先日いただいた絵葉書なんです。
郵便受けから出して、わぁぁと思い、
家に入るのも忘れてその場で見入ってしまいました。
なーんてかわいんでしょ。
これを見て、そーよ、やっぱり色がカラフルで袂が長いのは
「子供のゆかた」よぉ!
肩揚げ、腰揚げして、お祭り縁日いきましたわ。
金魚すくいは苦手でしたが、いつもはケンカ相手の近所の男の子が
オレがとってやる、なんていって、女の子に分けてくれたりして…。
持って帰っては母に「だれが面倒見るねん」としかられましたっけ。
引っ越した当時の台所についていた「石の流し台」を
ステンレス製の物に替えたとき、石の流し台の穴をふさいで、
庭において池にしてまして、そこに離して飼ってました。
ヨーヨーつりやハッカパイプ、くじあてや綿あめ、べっこうあめ。
あの雑踏や、にわか舞台でかくし芸を披露する民謡のレコードの音…。
一枚のはがきから、遠い日の思い出をたくさんみつけ出しました。
「かーさん、あのスコッチテリア柄のゆかた、
どこへ行ったんでしょうねぇ。(人間の証明風に)」
「せやから、いとこのYちゃんとこへやったて、ゆーたやんか…」
私はぬりえが大好きでした。元々やせっぴで貧弱、
別に病気がちってことではないんですが、外遊びよりも本を読んだりの好きな子で
母が言うには「ぬりえと絵本と折り紙さえあてがっておけば、
いつまでも一人であそんでる子ぉやったで」と。
今でも三つとも大好きですねぇ。
きいちのぬりえ、はおもちゃ屋さんで買ってもらっていたと思います。
ひとつだけやで、と言われるので、毎回どれにしようかと迷ったものです。
今、価格を調べてみたんですが、5円とか10円とか?
戦後すぐは12枚入りが、だんだん枚数が減ったそうです。
40年代で5枚といいますから、私がやっていたころは8枚くらいかなぁ。
いろいろ種類があって、袋に入っていて、
やっぱり一番好きだったのは「およめさん」ですかねぇ。
一度塗ってしまうと終わりなので、何度も何度も考えて迷って、
お洋服を赤にしてぇ、リボンはピンクでぇ…と、
まるでデザイナーなみにねりあげたつもり…が、
塗りあがると、あぁやっぱりここ、黄色にすればよかった、なんて…。
せっかく気に入ってるのに、母が横から「靴は赤いほうがええのに」とか。
あぁあのころから、かーちゃんとは意見が合わなかったんだ…。
もうひとつは「髪型」、ぬりえの中の女の子達は、
いろいろな髪型をしています。お姫様の縦ロールや、日本髪、
大きなリボンのついた三つ編み…私は母がマメなひとで、
毎晩私にピンカールをしてくれました。
言葉や物腰はやさしい母ではなかったけれど、オシャレ好きな母にとっては
やっぱりわが子かわいさの「努力」だったんでしょうねぇ。
ちなみにこんなでした。これは「松島トモコ」ちゃん風です。
でも私はロングヘアがすきだった!
上のはがきみたいな髪型にあこがれました。
そしてどこで見たのか「ラジオ巻き」というのを知って、
いつかはあの髪型をやってみたいと子供心に思っていました。
あれが流行ったのは大正から昭和初期といいますから、
きっと母の本の挿絵かなんかで見たのだと思いますが、
耳を隠すように、三つ編みを丸めてとめる形。
これ、実は高校生になってからやったんですけどね、
友達に「崎陽軒の売り子みたいだ」といわれました。
いえ、崎陽軒の売り子さんをバカにしているわけではなくて、
セーラー服だというのに、頭は「中華風だ」ということです。
今もぬりえはありますが、キャラクターものが多いですねぇ。
別におおげさなことを言うわけではありませんが、
ぬりえはたとえば「ピクニック」とか「およめさん」とか、
テーマがあって、もちろんそれに沿った絵が入っているわけです。
そういうものを見て、自分の知らない世界をのぞいたり、
自分の持っていないものを見たり、そんなこともあったと思います。
今にして思えば、安いわら半紙みたいなそんな粗末なものだったかと
思うのですが、お菓子の空き箱に、いやってほどためて…。
まさかあれは、さすがの実家でも残っていないと思います。
たしか都営荒川線のどこだったかに「ぬりえ美術館」があったはずだと思って
調べてみました。こちらです。
そしたら、ぬりえ、売ってたんですよぉ、おもわずはがきも買っちゃいましたー。
いつか高畑華宵風の着付けで?ラジオ巻きで?
でかけてみたいところです。(みんなヒくってば…)
郵便受けから出して、わぁぁと思い、
家に入るのも忘れてその場で見入ってしまいました。
なーんてかわいんでしょ。
これを見て、そーよ、やっぱり色がカラフルで袂が長いのは
「子供のゆかた」よぉ!
肩揚げ、腰揚げして、お祭り縁日いきましたわ。
金魚すくいは苦手でしたが、いつもはケンカ相手の近所の男の子が
オレがとってやる、なんていって、女の子に分けてくれたりして…。
持って帰っては母に「だれが面倒見るねん」としかられましたっけ。
引っ越した当時の台所についていた「石の流し台」を
ステンレス製の物に替えたとき、石の流し台の穴をふさいで、
庭において池にしてまして、そこに離して飼ってました。
ヨーヨーつりやハッカパイプ、くじあてや綿あめ、べっこうあめ。
あの雑踏や、にわか舞台でかくし芸を披露する民謡のレコードの音…。
一枚のはがきから、遠い日の思い出をたくさんみつけ出しました。
「かーさん、あのスコッチテリア柄のゆかた、
どこへ行ったんでしょうねぇ。(人間の証明風に)」
「せやから、いとこのYちゃんとこへやったて、ゆーたやんか…」
私はぬりえが大好きでした。元々やせっぴで貧弱、
別に病気がちってことではないんですが、外遊びよりも本を読んだりの好きな子で
母が言うには「ぬりえと絵本と折り紙さえあてがっておけば、
いつまでも一人であそんでる子ぉやったで」と。
今でも三つとも大好きですねぇ。
きいちのぬりえ、はおもちゃ屋さんで買ってもらっていたと思います。
ひとつだけやで、と言われるので、毎回どれにしようかと迷ったものです。
今、価格を調べてみたんですが、5円とか10円とか?
戦後すぐは12枚入りが、だんだん枚数が減ったそうです。
40年代で5枚といいますから、私がやっていたころは8枚くらいかなぁ。
いろいろ種類があって、袋に入っていて、
やっぱり一番好きだったのは「およめさん」ですかねぇ。
一度塗ってしまうと終わりなので、何度も何度も考えて迷って、
お洋服を赤にしてぇ、リボンはピンクでぇ…と、
まるでデザイナーなみにねりあげたつもり…が、
塗りあがると、あぁやっぱりここ、黄色にすればよかった、なんて…。
せっかく気に入ってるのに、母が横から「靴は赤いほうがええのに」とか。
あぁあのころから、かーちゃんとは意見が合わなかったんだ…。
もうひとつは「髪型」、ぬりえの中の女の子達は、
いろいろな髪型をしています。お姫様の縦ロールや、日本髪、
大きなリボンのついた三つ編み…私は母がマメなひとで、
毎晩私にピンカールをしてくれました。
言葉や物腰はやさしい母ではなかったけれど、オシャレ好きな母にとっては
やっぱりわが子かわいさの「努力」だったんでしょうねぇ。
ちなみにこんなでした。これは「松島トモコ」ちゃん風です。
でも私はロングヘアがすきだった!
上のはがきみたいな髪型にあこがれました。
そしてどこで見たのか「ラジオ巻き」というのを知って、
いつかはあの髪型をやってみたいと子供心に思っていました。
あれが流行ったのは大正から昭和初期といいますから、
きっと母の本の挿絵かなんかで見たのだと思いますが、
耳を隠すように、三つ編みを丸めてとめる形。
これ、実は高校生になってからやったんですけどね、
友達に「崎陽軒の売り子みたいだ」といわれました。
いえ、崎陽軒の売り子さんをバカにしているわけではなくて、
セーラー服だというのに、頭は「中華風だ」ということです。
今もぬりえはありますが、キャラクターものが多いですねぇ。
別におおげさなことを言うわけではありませんが、
ぬりえはたとえば「ピクニック」とか「およめさん」とか、
テーマがあって、もちろんそれに沿った絵が入っているわけです。
そういうものを見て、自分の知らない世界をのぞいたり、
自分の持っていないものを見たり、そんなこともあったと思います。
今にして思えば、安いわら半紙みたいなそんな粗末なものだったかと
思うのですが、お菓子の空き箱に、いやってほどためて…。
まさかあれは、さすがの実家でも残っていないと思います。
たしか都営荒川線のどこだったかに「ぬりえ美術館」があったはずだと思って
調べてみました。こちらです。
そしたら、ぬりえ、売ってたんですよぉ、おもわずはがきも買っちゃいましたー。
いつか高畑華宵風の着付けで?ラジオ巻きで?
でかけてみたいところです。(みんなヒくってば…)
点線で切り離してめくるのもありました。
お写真のヘア、テンプルちゃんみたいで
かわいい。そういえば、母もカーラーで
あたまスカーフでおおってました。
どちらも、幼少の頃の好物でして。
(ゆかたは今もですね)
覚えていないんですが、袂の長いお気に入りの
ゆかたを着て花火をしていたら、袂に火が入って
大騒ぎ!ゆかたはダメになってしまったそうで…。
自分の過失ではないらしいんですが、残念です。
火遊びは気をつけないといけませんねえ。
わたしの子供の頃は、こういうぬり絵
でしたが、孫たちも今風キャラクターの
ぬり絵を喜んでぬっています。
松島トモコちゃん風の髪型とっても可愛い!
うちは5人姉妹ですから、母にしてもらう事は
一度も無かったです。小学1年生の頃の写真を
見ると男の子の様なショートカットヘアですわ。
いいですねぇなんだってこう、子供の やったら幅のある腰揚げってかわいいんでしょう…
今年の浴衣・なんだかすごいですね!帯につけるアクセサリーとやら!帯が下がってきそうな重苦しい鎖なんかをいっぱいくっつけてました
夏場はさりげないおしゃれを楽しんでほしいな~。
時々通る道の「町内会掲示板」に、「きいちのぬりえ」が貼りっ放しになっているんですが、信号待ちでそれを見るのがひそかな楽しみなんです。町内会長の奥さんのご趣味かな?なんて、勝手に想像して笑顔になってしまいます。
ぁあ~っ、ビックリしたーーー!
昔、美絵子先生にきいちのぬりえ&きせかえなど、たくさんもらいました。
・・・が、髪を塗るのがなにより好きだった私は
「なんで最初から黒くプリントしてんだよっ!」と
それほどうれしくなかったです。 ←告白
きいきといえばぬりえですが、ホントは日本画がスバラスィ~♪
なかなか検索してもひっかかってこないので作品数、少ないのでしょうかね?
トモコちゃん風味ヘア、キュートですっ!
たま~にこんな髪・ではなく、毎日だったんですか?
まるで お姫様生活ぢゃないですかっ☆☆☆
シャーリー・テンプルちゃんですね。
かわいかったですよね。
母はカーラーをまくと寝られない、と
いつも自分もピンカールでした。
手間かかるんですよねぇ。
花火もよくやりました。
親にうるさく言われてましたよね。
子供だけでやっちゃいけないとか。
それにしてもたいへんな目にあいましたね。
お怪我はなかったのでしょうか、
遠い日の「アツい思い出」ですね。
いやいや、笑ってませんよ、ほんとに。
雨の日なんか、一日中ぬってた気がします。
今は大人のぬりえがあるそうです。
母は、私の希望はきいてくれませんでしたが?!
こまめによくやってくれたと思います。
肩あげは、私19までやられましたよ。
腰あげは、子供の特権ですね。
いまどきの…みるだに暑苦しく重苦しい、
それがカッコいいって言うんですから、
もー私にはわかりまへん。
きいちのぬりえ、貼ってあるんですか。
「ぬりえ美術館」では、古いぬりえを
寄付してくださいって、やってます。
さすがにウチにはないですー。
見たいなー。
そうでしたか!
喜一氏の絵画は、ほんとに見ませんね。
フジヲの名前のころのぬりえは、
まだ日本画の美人画の香りがしますね。
時代が悪かったんですね。
ぜひ一度「絵」の本物を、いつか
拝見したいと思っています。
お姫様生活…アタマだけぇ…。
あとはもー粗雑な扱いで…ほんと。