萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 春鎮 act.56 another,side story「陽はまた昇る」

2018-05-25 07:22:11 | 陽はまた昇るanother,side story
Since first I saw you 初めて見つめて、
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.56 another,side story「陽はまた昇る」

幸せと、誰が決めるのだろう?

“もう俺は何もあげられない、もう無理だろ?”

どうして「何も」なんて解るのだろう、誰が決めたこと?
どうして「無理」だなんて言うのかな、誰がいつ決める?

「それに俺も、これからは…」

きれいな低い声また言って、でも途切れる。
その先を訊きたくて見つめた真中、端整な唇そっと笑った。

「どっちにしてもさ周太、ほんとは小嶌さん無理してるよ?好きな人を他の相手に送りだすの楽しいわけない、帰ってあげな?」

帰る、どこへ?

―ほんとうに英二…そんなこと想ってるの?

なぜいつも決めてしまうのだろう、あなたは。
いつも独り勝手に考えて動いて、僕の声なんて聴いてくれない。

「俺はもうすこし耐寒訓練してくからさ、周太は先に帰れよ?」

どこへ帰るのか、誰が決めるの?

―美代さんが無理してるのは本当、でも決めるのは美代さんじゃないのに?

あの女の子はそんなこと望まない、だから今日も一緒にここへ来た。
あなたは解らないのだろうか?

『他の人といたいクセに隣にいられるって嫌でしょ?そういうの好きなぶんだけ嫌だよ、』

いつものまま正直な声、きれいな明るい瞳、そんな女の子だから大切になった。

『でも私は醜くても生きる強さが好きよ、だって逃げるよりずっといいでしょ?』

あんなふう言える心は強い、だから尚更に見つめたくなった。
まっすぐな瞳まっすぐな声、そんな心きっと時間の分だけ好きになる。
そんな女の子をあなたは「あの女」と言ってしまう、何も知らないくせに?

―きれいな英二、でも何も知らない…ひとの心なにも、

知らないから残酷、そうかもしれない。
知らないからこそ無垢なおさら美しいのかもしれない、あの女の子が言ったままに。

『見た目は王子様みたい、でも素顔は寂しいね?孤独だから人の心を知れなくて、』

白銀の森すわりこむ横顔、氷の木洩陽あわい。
ダークブラウンの髪を雪が梳く、銀色かがやいて大気にとける。
深紅まとう肩ひろやかに端正で、大樹おおらかな雪白まぶしくて、そして寂しい。

『孤独だから人の心を知れなくて、自分勝手なんじゃないかな?…だからみんなが泣くの、』

みんなが泣く、誰のために?
そうして孤独に輝く横顔はきれいで、また惹きこむのだろうか?

―だから光一も英二を好きになったのかな…雅樹さんとは違うひとでも、

あなたは誰でもない、唯ひとり唯一の個性。
それは特別なことじゃない誰も同じ、それなのに今もまた孤独に決めこむのだろうか?

「…英二、」

ほら自分の唇がうごく、あなたに伝えたいから。

「英二、美代さんが僕をここに来させたんだよ…どういうことか解るよね?」

言葉とける雪、深紅かすかに動く。
この声どうか届いてほしい、願い唇つむいだ。

「あのね…僕、美代さんに怒られたよ?」

ダークブラウンの光そっと艶めく、白皙の横顔ふりむく。
深い睫ゆっくり瞬いて、切長い瞳が自分を見た。

―僕のこと見てくれた…英二、

深淵の視線が自分を見る、あの底へ聲どうか届いて?
願いごと見つめかえして想い続けた。

「英二は憶えてる?オペラ座の怪人…Le Fantome de l'Opera のこと、」

忘れないで、この名前だけは。

“Le Fantome de l'Opera”

邦題『オペラ座の怪人』フランス語に綴られる物語。
それから古びた表紙と、切り取られてしまったページの真実。

―忘れたなんて言わないで英二…お願い、

壊された異国の一冊、父の書斎まどろんでいた物語。
その名前に赤い唇かすかに笑った。

「憶えてるよ周太、あのベンチで読んでくれたよな、」

白く凍える森の底、深紅ひとつ燈る鼓動。

―憶えててくれた…英二、

深く鮮やかな色彩まとう登山ウェア、あなたの色。
この色彩ひとつ見つめて見惚れて、そうして生きた時間が鼓動する。

「ん…憶えててくれたんだね、英二も、」

うれしい、だから言葉あなたに繰り返す。

「忘れるわけないだろ、」

きれいな低い声が返してくれる、その唇いつもより赤い。
きれいで、ずっと見ていたくて、けれど僕には別の色がある。

「オペラ座の怪人…歌姫と初恋の人がふたたび恋するお話だったよね、でも歌姫にはふしぎな存在がいるんだ、」

ほら僕の唇が語りだす、解って欲しいから。

―僕は僕だってわかって英二…僕が決めることだ、って、

あなたじゃない、僕の幸せを決めるのは。
誰でもない唯ひとり、僕だ。

「歌姫に歌を教えてくれるけど、姿を見せない声…歌姫は天使って呼ぶけれど、ほんとうは醜い顔を仮面で隠した天才の男、」

あなたみたいだ、本当に。

醜い、けれど美しい、天与の才あざやかな男。
その華やかな外貌ふかい深淵は切長い瞳に哂った。

「俺みたいだな、」

睫ふかく濃やかな陰翳が自分を見つめる、穏やかな拒絶の淵が凪ぐ。
こんな視線は哀しい、けれど懐かしくなる。

―こんな眼をしてたね、英二…はじめてあったときも、

春三月、あれから二年を生きた。
そうして辿りついた雪ふところの森、きれいな低い声そっと言った。

「周太も俺のこと天使だって前は言ってくれたけどさ、もう本性バレてるし?」

きれいな低い声、でも痛む。
疼くような痛覚ゆるやかな白とける、赤い唇そっと靄くるむ。
銀色しずかな凍える風、深い眼ざしに周太は口ひらいた。

「そうだね英二…英二はファントムみたいって、僕も想う、」

だから僕は、あのとき読みたかった。

“Le Fantome de l'Opera”

壊された異国の一冊、その全て読みたいと願ってあの日に買った。
あの日、初めて君と一緒に歩いた一日に、あの街で。

―楽しかったんだ僕はあのとき…英二が正直だったから、

外出日、新宿の街をあなたと歩いた。
あの街は自分に哀しくて、それでも隣が笑ってくれたから。

“Fantome”

その意味は「怪人」だけじゃない、だから似ている。
だから伝えたくて追いかけた銀色の森、冷厳の大気に唇ひらいた。

「現れたり消えたり、いつのまにか僕をたすけて…幻みたいな幸せもくれて、ふしぎで、怖くて…いくつも仮面があるみたいに不思議なひと、」

不思議、怖い、でもそれだけじゃない。
その全てに逢いたくて追いかけた瞳は自分を映して、静かに哂った。

「それにファントムは人殺しも厭わない、」

きれいな低い、凍える声。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 104」】

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