萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 春鎮 act.54 another,side story「陽はまた昇る」

2018-05-03 08:05:06 | 陽はまた昇るanother,side story
and no pace perceived; 遠く近く、
harushizume―周太24歳3月下旬


第85話 春鎮 act.54 another,side story「陽はまた昇る」

銀色の梢あわい光、この大樹に懐かしい。

「ここだ…」

つぶやいた唇そっと湿度かすめる。
ほろ甘い渋い香ひそやかな空気、きっとブナが佇んでいる。
おおらかな天蓋ここを通った幸福、その時間ふる雪そっと踏みこんだ。

「はぁっ…」

息あがる、冷厳しずかに肺を浸す。
アイゼンの底さくり雪くずれる、銀色ひたすゲイターを氷雪うずむ。
左ふみだして右へ、その体重移動かすかに軋んで周太は息吐いた。

―やっぱり痛い…右足首、

にぶい疼き絞めつける、深く唸るような痛み燻る。
まだ治りきっていない捻挫ひきずる雪、ほら?これが自分の本音だ。

―こんなになっても逢いたいんだ僕は…どうして、

どうして、どうして逢いたいのだろうあなたに?
傷を負った足、それより深い鼓動の軋みがある。
こんな痛み2年前は知らなかった、知ったのは唯ひとりあなたのせいだ。

『北岳草を見せてあげたいよ、周太?』

ほら声が響きだす、唯一つあなたの声だ。
その声たどる道ひそやかに雪と傷ふみこんで、頬そっと香ふれた。

「…あ、」

あなたの香?

―森みたいな匂い、でも…すこし違う、

ほろ苦い深い、かすかに甘い香。
ほんのすこし感じるだけ、けれど雪の森だけの匂いじゃない。
なつかしくて見つめて踏みこんで、遅い午後くれゆく雪に色ゆれた。

「っ…」

深紅色ゆれる、あなたの色。

「…えいじ、」

ふかい深い赤い色、あなたの登山ジャケットの色。
あの色に連れられて自分はここに来た、その記憶へ雪ふみこんだ。

「英二っ…、」

おおきな大きな銀色の根元、深紅色が立ちつくす。
むけられているのは背中だけ、それでも唯ひとつの後ろ姿にアイゼン蹴った。

「えいじっ、」

叫んで足が埋まる、冷たい銀色うずもれる。
冷厳さらさら膝を捉えて、それでも駆けだした。

「英二!」

さく、さくさくっ、駆ける銀色を光が舞う。
近づきだす深紅にダークブラウンの髪ゆれる、唯ひとりあの髪にふれたい。

「英二、えいじっ!」

叫ぶ自分の声、雪に足音、凍える雪面くずれて踏む。
雪あわい水の匂いに香ふれる、ほろ苦い深い風。
この香もう幻じゃない、あなただ。

ほら?もう手を伸ばせば、

「英二!」

ことん、

伸ばした腕いっぱい、ひろやかな腰。
深紅色あざやかに抱きしめる、登山ウェア透けて温もりふれる。
抱きしめて頬ふれる深紅の背、おおきくて広くて、ほろ苦い深い香が鼓動を浸す。

「…、」

頬ふれる背中が息をのむ、深い香そっと濃くなる。
唯ひとり逢いたかった。

「えいじ…」

呼びかけて抱きしめて、そっと背中くずれおれる。
抱きしめた温もりごと膝おられて腰落ちて、ふれそうな瞳に微笑んだ。

「やっぱりここにいた、英二っ…、」

名前を呼んで見つめて、あなたの眼に自分が映る。
切長い瞳はきれいで、ただ瞬く濃やかな睫に笑いかけた。

「英二、」

呼びかけて白銀の森、ダークブラウンの髪あわい陽光きらめく。
ほろ苦い深い香おだやかな髪、見つめてくれる切長い瞳ふかい黒い深淵。
この眼ざしよく知っている、ただ惹きこまれる真中で深い睫そっと瞬いた。

「…周太?」

あなたが呼んだ、僕を。

※校正中

(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 104」】
第85話 春鎮act.53← →第85話 春鎮act.55
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