KINMU OF DIGGIN

どんなに忙しい勤務中でも何とか時間を作ってレコードを掘りたい!勤務中、出張中に掘った中古レコード備忘録

DREAMS COME TRUE 2

2022-10-14 21:17:21 | 宇ち多゛
ノストラダムスの大予言が大ハズレしたミレニアムの4月、7年の東京支社勤務を終え、宇都宮に戻る。転勤直前の3月に親父が他界したため、新居探しもままならず義父所有のアパートに転がり込む。
工業団地に囲まれたロケーションで、うちの家族以外は全戸ブラジル人という環境で新生活がスタート。通勤用にホンダBEATを購入。毎週ebayで落札したレコードやらアメトイやらが届き、ニュージャージーあたりで生活している感じだった。言い過ぎだけど(笑)。
約1年が経ち、生活が落ち着いたタイミングで、マンション購入を決意。今ほど玉数がない時代だったので一択で今のマンションを購入。そんなタイミングで第2子妊娠がわかる。
長男2歳の誕生日とクリスマスイブをお祝いしてほどなく、年末に出産のためかみさんが済生会病院に入院。無事に第2子が誕生。これまた玉のような女の子だった。子どもは男の子と女の子ひとりづつがいいと夫婦で思っていたのでそれはそれは嬉しかった。
マンションには、コルビジュエやイームズの家具、壁にはALIFEのグラフィティ―アート、アメトイや海外製品に溢れていた。子どもたちもテレビでは海外チャンネルを観ていた。そのせいか二人とも語学には堪能になった。ある日、1歳の娘を抱いて市内のアメトイ専門店に行くと、入り口に等身大のヨーダがいて、怖いと泣き出した。走って入り口に入ろうとすると、よっぽど怖かったのか僕の首筋を噛んだ(笑)。
大きな病気や怪我もなく育ち、よく浅田真央に似ていると言われる幼稚園児に成長する。
娘が小学校入学のタイミングで、2度目の東京支社転勤を命じられる。2度目の東京転勤は僕が初めてでエリートコースと揶揄される。今となっては全く関係なかったが。家族での東京転勤を検討していたが、長男が友達の多い学校を転校するのが嫌だと言ってきかないため、単身赴任が決定。稲荷町での新生活を始める。とは言っても週末は自宅マンションに帰り、家族と一緒に生活。時々家族が稲荷町のマンションに来ることもあった。
週末に帰省したある日、家族で外食した帰り道、小学校1年生の娘がおんぶしてくれとしつこくせがむ。あまりにもしつこいので「おんぶしない」と言うと、かみさんから「今、一番父親がそばにいて欲しい歳なんだよ。さみしい思いもしてるんだよ」と言われ、我に返る。週末に会っているので何も感じなかったが、7歳の娘の気持ちをわからないダメな父親なんだと、今でも申し訳なく思っている。
小学生になってからは、勉強も運動もできる子どもに急成長。某省庁主催の親子セミナーの集客が芳しくないので、親子でさくらで参加。会場にはうちの社員が運営でいる。僕がセミナーを受講している間に、子どもは「夢のマイホーム」というテーマでお絵描き。ほどなくして、東京支社長が苦笑いしながら僕に耳打ち。「お前の娘の絵、最優秀賞になっちゃったよ。主催者のお偉いさんが絶賛で引っ込みつかなくなったからそのまま受賞してくれ。それと新聞でも大きく掲載されるから。」と。
図書券何万円分かもらって、好きな本と文房具を買って帰った。
4年の単身赴任を終えて、東日本大震災の爪痕が残る宇都宮で再び家族そろっての生活が
始まる。
僕譲りのなまけ癖は全くなく、塾に行くわけでもないのに成績は学年トップクラスで、中学、高校と志望校も余裕で合格。大学も国立難関校に合格。
でも、コロナの影響で入学式もなく、学校に行けるわけでもなく、自室でリモート授業が2年近く続く。
「こんなんじゃ通信制じゃん」とふてくされていたが、一時期のコロナ終息時に、晴れて上京。大学生活をエンジョイしている。20歳になりお酒を呑める年齢になり、血筋と言うか呑めるポテンシャルの高さは父親譲り。でも、酔い心地の程度がわからなくて怖いらしく、ほろ酔いサワーを10杯以上呑めるという。酒強いんじゃないか(笑)。子どもの頃から僕のつまみをねだり、食の傾向も似ているので大きくなったら一緒に酒を呑みたいと思っていた。
長男とのサシ呑み同様、もうひとつ夢があった。
それは、娘が成人したら日本一のもつ焼き屋「宇ち多“」にふたりで行って、娘にお酌してもらうこと。
今までの駄目な父親だったことも詫びようと。


国体業務で忙しい中、ひょんなことから実現する。
東京都内での撮影が急に飛び込んできたので、娘を誘うと二つ返事でOKと。



撮影を終えて4時過ぎに京成立石駅前で待ち合わせ。
改札を出ると南口が工事で閉鎖されている。再開発の波に確実に呑まれていく。

北口で待っていると、目の前は重機が行きかう工事現場。
工事現場に目をやるとヘルメットを被った大男がいる。
よく見ると元新日本プロレスのレスラー安田忠夫だった。
ジェロム・レ・バンナにも勝利した猛者だけに寂しい気持ちになったが、ターザン山本同様に立石でプロレス関係者に会えるのは嬉しいもの。


安田を見ていたら、娘が合流。


事前にLINEで「日本酒とか焼酎をイッキさせたりする店じゃないよね?」とか「お酒強くないと入店拒否とかあまり飲まないと怒られて退場させられたりしないよね?」とかのどうでもいいメッセージが続いたので無視を決め込んでいた。

宇ち多“に到着すると、まさかの行列ゼロ。値上げ効果なのか?
ソウさんから声を掛けられ、ソウさんエリアに着席。
偶然にも僕が初めて宇ち入りした席だった。
いつもは朋ちゃんエリアに通されるが、キャップとマスクと女連れなのでスルーされたのかも。


着席して向かい側の席をみると、東京支社時代大変お世話になったTさんが。
娘と初めての宇ち入りだと伝えると。
「お父さんは凄い仕事ができる人だよ!酒も強いし」とおだてられる。
すかさず僕が「いや、このお方は東大出でD勤務だったエリートで、東京支社時代には大変お世話になったの。今はこんなとこで呑んでるけど」と返答。
「最後のひとこと余計(笑)」といい、頼んだ大瓶で乾杯。


ソウさんから「コブクロ1本だけあるけど何混ぜる?」との有難いコール。



コブクロ固いとこ・レバボイル1本づつお酢
娘はコブクロ固いとこを大絶賛。
どこの部位か聞かれたが適当に下のほうとはぐらかす。


ソウさんから「タン生あるけどどうする?お酢は?」とまたまた有難いコール。


ここで三代目朋ちゃんが挨拶に来た。
「お父さんには大変お世話になっております」と一礼。
去り際に不敵な笑み。


娘はあっという間にタン生を平らげる。



ビールを1杯だけ飲んで梅にスイッチ。
娘は警戒して頼みたくないという。



ここで親父の威厳を見せるべく、カシラ素焼き若焼きお酢をドロップ。
どうだと言わんばかりに娘を見ると、「生のほうが美味しいから、別の生頼んで」と黒帯発言。
長男が一番好きだと言っていたことを伝えても、生がいいと言う。



シロ・ハツ1本づつお酢。
シロ生を頬張るやいなや恍惚の表情。
ハツ生も同様。
ひんやりとして臭みも一切なく、触感が最高だと常連の域。



煮込みあぶらのとこ
初煮込みにも感動していた。
メニューにもつ焼き、もつ煮しか書いてないのに色々なメニューがあることに困惑しつつも、世界最高峰の味を堪能している。


アブラたれよく焼き
煮込みのアブラが美味いと言ったので、すかさずたれ焼を注文。
美味いと言いつつ生のほうがいいとまだ言っている。


最後の〆はシロたれよく焼き
これには驚いていた。
ひとくち頬張り目を丸くして最後のビールを喉を鳴らして呑んでいた。


本日 梅4
通算 梅28


宇ち多“を後にして、栄寿司に。
暖簾は出ていたがギリギリアウト。
ここの味はお母さんに聞いてくれと移動。


鳥房でお土産用に事前注文。



長男同様に「江戸っ子」に入店。
ここも行列無し。
立石どうしちゃったのだろう


僕はいつものようにボールを注文。
氷をひとつだけいれてもらう。

娘は青りんごサワー
たぶん呑みやすいだけで度数は高いと思う。


いつものようにマカロニサラダを注文。ソースもかけてもらう。



ここでは団子辛を注文。
むちゃくちゃ美味いと大絶賛。


ここでも、さっきみたいな生を食べたいというので、シロ刺しを注文。

エビスビールを追加して、幸せそうに舌鼓を打っている。
完全におっさん化してきた。


ボール2杯を呑み終えて終了。

上野まで一緒に帰り、新幹線乗り換え口でバイバイ。
これでふたつの夢が叶ったと新幹線車内でもう1杯。

ふと思い返してみると、ビールを含めお酌されてなかった…


今宵も優しくしなやかな夜だった。
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