たどる涯を、
第86話 花残 act.20 side story「陽はまた昇る」
息が消える、呼吸すら分からない。
今どうしたらいいのだろう?
「…周太、」
声こぼれる名前、それだけ。
それだけしか分からない、それから唇かすむ香ひとつ。
あまい深い、桜だ。
「英二…座る?」
呼ばれて君が見える、桜ふるベンチに閉じられる本。
そのページ厚みに微笑んだ。
「どのくらい周太、ここにいたんだ?」
「…うん」
問いかけに頷いて、黒目がちの瞳そっと伏せる。
その睫こまやかな陰影に桜が舞った。
「あ…花吹雪、」
穏やかな声かすかに笑って、こまやかな睫が上がる。
黒目がちの瞳に映る光、その視線に英二も仰いだ。
ざあっ、
響く梢きらめく、残照まばゆい花が舞う。
ほの暗い木下闇、けれど白く淡く鏤めて光る。
もう散ってしまう、それでも輝く花に微笑んだ。
「きれいだ、」
声すなおに笑った唇が香る、かすかな、けれど深い甘い風。
花ふる香おだやかに優しくて、ほっと一息吐いた。
「隣いいかな、周太?」
閉門まで時間はない、けれど。
ただ願い笑いかけた先、黒目がちの瞳が自分を映した。
「ん…どうぞ」
頷いて、けれど声かすかに硬い。
その耳もと微かに紅くて、懐かしく腰下ろした。
「周太、緊張してる?」
ほら訊いてしまう、昔みたいに。
まだ出逢って二年、それなのに「昔」と思うほど感情ふり積もる。
「…きんちょうしてますけど悪い?」
ほら君が突っぱねる、ぶっきらぼうなクセに紅い頬。
こんな貌も昔みたいだ、懐かしくて嬉しくて笑った。
「すごく良いよ、そういう周太もさ?」
そういう君も好きだ、すごく。
ー好きだ、どうしても俺は、
ほら素直に想ってしまう、願っている。
こんなにも君の隣に座りたかった。
「…なにそんなに笑ってるの英二?」
ほら君が訊いてくる、ぼそり素っ気ないクセに可愛い。
なぜ笑っているのか解らなくて戸惑って、こんなふう昔も訊いてくれた。
こんな瞬間ひとつ一つ嬉しくて笑いかけた。
「俺そんなに笑ってる?周太、」
「…すごい笑ってますにやにやです、」
ぶっきらぼう応えてくれる、この口調に慕わしい。
いつも隣で笑っていた時間、そのままに笑った。
「そっか、俺そんなに笑ってるんだ?」
笑ってる、ただ嬉しくて。
ただ今この瞬間が嬉しい、このベンチで君がいる。
ほら君が見上げてくれる、笑ってしまう。
「あのね周太、これでも俺ずっと考えてたんだけど、なんだろな?」
笑って言いかけて、ほら君が見上げてくれる。
まっすぐな瞳は澄んで、きっと昔より深い。
「ずっと考えてたの?英二、」
「うん、考えてたよ?」
訊いてくれるトーン素っ気ない、けれど穏やかな声。
この声ただ聴きたかった、すなおな想い微笑んだ。
「きれいになったな周太、かっこいいよ、」
きれいになった、前よりずっと。
見上げてくれる瞳ほら、ずっと澄んで強い。
こんな眼だからだ?ただ想うまま微笑んだ。
「なんか周太、視線がかっこよくなったな?」
「…そう?」
笑いかけた隣、小柄な顔すこし傾げさす。
それでも見つめてくれる瞳まっすぐで、きれいで、想い声になる。
「こうやって見つめると周太、前はなんか逃げるみたいな、迷うような眼をしたんだよ。でも今は違うんだな?」
いつも遠慮がち、そんな眼をしていた。
けれど今の君は違う、その理由に桜と笑った。
「周太、あのお…彼女と、良い恋してるんだな?」
ほら、鼓動が止まる。
―言うなんて馬鹿だ、俺は、
馬鹿だ、解っている。
それでも言ってしまった、君が綺麗で。
こんなに真直ぐな瞳、勁いくせ明るい澄んだ視線、それが似ているから。
でも言えない、悔しいから。
「いいこいなんて…」
君の首筋ほら赤い、この貌よく昔も見た。
こんなとき面映ゆくさ照れている、それは君が幸せだからだ。
―俺だけのために赤くなってくれてたな、昔は、
心裡そっと呟いて、鼓動が軋む。
軋みあげて苦くなる、痛い、こんな痛覚も君が教えてくれた。
こんなにも俺にとって君は初めてで、特別で、そして唯ひとりだ。
でも、君にとって俺は唯ひとりじゃない。
だからこそ英二は笑った。
「まっすぐで明るい目線、小嶌さんもそういう眼するだろ?一緒にいて周太がどれだけ楽しいのかわかるよ、」
楽しい、だけじゃない「幸せ」だからだ。
そんなこと解っている、でも言いたくない、悔しいから。
それでも解ってしまう、だって自分はこんな貌させてあげられたろうか?
『美代さんが怒ったのはね、ファントムを選ばない歌姫なんだ、』
そんなふうに言う女、だから揺すられる。
そんなこと言った意味、心、とっくに今もう解っている。
そんな女だと知っていて知らなかった、だからこそ今こんなふうに見ているしかできない。
“Le Fantome de l'Opera”
あの小説あの言葉、自分を今に惹きこんだページ。
オペラ座に棲む男は“Fantome”と畏れられ、けれど歌姫は天使と呼んだ。
そうしてファントムは彼女に恋をして、でも美しい貴族の青年を選んだ歌姫。
あの歌姫とは違う女、あの青年貴族とも違う、そしてファントムとも違う実直な瞳の存在。
「周太も大学院ここから目指すんだよな、彼女と同じ大学だろ?」
笑いかけて、けれど鼓動が絞められていく。
だって君の頬きっと赤い、もう夕闇が染める今この時も。
「ん、一緒だよ、」
「そっか、」
肯かれて頷いて、鼓動しずかに刺されていく。
こんなにも痛いなんて知らない、どんなことよりずっと。
ほら?あの長野の傷すら分からなくなる、どの傷より今が苦しい。
―こんなに苦しいんだ俺、周太が他の誰かを見るだけで…知らなかったな、
知らなかった、こんな痛みがあるなんて?
こんな傷どうしてあるのだろう、こんなに深く抉られる。
それだけ自分は深く、深く君を抱きしめてしまったのだと思い知らされる。
―苦しい、な?
心裡こぼれる、でも言えない。
だって言ったら自分も同じになる、あの男と。
『イイかい?周太を束縛しちまったらね、観﨑がつくった鎖の後継者にオマエがなるってコトだ、』
あの男、観﨑が綯わせた「五十年の連鎖」それを担いたくない。
けれど自分は知らず踏みこんでいたとザイルパートナーは言った、その言葉に反論なんが出来ない。
だって自分が一番知っている、そして、あの実直な瞳の女はその対極だ。
『宮田くんが私のこと嫌いでも、私は宮田くんに笑ってほしいの。周太くんにも笑ってほしいの、私はそれだけ、』
なぜ、あんなこと言えるのだろう?
あんなに明るい瞳、あんなに真直ぐ澄んで自分を見た。
あんなふう自分も見つめられたなら、君は今も自分だけ見つめてくれたろうか?
※加筆校正中
(to be continued)
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英二24歳4月
第86話 花残 act.20 side story「陽はまた昇る」
息が消える、呼吸すら分からない。
今どうしたらいいのだろう?
「…周太、」
声こぼれる名前、それだけ。
それだけしか分からない、それから唇かすむ香ひとつ。
あまい深い、桜だ。
「英二…座る?」
呼ばれて君が見える、桜ふるベンチに閉じられる本。
そのページ厚みに微笑んだ。
「どのくらい周太、ここにいたんだ?」
「…うん」
問いかけに頷いて、黒目がちの瞳そっと伏せる。
その睫こまやかな陰影に桜が舞った。
「あ…花吹雪、」
穏やかな声かすかに笑って、こまやかな睫が上がる。
黒目がちの瞳に映る光、その視線に英二も仰いだ。
ざあっ、
響く梢きらめく、残照まばゆい花が舞う。
ほの暗い木下闇、けれど白く淡く鏤めて光る。
もう散ってしまう、それでも輝く花に微笑んだ。
「きれいだ、」
声すなおに笑った唇が香る、かすかな、けれど深い甘い風。
花ふる香おだやかに優しくて、ほっと一息吐いた。
「隣いいかな、周太?」
閉門まで時間はない、けれど。
ただ願い笑いかけた先、黒目がちの瞳が自分を映した。
「ん…どうぞ」
頷いて、けれど声かすかに硬い。
その耳もと微かに紅くて、懐かしく腰下ろした。
「周太、緊張してる?」
ほら訊いてしまう、昔みたいに。
まだ出逢って二年、それなのに「昔」と思うほど感情ふり積もる。
「…きんちょうしてますけど悪い?」
ほら君が突っぱねる、ぶっきらぼうなクセに紅い頬。
こんな貌も昔みたいだ、懐かしくて嬉しくて笑った。
「すごく良いよ、そういう周太もさ?」
そういう君も好きだ、すごく。
ー好きだ、どうしても俺は、
ほら素直に想ってしまう、願っている。
こんなにも君の隣に座りたかった。
「…なにそんなに笑ってるの英二?」
ほら君が訊いてくる、ぼそり素っ気ないクセに可愛い。
なぜ笑っているのか解らなくて戸惑って、こんなふう昔も訊いてくれた。
こんな瞬間ひとつ一つ嬉しくて笑いかけた。
「俺そんなに笑ってる?周太、」
「…すごい笑ってますにやにやです、」
ぶっきらぼう応えてくれる、この口調に慕わしい。
いつも隣で笑っていた時間、そのままに笑った。
「そっか、俺そんなに笑ってるんだ?」
笑ってる、ただ嬉しくて。
ただ今この瞬間が嬉しい、このベンチで君がいる。
ほら君が見上げてくれる、笑ってしまう。
「あのね周太、これでも俺ずっと考えてたんだけど、なんだろな?」
笑って言いかけて、ほら君が見上げてくれる。
まっすぐな瞳は澄んで、きっと昔より深い。
「ずっと考えてたの?英二、」
「うん、考えてたよ?」
訊いてくれるトーン素っ気ない、けれど穏やかな声。
この声ただ聴きたかった、すなおな想い微笑んだ。
「きれいになったな周太、かっこいいよ、」
きれいになった、前よりずっと。
見上げてくれる瞳ほら、ずっと澄んで強い。
こんな眼だからだ?ただ想うまま微笑んだ。
「なんか周太、視線がかっこよくなったな?」
「…そう?」
笑いかけた隣、小柄な顔すこし傾げさす。
それでも見つめてくれる瞳まっすぐで、きれいで、想い声になる。
「こうやって見つめると周太、前はなんか逃げるみたいな、迷うような眼をしたんだよ。でも今は違うんだな?」
いつも遠慮がち、そんな眼をしていた。
けれど今の君は違う、その理由に桜と笑った。
「周太、あのお…彼女と、良い恋してるんだな?」
ほら、鼓動が止まる。
―言うなんて馬鹿だ、俺は、
馬鹿だ、解っている。
それでも言ってしまった、君が綺麗で。
こんなに真直ぐな瞳、勁いくせ明るい澄んだ視線、それが似ているから。
でも言えない、悔しいから。
「いいこいなんて…」
君の首筋ほら赤い、この貌よく昔も見た。
こんなとき面映ゆくさ照れている、それは君が幸せだからだ。
―俺だけのために赤くなってくれてたな、昔は、
心裡そっと呟いて、鼓動が軋む。
軋みあげて苦くなる、痛い、こんな痛覚も君が教えてくれた。
こんなにも俺にとって君は初めてで、特別で、そして唯ひとりだ。
でも、君にとって俺は唯ひとりじゃない。
だからこそ英二は笑った。
「まっすぐで明るい目線、小嶌さんもそういう眼するだろ?一緒にいて周太がどれだけ楽しいのかわかるよ、」
楽しい、だけじゃない「幸せ」だからだ。
そんなこと解っている、でも言いたくない、悔しいから。
それでも解ってしまう、だって自分はこんな貌させてあげられたろうか?
『美代さんが怒ったのはね、ファントムを選ばない歌姫なんだ、』
そんなふうに言う女、だから揺すられる。
そんなこと言った意味、心、とっくに今もう解っている。
そんな女だと知っていて知らなかった、だからこそ今こんなふうに見ているしかできない。
“Le Fantome de l'Opera”
あの小説あの言葉、自分を今に惹きこんだページ。
オペラ座に棲む男は“Fantome”と畏れられ、けれど歌姫は天使と呼んだ。
そうしてファントムは彼女に恋をして、でも美しい貴族の青年を選んだ歌姫。
あの歌姫とは違う女、あの青年貴族とも違う、そしてファントムとも違う実直な瞳の存在。
「周太も大学院ここから目指すんだよな、彼女と同じ大学だろ?」
笑いかけて、けれど鼓動が絞められていく。
だって君の頬きっと赤い、もう夕闇が染める今この時も。
「ん、一緒だよ、」
「そっか、」
肯かれて頷いて、鼓動しずかに刺されていく。
こんなにも痛いなんて知らない、どんなことよりずっと。
ほら?あの長野の傷すら分からなくなる、どの傷より今が苦しい。
―こんなに苦しいんだ俺、周太が他の誰かを見るだけで…知らなかったな、
知らなかった、こんな痛みがあるなんて?
こんな傷どうしてあるのだろう、こんなに深く抉られる。
それだけ自分は深く、深く君を抱きしめてしまったのだと思い知らされる。
―苦しい、な?
心裡こぼれる、でも言えない。
だって言ったら自分も同じになる、あの男と。
『イイかい?周太を束縛しちまったらね、観﨑がつくった鎖の後継者にオマエがなるってコトだ、』
あの男、観﨑が綯わせた「五十年の連鎖」それを担いたくない。
けれど自分は知らず踏みこんでいたとザイルパートナーは言った、その言葉に反論なんが出来ない。
だって自分が一番知っている、そして、あの実直な瞳の女はその対極だ。
『宮田くんが私のこと嫌いでも、私は宮田くんに笑ってほしいの。周太くんにも笑ってほしいの、私はそれだけ、』
なぜ、あんなこと言えるのだろう?
あんなに明るい瞳、あんなに真直ぐ澄んで自分を見た。
あんなふう自分も見つめられたなら、君は今も自分だけ見つめてくれたろうか?
※加筆校正中
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七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊
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