今年の夏を飾ったアテネ・オリンピックも大盛況のうちに無事終了した。わが日本の選手団は、これまででもっとも華々しい成果を上げ、国内は大いに沸いた。どの国も、国民は自国選手の活躍に一喜一憂したことであろう。オリンピックは回を追うごとにますます盛大になり、いまや地球上のすべての人々を熱狂させる地上最大のイベントになったという。第28回となったアテネ大会は、参加202カ国、出場選手10,500名という空前の規模のスポーツの祭典となった。
今大会の場外の大きな話題は、何と言っても、主催国が総額12億ドル、1日当たり1億ドル近い巨費を投じて空前の警備体制を敷いたことであろう。観客は、会場への入場の際にいちいち手荷物をあけて調べられ、空には哨戒機が舞い、街角には銃をもった警官や兵士が歩哨に立ち、ミサイル迎撃ミサイルが据えられ、海上では警備艇が沿岸をくまなく走り回ったという。これは、1972年のミュンヘン・オリンピックでのアラブ・ゲリラがイスラエル選手団を襲撃した「黒い九月」事件を思い起こし、9・11以降最初のオリンピックであり、同時にイラク戦争が進行中という時節柄と、ギリシャがイスラム圏と接する西側の最前線の国であり、地中海をはさんでアラブ・テロリストの本家からひとっ飛びという場所柄の両面から、最大限の警戒態勢を敷いたものと思われる。
そのためかどうか、何事もなく終わったのはめでたかった。そうして、世界中の人々が選手たちが死力を尽くして競うさまざまなゲームに酔って、夢中の2週間を過ごしたことになっている。
しかし実際にそうだろうか。オリンピック大会は地球上すべての人々が熱狂する祭典であろうか。どうも国によってオリンピックに対する取り組みに大きな濃淡の差があるように思われる。その中で、わが日本は間違いなく生一本の熱中組である。その対極にあるのがアラブ諸国、また広くイスラム諸国であろう。
たまたま、開会式当日(04/8/14)の朝日新聞夕刊に、アテネ特派記者山中季広氏による記事が目についた。少し長いので抜粋再録させていただく。
五輪開会式が無事に終わって、アテネには今夜、やれやれという安堵(あんど)の空気が満ちている。〔中略〕
108年前にこの地で近代五輪が始まったとき、極東の日本は招待すらされなかった。国際オリンピック委員会(IOC)が日本を仲間入りさせたのは、日露戦争がよもやの日本勝利で終わった明治末期のことである。
「それ以来、日本は軍事政策の一つとして体育に力を注ぐようになり、五輪は日本ではいつしか信仰の対象のようになった」。岡野俊一郎IOC委員はそう見る。
この春、聖火リレーが5大陸を巡る間に、私は駆け足で7カ国を訪ね、世界にはさまざまな五輪観があることを知った。
「欧米のための運動会でしかない」とイスラム圏の人たちは冷淡だった。東欧では逆に、西側で認められる好機という意識が強かった。タイタンゲームという国際大会を創設した米国の人々は「将来は五輪にとって代わる」と意気盛んだった。
これらの国々に比べると、日本が五輪に注ぐ思いは一途で熱い。3時間半に及ぶ開会式を見ていて、日本流のそんな「五輪愛」を思った。〔後略〕
ゆくりなくも、ここには日本人とイスラム圏の人々のオリンピックに対する思い入れの温度差がみごとに指摘されている。日本は熱く、イスラム圏は冷たい。ただ、イスラム圏の人々はたしかにオリンピックを「欧米の運動会」と突き放した目で見ているのだろうが、そう見ることの根は深い。
今大会の場外の大きな話題は、何と言っても、主催国が総額12億ドル、1日当たり1億ドル近い巨費を投じて空前の警備体制を敷いたことであろう。観客は、会場への入場の際にいちいち手荷物をあけて調べられ、空には哨戒機が舞い、街角には銃をもった警官や兵士が歩哨に立ち、ミサイル迎撃ミサイルが据えられ、海上では警備艇が沿岸をくまなく走り回ったという。これは、1972年のミュンヘン・オリンピックでのアラブ・ゲリラがイスラエル選手団を襲撃した「黒い九月」事件を思い起こし、9・11以降最初のオリンピックであり、同時にイラク戦争が進行中という時節柄と、ギリシャがイスラム圏と接する西側の最前線の国であり、地中海をはさんでアラブ・テロリストの本家からひとっ飛びという場所柄の両面から、最大限の警戒態勢を敷いたものと思われる。
そのためかどうか、何事もなく終わったのはめでたかった。そうして、世界中の人々が選手たちが死力を尽くして競うさまざまなゲームに酔って、夢中の2週間を過ごしたことになっている。
しかし実際にそうだろうか。オリンピック大会は地球上すべての人々が熱狂する祭典であろうか。どうも国によってオリンピックに対する取り組みに大きな濃淡の差があるように思われる。その中で、わが日本は間違いなく生一本の熱中組である。その対極にあるのがアラブ諸国、また広くイスラム諸国であろう。
たまたま、開会式当日(04/8/14)の朝日新聞夕刊に、アテネ特派記者山中季広氏による記事が目についた。少し長いので抜粋再録させていただく。
五輪開会式が無事に終わって、アテネには今夜、やれやれという安堵(あんど)の空気が満ちている。〔中略〕
108年前にこの地で近代五輪が始まったとき、極東の日本は招待すらされなかった。国際オリンピック委員会(IOC)が日本を仲間入りさせたのは、日露戦争がよもやの日本勝利で終わった明治末期のことである。
「それ以来、日本は軍事政策の一つとして体育に力を注ぐようになり、五輪は日本ではいつしか信仰の対象のようになった」。岡野俊一郎IOC委員はそう見る。
この春、聖火リレーが5大陸を巡る間に、私は駆け足で7カ国を訪ね、世界にはさまざまな五輪観があることを知った。
「欧米のための運動会でしかない」とイスラム圏の人たちは冷淡だった。東欧では逆に、西側で認められる好機という意識が強かった。タイタンゲームという国際大会を創設した米国の人々は「将来は五輪にとって代わる」と意気盛んだった。
これらの国々に比べると、日本が五輪に注ぐ思いは一途で熱い。3時間半に及ぶ開会式を見ていて、日本流のそんな「五輪愛」を思った。〔後略〕
ゆくりなくも、ここには日本人とイスラム圏の人々のオリンピックに対する思い入れの温度差がみごとに指摘されている。日本は熱く、イスラム圏は冷たい。ただ、イスラム圏の人々はたしかにオリンピックを「欧米の運動会」と突き放した目で見ているのだろうが、そう見ることの根は深い。