水に彩る、
文学閑話:紅葉雨の恋×万葉集
希づらし見 人に見せむと 黄葉を 手折ぞ我が来し 雨の零ら久に 橘奈良麻呂
めづらしみ ひとにみせむと もみぢばを たおりぞわがこし あめのふらくに
めずらしいほど綺麗なのを見つけて、人に見せたくて
色づいた枝ひとつ手折って僕は来たんだ、雨ずっと降ってるから。
涙ずっと零してる君に見せたくて来たんだ、これだけ綺麗なら君の慰めになるかな?
この色葉みたいに頬染めて笑ってほしいんだ、それで君がこの恋に染まったらいい、永久にずっと。
紅葉によせる相聞歌『万葉集』第八巻に載っています。
原文は「希将見 人尓令見跡 黄葉乎 手折曽我来師 雨零久仁」
初句「希将見」これは「めづらしき」と訳すこともありますが万葉仮名そのまま「めづらしみ」で読みました。
初字「希・まれ」は「珍しい→珍しいので貴重・大切」と「のぞむ=願う」また音「めづらし」は「愛づらし=美しい・愛しい」に通じます。
これに「将見=まさに見ようとする」をつなぐと歌の風景が明確になるので「見=み」で読んだほうが歌意が解りやすいなと。
三句め「黄葉」は万葉当時だと「色づいた葉の全般」を指す言葉で、赤い紅葉も黄色い黄葉も総称しています。
四句めの「手折」で受けるので・手で折り取るのは枝→「色づいた葉の枝を手折ってきた」と訳すわけです。
結句「雨零=こぼれるように雨が降る」水が零れるみたいな大粒の雨ばらばら+「久=ひさしい」続いている、
大粒の雨がずっと降り続いている=秋の長雨がこの歌を詠んだときのお天気事情なんだなーと読みとれます。
そして二句め「人尓令見跡」の「人」はどんな状態なのか?が解ります、
↓
長雨に降り籠められて外出ができない「人」
長雨で来訪者がなくて寂しい「人」
雨で外出できないのは女性か子ども・老齢の人だと考えられます。
男性は雨天でも騎乗したりナンだりやっちゃいますから、笑
病気やケガで動けない人も外出できませんが、ソレだと雨に限らずなので・雨にかこつける必要はありません。
この歌は「雨」にかこつけてカッコつけようとして「黄葉乎 手折曽我来師」素直に考えると女性宛てだろうなと、笑
また「手折」は色っぽい意味がある言い回しです、現在も遣うことありますね?笑
そんな意味で「黄葉」も同様「秋に染まる葉みたいに君も僕に染まってたらいいな」自分色にしたいなって意図があります。
そんなコト盛り込んでゆくとストレートな歌意は、
雨の閉塞感×孤独感につけこむためプレゼント作戦で口説き落としにきたよ、
プレゼントの紅葉一枝みたいに君も手折りにきたんだよ、雨続き誰も来ないからXXXし続けても大丈夫だよね?
みたいなカンジになります、笑
秋に始まる恋は長続きすると言います、
雨零久仁、瑞々しい雨の香に永久を籠めるような?
詩詞171014・・ブログトーナメント
撮影地:丹沢宮ケ瀬・森@神奈川県、奥多摩御岳山@東京都
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