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三銃士

2009-10-28 17:03:24 | テレビ番組

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 撮り貯めしてたNHKの人形劇「三銃士」を見ているんですが、大昔に、同局のアニメ「三銃士」に夢中になって以来、私の中でダルタニアンって名前はかなり強い印象として残っているんです。

 なんか、かっこ良くないですか?ダルタニアンって響き。

 私の知っているフランス人の中でも、トップクラスのかっこいい名前です。

 ジダン、アラン・ドロン、ナポレオン、オスカル・フランソワ、ジャンヌ・ダルク、と、これら世界的に有名なフランス人の中でも、やっぱりダルタニアンの名前が一番かっこいいと思うんですがどうでしょう?(二番目はジャンヌ・ダルクかな)

 

 「三銃士」を題材にした物語はたくさんあるけど、デュマの原作を読んだ人ってどのくらいいるんだろう?

 私は、十代の後半くらいに初めて読んだんですが、アニメとはかなり違う印象にビックリしました。

 もう、フランス版「仁義なき戦い」って感じなんです。

 王妃派の「銃士隊」と枢機卿派の「親衛隊」がヤクザさながらに血みどろの抗争を繰り広げているんですよ。

 私の記憶では、確か銃士隊長のトレヴィルが必死に銃士隊の暴発を押しとどめようとしていたような・・・

 でも、酒に酔った隊士らは、すぐにサーベルを抜いちゃうもんだから、パリ市民はえらい迷惑してたという・・・

 なんだかなぁ。

 

 と、まぁ、原作から派生して、いろんな亜種・名作が世に出た「三銃士」ですが、今回の人形劇では、脚本が三谷幸喜だっていうじゃないですか。

 私は三谷幸喜の書いた物語って好きなんですよ。

 「新撰組」の時もそうだったけど、たとえ歴史的有名人であっても、一個人に絶対的な信頼を置いていないじゃないですか。

 どの登場人物に対しても、ちょっと小馬鹿にした感じの人物造形は、今回の「三銃士」でも健在で、いかにも三谷幸喜らしくて面白いですね(私はポルトスが好きです)。

 美術も相当に手が込んでいて、「さすがはNHK、カネ持っとるな~」と、思わず感心してしまいました。(これは、民放では絶対無理ですよね)

 

 まだまだ、書きたい事は山ほどあるんですが(例えばオープニングテーマ曲がスペイン風なのは何故?とか)とりあえず今日はここまでにします。


海外ドラマ ザ・ユニットについて。

2009-10-24 17:18:38 | テレビ番組

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 WOWOWで放送中の海外ドラマ、「ザ・ユニット」が、最近どうも怪しい感じ・・・

 

 特殊部隊モノにしては結構硬派な脚本が売りのテレビドラマで、私は第一シーズンからのファンなんですが、最近の「ザ・ユニット」は、ちょっと、というか、かなり荒唐無稽で強引なお話が多いような気がします。

 特に、「ロンギヌスの槍」の回はひどかった。

 ローマの兵士ロンギヌスがキリストを刺し貫いた槍の、その穂先を巡っての話なんですが、もう、なんて言ったらいいのやら、とにかく終始フワフワ~っと地に足がつかない感じ。

 キリスト教とヨーロッパの歴史に詳しい人なら、もしかしたら違和感なくドラマに集中できたのかも知れません。

 でも、中世の騎士の剣を振り回したり、夢の中で死者と対話したり、と、突然そんな場面が出てくると、いくらなんでも、話について行けなくなってしまいますよ。

 まぁ、でも、そういうのは、この「ザ・ユニット」に限らず、アメリカのドラマでは結構ありがちなネタのようなんですね。(クリスマスシーズンになると、だいたいサンタのネタを使うじゃないですか)

 

 あと、制作費的にも、もしかしたら苦しいのかも・・・

 だって、今シーズンに入ってから、登場人物の数がかなり減ってるじゃないですか。

 心なしか、銃撃シーンでも、若干火薬の量が少ないような・・・(まさか・・・それはないですよね)

  

 残り話数も少ないですし、どうか、尻すぼみに終わるのだけは勘弁して欲しいです。


真・女神転生 ストレンジジャーニー

2009-10-21 18:07:27 | アニメ・コミック・ゲーム

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 今、DSの真・女神転生をやってます。

 かなり歯ごたえのある難易度でして、毎日ほんの少しずつ、這いずるようにして探索を続けています(いつになったら終わるのやら・・・)。

 

 メガテンシリーズは、スーパーファミコンの真・女神転生からのファンで、結構、昔っから遊んでいたんですが、岡田耕治さんがアトラスを退社されてからは、正直、縁遠く感じていました。

 アバタールチューナーは結構良くできた作品だったけど、続編にまでは手が出ませんでしたし、ペルソナ3と4は、世間の評判はかなり高いらしいですが、私の知るメガテンとはグラフィックとかの印象がかけ離れすぎていて、やっぱり手が出せませんでした(メガテン独特の毒々しさが無かったからかな?)。

 ライドウシリーズも、まだ遊んだ事がありません。

 そんな訳で、きちんとメガテンシリーズを遊ぶのは、3以来になります。たぶん・・・

 

 アトラスの最近のRPGは、BUSHINもそうだし、世界樹の迷宮もそうだけど、もう熟練の域に達していますね。

 かなりややこしいゲームシステムを使いながらも、それを絶妙なゲームバランスで遊び手に提供するというこの巧さ!

 コマンド式戦闘型RPGの中では、たぶん国内屈指の出来ですよ、アトラスのRPGは(難易度も国内屈指か?)。

 と、云う訳で、買う前から、ストレンジジャーニーの戦闘が面白いのは解っていました。

 それよりも私の関心を引いたのは、物語の方なんです。

 

 突如、南極大陸に出現した謎の巨大空間!

 「シュバルツバース」と名付けられたこの空間はあらゆるモノを飲み込みながら拡大しつつあった。

 主人公たち調査隊は、最新のテクノロジーを詰め込んだデモニカスーツに身を包み、人類の存亡を賭けて、いざ、「シュバルツバース」に乗り込むのでありました!

 

 かなりイイじゃないですか!この設定!

 そこはかとなく漂うB級SF映画臭。

 デモニカスーツのデザインも、あえてそれを狙ったに違いない感じがモロに出ています。

 

 ただですね、B級映画の面白さって云うのは、だいた2つの方向性に分けられると思うんです。

 一つは、最初っから最後まで、コメディー路線(あるいは胡散臭い感じ)で突き進むお話。

 もう一つは、設定の一つ一つにいちいち理屈をくっつけて、見る側に「もしかして、これは高尚な作品ではないだろうか?」と、錯覚させる方法です。

 前者は、例えばマーズアタックとか、メン・イン・ブラック、スターシップ・トゥルーパーズ(これはかなりビミョ~)とかがそうじゃないかと思うんですがどうでしょう?

 一方後者は、エヴァンゲリオンなんかはモロにそうですし、ゲームで言うと、ゼノサーガとかがそうです。

 私は最初、ストレンジ・ジャーニーは後者的な物語ではないかと期待したんです。

 だとすれば、もろストライクですよ!大好きなんです、ああいう感じ。

 だけど、どうも違うようなんです。

 物語の入り口は確かにB級リアル路線なんです。

 でも、物語が進むにつれて、よりB級臭が強くなって、反対にリアリズムが稀薄になっていくんです。

 まだゲームの途中なんですが、戦闘(物語上の戦闘ではなく、コマンドを打ち込む方の戦闘です)を只続けさせるためだけに物語がかろうじて張り付いているような感じがしてきてるんです。

 これは、かなり残念です。

 確かに戦闘や育成システムは秀逸ですが、今回は物語に対する期待が大きかったから、その分、反動がきついのなんのって、もう、くじけそうです・・・

 ゼノサーガの時は、物語の先を知りたい一心で、苦行の如き無数の戦闘を、ひたすらこなしたモノでした。

 でも、ストレンジジャーニーではそれが無いから、一日30分だけ戦闘をこなして仲魔を強化する。と、云う感じで、ダラダラ遊んでいるだけの毎日。

 

 こいつはイカンな~。

 

 と、云う事で、終盤にさしかかって物語が破綻しかかる類似ゲームの、それを回避するための提言を一つ。

 脚本家に然るべき力量が備わっていない場合、ゲーム中の台詞や説明文を極力省いたらどうでしょう。

 アトラスのRPGほど緻密に錬られたゲームシステムなら、あえて物語で牽引しなくても、プレーヤーはゲームに没入していられるんじゃないでしょうか?

 

 まぁ、今は挫折することなく、私がエンディングにたどり着く事が急務ですが・・・一体いつになる事やら。


タクティクスオウガ日記 ラスト

2009-10-18 16:26:07 | タクティクスオウガ

 

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戦略と戦術。

 この二つの言葉には明確な違いがあるそうです。

 

 戦術というのは、一つの戦闘をどうやって勝つのか、その算段のことを言うそうです。

 それでは、戦略は?と、いうと。

 その戦闘の一つ一つに意味を持たせることなのだそうです。

 

 どういうこと??

 まったく、その筋の専門用語って難しいですよね。

 

 え~っと、例えば、激戦を経て一つの都市を占領したとします。

 まぁ、普通に考えれば、これは戦闘に勝利したことになります。

 なんてったって、敵の都市をまるまる手に入れたんですから大勝利ですよ!

 

 占領した側は、都市の治安維持のためと、それから都市を奪い返そうとする敵の攻撃に備えて、必要な兵員と物資を占領都市の防衛に割かなくてはいけません。

 また、市民生活の安全を保証するため、不満分子を取り締まり、暴動に備え、スパイに目を光らせ、それから、味方の兵士の規律にも厳しくしないといけません。

 占領軍というのは兵卒に限らず、強盗だのなんだの、とにかく敵国の市民の生活を蹂躙することに何ら頓着しないキライがありますから。

 これは、ナポレオン以前の、傭兵に頼って戦争をしていた時代の名残で、今現在の、例えばアメリカのイラク戦争に至るまで見られる傾向だそうです。

 

 すなわち、「略奪は兵士の正当な権利である!」

 すさまじい考え方ですよね。

 

 でも、兵士に支払うべき給金が無い場合(きちんと支払われる方が稀だそうです)、そうした戦争犯罪行為を報酬の一部として黙認してきたのが、戦争の一つの側面だった訳です。

 一部の兵士、あるいは傭兵には、それが目的で戦闘に参加している場合すらあります(指揮官の統制がまったく効かなくなったり、あるいは、指揮官すら一緒になって残虐行為に興じた事例は、特に冷戦以後の民族紛争で顕著に見られます) 

 つまり、占領都市の防衛には、外的脅威よりも内的なそれに、より神経を尖らせる必要がある場合が多いのだそうです。

 

 敵都市攻略戦が戦術的勝利に終わったとしても、占領地統治に手間取り、その結果、その後の作戦立案にまで支障を来すようであれば、それは結局、一つの戦闘によって得たモノよりも、失ったモノの方が多かった、という皮肉な結果になるのです。

 

 と、ここまで読んでいただいた人の中には、もう既にお気付きになった方もあるのではないでしょうか?

 この、都市攻略戦の勝利そのものが、敵軍の作戦だったら?と、いうことです。

 あらかじめ、占領後の統治に支障を来たすよう、散々手を打った上で、退却するんです。

 まぁ、実際には、リアリティを演出するために、激しく抵抗する訳ですが、その結果生じる損失(市街戦に発展した場合、両軍の兵士の他、市民の犠牲も計り知れません)は作戦を成功させる上での許容範囲内の数字として、あらかじめ計上されているんです。

 この点、作戦立案に関わる人たちというのは、前線で戦う兵士よりも、ずっと血も涙もない決断をするモノなんですね。

 

 自国の都市の一つを、敵軍の手に明け渡すことによって、彼らの進軍を遅らせ、指揮命令系統に混乱を生じさせられれば、それは、負けた側がより優位に立つ、という逆転現象を起こしたことになります。

 これをあらかじめ企図して作戦を立て、その後の作戦に繋げてゆくこと、それが「戦略」なんだそうです。

 

 優れた戦略家というのは、きわめて繊細かつ大胆に作戦を練り、誤差数パーセントの範囲で作戦を成功させるんだそうです(まぁ、実際はどうなんでしょうか?)

 天才的戦略家は、勝っても負けても何があっても、結果的には、勝ったと周囲に思わせることができます(ある特定の戦争では、勝利の規定を、個人の解釈に求めざるを得ないことがあるそうです。天才的戦略家は、そこにつけ込んで自分の才能を売り込み、巧みに人心を掌握していきます。そして、後に彼らは、軍閥のトップに上り詰めて、政権すら手中に収めるのです。彼らに共通する特徴は、多弁・雄弁であることです)

 

 さて、一つの勝利が後の敗北となり、また、その逆の事態すら勘案して多角的に作戦を組み立てることが戦略なのだとすれば、私たちがこれまで遊んできた、少なくとも国産のシミュレーションゲームの中で、実際に戦略を体験できる(あるいは味わえる)ゲームはどれだけあったんでしょうか?

 海外産には、こうした戦略の醍醐味を味わえるゲームがいくつかあります。

 例えば、私の好きなゲームのシヴィライゼーションシリーズなんかがそうです(シヴィライゼーションについての説明は割愛させていただきます。だって、長くなるんだもん)。

 シヴィライゼーションのような、ごっつい戦略シミュレーションゲームを遊んでいると、たまにこう思うんです。

 

 「人的損失をまったく考慮しなければ、どんな戦略だって、いくらでも立てられる」って。

 故人曰く、「自ら危険に身をさらすことがなければ、人はいくらでも勇敢になれる」

 う~ん、まったくその通りですね。

 

 戦略的意義を論ずるにしても、戦略そのものに第三者の意図が介在したとすれば、それは、内外の専門家によって細切れに解釈される間に、欺瞞され、隠蔽され、次第に本来の意義を見失った歪な形での大義名分として、泥沼の戦争状態をただ継続させるための方便となることだってあり得るんです。

 タクティクスオウガでのヴァレリア島の内戦は、民族間対立に根ざした紛争であるとしながら、その実、一部の権力者と、それに追随する者たちによって、巧みに誘導された戦争だったことが解ります。

 そして、そうした戦争状態を創出するために、権力者がおこなった演出の一つがバルマムッサでの一連の事件だったんです。

 作者である松野泰己さんが、インタビューで言っていた通り、このゲームのストーリーが、当時のユーゴ紛争に影響されたとすれば、それはつまり、このゲームが社会風刺的要素を多分に含んでいるとも言えます。

 バルマムッサでの一件がそれに当たるのなら、もしかしたら、道徳的賛否を呼んでもおかしくなかったはずです。

 しかし、ゲームという媒体を通じて、奇しくも戦争の実態の一端があからさまになったことは、タクティクスオウガというゲームの特異性と共に、松野泰己とそのチームの、見事な功績だったと思います。

 そして、それが、どれほど意義のある事かきちんと検証すれば、タクティクスオウガの価値というのは、現行の評価基準には容易に当てはまらないと云う事が解るんじゃないでしょうか。

 

 

 え~、長々と話してきましたが、どうも、タクティクスオウガの総括らしき総括は出来そうもないですね。

 だって、今こうして話している最中にも、ちょっと気を抜けば支離滅裂になりそうなこの感じ・・・

 これってきっと、このゲームの持つフトコロの深さが、私の思考を丸ごと飲み込むほど深いからじゃないか、って思ったりするんです。

 いくらでも解釈の幅が広げられるんだったら、もう、話の仕様が無いですよ。

 でも、私を含めて、このゲームに触れた人の中には、それまでの体験とは違う、何か心に訴えかけてくるモノを感じ取った人もいるんじゃないでしょうか?

 戦争というテーマを、エンターテイメントの枠から逸脱させながらも結果としてさらなるエンターテイメントの高みに昇華させたストーリーテラーとしての松野泰己の才能に魅了された人は特に。

 富野由悠季とか、司馬遼太郎とか、田中芳樹とかで、青春時代の一側面がある意味完結してしまったような人には、松野泰己にも是非、触れてみて欲しいですね。

 日本文化史の偉大な才能の一端を知ることになるはずです(これは、ちょっと言い過ぎかな・・・)。

 まぁ、そんな感じです(てきと~でスイマセン)

 

 とりあえず、タクティクスオウガ日記は今日で締めたいと思います。

 まだ、話すべき事はたくさんあるはずなんですけど、今は、どうも頭がついていかないです。

 それに、松野作品には、まだファイナルファンタジータクティクスやベイグラントストーリーがありますし、何と云っても驚愕の大問題作ファイナルファンタジー12もあります。

 折を見て、こうした作品に再度触れつつ、こうしてちょっとずつ話していけたら、その内、また新たな角度からタクティクスオウガを検証することも出来るかも知れません。

 

 と、云う訳で、名残惜しくはございますが、これにて幕引きとさせていただきます。


タクティクスオウガ日記 妄想編2

2009-10-13 17:49:28 | タクティクスオウガ

 

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「ローディス教国の国内問題が、周辺諸外国に与える影響について」

 

 え~、今日は、ゲームボーイアドバンス版のタクティクスオウガのことは一切忘れて、未だ謎の多いローディス教国について、いろいろ妄想していきたいと思います。

 

 オーガ戦争の名残(カオスゲート等)がゼノビア王国やヴァレリア島に数多く残されているように、ローディス教国にも、それらしき痕跡が残っていてもおかしくないと思います。

 なぜなら、暗黒騎士タルタロスが、ゼノビア王国から盗み出した神聖剣ブリュンヒルドでヴァレリア島のカオスゲートを開こうと画策したことからも、そうした魔導の知識がローディスの、少なくとも政権の中枢に通じるタルタロスのような人物には伝わっていたからです。

 と、すれば、ですよ。

 もしかして、ローディス教国はカオスゲートを軍事利用しようとしているんじゃないだろうか?と、いう風に勘繰ることが出来ます。

 実際、ヴァレリアの民族紛争に武力介入したローディスは、その最後に、あえなく撤退することになりますが、タルタロスはそのこと自体にあまり頓着していませんでした。

 あくまでもタルタロスの目的はカオスゲートにあった訳で、小国の治安維持を名目にした軍事活動も、彼の本来の目的を欺瞞するためのカバーストーリーであった可能性が極めて高いと思われるんです。

 

 そうなると、ますますオーガ戦争の再来が危惧されることになります。

 何と云っても、ローディス教国の教条主義が、悪魔の技術である(あるいは悪魔を封じるための)カオスゲートを、ほのまま放って置くはずがないからです。

 まぁ、その前に、ローディスの神様が、神か悪魔か、どちらにより近い存在なのかも私には解りませんが、ここでは「天上の方の神様」と仮定して考えていきます。

 

 ローディス教国の目的が「カオスゲートの封殺」だったら、それはゼノビア王国と利害の一致する所であると言えるんじゃないでしょうか。

 反対に、「カオスゲートの向こう側へ乗り込んで、オウガの軍勢を駆逐してやるぞ!!」といったモノであった場合、これはいささか危ないですね。

 だって、神の軍勢を返り討ちにしたオウガの大軍が、そのまま地上に這い上がってくるかもしれないですから、こうなっては、もう後の祭り、それこそ伝説のオウガバトルですよ。

 

 さて、ゼノビア王国やヴァレリアの新政権は、こうしたことを踏まえて大国ローディストと付き合っていかなくてはなりません。

 実際のローディス教国が、話の通り、共通言語の通じ難い相手であった場合、仮に協調路線が取れる事案であった場合ですら、話がまとまらない可能性が出てきます。

 そうなると、国家の監督下に置かれない、有名無名の在野の魔導師らによって危険な古代技術が発掘され、場合によっては、今回のヴァレリア島のようにカオスゲートすら開いてしまう事態すら引き起こしかねません。

 ここは何とか、ゼノビア・ローディス両国に外交チャンネルが持たれることが望まれます。

 しかし、これについては、そう悲観したモノでもないようです。

 なぜなら、ローディス教国においては、教皇派と元老院派との対立があるからです。

 場合によっては、如何に高圧的・教条主義的論法しか持たない頭でっかちであっても、雑音の入り込む余地くらいはあるかもしれません。

 そこに賭けるしかないのでしょう。

 

 実際、この「隙」らしきモノは、ヴァレリア紛争時にちょっとだけ垣間見えます。

 それは、タルタロスの腹心ヴォラック・ウィンザルフの行動に見られるんです。

 

 この暗黒騎士ヴォラックなる人物、タルタロスの政治工作を任されていたようなんですが、実際はブランタ司祭の暗躍に気付かなかったり、裏切り者に囚われたり、と、散々な目にあって、一見、「使えない男」、に、見えなくもないのですが、このヴォラックを元老院のスパイ、と、考えると、また別の見方が出来てきます。

 つまり、タルタロス(あるいは教皇派)の対抗勢力が、教皇派を牽制するための行動を起こしている、と、いうことです。

 ゼノビア側が、こうした元老院派との接触を果たせれば、あるいはローディスの国論を、古代技術抑止の方向に持って行くための協力が得られるかもしれません。 

 それこそが、今後起こり得るオーガ戦争の再来に備えるための第一歩になるんじゃないか、と思うんです。