白洲正子氏に「名人は危うきに遊ぶ」という著作がある
俺さん好きな作家の一人だ
もしかしたら白洲次郎氏の生き方が好きなので
その延長でファンになったのかも知れない
同書の中に「伝統芸能の難しさと面白さ」という一文がある
その一文の中で庭師が語った言葉として
石の3分の2は土中に埋まっているそうだ
その埋まっている部分が大切だという話しが紹介されている
俺さんこの一文がエラく気に入った
それはともかく氏の文章を読むと何故か落ち着く
紙背に隠れた何かが心の平安を生むのかも知れない
あたかも土中に埋まった3分の2が見えない力を発揮するかのように
土中の石は見えないところに趣向を凝らす‥江戸っ子の粋に通じる
遠い昔多分弟子達と京都旅行に行った時だったろうか
龍安寺だかどこぞの「石庭」を見学した
広縁で庭を眺めた時俺さん石の3分の2については考えなかった
白砂の波のうねりに気をとられていた
今にして身を埋めた石の3分の2が
石庭の静謐を醸し出していたのだと知るに至った
遅きに失したという感は否めないが
“知る”という喜びは年齢や遅速に関わりはないだろう
ところで氏には申しわけないが俺さん本を大切に扱っていない
かといって粗末に扱っているわけでもない
本を購入した時点で読み終わったら処分しようと考えないので
心に響いたフレーズはどんどん黄色のマーカーで埋める
そういった意味で扱いが大切ではないということなのだ
本は俺さん一代の心の財産と考えているから
お気に入りの本はみんなマーカーで後日読み返す時の目印をつける
本をよく読むからといって
芥川賞とか直木賞受賞作品に目を向けるといったわけではない
過去に読んだ作品が心に響かなかったというだけのこと
今回あまりにも又吉氏の「火花」が騒がれているので
流行に乗り遅れまいと初めて文芸春秋を購入した
文章は上手だと思うけど作品の良し悪しはよく分からない
ところで俺さん生き様が石庭の石だったか?
過去を振り返って自問自答してみたがこれまたよくわからない
愚直という点では石庭の石だったような気もするが・・・
どう考えても石庭の小石3分の2土に埋まったら
小石ごときじゃごまめの歯ぎしりにもなりゃしない
土中に3分の2を埋めた石になりたいと思いつつ
ふと考えたら石になるより土に還る方が早そうだと気付いた
後に続く弟子達よ俺さん土になったら必ず諸兄を支えるから
石庭の石として土中に深く埋まる苔むす石に育ってくれ
俺さん好きな作家の一人だ
もしかしたら白洲次郎氏の生き方が好きなので
その延長でファンになったのかも知れない
同書の中に「伝統芸能の難しさと面白さ」という一文がある
その一文の中で庭師が語った言葉として
石の3分の2は土中に埋まっているそうだ
その埋まっている部分が大切だという話しが紹介されている
俺さんこの一文がエラく気に入った
それはともかく氏の文章を読むと何故か落ち着く
紙背に隠れた何かが心の平安を生むのかも知れない
あたかも土中に埋まった3分の2が見えない力を発揮するかのように
土中の石は見えないところに趣向を凝らす‥江戸っ子の粋に通じる
遠い昔多分弟子達と京都旅行に行った時だったろうか
龍安寺だかどこぞの「石庭」を見学した
広縁で庭を眺めた時俺さん石の3分の2については考えなかった
白砂の波のうねりに気をとられていた
今にして身を埋めた石の3分の2が
石庭の静謐を醸し出していたのだと知るに至った
遅きに失したという感は否めないが
“知る”という喜びは年齢や遅速に関わりはないだろう
ところで氏には申しわけないが俺さん本を大切に扱っていない
かといって粗末に扱っているわけでもない
本を購入した時点で読み終わったら処分しようと考えないので
心に響いたフレーズはどんどん黄色のマーカーで埋める
そういった意味で扱いが大切ではないということなのだ
本は俺さん一代の心の財産と考えているから
お気に入りの本はみんなマーカーで後日読み返す時の目印をつける
本をよく読むからといって
芥川賞とか直木賞受賞作品に目を向けるといったわけではない
過去に読んだ作品が心に響かなかったというだけのこと
今回あまりにも又吉氏の「火花」が騒がれているので
流行に乗り遅れまいと初めて文芸春秋を購入した
文章は上手だと思うけど作品の良し悪しはよく分からない
ところで俺さん生き様が石庭の石だったか?
過去を振り返って自問自答してみたがこれまたよくわからない
愚直という点では石庭の石だったような気もするが・・・
どう考えても石庭の小石3分の2土に埋まったら
小石ごときじゃごまめの歯ぎしりにもなりゃしない
土中に3分の2を埋めた石になりたいと思いつつ
ふと考えたら石になるより土に還る方が早そうだと気付いた
後に続く弟子達よ俺さん土になったら必ず諸兄を支えるから
石庭の石として土中に深く埋まる苔むす石に育ってくれ