大浦勝鬨のブログ

磐笛・根竹環・法螺貝 天然笛伊都能売呼吸法奏者

あの世へゆく準備 1<7>

2018-05-16 17:55:01 | 日記


            <鳴り鳴りやまず 天の磐笛 転期<5> 結び

         人生の真目的は  「地の上に無窮の天国たつるにありけり」 と詠み、地上天国
         建設が人生の目的であると説かれている。 人の本分は、「天地の神の御業に奉仕     
         して善事をなすのは人の本分」と説かれています。
         私はこの事を素直に信じています。 すなわち人間は現界<この世>の生活の中で

         霊性を向上させ、死後天国に復活して、今度は天人となって天国を益々円満にして
         いく活動する事が、現界に生まれてきた大きな目的なのです。
         この様な気持ちで毎日生活していれば、何事が起きても感謝、感謝で送れるものと
         確信しています。   自作の道歌

              *言霊の 火水を結びて 天地を 創造したる 神ぞ尊し。

              *我はただ 白砂青松の 橋立で ミロク世願い磐笛を吹く。

              *伊都能売の 天の磐笛 鳴り鳴りて 鳴り鳴りやまずミロク世招く。

              *現世の 使命を終えて 吾は今 天津御国に 帰り行くなり。

         

         

         

あの世へゆく準備 1<6>

2018-05-16 15:50:35 | 日記


            <鳴り鳴りやまず 天の磐笛> 転期<4> 晩年期60歳-以後

        この時期は、磐笛、根竹環<竹筒>、法螺貝、角笛などを持って、神社仏閣。又は
        会館等で要請があれば奉納演奏に行っていました。
        地元では毎月3日午前11時から、天橋立神社の隣の東屋で約30分間程奉納演奏
        をしています。

        終了後昼食、または喫茶店なので皆さまで歓談しています。

             *伊都能売の 磐笛もちて 御教えを 三千世界に 響かせ給ふ。

             *言霊と 磐笛もちて 勝鬨を 挙げる時節は 近ずきにけり。

             *皇神よ 集い来たりし 諸人の 霊性あげる 磐笛の音を。

          

          

          

          

          

あの世へゆく準備 1<5>

2018-05-16 14:15:23 | 日記


           <鳴り鳴りやまず天の磐笛> 転期<3> 壮年期-40-60歳

       私が50歳の時、勤務中に薬品で、両手の指<特にひどかったのは、左手の親指、右手      
       の親指と中指> 溶かして30日入院生活をしました。以後10年間、大本関係以外の
       精神関係の書物を沢山読み、又色色な人とも出会い、何かと精進していた頃。

       以前にも書いたと思いますが、元伊勢籠神社で奉納演奏があり、「磐笛」を吹かれました
       その音色を聴いた瞬間「コレ」 だと思いました。---なんと磐笛その物は、これより
       35年前に、恩師の遺品の座卓の中に、2個入っていました。
       驚きました、その時まできがつきませんでした。--全て定められていた事だと自覚出来
       ました。--その時満60歳---

            *薬品で 両指先を 十指とも 溶かし一ケ月 ダルマ状態・

       

       


       

       

あの世へゆく準備 1<4>

2018-05-16 12:45:16 | 日記


              <鳴り鳴りやまず 天の磐笛> 転期<2>青年期-20-40歳

         私が24歳の時、空手道、華道、謡曲に励んでいた頃。 第2回全日本空手k道選手権
         大会で準優勝した時<昭和37年>の頃、 奇しくも合気道の開祖植芝盛平翁に出会った
         その時の問答。   「先生私も合気道を学びたいと--」 「先生曰く、空手道の内に
         合気の精神を編み出せと--」  私はやる気満々**** 暫くしてから先生曰く--
             「君には無理だと」  私はガクン となりましたが、この時ふと͡故中山力松
         大本宣伝使<吾が師> の言われていたことを思い出しました。

         「植芝先生も出口王仁三郎聖師にたち向かって行くと、赤子同然。 「植芝͡コイ-」と
         言われ、植芝先生が聖師に立ち向かって行くと、聖師が鎮魂印を結んで「ウン ウン」と
         言うだけで飛ばされていた。 「何回やっても同じだった」と---この時私は信仰に勝る  
         ものはなにものも無いと、改めて思いなをしました。

         その後大本の大道修業を、亀岡大本本部で7日間受講する。--講義内容は中学の時に聞い
         た内容とほぼ同じでしたが、感じ方が全然違いました。--本部長から光を貰ったね、と
         言われたが、何の事か解りませんでした。

              *神戸にて 空手試合で 指を折り 一念発起 初修業受ける。

          
              合気道開祖-植芝盛平翁<78歳 自衛隊伊丹駐屯地に見えた時の勇姿