<鳴り鳴りやまず 天の磐笛> 幼年期
私は、1937年9月18日、大浦忠蔵ととめとの5男4女の5男として京都府宮津市
字島陰249番地、猟師の家庭でうまれました。 幼児期は戦中、戦後で生活は大変
苦しかったと思いますが--- でも愛情いっぱいの家族の中で育てられました。
母親の口癖は 「悪いことをしたら地獄に行く、良いことしたら天国に行く」この言葉
が私の身体に染み込んでいたとおもいます。
父親は宗教法人大本の熱心なしんとでした。 母親は今で言う「霊能者」 当時は
「おがみや、霊媒者、狐付き」と言われ、近所では評判でしたが、その子供だと言われ
れることが 嫌な事も随分ありました。
母親に死んだ人の霊が乗り移り、今地獄におちて苦しんでいるから助けてほしいと言い
始める、それを父親が聞き取って、相談者に説明するといった事が、わたくしの小学校
3年生ごろまで読きました。 人は死んだら、天国か地獄又この中間の世界<中有界>
に行くのかなと思っていました。
天国に行っているという人の場合は、母親の顔が明るく、楽しい顔立ちになり、
見ていても気持ちが良かったのですが、反対の地獄行きの人の状態は見ておられない
容貌になり、子供心に恐ろしかった事がおもいだされます。
幼少の頃からこの様な環境で育ちました。
*母親に 霊が移りた 姿見て あの世があると 覚らされる。
大浦荘の海岸から映す
私の誕生した島陰の神社<白山神社>
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