の上にそっと据えた。

『since 1959』『since 1939』『since 1914』

並ぶ3冊のアルバムたち。
この年号を見て、英二の切長い目がすこし大きくなった。

「…足りない?」

『since 1959』は1979年の写真で終わっている、なら1980年以降の写真はどこだろう?
周太の母が嫁いだ1987年以降は、リビングの書架にあるのは知っている、けれど1980年から1986年までが無い。
そして『since 1914』の最後は1925年で終わるため『since 1939』まで1926年以降の13年間の空白がある。

あるべきはずの1926年から1938年の写真と、1980年から1986年のアルバム。
そして敦の逝去日への違和感。

「…まず、亡くなった日から、だな」

ひとりごとに行動を決めて英二は、3冊のアルバムを纏めると包んであった用紙も一緒に用意した袋に入れた。
袋ごと自分のボストンバッグの底に納めてその上から畳んである服を重ねると、ファスナーを閉じこんだ。
それから手帳を取出してページを繰って、ほっと英二はため息を吐いた。

「同じ日だ、」

周太の曽祖父、敦は1962年の自分の誕生日に亡くなっていた。

過去帳と湯原家墓所で確認した5つの行年月日。
これを記した手帳の数列は1桁目から4桁目は『1962』と記されている。
そして5桁目から8桁目は、毎年撮影された誕生会の月日と同じだった。

これは偶然なのだろうか?

1962年、敦の誕生日にして逝去日。
この日以降に撮影された家族の肖像は、妻と息子夫婦の3人とも表情にどこか翳がある事が気に懸ってしまう。
この翳の原因は敦の死に絡む事情にある、そう考える方が自然になる。

なぜ、敦は誕生日に死なねばならなかったのだろう?

疑問を心に見つめたまま英二はクライマーウォッチを見た。
時刻は14時半、周太の母が出掛けてから1時間半が経過している。
まだ時間は1時間は残されているだろう、この1時間で今、するべきことは何だろう?

「…残りの写真の行方、だな」

英二は勉強机の傍らに跪くと、もう一度、机の全体を確認し始めた。
注意深く見ていくと、全てのネジの頭部に小さな傷がどれもついている。
そしてネジ穴の周りが幾分、すり減ったような痕が見られる部分もあった。
この机には組み立て直された痕跡がある。

「…やっぱり、これが書斎机なんだ」

この机が「もう1つの書斎机」の正体。
まだ大学生だった馨が父の晉から書斎を譲られる時、父の為に手作りして贈った書斎机。
この机は元は「もう1つの書斎」晉が書斎にしていた屋根裏部屋に、元は置かれていた。
けれど屋根裏部屋から机を動かすには、出入り口が小さくてそのままは運べない。
そのため分解して運びだし、この部屋で組み直したのだろう。
そして勉強机として息子に使わせていた。

「お父さん?…側面の板は、アルバムの為に付け足した。そうでしょう?」

脚部と側板のフォルムには歪みの差が表れ始めて、微かに隙間が生じ始めていた。
これが、脚部と側板の木材が同じ年代に切りだされていないことを証明している。

「木材の経年差による乾燥度の違い、これが木材の接合部にズレを作るんだよね。そこを確認したらいい、」

奥多摩から帰ってくる昨夜の車中、国村が教えてくれた言葉。
まさに言葉通りに「ズレ」は随所に生まれ、抽斗の枠組と側板の接合部にも細く隙間が空いていた。
おそらく馨は、3冊のアルバムを隠すために側板を付加したのだろう。

消えていた「もう1つの書斎机」は見つけられた。
けれど、残された写真の行方と「隠匿の事情」の証拠が見つからない。
すこし焦燥感を覚えてしまう、時間が気になって英二は左手首を見た。

14時48分

焦燥感と見たクライマーウォッチの文字盤が、残り時間を告げてくる。
このあと周太の母が帰ってくれば家の中は作業が出来ない。そして明日からは周太が一緒にいるから動きはとれなくなる。
家での調査できる時間は今のチャンスだけ、そう想う方が良いだろう。
彼女の帰りは16時の予定、帰りが早まる予測を入れたら1時間を切った。この時間内だとあと1カ所しか調べられない。
それなら可能性の高い場所を見た方が良い。

3冊のアルバムは、馨が造ったこの机に隠されていた。
それなら残りの写真たちを馨なら、一体どこに隠すだろうか?
本を大切にしていた馨は、やはり写真も大切に保存できるように隠していた。
そんな馨はどこに隠すだろう?

「保存状態が保てる場所…か、」

ひとりごとに考え込んで、頭のファイルを映像化してみる。
今回と同じような場所なら「机」になるけれど、この家にはあと2つ机が存在している。
1つめはリビングのパソコンデスク、元は馨の勉強机だったと聴いている。
2つめは書斎にある重厚な書斎机になる。

どちらの可能性が高い?

隠したのなら、改造した痕跡が遺されているはずだ。
ならば2つの机で改造された痕は、どこに見たことがある?
脳にながれていく思考と映像に、ふっと英二はつぶやいた。

「…書斎机の、あの抽斗…」

工具入れを持つと英二は廊下へと出た。
そして隣の書斎に入ると、書斎机の写真立に頭を下げた。

「お父さん、この机も見させてください。すみません、」

クライマーウォッチの長針が「10」を過ぎている、あと30分だと思う方が良い。
すぐに抽斗の前に膝まづいて、首から革紐を外すと英二は合鍵を長い指に持った。
これは馨の合鍵だった、この合鍵の根元には後から作られた刻みがある。この刻みこそが大切な「鍵」になっている。
1つの抽斗の鍵穴に英二は合鍵を挿し込んだ、この刻みのお蔭で鍵はきちんと根元まで鍵穴と噛みあっていく。
そして合鍵をひねると、かちりと小さな音を立てて抽斗は開かれた。

開いた抽斗には元は、馨の20年が綴られた紺青色の日記帳が入っていた。
その日記帳を読むために英二は奥多摩に持ち帰った、そして静養中に読み進めようと今、鞄に入っている。
だから抽斗には今は何も入っていない、一見は。
けれど切長い目を細めて、英二は低く呟いた。

「…ここにも、ズレがあった、」

抽斗の底板と内板の間には、細い隙間が生じている。
注意深く見ないと気付かない程の歪み、けれど確実に木材の経年差が現れていた。
予測は、当るだろうか?

「…マイナスドライバーで、いけるかな、」

工具セットからマイナスドライバーを出してグリップに嵌めこむ。
そして抽斗の内板と底の間に刃を入れて、木材を傷つけないよう慎重に底板を外し始めた。
かつつ、小さな音を立てて緩やかに底板が上がってくる、板を割らないよう丁寧に英二は底板を外していった。

かつん、

小さな音と一緒に底板が外れた。
そして覗きこんだ抽斗は、旧来の底板の上に30cm角の紙包と封筒が置かれていた。



なぜ、この2つだけが、この抽斗に仕舞いこまれたのか?

この疑問の答えが、心に重たく沈みこむ。
慎重に2つを取出すと、英二は底板を元通りに嵌めこんだ。
元通りに抽斗を閉めるこの重みは、ほんの数分前より軽く楽に動いていく。
きちんと施錠すると見つけた2つを持って、英二は周太の部屋へと戻った。

クライマーウォッチの時刻は15時13分。
中身をあらためるだけの時間は残されている、古新聞を手早く床に広げると慎重に2つを据えていく。
30cm四方の紙包みは、3点のアルバムと同様の梱包になっている。
やはり同時期に馨が隠した、そんな推論を想いながら開いた包みから、青い絹張り表装が現れた。

『since 1980』

予想通りの年号表記が鮮やかに刺繍されている。
他の3冊より新しい雰囲気の1冊は、他よりも重量が軽い。
きっと、そうだろうな?予想を抱いて丁寧に捲っていくページには、全体の1/10も写真は貼られていない。
それでもコンスタントに貼られている写真の日付は1981年、この年までは馨と晉、そして晉の母親の写真がある。
それ以降1982年からは、誰かに貰ったような写真しかなかった。

「…写真を撮らなかったんですね?お父さん、…」

1981年初夏、周太の祖父である晉が亡くなっている。
晉が亡くなった後からは、もう詞書は無くなっていた。このアルバムには。
けれど、リビングの書架に1987年以後のアルバムには、馨の詞書が付されている。
周太の母が来てから馨は、カメラを再び手にとった。
その馨の想いが解かる気がするな?微笑んで英二は考え込んだ。

なぜ、このアルバムを馨は別の場所に隠したのだろう?
この理由にヒントが隠されている。
そんな想いで見つめる数少ない写真たちに、ふっと英二は違和感を感じた。

「…射撃の写真が、無い?」

周太の父は、射撃で大きな大会の優勝を幾つもしている。
それは大学3年生の初出場から続いている快挙だった、それなのに1枚も写真は無い。
あの紺青色の日記帳によると、晉は息子の射撃部への入部を猛反対している。
父の反対と友達への義理の板挟みになりながら、馨は射撃部を続けていたらしい。
それでも、こんなにも写真が無いのも不自然だろう。

山岳部での写真は貼られている、けれど射撃部のものは1葉もない。
幾ら反対していたと言っても、なぜ、ここまで徹底的に排除されているのだろう?
そんな疑問に先ほど見た、1葉の写真が頭のファイルから呼び出されてくる。

拳銃のホルスター

戦争へと出征する前に撮影された、軍服姿の晉。
彼のベルト脇、腰には黒っぽい影のようにポケット状のものが写っている。
これを英二は「拳銃のホルスター」だと感じた、この晉の写真から言葉がこぼれた。

「…お祖父さんも、射撃をしていた、」

サーベルではなく、拳銃を佩いた軍服姿。
当時の晉は大学院生だった、けれど学徒出陣で出征したと詞書に記されている。
そのとき晉の、軍人としての役目は何だったのだろう?

「これだけだと、解からないな…」

ほっと溜息を吐いて英二は、アルバムを閉じた。
自分の鞄を開いて、さっき仕舞いこんだ紙袋を取出していく。
他の3冊と一緒に『since 1980』も仕舞って、また元通りに鞄の底へと収めた。

「…あと、これか、」

古新聞に置かれた封筒。この封筒の中身は何か?その疑問の答えへの予測が哀しい。

敦の誕生会の写真には必ず、写っている物がある。
毎年撮影する誕生会の写真、その席に座る敦の傍らには必ず厚い冊子が据えられていた。
この冊子が年数を重ねるごと、1冊ずつ増えていく。そして最後の1961年の写真には、4冊が写っていた。
今回見つけたのは『since 1980』『since 1959』『since 1939』『since 1914』
もちろん1961年に映っている4冊には『since 1980』は存在出来ない。
だからもう1冊のアルバムが1961年までには存在していたことになる。

『since 1926』

あるべきはずの2冊目『since 1926』に納められていたのは、1926年から1938年の写真たち。
1926年から1938年の写真が、おそらくこの封筒の中身だろう。
けれどなぜ、この13年分だけがアルバムではなく封筒に入っているのだろう?

英二は応急処置の時に使う感染防止グローブを填めた。
この封筒の中身が古い写真なら、素手だと皮脂で写真を傷ませる可能性がある。
この家の大切な記憶を傷ませたくない、そんな想いにグローブを使いたかった。
きちんとグローブをした掌に封筒をとると、丁寧に封函を開いた。

アルバムが消えた理由はなんだろう?

慎重に封筒の中身を取出し、瞬間、英二は息を呑んだ。



(to be continued)

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