昨年暮れ、イラクで誘拐されたクリスチャン・シェノとジョルジュ・マルブリュノのふたりのフランス人記者が124日ぶりに解放され、やれやれと安堵したのもつかの間、年が明けた正月5日、今度はリベラシオン紙の女性記者フロランス・オブナス氏とそのイラク人案内人フセイン・ハヌーン・アルサーディ氏がバグダードで姿を消した。またしてもフランス人記者の誘拐事件である。
フランス人とは、偶然か故意か。偶然ならば仕方がない。狙ってやったとすれば、犯人はだれか。前回のイラク・イスラム軍が再度試みたのか、それとも別の勢力だろうか。
ここで前回のイラク・イスラム軍によるシェノ、マルブリュノ両記者の解放の理由を見直してみよう。
1)ふたりが米軍のためにスパイをしているのではないことが証明された。
2)ムスリム団体や組織の解放の呼びかけに答えたもの。
3)イラク問題に対するフランス政府の態度を評価。
4)パレスチナの大義に対する両記者の態度を評価。
関連のサイトに掲載されたという解放の理由は以上のようだが、ここには当初の要求であるフランスの「スカーフ禁止法」廃止にも触れておらず、きれいごと過ぎて信憑性は疑わしいが、もしこれがイラク・イスラム軍の真の意向を表したものとすれば、2週間後に再びフランス人記者を誘拐するとは考えにくい。目下イラクはカオス状態ということなので、何が起こっても不思議ではないとしても、やはりイラク・イスラム軍とは別の組織が拉致したとするのが妥当と思われる。
そこで思い出されるのは、前回の事件への対応の過程で明らかになった「イラクには北アフリカ系フランス人少なくとも5人がフランスのパスポートを持ったまま入国して反米勢力に加わっている」という情報である。これは、スカーフ禁止法といい、歴史上のフランス植民地政策への言及といい、よくこの国のことに通じている人間の存在を思わせるが、そのことを説明する。フランスや西側に恨みをもってさまざまな勢力に参加し復讐を誓っているとすれば、フランス人が標的となることも考えられないことではない。
フランス政府も仏ジャーナリズムも、慎重に、まだ「誘拐(拉致)」されたことが確認されないとして、誘拐ということばを使わない。事実、ふたりが姿を消してから10日経過するが、まだ犯行声明や身代金の要求など、誘拐を示す証拠は何もないという。しかし、イラク国内や外国ジャーナリズムでは遠慮なく誘拐と言っている。
姿を消したいきさつは次のようである。
フロランス・オブナス記者は、昨年の12月16日、前任者との交代でバグダードに入った。到着の4日後に、さきに捕まっていたシェノ、マルブリュノ両記者が解放されたことになる。さて、年が改まった1月5日(水)朝、オブナス記者は泊まっていたバグダード中心部にあるマンスール・ホテルをアルサーディ氏とともに出た。そこまでは分かっているが、それ以後行方が分からなくなった。
両名の行方不明後、次の3つのことが伝えられている。
1)リベラシオン紙のセルジュ・ジュリ編集長は、「協力者のフセイン・ハヌーン・アルサーディは、5日午前11時30分ごろ、妻に電話をかけてきたが、取り乱している様子ではなかった、それ以来知らせがない」とLCIを通じて語った。
2)ルモンド紙によれば、ロイター通信員によると「バグダードの警察筋の話として、フランス人記者はバグダードとその北方のタージとの間で姿を消した、拉致の可能性がある」とのこと。
3)7日夕刻、3人の覆面をした男が2人のイラク人ジャーナリストに対し、そのうちのひとりはAFPで働いているが、「女性ジャーナリストと一緒にいた男は健康状態は良好だ」と言った、ということがAFP電で伝えられた。
フランス外務省は、姿を消した日(5日)の午後遅くリベラシオンから連絡を受け、ただちに出先機関に対して捜索活動を開始するよう、特に病院を当たるよう、指示した。
翌6日(木)、夕刻(17時54分)、ふたりの行方不明が、リベラシオンと外務省から発表された。ふたりの安全のためには、早く公表するほうがよいとの判断がなされたという。
夕刻、アイヨマリ国防相が、TV5を通じて、「何が起こったかわからないが、すべての仮説を検討する。DGSE(情報機関)はこのことに関しては一定のノウハウをもっている」と語った。また、ジャーナリストがイラクに行くことを避けるよう求めた。
7日(金) バルニエ外相は、LCIチャネルを通じ、このふたりが水曜日の朝から消えたことを認め、「心配」を表明した。
その後、シラク大統領は記者会見で「心配している。フランスは彼女を見つけるためにあらゆる手段を講じている」と語った。続いて、今の時期はイラクでは戦争報道者の安全が保証されないとして、ジャーナリストに対し「したがって、フランス政府としてはイラクへジャーナリストを送らないようはっきり勧告する」と述べた。
8日(土) 米軍のスティーブン・ボイラン中佐が「今のところ彼女の所在に関する情報は何もない。われわれのデータベースを検索したが多国籍軍による彼女の拘留に関する情報はなかった。イラク保安軍にもチェックを頼んだが積極的な情報はない」と言明した。
10日(月) クリスチャン・シェノ記者は、BBCの質問を受けて、次のように語っている。「イラクで活動するイスラム主義グループは、イラク解放のためと同時に、西側世界に対する『聖戦』のリーダーシップをめぐって競争状態にある。アル・ザルカーウィと他の聖戦イスラム主義グループとの間には一種の競争がある。だれもが一番手になりたがっている」。「彼らは二重の予定表をもっている。英米に対して消耗戦を挑んでおり、一方イスラムにとってイラクは世界に向かっての発信基地だとするビンラディンのある同調者と連絡がとれている。彼らは西側世界と戦いたいのだ。米国と欧州を切り離したがっている。」
フロランス・オブナス記者の行方不明について尋ねられて「彼女はたぶん誘拐されたのであろう。バグダードは危険な場所だ、なぜならすべてのイスラム抵抗勢力のネットワークがバグダードと結びついている」と語った。
在イラクのベルナール・バジョレ仏大使は、スンニ派ウレマー委員会委員長ハレト・アルダリ師と会談ののち、「マルブリュノ、シェノ両記者解放における委員会の貴重な支援に対してお礼をいう時間もなかったが、ここに再びフランス人記者の解放への支援をお願いに来た」と語った。
同委員会の報道担当オマル・ラギブ師の話。「大使とは記者と通訳の行方不明の件について話し合った。大使は、前回と同様、われわれの支援を求めた。両人を見つけ出すことに全力をあげるが、今のところ所在については何も知らない。できる限りのことはする。」
13日(木) パリ訪問中のイラク暫定政府のガジ・アルヤワル大統領は、オブナス記者の誘拐に悲しみを表明し、政府は記者とその案内人の解放のために権限の範囲内でできることをすべてやっていると言明した。
14日(金) シーア派の聖地ナジャフでイラク・シーア派の主要な政党であるイラク・イスラム革命高等評議会(CSRII)代表サドルッディーン・アルクーバンジ師は金曜日の説教で、フランス人記者の誘拐を告発し、テロ行為であると考える、と述べた。
フロランス・オブナス記者は43歳、1986年リベラシオンに入社、10人の特派員団(うち女性は3人)のうちの一人で、イラク報道では03年1月以来、この10人でリレーしてきた。オブナス記者は、ベテランで、国内はもちろんアルジェリア、アフガニスタン、ルワンダ、コソボなど世界中の事件をレポートしてきた。1月30日に予定されているイラク総選挙の準備状況をカバーするためイラクに入国し、数日後にパリに戻る予定になっていた。記者は、1)選挙での女性候補者、2)ファルージャの避難民、のふたつのテーマを追っていた。これらのためにインタビューの相手を求めていた。しかし、リベラシオン紙によれば「われわれの知る限り、このインタビューは延期された、その場所があまりに危険だと思われたからだ。しかしもちろん心配している。」
案内人のフセイン・ハヌーン・アルサーディ氏は2年前からリベラシオンの特派員とともに働いている。サダム政権の崩壊後「フィクサー」の仕事についた。これは現地特有のことばで、案内人、通訳、運転手、斥侯、協力者などを合わせた意味をもつ。着任の記者が飛行機を降りると、軍のバリケードをどうしてすり抜けるのか、いつもの黒めがねをかけ、笑いながら愛用のシボレーのそばに立っている、ということである。
1960年7月バグダード生まれ、1男3女の父親である。かつての多くのイラク空軍のパイロットと同じく、80年代はじめ、仏・イラク両国の軍事協力がもっとも緊密であったとき、フランスで訓練を受け、ミラージュF1戦闘機に乗って4年間イラン・イラク戦争を戦った。教室で習ったフランス語を話す。三つのメダルと、大佐の階位と、頭のてっぺんの傷と、戦友仲間での勇者の評判を残した。91年の第二次湾岸戦争で除隊した、ということである。
この欄で、前回、日本人に同様の事件が起こった場合の参考になればとの思いで、シェノ、マルブリュノ両記者誘拐事件の跡をたどっていたところ、途中で解放されたので、今回はゲンをかついで早々ととりあげた。
リベラシオン紙では、オブナス記者とアルサーディ氏への支援を表明するためのバナーをすべてのウェブサイトに掲載するよう呼びかけている。新しい運動方法と思われる。この欄でもこの呼びかけに応じて下に掲げてみた。(これは
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