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北海道 十勝の深掘り 急行まりも号事件

2021-07-13 05:00:00 | 投稿

北海道 十勝の深掘り

全国の読者の皆様に、「北海道十勝ってどんなところ?」の疑問に深掘りしてお伝えしてまいります。


鉄道史の闇、記憶にとどめる 急行まりも号事件から70年 資料少なく多くの謎


【新得】戦後の混乱が続いた1951年(昭和26年)5月、旧国鉄の釧路発函館行きの急行まりも号(乗客約470人)が町内新内の旧根室本線で脱線転覆した「急行まりも号事件」。レールの継ぎ目板が切断されていたことから、人為的な列車妨害事件とされ、国鉄の労働組合関係者らを対象に大規模な捜査が行われた。しかし犯人不明で迷宮入り。あれから70年。当時を知る人はほとんどいなくなり、鉄道史としてしっかりと記憶するべきだという声もある。

■機関車の下敷き

 「あれだけ注目された事件。思うところはあったでしょうが、ほとんど語ろうとはしませんでした」。事件当日、機関助士だった工藤毅さん(故人)の妻(87)=新得在住=はこう振り返る。工藤さんは「列車の下敷きになり自力で脱出した。けがはなかった」と話すだけだったという。

 事件では機関車が転覆したが、幸い客車は脱線せず、機関士2人が軽傷を負うだけで済んだ。一歩間違えば大惨事だった。

 新得町史や北海道警察史などによると、当時は列車転覆など国鉄三大ミステリー事件とも呼ばれる下山事件、三鷹事件、松川事件が49年に発生した直後。三大事件では国鉄の人員整理に反対する労働組合員らを逮捕したが、ほぼ全員が冤罪(えんざい)で無罪になった。労働運動つぶしを狙った占領軍の陰謀論も出るなど真相は闇に包まれている。

 一方、まりも号事件が起きた新得町内では3年前に狩勝トンネルの排煙、熱気問題の改善を求めた「狩勝トンネル争議」があった。このため新得町警察は鉄道関係者ら約600人を対象に捜査した。それでも犯人は分からなかった。

■思想犯や謀略説

 町郷土史研究会事務局長の秋山秀敏さん(70)は「謎の多い事件。資料が少なく、目的や背景など整理できていない」。2019年から町広報誌に連載した「しんとく歴史散歩」で、犯人像について「鉄道知識を持った思想関係者説や、占領軍の謀略説もうわさとしてながされた」としたが、「70年が過ぎ、話が聞ける人はいなくなった。疑問ばかりが残った」という。

 旧国鉄狩勝線を生かした地域活性化に取り組む「狩勝高原エコトロッコ鉄道」の代表で、旧狩勝線のガイドブックで事件を取り上げた増田秀則さん(56)は「現場は山の中。簡単に切断できたのだろうか」と首をかしげる。「状況からみて計画的な列車妨害だったのは明らか。当時の時代背景を読み解かないと事件の歴史的な意味を見失う。今のうちに語り継がないと風化してしまう」と訴える。

■列車妨害許せぬ

 旧国鉄の機関士、JR北海道の運転士だった町内の写真家大崎和男さん(82)は、事件当日の機関士曽我部登志雄さん(故人)が「レールがずれていたなんて思ってもみなかった。大変なことになったと思った」と後に話していたことを覚えている。峠を上るのではなく、逆に急勾配を下る列車で高速走行中だったらと思うと「ぞっとする」。

 事件はだれが、何のために起こしたのか。大崎さんは退職後、旧狩勝線のガイドを10年以上務め、今も路線跡を案内した人に事件のことを話す。「どんな事情があっても列車妨害なんてあってはならない。鉄道事故は間違いではすまされない」と語る。(伊藤圭三)

<ことば>急行まりも号事件 新得駅発車10分後に脱線転覆

 1951年5月17日未明、新得駅を出て10分後の函館行き急行「まりも号」(10両編成)の先頭機関車が脱線転覆した。自治体警察の新得町警察は金切りのこぎりでレールの継ぎ目板が切断された事件と判断。大規模な捜査を展開したが、犯人逮捕に至らなかった。この事件をきっかけに自治体警察を広域の北海道警察へ移管させる機運が高まった。

 

道新電子版 2021/05/27

 

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