大浦勝鬨のブログ

磐笛・根竹環・法螺貝 天然笛伊都能売呼吸法奏者

「神秘の島」 2 神島

2018-06-05 16:16:27 | 日記


                  <神島の由来、説明文、祈念写真> 

           <神島>

           

           <記念写真>

           

           <記念碑>
   
           

           <説明文>

           

           

           

           
           

           

「神秘の島」  神島

2018-06-05 15:10:11 | 日記


                    <神島の由来>

           神島<上島>は、兵庫県高砂市の西南海上、10キロメ-トルに位置する無人の小島ま。
           記紀神話にゆかりの深い、淡路島と小豆島の間の播磨灘に浮かぶ家島群島の最東端にあり。
           一般に群島の一番上にあるから上島と呼ばれている。

           又  「火水島」 「前島」 「ほうらく島<炮烙島、宝楽島>」 「一つ島」 「牛島」
           など沢山な名称があります。
           「播磨風土記} の中には、神島の由来と、 「一つの伝説が記されている」又丹波地方
           には、下記の様な伝説がある。

           「朝日の直刺す、夕日の日照らす高砂沖の、一つ島、一つ松、松の根元に、3000年の
              宝掘けおく という俗謡があり、その秘められた真意は謎となっている。
           大正5年<1916>全ての謎を解き明かす。 <出口王仁三郎聖師>

              <神歌>
           *三千歳の潮あびながらただひとり世を牛島にひそみて守りぬ。
           
           *世を救ふ神の御船は梓弓播磨の沖に浮きつ沈みつ。

                   <神島>

           

           

                    

           

「神秘の島」 冠島-沓島

2018-06-04 16:27:49 | 日記


                         <冠島*沓島>

            丹後の沖合に、二つの島が並んでいる。 大きい方の島を「冠島」小さい方の島を「沓島」と読んでいる。
            雪舟の「天橋立図」にも描かれている大小二つの島である。 二つの島とも無人島である。
            昔から信仰の島として注目されていた孤島である。 丹後風土木記残欠文に、「男島」「女島」と称す。

            島ごとに神の祠を作り。「天火明命」「目下郎女神」を祭神としてまつたと記録にのこっている。
            若狭湾沿岸の猟師は「冠島に{老人島神社」を建て、今なお6月初旬には{雄島参り}という船団をくんだ
            団体参拝の風習がのこっている。  祭神は「天火明命」である。 元伊勢籠神社の「奥宮」として位置
            ずけられている。

            「沓島」は冠島から北東の海上4キロメ-トル沖に位置している。 島は来たの「釣鐘島」と南の「棒島」
            二島合わせて「沓島」とよんでいる。  女人禁制といわれ、特に沓島は男でも余り上陸しないのに、
            明治38年5月15日から25日までの、11日間、丹波の綾部で発祥した「大本」の開祖-出口ナヲと
            いう当時68歳の老婆が2人の青年をお共に連れて「沓島」こもりという大荒行を沓島でおこなっている。

            「呼び名」-冠島-龍宮島-とも呼び浦島伝説の竜宮城もこの島だと伝えられている、古くから若狭湾沿岸
            一帯の人々から、成人した男子は「男は一生に一度は必ず参れ」と言われています。
               「大本」では、この沓島、冠島へ「国祖国常立尊」様が、3000年の間陰からご守護されていたと
               言われています。 両島の間の海を「竜宮海」といわれ、竜宮の乙姫、玉依姫尊さまのおすまい
               所と伝え「竜宮、竜宮城」 という。 冠島はその入口と言われています。


            

            

            

            

            

            

            

            
           
            

            

            

神秘の山 4<甲山>

2018-06-02 19:43:23 | 日記


                         <久美浜湾を見渡す甲山>

          京丹後市に位置する、かぶと山は<標高192メ-トル>の残丘です。 山頂には展望台があり    
          熊野神社<日本にある熊野神社の内5本の指に入ると言われています。 それだけ格式が高いと
          言われる由縁があると、言う事だと思っています。又聴く所山全体が水晶の山だとも言われています。
          
          山から見える大明神岬には古墳が沢山あります。その内の一つが「天照墓」であると、言うせつも
          あります。 又松林が、天橋立とよく似ている関係で,小天橋と言われています。
          詳細はパンフレットを載せて置きますので、見て下さい。三大古墳を始め、日本有数の古墳大国です。

          歴史のある奥深い町であると、言われる所です。又「神話、伝説の宝庫」でもあり、古代丹後大国の
          名で呼ばれている事です。 風景も、色色見所が沢山御座います、 日本の歴史が紐解ける地場だと
          思っています。 

              久美浜湾≪日の出≫-甲山-磯砂山‐日室嶽-伊勢二見浦≪日の入り>
              夏至の日はこの反対になります。
          
              日本の故郷丹後に来て、見て、食べて、温泉につかり、過去の世界にタイムスリップ

          

          

          

          

          

          

          

  「大感動」  2 <シスタ-鈴木秀子が語る

2018-06-01 22:42:46 | 日記
 

                    <死生観>

           平成30年6月1日<金>,Eテレで 午後8時から-8時45分まで、「苦しみを幸せに変える人生」と言う
           内容でかたられました。   現在86歳との事でしたが、映像で見るかぎり、若々しく容姿が光り輝いて
           見えました。
  
           臨死体験を47歳の時体験したと語られました。  その時「光の世界」に導かれ行ったとの事でした。
              私も過去に、60歳後半だったと思いますが、宮津にきた時講演も聞かせて頂き、ご一諸に食事も
              させて頂きました。その後綾部で一度、亀岡で一度<この時高熊山のご神事に参拝され、玉串奉天を
               されました、ひき続き一二三朋子さんも玉串奉天され、最後に私が磐笛を奉納演奏させて頂きました。

           自分自身のこれまでの人生を語られました。 戦中、戦後、を体験され生き方が大きく変わったとの事でした。
           キリストの洗礼も受け、シスタ-鈴木 として、これまで、神様を信じ現在も生きていますと、楽しく    
           微笑みながら、語られている姿を、ありがたく感謝の気持で拝聴していました。
            
                最後に二言語られました。    第一<あきらめ>
                                第二<感謝、三つ>
           自分自身の使命を何かと考えた時、「 吸う息に感謝を込め-吸う吐く息に神賛する」 人々が幸福に生きる     
           事が出来る様に、例えれば「レンズ」の役目を使命として生きて行く、と微笑みながら、力強く、楽しそうに          
           語られた事が、私事の様に全身に入って来た事が、大変有り難い事でした。現在も多くの人々に気ずきを与えて
           続けて活動をされています。 惟神たまちはえませ。

           出口王仁三郎聖師が読まれた歌-「我はただ宇宙万有一切を愛するほか何物も無し」--この信念で生きる事
                  「祈り、感謝、反省、真剣に生きて、悟る」 
              鈴木先生が言われまいた「あきらめ」 の言葉この意味は=明らかに見定める事<悟りの言葉とおもっています>