告げたい面影、今
皐月朔日、鈴蘭―visage
あの時間の貌めぐり逢う、風と陽ざしと。
「原嶋?」
呼びかけた唇かすかに甘い、風が薫る。
校庭なつかしい木洩陽の先、図書室のガラスが鳴った。
かたんっ、
乾いた軋む音、ガラス窓かたり開かれる。
カーテンひるがる光のもと、本を抱えた手が細い。
細くて華奢なくせ長い指、その白い小さな手に中庭へ踏みこんだ。
『この本、おもしろかった?』
テラコッタ踏んで声なぞらされる、もう思いだすこと稀だったのに?
けれど木洩陽のむこう図書室の窓、あの横顔がカウンターに座る。
『一度返却してから再貸出しで延長できるんだけど、これは予約が入ってるからごめんね?』
あのカウンター月曜と木曜、いつも座っていた笑顔。
あの細い手いつも本を開いて、ときおりペンを奔らせた。
その制服姿と話す曜日が待ち遠しくて、好きで、本当は好きだった。
かつんっ、
中庭から扉ひらいて、踏みこんだ廊下が響く。
ラバーソール薄くつかむ光たどって角、図書室のプレートを潜った。
「…、」
見つめた先、カウンターひとり横顔がいる。
俯けた白い頬かかる髪はあのころより短い、けれど黒髪のまま揺れる。
もう10年が経ってしまった、それでも忘れてなんかいない横顔へ踏みだした。
ことん、とん、
ラバーソール密やかに響く、高校時代とは違う靴底。
もう制服も着ていない、そのくせ鼓動あのころのまま軋みだす。
ふれる空気かすかに渋く甘くて、変わらないまま並んだ書架が時間を戻す。
『あ、田中くん。今日は早かったね、』
君が笑いかけてくる、穏やかで静かで、そのくせ明るい瞳。
あまり騒ぐタイプじゃない目立たない、でも、その空気が好きだった。
好きで、ほんとうは月曜と木曜が待ち遠しくて、だからこそ言葉になんて出来なかった。
『今日で最後だね、おたがいさま卒業おめでとう?』
そう言って笑った君に、言えば良かった。
だから踏みこまなかった場所に今、10年ぶり口ひらいた。
「原嶋、俺のこと憶えてる?」
あのままに俯ける貌、その視線の先あいかわらず本。
伏せた睫あいかわらず長くて、ゆっくり瞬いて顔上げてくれた。
「あ、田中くん?」
穏やかなソプラノ自分を呼んでくれる。
見つめてくれる瞳に自分を見て、あのころのまま笑った。
「おう、ひさしぶりだな?卒業以来だろ、」
「うん、卒業以来だね、」
うなずいた口もと微笑んで、黒目がちの瞳やわらかに細めてくれる。
穏やかなまま変わらない笑顔に、8年前の問いを投げた。
「原嶋、成人式に来なかったよな?どうしたんだよ、」
あの日、ほんとうは探していた。
けれど逢えなかった相手は、困ったよう微笑んだ。
「父が亡くなってね、おめでたい席に行くのは申し訳なかったから、」
成人式の三日前だったから。
そっと告げて長い睫かすかに俯く、その陰影あわく青い。
あの二十歳だった時間の哀しみに、隔てるカウンターへ両手を置いた。
「ごめん、余計なこと言って、」
「いや、謝らないでよ?こっちこそごめんね、」
微笑んで両手を振ってくれる。
あのころのまま白い細い手、変わらない瞳が自分を映す。
それでも10年きっと多く変わってもいる、そんな再会に尋ねた。
「あのさ原嶋、なんでここにいんの?図書委員もOB会あるとか、」
部活動ならOBが呼ばれたりもする、委員会も同じなのだろうか?
訊きたかった今に黒目がちの瞳が笑った。
「職場だからいるんだよ、今日からここの司書にね?」
「え、」
つい見つめてしまう。
意外で、驚いて、そして感情が敲かれる。
「田中くんは6年目なんでしょ?人気の先生だって聞いたよ、母校で褒められるってすごいね、」
穏やかに笑いかけてくれる、その瞳が静かなまま明るい。
この瞳が見てきた10年がある、その全て知りたくてスマートフォン出した。
「原嶋こそ夢叶えて司書になってんじゃん、話もっと聴きたいし番号とか教えてよ?」
「うん、ちょっと待って?」
頷いてカウンター越し、作業台からスマートフォン取ってくれる。
その横顔やわらかいまま、あのころより香り高い。
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5月1日誕生花スズラン鈴蘭
皐月朔日、鈴蘭―visage
あの時間の貌めぐり逢う、風と陽ざしと。
「原嶋?」
呼びかけた唇かすかに甘い、風が薫る。
校庭なつかしい木洩陽の先、図書室のガラスが鳴った。
かたんっ、
乾いた軋む音、ガラス窓かたり開かれる。
カーテンひるがる光のもと、本を抱えた手が細い。
細くて華奢なくせ長い指、その白い小さな手に中庭へ踏みこんだ。
『この本、おもしろかった?』
テラコッタ踏んで声なぞらされる、もう思いだすこと稀だったのに?
けれど木洩陽のむこう図書室の窓、あの横顔がカウンターに座る。
『一度返却してから再貸出しで延長できるんだけど、これは予約が入ってるからごめんね?』
あのカウンター月曜と木曜、いつも座っていた笑顔。
あの細い手いつも本を開いて、ときおりペンを奔らせた。
その制服姿と話す曜日が待ち遠しくて、好きで、本当は好きだった。
かつんっ、
中庭から扉ひらいて、踏みこんだ廊下が響く。
ラバーソール薄くつかむ光たどって角、図書室のプレートを潜った。
「…、」
見つめた先、カウンターひとり横顔がいる。
俯けた白い頬かかる髪はあのころより短い、けれど黒髪のまま揺れる。
もう10年が経ってしまった、それでも忘れてなんかいない横顔へ踏みだした。
ことん、とん、
ラバーソール密やかに響く、高校時代とは違う靴底。
もう制服も着ていない、そのくせ鼓動あのころのまま軋みだす。
ふれる空気かすかに渋く甘くて、変わらないまま並んだ書架が時間を戻す。
『あ、田中くん。今日は早かったね、』
君が笑いかけてくる、穏やかで静かで、そのくせ明るい瞳。
あまり騒ぐタイプじゃない目立たない、でも、その空気が好きだった。
好きで、ほんとうは月曜と木曜が待ち遠しくて、だからこそ言葉になんて出来なかった。
『今日で最後だね、おたがいさま卒業おめでとう?』
そう言って笑った君に、言えば良かった。
だから踏みこまなかった場所に今、10年ぶり口ひらいた。
「原嶋、俺のこと憶えてる?」
あのままに俯ける貌、その視線の先あいかわらず本。
伏せた睫あいかわらず長くて、ゆっくり瞬いて顔上げてくれた。
「あ、田中くん?」
穏やかなソプラノ自分を呼んでくれる。
見つめてくれる瞳に自分を見て、あのころのまま笑った。
「おう、ひさしぶりだな?卒業以来だろ、」
「うん、卒業以来だね、」
うなずいた口もと微笑んで、黒目がちの瞳やわらかに細めてくれる。
穏やかなまま変わらない笑顔に、8年前の問いを投げた。
「原嶋、成人式に来なかったよな?どうしたんだよ、」
あの日、ほんとうは探していた。
けれど逢えなかった相手は、困ったよう微笑んだ。
「父が亡くなってね、おめでたい席に行くのは申し訳なかったから、」
成人式の三日前だったから。
そっと告げて長い睫かすかに俯く、その陰影あわく青い。
あの二十歳だった時間の哀しみに、隔てるカウンターへ両手を置いた。
「ごめん、余計なこと言って、」
「いや、謝らないでよ?こっちこそごめんね、」
微笑んで両手を振ってくれる。
あのころのまま白い細い手、変わらない瞳が自分を映す。
それでも10年きっと多く変わってもいる、そんな再会に尋ねた。
「あのさ原嶋、なんでここにいんの?図書委員もOB会あるとか、」
部活動ならOBが呼ばれたりもする、委員会も同じなのだろうか?
訊きたかった今に黒目がちの瞳が笑った。
「職場だからいるんだよ、今日からここの司書にね?」
「え、」
つい見つめてしまう。
意外で、驚いて、そして感情が敲かれる。
「田中くんは6年目なんでしょ?人気の先生だって聞いたよ、母校で褒められるってすごいね、」
穏やかに笑いかけてくれる、その瞳が静かなまま明るい。
この瞳が見てきた10年がある、その全て知りたくてスマートフォン出した。
「原嶋こそ夢叶えて司書になってんじゃん、話もっと聴きたいし番号とか教えてよ?」
「うん、ちょっと待って?」
頷いてカウンター越し、作業台からスマートフォン取ってくれる。
その横顔やわらかいまま、あのころより香り高い。
鈴蘭:スズラン、別名・君影草
花言葉「純粋、純潔、純愛、愛の告白、希望、幸福が訪れる、幸福が帰る、優雅、意識しない美しさ」
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