1245年、ワイドにギュスターヴ12世(フィニー国王)崩御の知らせが入る。
ギュスターヴの異母弟ギュスターヴ14世(ソフィーを追放したあとに後妻に産ませた王子)が王位を継承することになったが、ケルヴィンをはじめとするギュスターヴの周辺では、フィニーの王位継承権を主張して軍を発するべきとの意見が上がります。
この頃になると、ケルヴィンはギュスターヴの参謀としての役回りに徹している感がありますが、ヤーデ伯の意向を受けての立ち回りではないか?という憶測もできます。(バケットヒルの戦いにおけるヤーデ伯軍の加勢を見ても、トマス卿が何の私心も無くギュスターヴに加勢するとは考えにくいためです)
しかし、封建時代の君臣の間柄というのは、必ずしも判別の付き難いことも多く、例えば、織田信長に仕えた明智光秀は、将軍足利義昭の家臣でもあり、信長と義昭との間がぎくしゃくした時など、その間で板挟みになりました。
また、後の徳川時代においても、お家が大事か御公儀が大事かで、中間管理職の如く神経をすり減らした武士も多かったはずです(忠臣蔵など)
さて、ギュスターヴ12世崩御から、メルシュマンに向けて軍事行動を起こすまで2年かかっています。
ワイド奪取の時の迅速さに比べて、ずいぶんと悠長にしているようにも思えますが、おそらく、周辺国への根回しを十分に整えていたのではないかと私は考えています。
特にスイ王の承認を得ておかないと、ヤーデ伯軍を他国に進発させることは難しいのではないでしょうか?(ヤーデ・ワイド両軍がスイ王の承認を得ずして軍事行動を起こせば、スイ王の威信を貶めるどころか、戦後処理に際して他国の余計な介入を許すことにもなりかねません。
それに、互いに反目し続けるメルシュマンの4侯国の団結を妨げる工作なんかも行われていたとのでは?と、考えると、戦国読み物としての面白さがいや増すというものです。
準備が整い、いよいよテルムへ向けて軍を発することになりますが、これを率いるのはかつてのワイド侯につかえた名将ネーベルスタン将軍です(彼は、先だってシルマールらの計らいによってギュスターヴの旗下に加わりました)
次回、いよいよバケットヒルの戦いです。
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