碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

アンナプルナBC 6

2018-03-22 19:26:28 | ネパール紀行
デウラリまで来ると、気温もぐっと下がって氷点下近くに下がる。昨日の夜から降っていた雨が雪に変わって、朝にはあたりは白く薄化粧をした風景になっていた。今日はいよいよABCに入る日です。8時15分にデウラリの宿を出る。新雪の上に足跡がくっきり残っている。先に出発した人のものだろう。しばらく行くうち、その人がポーターと二人で歩いているのに追いついた。中年の45歳ぐらいおばさんだった。先日宿で見かけた人です。ここからはみんな同じ行動予定になるので、ABCでまた会うことになる。おばさんを抜いて新雪の上に新たな足跡を残し歩く。新雪の上を歩くのは何年振りか。ひょっとして、ゴーキョピーク以来かもしれない。新雪は滑らないので歩きやすい。気分よく歩いていると広い河原に出たふみ跡が見えないので、適当に歩いているといつの間にかコースから外れて、河原の中央近くを歩いている。やがて道が分らなくなる。こういう時は誰か通るのを待って、道に戻ればいいと、一休みしていると、昨日同宿したネパリの二人がやってきた。彼らとは同じ部屋に寝た。一人で来ると、部屋が空いていないときはシェアすることになるので、三人で一つの部屋に寝ることになったわけです。若い二人の男達は、足も速くさっさと歩き去った。さすが地元民です。彼らの装備はハイキングみたいに軽装です。驚いたのは寝袋を持参していない。昨日寝るときは、防寒衣料を着て宿の布団一枚にくるまって、寝ていた。考えるに、一応のロッジですから、ベッドもあり布団もあるであれば寝袋はいらないはずなんです。寒ければもう一枚毛布ぐらい支給すればいいと常々思っていた。寝袋を持たなくてもいいとなれば、大いなる負担軽減です。もっともかさばる荷物をもたなくて済むなら楽でしょうがない。ワシは今回、自力で荷物を担ぐために極力、軽量化した。カメラの充電器や、ipodの充電器や髭剃りや、こまごまとしたものを削って約1kgはホテルにデポしてきた。必要最小限のものしか持たないように、工夫した。飛行場の荷物の受け渡しのところで量った重量は8.8kgでしたそれからさらに1kg減らしたから、約8kgです。寝袋を出せばぐっと軽くなる。飛行機の機内持ち込み程度で済むはずです。なぜかネパールのロッジは毛布を出してくれない。毛布があるところは布団はない。宿屋に泊まってなんで寝袋を持参しなけりゃいけないのか。どっかの無人の山小屋なら致し方無いのですが、かつてトレッキングを扱う現地の旅行会社にそのことを問うたことがある。寒いから持って行った方がいいと言うだけで、寒い返事でした。毛布を備えることが負担になるのなら、その分料金を上げればいいではないかと思うのですが。よくわからない。寒くてもかけ布団は一枚だけと言う文化でもあるのでしょうか。そんな疑問を以前から持っていたので、今回のネパリの二人の軽装は我が意を得たりと感じた次第です。俺たちゃネパリだ。寝袋なんて持てるか。と言うような心意気を感じていた。その二人が追い越していくと、そのあと続いてトレッカーが何人もやってきた。チャーハン食べた韓国人の女性もいた。みんなが通ると雪がかためられて歩きにくい。実は今回登山靴は中古品のものを買った。どうせ一回しか使わないだろうと思って、チェンマイの古靴屋で200円足らずの値段で出ていたのでそれを買った。ゴアテックスの外装ですので、もとは高級品であったろうと思いますが、いかんせん靴底がすり減って、溝が浅くなっているのです。雪のない道を歩くには十分でおつりがくるくらいなのだが、雪道の下りABCからの下りには往生こいたのでした。マチャプチャレBCに10:45ついたがそのまま、ロッジには入らずABCへ向かう。ヒマラヤの山姿が眼前に現れて、ここからは別世界です。景色を見ながら11:40途中で昼食をとる。ABCは向こうの丘に見えるのだが、なかなか着かない。この間が結構きついのです。酸素が薄いので、足が続かない。4150mです。しかし高山病で死ぬのは4200m以上です。これは自分で勝手に線引きしているのですが、根拠がないわけではない。4200mはシニ線です。ABCへ向かう途中に同室だったネパリの若者2人に追いついた。一人の若者がバテている。かなり苦しそうです。酸素が薄いせいで足が止まってしまっている。もう一人の男が付き添っているが、どうも酸素不足だけではないような疲れ様で体調を崩しているのが分る。もう少しで宿に入れるから、頑張ろうと励まして、一緒に歩くように促した。100mぐらい歩いて休み50mぐらい歩いて止まった。結構辛そうな様子であった。ロッジは見えているのだけど、なかなか遠い。そんな我々の上をヘリコプターがしょっちゅう飛んでくる。物資の輸送か救急かと思っていたが、それは違って、なんと、お客を乗せて、ポカラからABCへ直接やってくるのだ。時にはスキー客を運んで、アンナプルナ南峰の斜面でスキーをして、谷間で客を拾ってふもとへ帰る、ヘリコプタースキーを実施しているのです。苦しんで登ってきたら、ヘリコプターがあざ笑うように爆音を響かせて飛び回っていたのでした。現実はそんなもんですね。ワシも飛行機でネパールに来ているんだからね。文句は言いません。しかしもう二度とここには来ないだろうと思いました。いつか、エベレストもヘリコプターで行くことになるのではないかと予想しております。12:30ようやくABCのロッジに着いた。気温が低いので、汗が冷たく感じる。風邪をひかないように、着替えをするが、着替えは、汗を乾かした前の下着です。気温が低くなるとぬれたものが乾かないので、洗濯するわけにもいかず、寝袋の中で体温で乾燥させるだけです。着替えをしていると、ネパリの若者二人がやってきた。今日も同室だ。昼過ぎになると外はガスが出て、青空が一気に曇りあたりは白く包まれて、何も見えなくなってしまった。こうなれば、寝るだけだ。ネパリの青年はすでにベッドに横になって布団を被っている。もう一人が、温かい汁物を昼食に食べるよう部屋へ運んで、バテた男を元気づけていた。ワシも遅い昼飯を食べた。食堂にはトレッカーは誰もいない。ラーメンライスを頼んだらご飯の量が3人分ほどあった。ここまで上がってきても、食堂にはストーブも暖房の火の気もないです。エベレスト方面のゴーキョピークのトレッキングの時は、宿にはストーブがあったのに、あれはヤクの糞が燃料だった。なぜこちらはないのだろう。あれだけヘリが飛んでいるのにストーブはないのです。みんな寒いから部屋にこもって布団被っているのだろうか。静かなものです。



デウラリの出発の朝












マチャプチャレBCのロッジ





MBCとABCの中間点からマチャプチャレを望む





ABCの歓迎用の看板





バテて布団を被っているネパリの若者









麻原教祖の若き頃写真。ウソです・・ABCに麻原の写真があるという山伝説?がある



翌朝雪が積もった





アンナプルナ1峰 フランス隊が1950年人類初の8000m超の登頂をはたした。
































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