福島県は、北海道・岩手に次いで3番目に大きい面積を誇る県。
隣接する県は、山形・宮城・栃木・群馬・新潟・茨城。
そして、みちのくの玄関でもある。
その昔。
現在の東北地方は、「人の住む所ではない」とされ、住んでる人間は「えた・」扱い。
いわゆる東北の玄関である「勿来の関」の「勿来」とは、「これより、みちのく、人、入るべからず」的な意味があったとか・・・。
それでも、平安時代からの名残は残り。
奥州藤原は岩手に都を作り。
福島県いわき市にも、国宝である白水阿弥陀堂がある。
こちらは平安時代に建立されたもので、この時代に「みちのく」に人が生活していたという、価値あるものになっている。
所で、福島から隣県に行くには、どこに行くにも「山越え」をしなくてはいけない。
これは、車も鉄道も同じ。
高速道路も開通するまでには長い年月か必要。
現在も、福島・山形間の高速道路の工事風景を国道13号から見ることができる。
これも、工事開始からかなり経っている。
山を貫通するトンネルは作らなきゃいけないし、天候にも左右されるし。
東北に道を作るのは本当に大変なのだ。
東京方面から新幹線に乗って福島駅を過ぎると、窓から見える福島市の信夫山に慰霊碑が建っているのが見える。
これは、東北新幹線の開通工事で、いや、鉄道関係の開通工事では前代未聞といわれた110人の殉職者を慰める為の慰霊碑だ。
と、この情報を私が知ったのは、つい最近。
「朝日新聞」の地方版の記事だ。
東北新幹線が開通したのは、私が中学生の時。
このような事故は当時も報道されたのだろうけど、私の記憶には無かった。
現在のJRにも、当時の事を知る人はいないらしい。
慰霊碑も古くなり、ところどころ削れたり、劣化が目立つと言う。
地元住民も忘れつつある。
これでいいのか?
110の魂は、今も新幹線の安全を見守ってくれてるではないか。
東北に新しい道を作ってくれた人達に感謝するべきではないのだろうか?
私は、あまり新幹線に乗ることは無いが、車でも隣県に行くときは、道路の便利さに感謝する。
昔なら、命がけの山越えも、いまではこんなに簡単。
でも、この山を通すのには、莫大な費用はもちろん、それより更に膨大な労働力が必要なのだ。
江戸時代が終わってから100年くらいしか経っていないのに、東北地方がここまで発展できたのも、道路・鉄道からなる道のおかげだろう。
全ては、先人達の苦労の賜物。
それを忘れてはいけない・・・。
隣接する県は、山形・宮城・栃木・群馬・新潟・茨城。
そして、みちのくの玄関でもある。
その昔。
現在の東北地方は、「人の住む所ではない」とされ、住んでる人間は「えた・」扱い。
いわゆる東北の玄関である「勿来の関」の「勿来」とは、「これより、みちのく、人、入るべからず」的な意味があったとか・・・。
それでも、平安時代からの名残は残り。
奥州藤原は岩手に都を作り。
福島県いわき市にも、国宝である白水阿弥陀堂がある。
こちらは平安時代に建立されたもので、この時代に「みちのく」に人が生活していたという、価値あるものになっている。
所で、福島から隣県に行くには、どこに行くにも「山越え」をしなくてはいけない。
これは、車も鉄道も同じ。
高速道路も開通するまでには長い年月か必要。
現在も、福島・山形間の高速道路の工事風景を国道13号から見ることができる。
これも、工事開始からかなり経っている。
山を貫通するトンネルは作らなきゃいけないし、天候にも左右されるし。
東北に道を作るのは本当に大変なのだ。
東京方面から新幹線に乗って福島駅を過ぎると、窓から見える福島市の信夫山に慰霊碑が建っているのが見える。
これは、東北新幹線の開通工事で、いや、鉄道関係の開通工事では前代未聞といわれた110人の殉職者を慰める為の慰霊碑だ。
と、この情報を私が知ったのは、つい最近。
「朝日新聞」の地方版の記事だ。
東北新幹線が開通したのは、私が中学生の時。
このような事故は当時も報道されたのだろうけど、私の記憶には無かった。
現在のJRにも、当時の事を知る人はいないらしい。
慰霊碑も古くなり、ところどころ削れたり、劣化が目立つと言う。
地元住民も忘れつつある。
これでいいのか?
110の魂は、今も新幹線の安全を見守ってくれてるではないか。
東北に新しい道を作ってくれた人達に感謝するべきではないのだろうか?
私は、あまり新幹線に乗ることは無いが、車でも隣県に行くときは、道路の便利さに感謝する。
昔なら、命がけの山越えも、いまではこんなに簡単。
でも、この山を通すのには、莫大な費用はもちろん、それより更に膨大な労働力が必要なのだ。
江戸時代が終わってから100年くらいしか経っていないのに、東北地方がここまで発展できたのも、道路・鉄道からなる道のおかげだろう。
全ては、先人達の苦労の賜物。
それを忘れてはいけない・・・。