<冠島*沓島>
丹後の沖合に、二つの島が並んでいる。 大きい方の島を「冠島」小さい方の島を「沓島」と読んでいる。
雪舟の「天橋立図」にも描かれている大小二つの島である。 二つの島とも無人島である。
昔から信仰の島として注目されていた孤島である。 丹後風土木記残欠文に、「男島」「女島」と称す。
島ごとに神の祠を作り。「天火明命」「目下郎女神」を祭神としてまつたと記録にのこっている。
若狭湾沿岸の猟師は「冠島に{老人島神社」を建て、今なお6月初旬には{雄島参り}という船団をくんだ
団体参拝の風習がのこっている。 祭神は「天火明命」である。 元伊勢籠神社の「奥宮」として位置
ずけられている。
「沓島」は冠島から北東の海上4キロメ-トル沖に位置している。 島は来たの「釣鐘島」と南の「棒島」
二島合わせて「沓島」とよんでいる。 女人禁制といわれ、特に沓島は男でも余り上陸しないのに、
明治38年5月15日から25日までの、11日間、丹波の綾部で発祥した「大本」の開祖-出口ナヲと
いう当時68歳の老婆が2人の青年をお共に連れて「沓島」こもりという大荒行を沓島でおこなっている。
「呼び名」-冠島-龍宮島-とも呼び浦島伝説の竜宮城もこの島だと伝えられている、古くから若狭湾沿岸
一帯の人々から、成人した男子は「男は一生に一度は必ず参れ」と言われています。
「大本」では、この沓島、冠島へ「国祖国常立尊」様が、3000年の間陰からご守護されていたと
言われています。 両島の間の海を「竜宮海」といわれ、竜宮の乙姫、玉依姫尊さまのおすまい
所と伝え「竜宮、竜宮城」 という。 冠島はその入口と言われています。
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