十勝の活性化を考える会

     
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連続テレビドラマ“北の国から”

2019-12-14 05:00:00 | 投稿

連続テレビドラマ北の国から21年間続いたが、その一節を紹介する。

 

黒板五郎:「金なんか望むな。幸せだけを見ろ。ここには何もないが、自然だけはある。」

「自然は、お前らを死なない程度には充分喰わせてくれる。」

「自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。」

「それが父さんからの、お前らの遺言だ。 」

~北の国から02 「遺言」より~

 

小田島本有著 「釧路から ~国語教師のメッセージ~」の本には、以下のことも書かれていた。通常、私たちは「言葉」でコミュニケーションを行なうが、「言葉は最小限で良い」と著者はいうのである。

 

『(前略) 日本語が明確な表現を避け、しかも多くの言葉を省略するのは、それでもコミュニケーションが成立し得る文化的背景がわが国にはあったからである。複数の民族、複数の言葉が存在することが当たり前の西洋とはここが決定的に異なっている。

 

最初から分かり合えないことを前提にしてコミュニケーションを図る西洋と、分かり合えることを前提としてコミュニケーションが成り立ってしまうわが国とは、言ってみれば文化的土壌が異なる。確かに異文化コミュニケションにおいてはその違いを十分に認識し、理解し合うための努力を払うことは当然のことであろう。

 

しかし、このようなことがすなわち日本語の劣等性を示すことにはならない。日本語はしばしば主語を省略する。それでも日本人が互いにその主語が理解できてしまうというのは、我々が与えられた言葉から文脈を類推する能力に長けていることを示している。言葉の省略についても同様だ。その典型例が短歌や俳句である。

 

我々の祖先は三十一音や十七音の文字の中に言葉を凝縮する形式を作り出した。俳句において季語が考えられたのも、簡潔な表現の中に季節感を込めようとする発想があったからである。四季の変化があるという日本的風土は、日本人のその移り変わりを敏感に嗅ぎ取らせる感性を育ませた。それだけ日本人にとって季節感というのは生活に密着していたのである。微妙な違いを読み取る感性はこのような中から生まれた。

 

最近は、外国人の中でも短歌や俳句に興味を示す人が増えていると聞く。言葉を費やすことに汲々としている人々にとって、限られた音数の中で最大限の表現をしようとする発想は、却って魅力的に映るのではないか。啄木の短歌に次のものがある。

 

「 死にたくはないかと言えば 

    これを見よと

       咽喉(のんど)の痍(きず)を見せし女かな 」(『一握の砂』)

(中略) 饒舌な語りが豊かな世界を顕現させてくれるとは限らない。むしろ抑制された表現のなかに、読者は想像力を喚起され、その世界を思い描くことができる。短歌や俳句に象徴されるように、わが国では簡潔な表現が好まれてきた。しかし、それは逆に豊かな世界を読者に開示する必要条件でもあった。我々は、このような表現方法をもっていることをむしろ誇りとすべきだろう。

 

「行間を読む」と言う表現がある。 これは日本人が得意としていたものだった。言葉には表れない真意を読み取ることの重要性を日本人は十分意識していたのである。話さなければ伝わらないという考え方から、ともかく言葉を費やし、論理的に語ることを理想としていた西洋人にはそれなりに必然性があった。

 

しかし、この言語中心主義的な発想は危険もはらんでいる。言葉ばかりが一人歩きし、実感から隔たったなりゆきでも無理を通したり、あるいはその中では否と言えない状況が生まれやすいのである。例えばアメリカは、訴訟の多い国として有名だが、我々日本人の感覚からすると信じられないような事柄までが訴訟の対象となり、原告は自らの権利を主張する。ときにはなりふりかまわず、被告の責任を認めさせようとする強引さも見られないではない。これは、「自由」の国アメリカを端的に示していると言えよう。

 

一方、日本では古くから言葉の奥、あるいは言葉に表れないものを読み取る習慣があった。言葉の奥を読み取るには送り手の胸の内、さらには置かれた状況を的確に把握することを求められたのである。相手と自分との関係も、当然会話の中に反映されており、森有正はこのような日本語のあり方を「現実嵌入型」と称している。相手の表情や仕草からその心中を推測するのも、日本人には特有のものであった。

「行間を読む」 これは我々に与えられた資質として誇りとすべきであろう。』

 

この本を読んで、「日本人の特徴」のひとつが分かったように思った。「神仏習合」と言われるが、日本人がキリスト教信者でもないのに教会で結婚式を挙げるのも、日本人の特徴なのかも分からない。

 

「十勝の活性化を考える会」会員

 

 

注) 神仏習合

 

神仏習合とは、日本土着の神祇信仰神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。

当初は仏教が主、神道が従であり、平安時代には神前での読経や、神に菩薩号を付ける行為なども多くなった。日本で仏、菩薩が仮に神の姿となったとし、阿弥陀如来垂迹八幡神大日如来の垂迹が伊勢大神であるとする本地垂迹説が台頭し、鎌倉時代にはその理論化としての両部神道が発生するが、神道側からは神道を主、仏教を従とする反本地垂迹説が出された。

江戸時代に入ると神道の優位を説く思想が隆盛し、明治維新伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。

 

神々の信仰は本来土着の素朴な信仰であり、共同体安寧を祈るものであった。神は特定のウジ()やムラ()と結びついており、その信仰は極めて閉鎖的だった。普遍宗教である仏教の伝来は、このような伝統的な「神」観念に大きな影響を与えた。仏教が社会に浸透する過程で伝統的な神祇信仰との融和がはかられ、古代の王権が、天皇天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、東大寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想をともに採用したことなどから、奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化し、平安時代には神前読経、神宮寺が広まった。

日本への仏教の伝来から、神と仏は同じものとして信仰されていた。その素朴な神仏習合観念は、やがて仏教の仏を本体とする本地垂迹説として理論化されるようになり、さらに戦国時代には天道思想による「諸宗はひとつ」とする統一的枠組みが形成されるようになった

 (出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋』)

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