大浦勝鬨のブログ

磐笛・根竹環・法螺貝 天然笛伊都能売呼吸法奏者

あの世へゆく準備 1<3>

2018-05-15 12:03:31 | 日記


            <鳴り鳴りやまず 天の磐笛> 転期 1<学年期>12-20歳

         中学1年生の時、大本本部<綾部市>で大本少年夏期学級、3泊4日の研修会に参加する。
         この時の心境は言葉では表現の仕様がありませんでした。
             内容だけ列記します。
         *宇宙論
             <1> 宇宙の本源は活動力にして即ち神なり。万物は活動力の表現にして神の
                 断片なり。
             <2> 神が創造された全宇宙を観察することによって神の実在と神性を
                 悟ることができます。
         *大本3大学則
             <イ> 天地の真象を観察して真神の体を思考すべし。
             <ロ> 万有の運化の豪差なきを視て真神の力を思考すべし。
             <ㇵ> 活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし。
             
         *大本教旨
             神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体なり、神人合一してここに無限の
             権力を発揮す。

         *    霊界は時間空間に拘束されないせかいです。 現界はこの反対。
             以下、真の神とは。 天地の律法とは。 霊界について。 人生の目的。
             「四第綱領<祭 教 慣 造 > 「四第主義<清潔、楽天、進展、統一」と
             いった内容を学ぶ。

             *人生の 悟りの道は ただ一つ 神を頼りに 誠を杖に。   <勝>
             *天地の 神に全てを まかせつつ 人生送れば この世天国。 <勝>
             *人生は 神を頼りに 吾が道を 誠を持って 感謝して生きる。<勝>
             *大本の 夏期学級  受講して 全校生徒に 公演をする。  <勝>

         

         

         

あの世へゆく準備  1<2>

2018-05-15 10:26:11 | 日記


            <鳴り鳴りやまず 天の磐笛>  幼年期

      私は、1937年9月18日、大浦忠蔵ととめとの5男4女の5男として京都府宮津市
      字島陰249番地、猟師の家庭でうまれました。 幼児期は戦中、戦後で生活は大変
      苦しかったと思いますが--- でも愛情いっぱいの家族の中で育てられました。
      母親の口癖は 「悪いことをしたら地獄に行く、良いことしたら天国に行く」この言葉
      が私の身体に染み込んでいたとおもいます。

      父親は宗教法人大本の熱心なしんとでした。 母親は今で言う「霊能者」 当時は
      「おがみや、霊媒者、狐付き」と言われ、近所では評判でしたが、その子供だと言われ    
      れることが 嫌な事も随分ありました。

      母親に死んだ人の霊が乗り移り、今地獄におちて苦しんでいるから助けてほしいと言い
      始める、それを父親が聞き取って、相談者に説明するといった事が、わたくしの小学校
      3年生ごろまで読きました。 人は死んだら、天国か地獄又この中間の世界<中有界>
      に行くのかなと思っていました。

      天国に行っているという人の場合は、母親の顔が明るく、楽しい顔立ちになり、   
      見ていても気持ちが良かったのですが、反対の地獄行きの人の状態は見ておられない
      容貌になり、子供心に恐ろしかった事がおもいだされます。
      幼少の頃からこの様な環境で育ちました。

         *母親に 霊が移りた 姿見て あの世があると 覚らされる。

                大浦荘の海岸から映す

      

                私の誕生した島陰の神社<白山神社>

      

      

      

      

      

      

あの世へゆく準備 1<1>

2018-05-14 16:07:59 | 日記

            <鳴り鳴りやまず 天の磐笛> 序

       私は現在満80歳8ケ月の爺さんです、タイトルに対しての心境を書いて 
       みたいと思います。

         第一-お詫びと御救いを求める祈り。
         第二-全ての事象に感謝する事。
         第三-今を真剣に生きて行く事。 
         第四-反省する事。

       以上の4項目を毎日歓喜の念で実践して生きて行く事とおもいます。この様な
       心の持ち方の積み重ねが、霊性<魂>の向上となり、霊肉分離<死>を迎えた
       時、「ありがたい、もったいない」と思い、魂の故郷<霊界>あの世に、
       成長して復活し、天国天人として、歓喜の天国生活が永遠に送れるものと確信
       しています。

       この為には生存中に「神」を信じ、霊界<あの世>の実在を信じ自分自身の
       現世での役割使命を完遂する事だと思います。
       私がこの様な心境になれたのも両親の生き方が大きく影響していると思います
       ので、以下これまでの人生を書いてみたいと思います。

         *皇神の真意のままに 人生で 吾が本分を 完遂するなり。

         *磐笛と 根竹環で  人生の 真目的を 広く知らしむる。

         

         

         

神秘の笛 天の磐笛 5<むすび>

2018-05-13 14:11:29 | 奉納演奏


                   <むすび>
    
          今から6年程前に「フト」した事から、大本言霊学の本、同じく梅花編>
          2冊の本が手元に届いてから、音霊、言霊、の吹奏と発声をしだしました
          実を申しますと、言霊学の事は子供の頃から聞いていましたが、恩師から
          出口王仁三郎聖師でも習得に18年費やしたと、聞いていましたので、
          勉強はしないと思っていました。74歳の時授かった為発声だけと思い
          現在も続けています。

          言霊学の本には、「神は万物の霊にして言霊なり、道なり。宇宙に充ち
             満つるをもって<ミチ>道とも謂う。 人は天地経綸の司宰者とし
             て生をうけたるものなり。 故に言霊の妙用を解してこれを実地に
             応用する時は、天地万物を自在に動かすことを得るべく、 地震
             風雨、電雷を駆使するごときは実にやすやすたる業なり。 言霊学     
             を会得され神通自在の境地に至らんことを。。。」と
          記してあります。実に驚きを通り越した言葉です。

          又古文書には、「皇国は太古より言霊の天照国、言霊の幸ふ国、助くる
                  国と称す。念う所世界なり。宇宙は全て言霊により
                  創造され生かされている」とあります。
          そして、これを駆使出来るのは日本人であると。

          私が住んでいる近くの天橋立は、絶景の内に人間<霊止>としての使命が
          含まれていると思います。  自分の心内に十字を立て、宇宙の意志と
          同調し、この世を地上天国化するため、各人の役割を自覚し大和合し活動
          したいと思います。

          その為には全てに感謝し、真剣に生き、反省し、祈願し悟って行く。
          この事の繰り返しだと思い、精進努力しています。
          「吾はただミロク世願い磐笛を三千世界に響かせ給ふ」
                             惟神たまちはえませ。

          
          
          

神秘の笛 天の磐笛 5<7>

2018-05-13 10:26:40 | 奉納演奏


               <笛を吹いた時、言霊発声した時起きた現象> 7

          平成28年10月15日、丹後の元外宮比沼麻奈為神社に午前10時正式参拝
          した時、 宮司様が奉納舞をされました後に、私も磐笛、根竹環<竹筒>を
          奉納演奏させて頂きました。 その後社務所に行きお茶の接待を受け名刺交換
          昼食会場に行く為、帰り際。

          私が鳥居前で、鎮魂印を結んで、一声-「ス‐ウ-ア‐オ‐江-イ-」と言霊発声
          同時に30メ-トル程先にある鳥居の左側に立っている「イチョウの大木」の葉
          が一気に落下、まるで幅5メ-トル高さ4メ-トル程の黄色いカ‐テンを、
          張った様でした。  その時同席の皆様、あ-と言っただけでした。

          私は「カッコイイ」と思いましたが、すぐさま「ヤバイ」と思いました。過去
          にも<24歳>苦い経験をしていましたので-----おん年79歳の年です。
                             写真はその時同席の人達です。