tensionが怖い。それは、ゴムをピーンと引っ張ったような緊張、張りつめてる状態。その反対は、release。
福岡人の特徴の1つに、このtensionがある。
例えば、私女だけど、女の私に対して異常に特別扱いする男たちが、怖い。普通にしないで、すごく殊更に特別扱いするのは、逆のことを暗示してるから。そして、それは外れた試しがない。つまり女を人格として見ていなくて、物として見ていることの裏返しなのだ。だって、もし人格として見ていたら、普通に接するだけだもの。
あと、障がい者に対しても異常に殊更に tension張った状態で親切に特別に対応する人達も、怖い。それも、裏のことを暗示してるから。
普通じゃないのが、怖い。その意味するものがわかるから。それは、後々必ず露呈してくる。
tension張った人は、要注意。後々その本質を見せてくる。これに外れはない。だってそのtensionが既におかしいもの。普通にしてりゃいいのだから。
tension張った人は、その豪華絢爛な空っぽの箱を塗り固める茶番に相手が参加することを自動的に望み、そうしなかったら激しく激怒し、180°変わるのだ。うざくて仕方がない人種。空っぽの茶番劇は、1人でやっていたらいいのに、必ず相手にもそれに同調して塗り固めに参加することを内心で強要している。
冷たい人間関係の職場ほど、飲み会で異常に絆ぶって暑苦しく仲良しぶる。急に。イボ立つくらい寒いしださい。
冷たい学級にしている担任ほど、カメラや保護者の前では急に和気あいあいぶってくる。卒業アルバムの撮影の時とかに、急にとってつけたように明るさを演出してくる。
日本では、tensionがすごい。特に福岡がすごい。
ハレとケという概念は、私はきらい。ハレの時だけ唐突に、よかふりし出す。生活の中での行いが本当の姿なのに。セレモニー的な変性意識の中で、急に泣いたりよかふりしたり。日頃の行動がすべてなのに。
それに普段の生活が ケ だなんておかしい。その発想こそが、言うなれば、ケ っぽい。卑しい。私は、内と外を異常に分ける人達が怖い。
匿名の一過性の場では自己中心的なふるまいをするくせに、名前つきの持続的な場ではしっかり良識人ぶる日本人。お中元は抜かりないのに、駅や道では自己中心的で人に冷たく、匿名の寄付はまったく普及しない。
すみません、リリーさんの怒りや憎しみは私の責任です。