ハン・ノヴァの市民広場は、ロードレスランド各地から集まった無数の人々によって埋め尽くされていた。
普段は露店が立ち並ぶ一帯には、急遽演台が設置され、その壇上ではヤーデ伯デーヴィドが殺気立つ市民らを睥睨していた。
演台を取り囲むようにして警護するヤーデ兵は、有事の際以外の抜剣を、厳に諌められており、鋼鉄製の大楯を構え、自らの主君を警護していた。
和平条約の調印宣言を、ハン・ノヴァの市民を前にして行うよう提案したのはデーヴィドであった。
長年にわたって列強の政治闘争に巻き込まれてきたハンの市民の怨念は深く、この先、ハンを交えた世界均衡の枠組みを築く上で、戦勝国のみの密室合意では、ハンとの間にしこりを残すことになり、それは、中原に戦乱の火種を残すことと同じであった。
瑣末なことであっても、指導者はハンの市民に誠意を見せなければならなかった。
本来なら、盟約国から代表一名づつ演台に登る手筈であったが、安全確保が難しいという理由から各国諸侯はこれを辞退し、デーヴィドが一人、調印宣言を読み上げることとなった。
「ギュスターヴ公がハン・ノヴァを築くにあたって、ひとつの理念が掲げられました」
「それは、すべての人間は、アニマや生まれによってではなく、努力や情熱によって認められるべきというものでした」
「諸君らは、常に列強の干渉に耐え、圧政を挫き、独立独歩の気概をその長年の闘争の歴史から培ってきました」
「この都市には、ありとあらゆる国から人々が集まって来ます。その多くが、母国から迫害され、認められず、居場所を失った人たちです」
「あなたたちこそ、ギュスターヴ公がその生涯をかけて築いた、時代にまつろわぬ者たちの理想郷、ハン・ノヴァの住人にふさわしいのでしょう」
「奇しくも我々は、戦争によって槍を交えた」
「我ら列強の連合軍は持てる力の全てをこの戦争にぶつけた」
「その我々と、互角の戦をした諸君らハン・ノヴァの市民に最大限の敬意を表したい」
「あなたたちこそ、ギュスターヴ公の真の後継者です!」
デーヴィドのこの言葉に、広場に集まった人々は大喝采を上げた。
自分達が列強と肩を並べる対等の存在であることを、列強の宗主たるヤーデ伯に認めさせたと、ハンの観衆は思った。デーヴィドがそう思わせたのだ。
「我ら盟約国は、ハン・ノヴァの自治独立を認め、不可侵条約の締結をここに宣言する!」
「ここに集いし全ての者は、戦乱の世の終わりを見届けし証人である!」
「今こそ、過去の怨念を捨て、新たな協調の時代を共に築いていこうではないか!」
それは熱狂であった。
新しき時代に残された課題は多く、戦争が無くなることもないだろう。
しかし、この日、デーヴィドの調印演説を聞いた者の胸には、確かな希望が芽生えたのだ。
それは、連合軍兵士も同様であった。
父祖の代より築きし権利を放棄し、今また、その身をさらして人々に語りかける、デーヴィドの勇気に胸を打たれたのだ。
壇上のデーヴィドは、大歓声を上げる眼下の民衆を眺めつつ、一人遠い地に思いを馳せた。
志半ばで倒れていった偉大な人々の事を、そして今なお戦いを続ける者たちに。
しかし、今日だけは人々と喜びを分かち合おうではないか。
明日からはまた、新たな戦いがあるのだから。
この日調印された平和条約はハン・ノヴァ条約と呼ばれ、サンダイルのほとんどの諸侯・自由都市が参加した。
しかし、民草の間ではこうとも呼ばれ、語り継がれた。
若きデーヴィドの平和と。
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