
お祝いゲタ、というよりも、要するに晴れ着を着たときのゲタですね。
塗りのゲタは普段でもはきましたが、これには松柄の蒔絵がついています。
畳表で鼻緒にも鶴と松の柄があります。
高歯ですからもしかしたら雪の中、お嫁入りに履いたのかも。

まだまだ履けるんですよ。花嫁衣裳や振袖はもう着られませんが、
ゲタくらいいーじゃーんと、しらっぱくれて履こうと思ってます。キッヒッヒ。
さて、ゲタと同じときに手に入れたもの、こちらです。

まだご存知のかたもいらっしゃるでしょう「箱膳」ですね。
実はこんな大きさです。

とんぼのだーい好きなミニチュアです。
お茶碗に蓋物、お椀らしき器にお皿、湯のみに箸でワンセット。
この箱膳は、かなり近代まで使われていました。
実は私の鹿児島うまれの友人、同じ年ですが、子供のころこれだったそうです。
それでは「お膳の歴史」…なんていっても、そんな詳しくはしりません。
まず、平安時代に「器に足をつけたもの」が高貴な方の食器として使われました。
「高杯(たかつき)」とよばれるものですね。
それから、身分の高い人には、足のついた小さなお膳が使われたわけですが、
庶民は長い間「折敷(おりしき)」とよばれるもの、
これってつまりただのお盆みたいなものです。
よくお赤飯が、経木のりっぱな箱に入ってきたときは、蓋も経木一枚ではなく、
ちゃんと蓋になってますよね、あれをひっくり返した感じ。
一人分の「マイお盆」です。やがてこの折敷に足がついてきました。
身分の高い人たちのお膳は、足がいろいろです。
たとえばお雛様のお道具にある、足が下のほうに広がってどっしりしているもの、
あれは「蝶足膳」といいます。足がコの地を寝かせた形でついているもの、
つまり、床につくところが四箇所ではなく、ゲタの歯のように「二」の字に
なるようについているもの、木具膳といいます。
これは塗りがしていない木地そのままのもので、身分の低い人や庶民のもの、
旅籠なんてのもこれだったようですね。
こんな風に、ただのお盆から、足がついた台になってきましたが、
実はお膳は、身分の上下や商家と農家などで、形も素材も使い方も違いました。
農家では囲炉裏の周りをぐるりと囲んで食事ですから、
それぞれの小さい木具膳でよかったし、商家ではそれなりに身分がありました。
店の主人は台所でも上座にすわり、塗りのお膳、
奉公人は台所の土間に近いところで木具膳など…。
また商家によっては、同じ時間に食べなかったりもありましたから、
そういうことで道具もかわってくるわけですね。
やがてこの「箱膳」が出てくると、これは便利と広まりまして、
少なくとも明治くらいまでは使われていたようです。
箱膳には、一人分の専用飯茶碗、汁物椀、皿が二枚くらいに箸と湯のみ、
まさしく上の写真どおりですが、それでワンセットでした。
そして食事が終わると、さいごに漬物や残りのおかずで食器についたものを
全部こそげとるようにして食べ、最後にお茶やお湯で、茶碗や箸の先を
すすいで飲み、ふきんなどでふいてそのまま食器を箱膳にしまってふたをする。
食器は毎日洗うということはありませんでした。
不潔な感じもしますが、そもそも今のように油で揚げたものだとか、
ねっとりタレが残るようなものとか、ソースやドレッシングをかけるなんて
そんなおかずはなかったわけです。
味噌汁にイモの煮っ転がし、めざし、たくあん二切れくらいなもの。
江戸などは井戸といっても、地面を掘って探り当てる井戸ではなく、
いわば「上水」でしたから、水も貴重でしたし、
今のように蛇口ひねれば水がでるわけではありませんしね。
そんなわけで、この箱膳はほこりよけにもなったので、清潔だったわけです。
写真の箱膳のフタの上に、見えづらいのですが二本の棒がついてます。
これは、下の箱の上にフタをひっくり返してのせたときに、
これがつっかえになって、フタがずり落ちないための工夫です。
食器をしまうとこんな感じ。

長らく「一人膳」できた日本ですが、大正くらいからは
「ちゃぶ台」が出てきました。ちゃぶという字「卓袱」と書きます。
どっかで見た字?、そうです長崎の「しっぽく」と同じ字です。
元々しっぽくというのは、中国語でテーブルクロスのことですが、
どうも発音がチャブに似ていたようですね。
ちゃぶ台は、江戸時代のような身分やかましいことが少しずつ薄れて、
家族で食卓を囲むという暮らしになってきたときには、狭い日本家屋では、
足を出せばひろがり、たためば部屋のすみにたてかけられる、
たいへん便利なものだったわけですね。私などもこのちゃぶ台でご飯を食べ、
折り紙で遊ぶの宿題をやるのと、お世話になりました。
古くなって、足をだすときにギギッとかギュゥゥ~~とか妙な音がして…。
自分の学習机を買ってもらったのは、三年生くらいでしたか。
最近ではこのちゃぶ台をめったに見なくなりました。
作業用にと、最近の「合板に金属製の足のついたお膳」を買いましたが、
なんか違うんですよね。丸い小さなちゃぶ台があったらほしいのですが、
大きさと状態が、なかなかあいません。
だれですかちゃぶ台返しをしてみたいなんていってるのは…。
塗りのゲタは普段でもはきましたが、これには松柄の蒔絵がついています。
畳表で鼻緒にも鶴と松の柄があります。
高歯ですからもしかしたら雪の中、お嫁入りに履いたのかも。

まだまだ履けるんですよ。花嫁衣裳や振袖はもう着られませんが、
ゲタくらいいーじゃーんと、しらっぱくれて履こうと思ってます。キッヒッヒ。
さて、ゲタと同じときに手に入れたもの、こちらです。

まだご存知のかたもいらっしゃるでしょう「箱膳」ですね。
実はこんな大きさです。

とんぼのだーい好きなミニチュアです。
お茶碗に蓋物、お椀らしき器にお皿、湯のみに箸でワンセット。
この箱膳は、かなり近代まで使われていました。
実は私の鹿児島うまれの友人、同じ年ですが、子供のころこれだったそうです。
それでは「お膳の歴史」…なんていっても、そんな詳しくはしりません。
まず、平安時代に「器に足をつけたもの」が高貴な方の食器として使われました。
「高杯(たかつき)」とよばれるものですね。
それから、身分の高い人には、足のついた小さなお膳が使われたわけですが、
庶民は長い間「折敷(おりしき)」とよばれるもの、
これってつまりただのお盆みたいなものです。
よくお赤飯が、経木のりっぱな箱に入ってきたときは、蓋も経木一枚ではなく、
ちゃんと蓋になってますよね、あれをひっくり返した感じ。
一人分の「マイお盆」です。やがてこの折敷に足がついてきました。
身分の高い人たちのお膳は、足がいろいろです。
たとえばお雛様のお道具にある、足が下のほうに広がってどっしりしているもの、
あれは「蝶足膳」といいます。足がコの地を寝かせた形でついているもの、
つまり、床につくところが四箇所ではなく、ゲタの歯のように「二」の字に
なるようについているもの、木具膳といいます。
これは塗りがしていない木地そのままのもので、身分の低い人や庶民のもの、
旅籠なんてのもこれだったようですね。
こんな風に、ただのお盆から、足がついた台になってきましたが、
実はお膳は、身分の上下や商家と農家などで、形も素材も使い方も違いました。
農家では囲炉裏の周りをぐるりと囲んで食事ですから、
それぞれの小さい木具膳でよかったし、商家ではそれなりに身分がありました。
店の主人は台所でも上座にすわり、塗りのお膳、
奉公人は台所の土間に近いところで木具膳など…。
また商家によっては、同じ時間に食べなかったりもありましたから、
そういうことで道具もかわってくるわけですね。
やがてこの「箱膳」が出てくると、これは便利と広まりまして、
少なくとも明治くらいまでは使われていたようです。
箱膳には、一人分の専用飯茶碗、汁物椀、皿が二枚くらいに箸と湯のみ、
まさしく上の写真どおりですが、それでワンセットでした。
そして食事が終わると、さいごに漬物や残りのおかずで食器についたものを
全部こそげとるようにして食べ、最後にお茶やお湯で、茶碗や箸の先を
すすいで飲み、ふきんなどでふいてそのまま食器を箱膳にしまってふたをする。
食器は毎日洗うということはありませんでした。
不潔な感じもしますが、そもそも今のように油で揚げたものだとか、
ねっとりタレが残るようなものとか、ソースやドレッシングをかけるなんて
そんなおかずはなかったわけです。
味噌汁にイモの煮っ転がし、めざし、たくあん二切れくらいなもの。
江戸などは井戸といっても、地面を掘って探り当てる井戸ではなく、
いわば「上水」でしたから、水も貴重でしたし、
今のように蛇口ひねれば水がでるわけではありませんしね。
そんなわけで、この箱膳はほこりよけにもなったので、清潔だったわけです。
写真の箱膳のフタの上に、見えづらいのですが二本の棒がついてます。
これは、下の箱の上にフタをひっくり返してのせたときに、
これがつっかえになって、フタがずり落ちないための工夫です。
食器をしまうとこんな感じ。

長らく「一人膳」できた日本ですが、大正くらいからは
「ちゃぶ台」が出てきました。ちゃぶという字「卓袱」と書きます。
どっかで見た字?、そうです長崎の「しっぽく」と同じ字です。
元々しっぽくというのは、中国語でテーブルクロスのことですが、
どうも発音がチャブに似ていたようですね。
ちゃぶ台は、江戸時代のような身分やかましいことが少しずつ薄れて、
家族で食卓を囲むという暮らしになってきたときには、狭い日本家屋では、
足を出せばひろがり、たためば部屋のすみにたてかけられる、
たいへん便利なものだったわけですね。私などもこのちゃぶ台でご飯を食べ、
折り紙で遊ぶの宿題をやるのと、お世話になりました。
古くなって、足をだすときにギギッとかギュゥゥ~~とか妙な音がして…。
自分の学習机を買ってもらったのは、三年生くらいでしたか。
最近ではこのちゃぶ台をめったに見なくなりました。
作業用にと、最近の「合板に金属製の足のついたお膳」を買いましたが、
なんか違うんですよね。丸い小さなちゃぶ台があったらほしいのですが、
大きさと状態が、なかなかあいません。
だれですかちゃぶ台返しをしてみたいなんていってるのは…。
実家でも最近は見かけないから
ひょっとして物入れにひっそりと
いるのかしら・・・
母もよく言いました。親の恩は
返せても水の恩は返せないと・・・
それだけ水には恩になっているのですね。
ちゃぶ台、うちのも年季入ってましたねぇ。
今になって、あれもとっておけば…なんて
いろいろ思ってます。
昔の人って、今よりずっとムダってことを
口うるさく言いましたよね。
ケチーなんていってましたけど、そうじゃなくて
「大事にする」ってことなんですよね。
私の家でもこれを使ってましたよ、当時、私は六つ七つの歳でしたから昭和二十九、三十年の頃でしょうか・・
コの字形に膳を配列して家族九人が食べた訳ですが
果たして末っ子の私の分としての箱膳はあったのか
なかったのか、ちょっとそこまでの記憶は定かでありません・・
>そして食事が終わると、さいごに漬物や残りのおか>ずで食器についたものを
>全部こそげとるようにして食べ、最後にお茶やお湯>で、茶碗や箸の先を
>すすいで飲み、ふきんなどでふいて
これは禅宗の修行僧の食事作法にもみられますよネ
箱膳こそ使いませんが、漆器の椀と匙を布に包み込み
所定の処へと戻します・・
円形の卓袱台も今は見掛けなくなりましねぇ・・
真ん中には七輪が落とし込める様、穴の開いたのも
ありましたっけ・・「今夜はひきずりにしましょか」
っていうと穴の部分の蓋を外して七輪を入れ込む訳ですナ(笑)
ちなみに「ひきずり」って言うのはスキヤキのことであります・・当時は牛肉は高価で手の出ぬものでありましたから、
もっぱら安価な馬肉を使ったスキヤキでございました。
この家に来てから・・使った記憶はありません!
ミニチュア色々・・可愛いですね。
箱膳・・近頃またアンティークっぽく作られたものを売っていますね、塗り物なので結構なお値段で・・・
箱膳をお使いでしたか、私は母のイナカで
見たことがあるだけです。
夕食になると、割烹着かけた母が、台布巾で、
ちゃぶ台をまーるくしゃっしゃっとふきながら、
「ごはんやし、はよ片付けや」と、
せかせか動いていたのを思い出します。
遠い日のことになりました。
蝸牛様
暖かくなったら、レンタルでトラックを借りて、
おじゃましたいと…。ちゃぶ台と長持ち、
それに自在鍵などございましたら…コラコラ!
箱膳、私もネットで見たんですが、
たっかいですよねぇ。引き出しつきをほしいと
思ったのですが、ゼロが四個もついててやめました。