先日、中谷巌著「資本主義はなぜ自壊したのか」の終章に、以下のことが書かれていた。
『あのアダムスミスの“見えざる手”を曲がりなりにもはたらかせることができたのは、市場経済を『不純』にするさまざまな『外部』の存在が、その本来的な不安定の発現を一定程度おさえてきたからなのである」。
外部の存在とは中央銀行や強制力を持った政府のことである。中央銀行が通貨の管理をし、政府が所得再分配政策や環境規制をするといった、市場から見ると「不純」なことが国内経済ではそれなりに存在していた。
しかし、グローバル資本主義の下では、そのような強制力を持った「外部」は存在しない。つまり、グローバル資本主義というモンスターには、今のところ天敵はいないのだ。
だが、このことを世界中の人々が認識できれば、ひょっとすると我々はこのモンスターに一定の枠をはめる知恵を見出すことができるかもしれない。怪物の動きを拘束する何らかの有効な鎖を作りあげることができるかもしれない。そのためには、まず我々は「欲望の抑制」ということを学べなければならない。
このまま手をこまねいていれば、やがてはグローバル資本主義というモンスターはふたたび暴れはじめ、己自身をも破壊するほどの猛威を振るうだろう。そして、その厄介は間違いなく我々自身にも降りかかってくる。
だが、そのときになって初めて気づいても遅すぎるのだ。モンスターを暴走させ、人類を滅びの淵に追いやったのは、欲望を抑えることができなかった、他ならぬ我々自身であると』。
私はこの本を読んで、スウェーデンの「グレタ・トゥンべリさん」の言葉を思いだした。 「そのときになって初めて気づいても遅すぎるのだ」と。
良い新年をお迎えくださいませ・・・・・!
「十勝の活性化を考える会」会長