(注)・以下の寸劇は、セイクリッド2本編とは一切関係がありません。
その日、アンカリアの朝刊各紙に衝撃的見出しが躍った。
「ゾンビウォリアー ダイダロス逐電!」「任務放棄か?ダイダロス失踪」「停戦交渉難航!ダイダロス失踪が影響」
前政権の肝煎りで始められた「人的資源再利用計画」。莫大な予算を食い尽くしながら、一向に成果の上がらなかったこの計画も、現政権が引き継いだ後、一つの転機を迎えようとしていた。
人資局所管の研究所が、死者の再生に成功したのである。
研究所の責任者、アーマンド・スットコビッチ博士によると、
「私の造り出したものは、いわゆるゾンビなどとは訳が違う! 生前の知能と身体的能力をほとんど失うことなく蘇る事が出来るのだよ。」
「それは、生き返る。と理解してよろしいのですか?」との質問に対してスットコビッチ博士は、
「生き返るのではない。死体のまま動き出すのだ。そういう意味ではゾンビと変りはないのだが、私としては被験体がそう呼ばれる事には、いささか抵抗がある。何と言っても、彼らには程度の差こそあれ生前の人格が残されているのだから。」
「それでは、彼ら被験体と我々との違いはどこにあるのですか?心臓が動いているのかいないのかの違いしかないのですか?」
「それはだね、きみ、死体は死なない。と言う事だよ。」
人資研の研究成果には、当初より各方面から強い懸念が示されていた。
一つは人権団体からの強い反発である。
彼らが言うには、「本人やご遺族の同意無く死者を蘇らせる事は、重大な人権侵害にあたる。」
これに対してスットコビッチ氏の反論は、「全ての被験体は、政府の厳正な審査を経て当研究所へと運ばれて来る。もし仮に問題があるのだとしたら、それは我々の問題ではなく、政府の審査過程にあるのではないか。」
いま一つは、有識者らによる復活した被験体の扱いに関する事であった。
「被験体を提供されたご遺族らは、戦死したご子息が自分たちの家に戻ってくる事を期待している。政府としては、彼ら被験体に生前の戸籍を残し、アンカリア国民としての各種権利を認めるのか?」
これに対する政府の公式見解は示されていないが、ある閣僚からは、「実験段階にある内は人権だの何だのとは考えていない、現段階では被験体は全て戦争資源の一部としか捉えていない、そういう細々としたものは、とりあえず戦争に勝ってからでないとね。」との発言が伝聞されるにとどまっている。
政府としては、こうした国民の懸念が政府の支持率に悪影響を及ぼしかねないと判断し、急遽人資推進委員会を設置してこれの監督に当たらせた。
ダイダロス。通称「地獄の自転車操業」はアンカリア陸軍の英雄である。
陸軍士官学校を首席で卒業したダイダロスは、若くしてその軍事的才能を開花させ、幾多の戦場で輝かしい軍功を挙げてきた。
ことにその名を世に知らしめたのが、サウスマウンドトップの戦いでの活躍である。
38日間のにらみ合いの末、突如夜襲を仕掛けてきた敵軍にアンカリア国旗を奪われた際、当時東部方面軍第13独立遊撃部隊の隊長を務めていたダイダロス少佐は、麾下の精鋭5騎のみを率いて敵夜襲部隊を追撃し、敵兵38騎を惨殺した上、奪われた旗を見事奪還したのである。
ダイダロスの活躍にアンカリア国内が沸き立つ中、時の政府はこの話題を最大限利用するため、散々にプロパガンダを打った。
「救国の英雄ダイダロス。サウスマウンドトップに勝利をもたらす。」
「アンカリア政府は英雄ダイダロスに聖白十字勲章と共に年金8万セステルティウスの授与を決定。同氏の首都帰還を待って、授与式を大々的に執り行う予定。」
「ダイダロス氏、3階級特進!アンカリア陸軍最年少の将官誕生!」
「ダイダロス氏に熱愛発覚!お相手はハリウッド女優のペーネロペー・クルスか?」
「ダイダロス氏、無断で同氏の銘を打ったダイダロス煎餅の販売元であるアンカリア製菓を提訴。」
「ダイダロス氏、政権与党アンカリア民主左派党の党大会に出席。イアン・ストロガノフスキー大統領と握手を交わす。」
時の政権の後押しを受け、その前途には輝かしい未来が待っているはずのダイダロスではあったが、当の本人は政治や社交界での栄達には少しも頓着が無く、その目は常に戦場にのみ注がれていた。
ダイダロスは正真正銘の戦士であった。
彼は、自身の名を冠した特殊部隊の司令官を拝命し、常に陣頭指揮を執りながら各戦場を経巡り歩いた。
そういう彼の姿から、アンカリア国民は格別の愛情を以て、ダイダロスを「地獄の自転車操業」と呼んだのである。
後になって考えてみれば、何とも皮肉な話ではあった。ダイダロスには休息が無かったのだ。休む間も無く次の戦場へ駆けつけ、そしてまた次の戦場へ。
そんな英雄の軍人生活も、サウスマウンドトップの戦いの栄光から3年後、突如として終わりを迎えるのである。
彼が如何にして死んだのか、その詳細は伝わっていない。
ただ、アトロパテネ会戦の前夜、作戦会議に参加するはずのダイダロスの姿が見えないのを気にした同氏の副官がその宿営天幕を訪れると、簡易ベッドの上で既に死亡しているダイダロスを発見したのである。
ダイダロスの急死には、様々な憶測が飛び交った。
中でも、同氏の戦争犯罪を猛烈に批判していた共和党のハーラン・ペコリツキー上院議員らの画策による暗殺説が、俄に喧伝されるようになり、命の危険を察したペコリツキー議員とその家族が国外脱出を余儀なくされるにまで至った。
人資研の研究が開始されると、すぐにダイダロスの遺体がその験体として利用される事が決定された。
何となれば、国民的英雄を失ったアンカリア国民の悲嘆は大きかったのである。
さもありなん。アンカリア政府があれだけ大々的に祭り上げた英雄の死である。厭戦感情の増大どころか、反戦運動すら起こりかねない不気味な不安感が国民を覆っていたのである。
被験体第一号となったダイダロスの遺体は、実際には人資局に報告が上がる1年前には既に蘇生に成功していた。
報告が遅れた事に関して委員会から弁明を求められたスットコビッチ博士は、蘇生初期の混乱期に明確な自我の欠損が見られ、そのリハビリと経過判断に1年の期間を要したと釈明したのだが、実際には、事前に政治問題の処理を済ませるための、政府の意向による報告遅延だったのである。
つまり、死の真相を如何に隠匿するか、その問題の解決である。
結局の所、蘇生したダイダロスにはそれに関する記憶が欠如していた。
それどころか、生前のあの覇気がまるで無かった。
彼はリハビリとそれに続く戦闘訓練の最中、たびたび彼の監督官にこう漏らしていた。
「私は、死にたい。もう死にたいんだ。」
それを聞いた監督官はこう返したという。
「何を言われます閣下。閣下は既に一度死んでいるではありませんか。」
監督官は生前のダイダロスの信奉者の1人だったのである。
世に隔絶した英雄ダイダロスが冗談以外にそんな言葉を吐くとは、まさかとも思わなかったに違いなかった。
したがって、人資研あるいは人資局の上層部や委員会にダイダロスの本心が伝わる事は結局無かったのである。
ゾンビウォリアー・ダイダロスが失踪した後、人資局に一通の封筒が届いた。
差出人はMrsクルスという。
中には2枚の紙片があり、一枚はクルス氏による手紙。
もう一枚は、生前のダイダロスが彼女に当てて書いた遺書であった。
クルス氏曰く「世界を自らの手で切り開くべきダイダロスが、いつの間にか権力の歯車の一枚として、その自由を縛られていたことは、すでにして彼の死を意味していたものであったのだと生前の彼は申しておりました。私は彼の死に、いささかも他者の作為を感じてはおりません。ただ彼の尊厳の赴くままの、その結果であったのだと信じるのみであります。」
こうしてアンカリアの英雄の1人が、その表舞台から再び姿を消したのであった。